入学編 第十三話
「ねえ、今日、商業区画に寄ってから帰らない?」
「なんで?」
「今日さ、新しくお店ができたんだって」
「そうなの?」
「なんでも、ヨーロッパの珍しいお菓子とお茶を出してくれるんですって」
「へえ。じゃあ、放課後みんなで行こう」
「うん、いいよ。それにしても、えらくご機嫌だね」
「あー、わかる?」
「そりゃあ、あんたが寄り道に誘うなんて滅多にないことだからね。それに朝から顔がにやけてたし」
「うふふ」
「気持ち悪いわよ」
「なんとでも言っていいわよ。実は新しいカバン、買っちゃったんだ」
「えー、いいなぁ。で、どこの?」
「ふっふっふ、実は……」
昼休み。昼食を終えた生徒たちは、思い思いの時間を過ごしていた。友人同士で他愛もない会話を交わす者、静かに読書にふける者、グラウンドで遊ぶ者など様々である。ここはお嬢様学園ではあるが、授業から解放された様子は、他の学園と大差はない。
「さすがに、この辺りは普通の学園と変わんないねぇ」
他愛もない会話に興じる生徒たちを遠目から眺めつつ、恵がぼそりと呟く。
「授業から解放されて、各々が趣味や恋愛について語り合う。うん、女子高だ」
腕を組みながら神妙な顔で頷くその姿は、傍から見ればただのヤバい人である。
「普通はそういう会話をするもんだよね。なのに……」
そう言って視線をやった先には、無愛想な表情のまま佇む百合と、その百合に笑顔で喋りかける由美の姿があった。
「百合さん、今日はえらくご機嫌ですわね」
「ああ、わかるか?」
「ええ、今朝から雰囲気が違いますもの」
(いや、いつもと一緒だよ!?どこでわかるの!?)
二人の会話を横で聞きながら、心の中で鋭く突っ込む恵。
「実はな、新しいナイフを購入したんだが、ちょうどキャンペーン中だったらしく、なんともう一本ついてきたんだ」
「それはよかったですわ」
(よくないよ!?どこの世界にナイフ買ってご機嫌になる女学生がいるのよ!?)
「いやあ、日本の通販は素晴らしい」
(しかも通販!?)
「だから、そんなにご機嫌だったんですね」
「ああ、思わず朝から研いでしまったよ」
(朝からナイフを研ぐ女子高生って……!)
「まあ、だから朝あんなにはしゃいでおられたのですね」
「そうそう、でだ、由美」
「なんですの?」
「まあ、なんだ。よかったらこれを」
「これは?」
「さっき言った新しいナイフだ」
「え?これを私に?」
「そうだ、私とお揃いだと嫌か?」
「そんなこと、ありませんわ」
頬を染めながら、うっとりとシースに収められたナイフを眺める由美。
「いや、おかしいから!! そこ、うっとりするところじゃないから!!」
我慢できなくなった恵が立ち上がり、思いっきり突っ込む。
「きゃっ!? びっくりしましたわ」
「急に大声を出すな。非常識な奴だ」
「あんたにだけは言われたくないわよ!?」
「? 何がだ?」
「どこの世界にナイフをプレゼントする女学生がいるのよ!?」
「ここにいるが?」
当然のように自分を指差す百合。
「それに、そんな物騒な物を貰って喜ぶ女子がどこにいるのよ!?」
「そこにいるが?」
今度は由美を指差す。その指先には、大事そうにナイフをカバンへしまう由美の姿が。
「……」
額に手を当てて真剣に悩み込む恵。
「ああ、そうか。すまない、ちゃんとお前の分もあるぞ」
「え?」
「だから言っただろ? もう一本おまけがついてきたと」
「つまり?」
「元々二本、お前たちのために買っておこうと思ったんだが、おまけで三本になったということだ」
「それって……」
「そうだ、お揃いだ。確かこういうのを“ペアルック”と言うんだったな」
滅多に見せない、満面の笑顔を浮かべる百合。
「まあ、これがペアルック……」
頬を染める由美。
「……もう疲れた。はいはい、ペアルック、ペアルック」
肩を落として項垂れる恵。
「ところで聞きたいんだが、恵」
「何よ?」
既に気力ゼロの恵に、思い出したように声をかける百合。
「私たちは三人なんだが、三人でもペアルックと言うんだろうか?」
「……し」
「し?」
「知るかっ!!」
思いっきり突っ込まれる。
「言葉遣いがなっていないぞ?」
「うっさいっ! あんたに言葉遣い注意されたくないっての! まったく、由美からも何か言ってやって!」
「え? えーと……トリオルック?」
「そっちのことじゃないっ!!」
「きゃっ」
「騒がしいな」
「誰のせいよ!? 誰の!!」
「?」
「?」
きょとんとする二人と、鼻息荒くする恵。その様子に何事かと注目が集まり、クラスメイトの視線が刺さる。
「はあ、はあ……コホン。つまり、私が言いたいのは、こんな物騒な物を持ち歩いてはいけないって言ってるの!」
「そうか? しかし何かあった時のために、護身用に持っておいても損はないと思うぞ?」
「そうですわね。世の中、何かと物騒ですから」
「刃渡り10cm以上ある刃物を持ち歩くお嬢様の方が何倍も物騒だと思うけど!?」
「そうは言うが、本当に便利だぞ? 例えば遭難した時にだな」
「そもそも、そのシチュエーションがありえないんですけど?」
「まあ、遭難なんて……」
「あの? 由美さん? 学園に通ってる限り、どこで遭難するの?」
「え? そういえば、そうですわね」
「お願いだから、由美まで百合ワールドに巻き込まれないで……突っ込むの疲れるから」
「なんだ。失礼な奴だな」
「どっちがよ……まあ、いいわ。せっかくだから、ありがたくもらっておくわよ」
「ふふ」
「何よ?」
「いえ、なんだかんだ言いながら、恵さんも受け取るんですよね」
「し、仕方なくよ。せっかく好意でプレゼントしてくれたんだし」
「素直じゃないな、恵は」
「うっさいっ!」
顔を真っ赤にして突っ込む恵を見て、二人はくすくすと笑った。そうして、昼休みは過ぎていった―――。
放課後―――
学園の中心部に位置する商業区は、生徒はもちろん教職員や関係者も利用可能な憩いの場だ。広大な敷地内には、おしゃれなカフェ、最新のスポーツ施設、さらにはファッションから家電まで何でも揃っている。
そんな商業区の一角。今日オープンしたばかりの店の前には、甘い香りとともに生徒たちの行列ができていた。白を基調とした可愛らしい外装、少女たちの心をくすぐる内装。賑わいは尋常ではない。
「お待たせしました。ノエル・デ・マドレーヌでございます」
皿をそっと置いた男性に、少女たちの視線が集まる。長身に黒髪、整った顔立ち。まさに“王子様系”と言っても過言ではないイケメンだった。
「すごい……」
「そりゃ、世界有数の金持ちが通う学園だからねえ。娯楽が少ないぶん、こういうのには飛びつくのかも」
「うん……でも、私たちには関係ない……」
奥で様子を眺めながら会話する二人の女性。
「そんなとこでサボってないで、手伝ってくださいよ!」
キッチンから文句を言うのは、先ほどの男性。
「はあ? あたしらにそんなことできると思ってんの?」
「本当ですね。馬鹿じゃないの?」
「ひでえ……だから嫌だったんだよ、この人らと組むの……」
「ほら、ケーキが上がったよ。さっさと持ってきな」
項垂れる男性にケーキを渡しながら、タバコに火をつける姉。
「はあ……仕事とはいえ、ガキばっか……しかも女しかいない場所なんかでさ」
ぶつぶつ文句を言いながら、彼は厨房へ消えていった。
「姉さん、タバコ」
「あん? いいじゃない。あんたしかいないし」
「いいけど、一応私たち、有名なパティシエ姉妹って設定なんだからね?」
「設定言うな。つーか、まさかこんなところで昔の趣味が役立つとは思わなかったわ」
「ん、姉さんのお菓子、おいしい」
「そうかよ。じゃ、さっさと終わらせるとしますか」
「うん」
二人は静かに頷くと、再び調理に取りかかった。外では、男性の悲鳴が再び響いていた。
――こうして、日が暮れる頃まで、商業区の喧騒は続いていくのであった。




