入学編 第九話
「というわけで、本日よりこちらでお世話になります。シルビア・カートレットです」
「一年の羅豪由美ですわ」
金髪の女性が静かに一礼する。その目元はどこか獣のように鋭く、深い青の瞳が印象的だった。隣では、由美が満面の笑みを浮かべて挨拶している。
彼女たちの突然の登場に、周囲の生徒たちは呆然と二人を見つめていた。
「いやぁ、まさか本当に引っ越してくるとはね……」
苦笑しながら呟く恵。寮生活を提案してからわずか三日後、由美の引っ越しはまさに“電撃的”だった。大量の荷物が運び込まれ、熟練のメイドたちがあっという間に部屋を整え、その日のうちに由美は入寮を果たしたのである。
「えっと……こちらこそ、よろしくお願いしますね、由美さん。それで、あの……彼女とはどう接すればいいのかしら?」
心が恐る恐る尋ねると、他の寮生たちも同じ疑問を抱いているようで、全員が由美の隣に立つシルビアへと視線を送る。
「私のことはお気になさらず。空気のように扱っていただければ構いません」
シルビアは静かに、しかしはっきりとそう答えた。
「いや、無理だから!?」
思わず叫んでしまう薫。
「薫? また言葉遣いが乱れてるわよ?」
冷静に注意を入れる洋子。
「私も……気になります」
「ですです!」
縷々と里奈もそれぞれ控えめに、しかし同意を示す。
「皆さま、申し訳ありません」
由美が立ち上がり、丁寧に頭を下げる。
「お嬢様が悪いわけではございません。羅豪家のご令嬢を一人で生活させることは、家としても看過できません。よって、私が付き人として派遣され、表向きは学園寮の職員という形で、共に生活させていただくこととなりました。なお、学園側からも正式な許可をいただいております。ご理解いただけますと幸いです」
シルビアは由美の後ろに立ちながら、丁寧に経緯を説明する。その姿には隙がなく、凛とした威厳すら漂っていた。
「いえいえ、構いませんよ。学園が許可しているのでしたら、私たちが気にすることではありませんから」
そう笑顔で応じたのは心だった。その一言で場の空気が和らぎ、紹介も一段落したことから、食事をしながら談笑する流れへと移っていった。
最初こそ、寮生たちもシルビアの存在に距離を取っていたが、会話を重ねるうちに、徐々に打ち解けていく。
そんな賑やかな食堂の一角。しばらく様子を静かに見つめていた百合は、誰にも声をかけずに立ち上がると、静かにその場を後にした。
一人、廊下を歩く百合。足を踏み出すたび、古びた床がぎしりと軋む音を立てる。
この古風な洋館には、薄暗い照明がよく似合っていた。階段を上り、一番奥にあるテラスへと足を進める。
外に出ると、百合は手すりに手をかけて夜の景色を眺めた。四月とはいえ、夜の風はまだ少し肌寒い。
「……何か用でも?」
振り向かぬまま、背後に気配を感じて声をかける。
「……驚きました。気配は完全に消したつもりでしたが……」
ちょうど雲の切れ間から月明かりが差し込み、薄暗いテラスを仄かに照らす。
百合の背後に立っていたのは、黒いメイド服を纏い、両手を前に組んで目を伏せる金髪の女性――シルビアだった。口では驚いたと言いつつも、表情に動揺はなかった。
「……」
「あなた、一体何者ですか?」
「何者……と言われても。ただの女学生ですよ」
百合は無表情のまま、静かに答える。
「ただの女学生にしては……雰囲気があまりにも違います。異様なほどに」
「……そうですか? たぶん海外生活が長かったせいでしょうね」
会話は冷静なままだが、互いの間に流れる空気には緊張が混じっていた。
「私は化かし合いが得意ではありませんので、そろそろ本題に入らせていただきます」
「私はそんなつもりではありませんが……どうぞ」
百合はゆっくりと振り返り、シルビアと正面から視線を交わした。
「お嬢様に近づく目的は何です? 何を企んでいるのですか?」
「企む?」
シルビアの声には、明確な敵意が滲んでいた。
「とぼけないでください。今回の件――お嬢様を寮へ住まわせるよう仕向けたのは、あなたの策略でしょう。目的は何です?」
そこまで聞いて、百合はようやく気づいた。
――この女、何か大きな誤解をしている。
「ちょっと待って。それは誤解です」
「誤解? あなたが“ただの学生”でないことは明白です。……その右手、人差し指の第一関節だけが硬くなっている。長い間、引き金を引き続けた痕では?」
シルビアは百合の右手を掴み、ぐっと身を寄せる。その目は鋭く、容赦がなかった。
「だから、それは……」
何か弁明しようとするも、あまりに剣幕が強すぎて聞く耳を持ちそうにない。
かといって、ここで抵抗でもしようものなら、ますます怪しまれるだろう――どうしたものかと百合が思案していた、その時。
「……あの~、お取り込み中のところ、申し訳ないんですけど」
どこか気の抜けた声が、背後から響いた。
振り返ると、呆れたような表情の恵と、頬をぷくりと膨らませた由美が立っていた。
「……いやぁ、シルビアさんって、思ってたより手が早い?」
「ち、違いますっ!? 何を……っ!」
そこまで言って、シルビアは自分の今の姿に気づいた。
百合の手を握りしめ、その顔のすぐ傍まで自分の顔を寄せていた――まるで強引にキスでも迫っているような格好だ。それも、誰もいないテラスの片隅で。
「……シルビアさん?」
「っ……!? お、お嬢様っ!? 違います、これは、その、ですね……」
にこやかに笑う由美の顔は、どこか底知れない迫力を帯びている。
シルビアは冷や汗をかきながら、必死に言い訳を始めた。
「うわっ、怖っ。由美って怒るとああなるんだ……」
恵がぽつりと呟く。由美の前で平謝りするシルビアの姿に、深くため息をつく。
「そうだな。人は見かけによらないとは、よく言ったものだ」
「いや、君もだよ? もっと冷静でしっかりしてると思ってたのに」
「ん? 何を言っている?」
「いや、その……シルビアさんに迫られてたじゃん」
「ああ……そのことか。まあ、“迫られた”という表現が一番近いかもしれないな」
「何よ? やけに歯切れが悪いわね」
どう説明したものかと頭を抱える百合。まさか、自分が由美を狙う誘拐犯や暗殺者と勘違いされて問い詰められていたなどとは、口が裂けても言えない。
「まあ……なんだ。どうも、私が由美を狙う“悪い虫”だと思われたらしい」
「へっ? それって……」
「ほら、この前、由美が寮で暮らしたいって言ったとき、私が背中を押しただろ?」
「あ、ああ……そういうことね」
恵は少し残念そうな表情を浮かべる。
「さて……あっちはまだ長引きそうだ。私たちは戻るとしよう」
「そうね。しばらくはそっとしておいた方が良さそうだし」
終わりの見えないやり取りを背に、二人は苦笑しながら部屋へと戻っていく。
ちなみに――
由美の説教が終わったのは、それから約一時間後のことだったという。




