一年生編 春 第八話
小鳥の囀りと共に目覚める朝。窓から漏れる朝日と木の香り、セミダブルの高級ベッドに腰掛け大きく伸びをする。
「ふわぁ~っ」
実家と違い静かな環境、そして、穏やかな空気。そうして、顔を洗うべくドアを開ける。ドアを開けると、コーヒーとシナモンの香りが漂ってくる。厨房で親友の万能メイドさんが朝食の支度をしてくれているのだ。
「今朝の食事は、スクランブルエッグか、パンにスコーン~♪」
ご機嫌な調子で廊下を歩く、ここは聖盾女学園女子寮、日本中の淑女が通うお嬢様学園の敷地内に建つ歴史ある寮内である。
スカート裾は膝下数十センチ、人前で欠伸なんてもってのほか、走らずに優雅に歩く。毎週決められた時間にお祈りを捧げたり等など、その為の聖堂があったりと普通の学園とは一線を画していた。
「ほんっと、少女漫画とか小説の世界みたい」
そんな風に考えながら歩いていると、ふと廊下に何かが落ちていた。濃い木目調の廊下は、掃除が行き届いている為、塵ひとつない。厨房の奥、寮生が使用する洗面所には既に先客がいた。
「おはようございます。心お姉さま」
「おはよう里奈」
この寮の寮長である。千葉心と、その妹、桜小路里奈である。この姉妹は本当に似たもの同士で、なんというかぽわぽわとした姉とふわふわとした妹といった感じで微笑ましい。
「お姉さま、落とされておられましたよ」
薄桃色のハンカチを遠慮がちに手渡す里奈。どうやら、ここに来るまでに落としていたらしく拾って届けてくれたようだ。
「あら?ありがとう。私、どうも朝は駄目駄目ですね」
そう言いながらも、まだ目が開ききっていない、可愛い人だ。
「いえ、そんなことありません」
そんな姉の姿を愛おしそうな瞳で見上げる里奈。
朝から微笑ましい。
その様子を目撃した恵はそう思う。外界から遮断された特殊な環境、異性との接触もほとんど無く徹底した情操教育。本当に少女漫画の世界のようだ。
「ん?こっちにも落し物?ハンカチかな?」
などと、朝から目の保養をさせてもらい上機嫌な恵の進行方向、遠目に見える白い布のようなもの。大きさからハンカチのように見える。窓から漏れる陽の光に照らされて光っているところを見ると、かなり良い素材の物ぽい。
由美かな?それとも詩織お姉さま、もしくは洋子お姉さまかな?などと考えながら進む。
「綺麗な純白、シルク?誰のかし……」
拾い上げると言葉に詰まる。恵が拾ったハンカチのようなものは、ハンカチでは無く……ショーツだった。
さて、考えろ私。この寮内に住んでいる人間でコレを愛用していそうなのは……
「素材は高級そうだから……由美?いや、それは無い」
彼女の洗濯はシルビアさんが全てしている。あのシルビアさんがこんなヘマをするわけは無い。
じゃあ、誰?他にヒントは無いか、私はショーツを念入りに調べる事にした。匂いは……うん、大丈夫洗濯したてだ。左右にフリルのついた紐パン……こんなセクシーなのを履く人間は……
「……お楽しみ中申し訳ないのだが」
「ひゃっう!?」
後ろから声がする。驚きながら振り返る恵。
「人の性癖をどうこう言うつもりは無い。ただ、そういうのは自室でこっそりとしてもらえるか?」
ものすごく冷めた視線で見下ろす詩織がそこにいた。改めて考える、今の姿を……下着を手に念入りに調べ、あまつさえ匂いまで嗅いだ……
変態にしか見えない。
「ち!ち、違うんです!!そういうんじゃないんです!!」
その事に気づくと、顔を真っ赤にしながら全力で否定する恵。
「これは落し物です!誰かが落としたんです!それをたまたま見つけてっ」
「……その割に、なんだ匂い嗅いだりしていたようだが」
思い切り見られていました。
「そ、そそ、それは、匂いで誰かわかるかな?って思いまして……」
必死に言い訳するも、良く考えれば、いや考えなくとも下着泥棒の言い訳にしか聞こえない。それに気づいたのか言葉尻も段々力無くなってくる。
「って、どう考えても信じてもらえませんよね?」
ちょっと涙目になる。
「なんだ?何を騒いでいる」
「あ、百合、ちょうどよか……た……」
良かった、助けが来た。そう思い振り返るがそのまま止まってしまう。それもそのはず、そこにはいつものタンクトップの百合が仁王立ちで立っていた。それだけならいつもの姿もう慣れた、しかし、今の彼女は……そう、下半身は何も履いていなかった。そう、全裸より何故か卑猥な格好であった……
その様子に唖然としている恵の手元を見て
「ああ、それ私のだ。ちょうど探していた所だった、こんな所に落ちていたのか」
何事も無く、下着を受け取るとそのまま履くと、
「ふむ、紐が緩んでいたようだ」
そのまま紐を締める。
「って!!!百合!!!」
「なんだ?いきなり」
唖然としていた恵であるが、百合に詰め寄る。その迫力に思わず後ろに後ずさってしまう。
「どうやったら、ショーツなんて落とすのよ!?てか、紐パンとか持ってたの!?」
「いや、それしか無かった。普段のは全部洗濯したまま干すの忘れててな。履いて見たが中々しっくりこなくてな」
「だからって、ちょっと待って……」
そこまで聞いて考える。
ちょっと待て、それしか無かった?履いたけどしっくりこなかった?じゃあ……その匂いを嗅いだあたしは……
「なぁああああ!!!?」
顔を隠しながら走り去る恵。その様子を唖然と眺める事しかできない二人。
「なんだ?変な奴だな」
親友の行動に首を傾げる百合。
「まあ、なんだ……今日は彼女を労ってやれ。色々あって疲れているはずだ」
意味が理解できていない百合の肩に手を置き、首を静かに振りながら溜息を吐く詩織。その様子に意味がわからなくなるが、
「はあ、解りました」
とりあえず返事をしておく。今日も朝から風月寮は平和だった……
今朝の騒ぎも収まり学園へと登校する三人。いつも通りの風景、いつも通りの通学路、いつも通りのメンバーである。いつもと違うところがあるとすれば、
「恵さん?お顔が赤いですが、熱でも?」
「え!?ううん、だいじょぶだいじょぶ!」
少し元気の無い恵を心配そうにする由美。
「そうですか?」
「うんうん」
「今朝も何か叫んでおられたようで、何か怖い事でもあったのですか?」
「そうね……ちょっとした悪夢を、ね」
「まあ、それは大変でしたわね」
朝の一件を知らない由美だが、彼女が叫んで自室へと戻る姿を目撃をしていたようで心配そうに手を添える。
「ええ、本当……えらい目にあったわ」
「それは大変だったな」
「あんたっ!だけには慰められたくないわ!あんたのせいで、あ、あんたの……」
涼しい表情で言う百合に思いっきり突っ込むも、思い出したのか更に顔が赤くなる。
「?」
その様子に首を傾げる由美。
「百合さんが、何かなさったのですか?」
「ん、いや、実は……」
「わああ!!わあっわあっ!!」
説明をしようとする百合と由美の間に入り大きく手を振りながら叫ぶ恵。その様子に何事かと視線を集めてしまう。
「こほん、いいかね。今朝は何も無かった。無かったんだよ」
「ですが……」
「何も無かったの」
「解りました」
真顔で迫られ恐縮する由美。これ以上は聞いてはいけない、何故か彼女はそう思った。
「変な奴だな」
「あんただけには言われたくない」
流石に疲れたのかツッコミにも切れが無い。そんな恵を不思議そうに眺める由美であったが、余り聞いても悪いと思い話題を変える。
「それより、大分暖かくなってきましたね」
「ん、そうだね。それに四月ももう終わりだし?」
ふと校舎前が騒がしい事に気づく。
「あら?何かあったのでしょうか」
「んーなんだろう?あっちは確か掲示板があったような」
見れば結構な人だかりができていた。
「ほえーすごい人」
「そうですわね」
人だかりと遠めに眺めていると、
「あ、由美さん、恵さん、ごきげんよう」
「祥子さんごきげんよう」
「ごきげんようさっちん」
少し離れた場所からクラスメイトの中村祥子が現れる。
「百合さんもごきげんよう」
「ん?ああ、ごきげんよう」
百合の顔を見ると少し表情を変える祥子に首をかしげながら挨拶を交わす。気づけばすれ違う生徒からは好奇の目で見られていた。
「?何か、あったのでしょうか?」
「んーなんだろ?百合、また何かした?」
「いや?記憶に無いが」
なんだろうか?特に百合への視線が多い気がする。それを察してか、
「ああ、えっとね。説明するより見てもらった方が早いか」
そう言うと一枚の紙を手渡される。
「聖盾学園新聞部?号外、風紀委員長と副委員長との三角関係?何これ?」
そこには、新人委員がただならぬ関係であると書かれた記事と共に、百合と詩織の写真が掲載されていた。
「えーと、今回選ばれた新しい風紀委員である龍徳寺百合さんは、生徒会指名枠の推薦で選ばれましたが、現生徒会長に現風紀委員長が推薦するよう要望した?」
内容を読み上げる恵
「ほう、良く調べているな」
「あらあら」
他人事な百合と若干笑顔が引きつりつつある由美。
「今回、それを裏付ける証拠をスクープ、だって?」
そこには、勧誘週間でお姫様抱っこされる百合の写真と、美里に怒られている写真とそれを詩織が庇っている写真が掲載されていた。
「へえ、良く撮れているね。というか……」
「そう、ですわね。ていいますか……」
その写真を見た恵と由美が違和感を感じる。
「なんで、百合と詩織お姉さまだけカメラ目線なの?」「百合さんと詩織お姉さまは気づいていますわよね?」
二人してはもる。
抱っこされている写真、叱られている写真、それを庇われている写真。百合と詩織は全てカメラ目線で、しかも、何気に角度とか立ち居地とか撮られやすいような。
「ああ、当たり前だ。気づいていたからな」
「そうなの?」
「ふむ、最初は刺客か何かと思ったのだが良く見れば写真を撮っているだけだったのでな」
「刺客ってあんたはまた物騒な」
「いや、遠距離からの攻撃は解り難い上に逃走が容易な為、警戒するに越した事は無いぞ?何かと世の中物騒だからな」
「そんな危険な事が学園で起こるだろうと考えている百合の頭の方が物騒だと思う」
「でも、それは一理あるかも知れません」
「あるの!?」
「ええ、昔……」
―――お嬢様、いいですか。できるだけ窓際だけは立たないで下さい。それから移動なさる場合は常に壁伝いに歩く事を心がけて、高い建物が並ぶ場所もできるだけ避けたほうがいいです。どこに貴方様を狙う刺客がいるやも知れませんから
―――解りましたわ。いつも心配してくれてありがとう
―――もったいないお言葉で御座います。
「って、シルビアさんから教えてもらいました」
「あの人もどこかズレてる……」
大きく溜息を吐く恵。この日本で、ましてやこの学園で狙撃や刺客に警戒しながら生活する必要があるのであろうか。もしかして、実は私がズレているのか?
「大丈夫、あの二人が少し特殊なだけだよ」
眉間に手をあてる恵の肩を叩く祥子。
「さっちん……」
「恵も大変だね」
思いっきり同情される。
「それは心外だな」
「そうですわね」
二人の様子に不満な二人、
「うっさい、狙われ馬鹿」
「あはは、ほんと面白いね。君たちは、ところでいいの?これ、放っておいて」
「ああ、かまわん。騒いだところで、書かれたものが無くなるわけでもない。こういったゴシップはすぐ飽きられる」
「そうですわね。下手に騒げば騒ぐだけ噂が一人歩きして大きくっていく、そうなると手がつけられなくなったりしますものね」
「なるほど、流石だね」
「ほんっとこういう所だけは感心するわ」
「どういう意味だ」
「そういう意味よ」
「?」
恵の嫌味に首を傾げる。その様子に笑みを浮かべてしまう祥子。そうして、そのまま混んでいる掲示板前を避け教室まで移動する4人。まさか、この号外が発端で一騒ぎ起こるなんて、この時は誰も思っても見なかった。




