優雅な雰囲気 ▼ バスルーム
ガラガラガラガラ――と、リノリウムの床を傷つけかねんほどの振動を鳴らしてトランクを寝室まで運んでいった。今日からしばらく、憎き月雲はこの寝室で過ごすことになるからだ。
「それじゃあ、俺は部屋に戻るが、絶対に汚すんじゃねぇぞ」
お役御免となった俺は寝室を出るためにダークブラウンのドアを開いた。
「待って大毅。私、寝る前にお風呂入りたい」
「ああ、長野からきたんだっけ、長旅で疲れてるだろうからな、分かった。案内してやる、こっちへ来い」
――などと労うような言葉をかけながら、本懐を呑み込んだ。本当は早いところ、こいつが視界から消えて欲しかった。今すぐにでも大声をあげて泣ける場所が欲しかったわけである。
「すごい……広い……」
「まぁな」
この家には一般家庭のものと比べてかなり広めなバスルームがある。いくら手足を伸ばしても窮屈しないほどの広さだ、下手すりゃ泳げる。
そしてなんといっても香りだかい檜の浴室(洋風の間取りなこの家で明らかに浮いている)。シャワーや温度調節機能はもちろんのこと保温機能や追いだき機能といった、不自由のないシステムが整っている。
今日は滅多にいれることのない入浴剤をいれておくことにする。入浴剤「厳選の湯」をまき散らすと透明な湯はあっという間に泥のように濁った。これは、「入浴剤をいれているんだね、優雅だね」と月雲を喜ばせるためのものではない。どちらかが入ったあとに……その……なんかいろいろ浮いていたら嫌だろうという苦慮の末だ。濁らせておけば現実から目を背けられるといった魂胆ゆえだ。
月雲を風呂場まで案内してやってから、泣く場所を求めて踵を返そうとしたのだが、(何度目か知らんけれど)シャツの裾を月雲にグッとつかまれた。
「……あんだよ?」
「あわよくば、一緒に入りたい」
「ばッ! ざっけんな!!」
「……嫌?」
「当たり前だろ、このタコ!」
これは――この目の前にいる少女は初恋の人だ。正直に言えば、コイツの顔はとても可愛いと思う。
なのに――それなのにまったく興奮しないのはなぜだろう。
同世代の女子から「お風呂に一緒に入ろ」などと誘われたら、強がる口先とは裏腹にワクワクするのが普通の心理現象だ。今の俺はハラハラしかしない。
ああ、どうしよう。
病気かもしれない。
とても短くて恐縮ですが、区切りをよくするために投稿予定だった一話を無理やり二つに分割しました。サブタイも急遽決めたので、雑すぎますが、どうか勘弁してください。ということで予定よりも一話分だけずれ、次回が「いらぬ存ぜぬ ▼ サプライズ」となります。次回は明日投稿します。よろしくおねがいします。