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入学編 第二話※2015年6月26日修正

「ここが……」


「うん。今日から三年間お世話になる学生寮だね」


 目の前にそびえ立つのは、年季の入った洋風の建物。

 時代の重みを感じさせる外観と、その独特な佇まいに、私は思わず圧倒されていた。


 『風月寮フウゲツリョウ』と書かれた看板が門の傍らに掲げられており、黒く重厚な扉が印象的だ。


「しかし、まさか恵も同じ寮だったとはな」


「そうだよ。由美がものすごく悔しがってたけどね」


 恵は腕を後ろに組み、屈託のない笑顔で小さく跳ねるように応える。

 まだ出会って一日しか経っていないというのに、随分と距離が近い。

 そういえば、一緒に帰ろうと誘ってきたのも恵だった。


 入学式が無事に終わり、私は荷物のことが気になって早めに帰ろうと支度をしていた。

 そんな時、後ろから声をかけてきたのが彼女だったのだ。


「いやあ、まさかお迎えがメイドさんとは……! 私、初めて見たよ!」


 興奮した様子で鼻息荒く話す姿は、見ていてなんだか微笑ましかった。


 実は、由美も私と同じ寮であると知って、ぜひ一緒に行きたいと懇願してきたのだが――

 校舎を出てしばらくしたところで、迎えに来たメイドに捕まってしまい、そのままリムジンで連れ去られていった。


 車窓からこちらを見つめ、口を尖らせていた姿は、今でも鮮明に思い出せる。


「まあ、私も一応“お嬢様”なんだけどさ……羅豪財閥の力はやっぱり桁違いだよね」


「そうか? 確かに由美はそんな感じがするが……お前はあまり“お嬢様”には見えん」


 顔立ちは整っているものの、どこか垢抜けており、仕草や振る舞いもお転婆そのもの。

 お嬢様というより、活発で快活な女の子という印象だった。


「あーひどいなぁ。まあ、実際そうなんだけど。うちの親父なんてただの成金だしさ」


「そうか」


「……その反応、絶対興味ないでしょ?」


 恵がジト目でこちらを睨んでくる。


「ああ」


「うわー、潔いなっ! もう、いいや。家の話はやめとく」


「懸命な判断に感謝する」


「ほんっと変わってるよね、君」


「お前に言われたくない」


「あはは。なら、変わり者同士、仲良くしようじゃないか」


「断る」


「ひどっ!?」


 盛大に肩を落とす恵をよそに、私は呼び鈴を鳴らす。


 背後から「冷たい〜!」と非難の声が飛んできたが、まあ、どうせすぐ飽きるだろう。


 しばらくすると、玄関の向こうから足音が二つ、こちらに近づいてくる。


「二人か」


「え? 何が?」


「新入生の龍徳寺百合さんと、吉田恵さんですね。お話は伺っています。私はこの寮の寮監を務めている、三年の千葉チバ ココロといいます」


「同じく三年、副寮監の皆木ミナギ 洋子ヨウコよ。よろしくね」


 二人は丁寧に頭を下げ、自己紹介をしてくれた。


 寮監の千葉先輩は、ふんわりとした髪に優しげな瞳が印象的な、柔らかい雰囲気の少女。

 一方の皆木先輩は黒髪を高くポニーテールに束ね、目元がキリッとした切れ長の美人。

 まるで正反対の印象を持つふたりだった。


「上級生でしたか。失礼しました。自分、一年の龍徳寺百合であります」


 丁寧に挨拶を返したはずだったが――なぜか二人とも目を丸くして驚いている。


 隣では、恵が笑いを堪えて肩を震わせていた。


「え、えっと……同じく一年の吉田恵で……あります?」


 恵は苦笑いしながら私の口調を真似て挨拶する。


 ふにゃっとしたその様子が可愛らしかったのか、先輩ふたりの表情が和らいだのがわかった。



「え、えっと……とりあえず、よろしくお願いしますね」


「こちらこそ」


「お世話になります」


「じゃ、説明するから、ついてきて」


 いつまでも玄関で立ち話というわけにもいかず、私たちはふたりの寮監に案内され、奥へと進んでいく。


 長く伸びる廊下を抜けた先にあるのは食堂だった。

 四人掛けのテーブルが二つ並び、その奥にはこぢんまりとした厨房が見える。

 反対側には大きな液晶テレビと、それを囲むように置かれたふかふかそうなソファがあり、ここが寮生たちの憩いの場であることがすぐにわかった。


「さて、先ほども簡単に自己紹介しましたが、改めてご挨拶しますね。私は今年、寮監を務める三年の千葉心チバ ココロです」


 柔らかい笑顔と落ち着いた口調が印象的だった。


「ちなみに、寮母さんもいらっしゃいますが、普段の生活で何か困ったことがあれば、私か洋子ちゃんに相談してくださいね」


「同じく、改めまして副寮監の皆木洋子ミナギ ヨウコです。この寮は生徒の自主性を尊重していて、よほどのことがない限り、特に厳しい制約はありません」


 洋子先輩が補足するように続ける。


 つまりこの寮では、生徒たちの自律を重んじる方針のようだ。自由度が高いというのは、少し安心する。


 その後、ふたりは寮の設備について順に説明してくれた。

 お風呂やトイレの使い方、食事のルール、非常時の避難経路、共用スペースの使用マナーなど、実際の生活に直結する情報が次々と語られていく。


「……以上になりますが、何か質問はありますか?」


 一通りの説明が終わり、心先輩がこちらを見て問いかけてきた。


「特にありません」


 私がそう返すと、恵も「私も大丈夫です」と頷いた。


「では、次はおふたりのお部屋をご案内しますね」


「私は百合さんを担当します。洋子は恵さんをお願いね」


「了解」


 そうして、私と恵はそれぞれ別れて、寮内を案内されることになった。


「百合さんのお部屋は二階になります」


 心先輩の後ろについて階段を上がる。

 踏み出すたびに階段が小さくきしむ音を立てた。建物の古さを物語る音ではあったが、不思議と不快感はなかった。むしろ、その静かな音が、この場所の歴史や温かさを感じさせてくれる。


「古いでしょう? 築百年くらいらしいですよ。何度も修繕はされてきたようですが」


 私の表情から何かを察したのか、心先輩が微笑みながら説明を加える。


「百年ですか……」


「ええ。でも、耐震工事や内装の補強もしっかりされていますから、心配しなくても大丈夫です。今ではちょっとしたマンションより快適ですよ」


「そうなんですね」


「でも、ちょっと不思議ですよね。こんなレトロな建物に、最新の電化製品が置いてあったりするんだから」


 ふわりと笑うその姿に、私は思わず「可愛い人だな」と思ってしまった。

 年上なのに、どこか親しみやすい雰囲気を持っている。


 そんな彼女と会話を交わしながら、二階の一番奥の部屋へと歩を進めていく。


「こちらが百合さんのお部屋になります。荷物はすでに届いていますので、ご安心くださいね」



 扉を開ける。


「!?」


 照明のスイッチを入れた瞬間、思わず後ずさりそうになった。


 なんだ、この部屋は――。


「? どうかなさいましたか?」


「い、いえ……その、部屋の内装が……この寮は皆こういう感じなんですか?」


「いえいえ、この寮では入居前に部屋の内装を自由にカスタマイズされる方が多いんですよ。百合さんも、業者の方が入学前に作業されていましたよ?」


 そんな話、聞いていない。完全に油断していた。


 思わず天井を見上げてしまう。恐らく――いや、間違いなく祖母の仕業だ。まったく、あの人はお茶目というか、やることが派手すぎる。


「ふふ、可愛らしい趣味ですね」


 ……頭が痛い。


 この部屋を一言で表すなら、“ピンク”。


 薄桃色の壁紙に、純白の絨毯。そして中世ヨーロッパの貴族でも使いそうな、天蓋付きの大きなベッド。

 すべてが、自分の趣味とは正反対の、甘すぎる装飾で埋め尽くされていた。


「いえ、それは祖母の趣味です……」


 さすがにこれを“私の趣味”だと思われては心外なので、即座に否定しておく。


「まあ、お祖母さまの? ふふ、それだけ可愛がられているのですね」


「……どうやら、そのようです。私はもう少し、普通がよかったのですが」


「いいじゃないですか? 可愛くて。私なんて、こんな部屋にしたくてもできませんでしたから、ちょっとうらやましいです」


 この、精神衛生に悪そうな空間のどこが羨ましいのか、私には理解できなかった。


「ああ、そうそう。あちらの荷物だけは、業者の方が手をつけずにそのまま置いて帰られましたよ? 鍵がかかっていたので開けられなかったそうです」


 心先輩が部屋の隅にある、無骨な金属製の箱を指差す。


「ええ、それは他人には触れられないよう、鍵は私が常に管理しています」


「そうなのですか? 結構重かったみたいで、運ぶのに苦労されたとか。それに……変わったデザインですね。“DANGERデンジャー”って……どこのブランドなんですか?」


「……はい?」


「ちょっとかっこいいなって思って。色合いも綺麗ですし、私も欲しいな~って」


 いや、そんな目を輝かせて言われても――

 まさか本当のことを言うわけにもいかないし……。


「ああ、えっと、海外のマイナーブランドでして……多分、今はもう手に入らないと思います」


「そうなんですか……残念です」


 しょんぼりと肩を落とすその様子に、少しだけ罪悪感が芽生えた。


「では、夕食は七時ですので、それまでに食堂へ来てください。何か困ったことがあれば、私の部屋までどうぞ」


「はい」


「それでは、また後ほど」


「ご案内、感謝します」


 退室する直前、心先輩がまた少し不思議そうな顔をした気がした。


「……ふう、どうやら“勘違い”してくれたようで、よかった」


 念のため部屋の鍵をかけ、例の金属箱を開ける。


 中には、私が長年愛用してきた道具たちが、丁寧に収められていた。


「……まさか、持ち込みが許可されるとは思っていなかったけど」


 案外、この寮のセキュリティは甘いのかもしれない。とはいえ、油断は禁物だ。


「さて、しばらくはここが“住処セーフハウス”になるわけだけど……」


 改めて、周囲を見渡す。


 ……やっぱり、無理だな。


 ピンクの花模様が入った壁紙。ほんのりと甘ったるい香水の匂いが漂い、ベッドはふかふかすぎて逆に落ち着かない。まるでどこかのお姫様が使うために作られたような部屋だ。


「これに慣れなきゃいけないのか……」


 思わずため息が漏れる。


 とはいえ、もう後戻りはできない。

 ならば――覚悟を決めるしかない。

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