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ぼくは変態に恩を返さねばならない。  作者: 甘味処
第3章 空前絶後の3日間の青春
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噛み合わない ▼ ダイアローグ

 三十分、暗い部屋でひとしきりむせび泣き続けていたのだが、どれだけ泣いたところで心が安らぐことはなかった。本当は大声をあげて慟哭どうこくしたかったのだけれど、月雲おんなのこに弱ったところを見られたくないといったちんけなプライドに邪魔された。


 自室にある普遍的なベッドに寝転がってボケーっと天井を見上げる。ちなみに俺の部屋にも簡素なつくりのロータイプ、スチールベッド(自室の調度品だけは自ら選択した)があり、普段はこの部屋で就寝している。名古屋こちらへ越してきてから寝室のベッドは一度たりとて使っていない。日頃、入念な手入れをしているけれど、あれはあくまでも卒業用なため、特別な日以外に使うつもりはなかった。


 時計をみれば、ちょうど短い針が九を指し示したところだった。もうこんな時間か。そんな時――コンコンとドアを叩くノック音が鳴った。続けて、ガチャガチャと鍵のかかったドアを無理やりこじ開けようとする、けたたましい音が鳴りだす。


 目尻に残った涙をぬぐってから解錠し渋々ドアを開けてやると、細い隙間からこちらの様子をうかがう大きな目が覗けた。この家には二人の他に誰もいないはずなので、それが月雲美露だということは考えなくとも分かる。


「……ンだよ?」


「……大毅……中にいれて」


「……やだよ」


 俺は邪気が入り込んでくる前にドアを閉めにかかったが、それよりも先に月雲が素早く片足を差し込んできやがった。……う、ヤクザかよ。


「……大毅、大事な話があるから……」


 ――が、そんな脅しに引っかかる俺ではない! これ以上月雲のペースに呑まれてたまるかっての!


 俺は一切力をゆるめずにそのままドアを強く引いた。


「ぜひとも、中にいれてもら……いたいッ! 大毅ッ!! いたッ! 痛いぃいいいいってば!! だ、大毅ぃいいい!」


 月雲が痛々しい絶叫を上げたので、やむを得なくドアを開けてやる。廊下には涙をたたえて足首をさすっている変態の姿があった。


「……? なにを言ってんだ、お前は? 素足のままドアとドアの隙間に足を差し込んだら痛いに決まってるじゃないか。本っ当にバカなんだな、お前」


「……よ、よもや、なんのためらいもなく全力で閉じにかかるとは思ってもみなかった。私の気のせいでなければ、足を挟まれたあとも頑なにドアを閉めようとしていた気がする」


「気のせいだよ。それよか、なんの用だ。この部屋に金目のものはねぇぞ」


 片足を引きずりながら人の部屋に入ってきたかと思えば、本棚から十冊ほど漫画本を取り出して直線を描くように床に並べ出した。魔法陣を作って召喚術でもするのだろうかと見守っていると、不意にこんなことをのたまった。


「……今日から、ここから――ここまでが……私のプライベートスペース……となる」


 したり顔の月雲が漫画を並べて俺の部屋を二つに両断していた。なにこれ、腹立つ。


「となる……じゃねぇよ。なに人の部屋に縄張り形成してやがんだよ」


「これでも妥協したつもり。ここは今日から私の所有地……となる」


「いいだろう、ならば戦争だ。こちらは領土返還を要求する」


 ブンブンと腕をふって俺の動きを止めようとする月雲の頭を抑えつつ、片足で漫画本を蹴散らした。


「……あ、ちょ! 酷い! 崩さないで私の国境線! はう!!」


 後ろ襟首をつまんで、月雲を部屋から引きずり出した。


「出・て・い・け!!!」


「……酷い。人の領地を散々荒らした上に不当な暴力ふるった。これは訴訟を提起せざるを得ない」


「るっせえなッ! その言葉、そっくりそのままテメェに返してやるよッ!」


「ねぇ、でも大毅。大毅の部屋がダメだったら、私は一体どこで過ごせばいいの?」


 コイツはマジで言ってやがるのか。俺は頭をガシガシとこすった。


「つかよ、つかつか……お前、本気でここに、この家に住むつもりなのか?」


「……うん。そういう運びになっている」


 そんな話は聞いてない。もっとも余った部屋ならたくさんあるので一人増えたところで生活にはなにも支障を来さない。そうだな、俺の精神が異常を来すだけだ。怨敵おんてきとも呼べる月雲と同じ屋根の下、起臥きがを共にするなど考えたくもない話だった。


「……じゃないと、私、今晩宿なしになる。そこは義侠ぎきょうの精神。可哀想な少女を助けると思って、しばらくの間この家において欲しい」


 我がもの顔だった態度を一変させて懇願するような口調になる月雲。まさか断られることを予測してなかったのか。やれやれ、救いの手くらい差し伸べてやろうか。


「……わーったよ。俺だって鬼じゃあない」


 俺はケツポケットにあった財布から千円札二枚を取り出し、彼女に渡した。月雲が「なにこれ?」といった風に見つめてくるので、「二千円だよ」と答える風に頷いた。




「駅前にゲラ●ラがある」


「……ゲラ……●ラ?」




「知らないか? 漫画喫茶ゲラ●ラ。漫画がつまった書棚がすし詰めと並べられていて、深夜料金10時間パックが1000円といった格安な料金で使える素敵な空間だ。良かったな広々とした個室にネットの使えるコンピュータ。腹が減ったらいつでも飯を食えるし、どれだけ飲んでも構わないドリンクバーまで設置されている。それもワンコインシャワーつきだ。ただし、個室といえどもみだらな行為をしていたら追い出される可能性があるから、くれぐれも気をつけろよ。……それじゃあ、達者でな、月雲。いつかまた気が向いたら会おう――」


 そういいながら首根っこをつかんで引きずっていき、「――ぜっ!」ゴミ袋を収集場所に投げる容量で玄関から彼女の体をポイと放り投げた。


「……ちょっと待って、大毅! ねえ大毅!」


 現金で二千円ももらっておきながらなにが不満なのかしらないが、玄関のドアを閉めようとする俺の腕を月雲が掴んで放さない。


「さ、さすがにいたいけな女の子をこんな時間に放り出すのはどうかと思う!」


「ああ、たしかに一理あるな。ならば出血大サービスだ、駅前まで送ってやるよ」


「やっ! いやだっ! ゲラ●ラなんて行きたくないっ!」


 ム……。なんと失礼なセリフを……!


「もういい。だったら余っている部屋を勝手に使わせてもらう」


「ク! 勝手に入ってくるな! テメェはタチの悪い寄生虫かよ!」


 それに余ってる部屋つってもな。自室や寝室、リビング以外の部屋は滅多に使うことがない(日常的にという意味では寝室も使わないが)。どれも人が暮らせる空間になっておらず板敷きのまま放置されていた。


「そもそもお前、トランク以外の荷物はないのか? やけに軽装じゃねえか。とても引越しにきたとは思えないんだが……」


 月雲が長野から持ってきた荷物はトランクケースしかなかった。しかも中に入っていたのは着替えばかりで生活品は一点もなかった。


「それなら大丈夫。生活品なら、お父さんからあとで送ってもらう手はずになっている」


 送ってもらえると言われても宅配便はたしか午後九時までだったはずだが――と俺が思ったところで、ピンポーンとインターホンが鳴った。カメラで外の様子を見やれば、『ちわー、遅れて申し訳ないっす、お届けものでーす』俺たちを応酬を聞いていたかのようなタイミングのよさだ。


「……荷物届いたみたい」

「みたいだな」


 自動ドアは住民の許可がないと開かれない。俺は配達員をマンション内に招き入れた。ご苦労なことに十二階まで運んできてもらった。そうして届いた荷物はダンボール箱三つしかなかった。月雲がサインを済ませてからダンボールをリビングまで持ってこようとしている。


「……大毅、手伝って」


 仕方なく一番大きいダンボール箱を持ってやると、それは予想を超えるほどにズッシリと重たかった。


「……お、重い。こ、こん中、なにが入ってんだ」

「見てみる?」

「お、おう」


 中になにが入っているのか、それなりに気になった。その好奇心は月雲が普段どのように生活しているのか気になったから――とかではなく、もしかしたら七年前の記憶を辿るきっかけになるものが入っているかもしれないといった情動からであり、心が勝手に浮き足立った。


 一つのダンボール箱は重く、他二つはやけに軽く――そしてどうしてだか冷たい。月雲がビリビリとガムテープを剥がして一番大きく重たいダンボールを開ける。その中に入っていたものは――。


「……あ、お米だ」

「……お米だな」


 ダンボールの上段には米が入っていた。引越し先にわざわざ米を送りつけてくるのはどうなのかとは思ったが、米はいくらあっても損しない。というよりも、自炊している俺からしてみれば嬉しかった。持ち上げて端によける。下段に入っていたのは――。


「……また、お米」

「また、お米だな」


 結局、一番大きなダンボールに入っていたのは計八キロの米だった。道理で重たいわけだ。米ならばダンボール一箱分くらいはあっても持て余すことはないだろう。


 ふた袋の長野産の米をキッチンまで運んでいったのち、もう二つあるダンボールの梱包を解いていく。月雲は箱から取り出した品々をせかせかと絨毯じゅうたんの上に並べていった。



「……リンゴ」

「リンゴだな」


「……レタス」

「レタスだな」


「……アスパラ」

「アスパラだな」


「……ブナしめじ」

「ブナしめじだな」



 すべてを出し終えて空になったダンボールを見つめ、月雲はご満悦そうにニッコリと笑った。



「……わーい。全部、私の大好物」


「待てぃッ!! 生活品はどうしたッ!!?」



「……??」


「なにをキョトンとしてんだよ! なんか、足りないだろ! いや、というより贈りものの趣旨からして間違ってんだろ!」


 ダンボールにチルド表記してあったからまさかとは思ってはいたが、本当に食いもんだけしか入っていないとは……。


「……大毅、食べ物は生活品だよ?」


「お前、引っ越しにきたんじゃねぇのか!? 一人暮らし大学生にてた仕送りじゃねえんだからッ!!」


「……重たい過去は捨ててきた。……これからは身軽に生きようと思って」


「どんな奇抜な引っ越しだよ! 詩人か! 風来坊か! 女子高生として営めないだろ!」


「大丈夫、きっとなんとかなる……はず」


「無理だ、名古屋を舐めるなよ、田舎者。実家に帰るなら今のうちだぞ……ほーれほれ、回れー右」


 例によって例のごとく、月雲は俺の言葉なんぞ聞いていなかった。乱雑に散らかった空き箱を見つめてなぜだか憂いげな表情を浮かべている。


「……でも、写真が入ってなかった」


「……写真?」


「七年前、私たち三人をお父さんに撮ってもらったもの。私、すごく気に入ってた……。あれだけ入れておいて欲しいと頼んだのに……」


 私たち三人――というのは口ぶりから察して長野の叔母さんと俺と月雲美露の三人か。そんな写真を撮った記憶は当然ない。つか、せっかくなんだからお父さんもいれてやるべきだろう。この年頃になるとだんだん分かってくる、無垢な子どもの残酷さ。お父さんはいつの時代も世知辛いぜ、まったく。


「つかよ、今日ここに泊まるなら、ううん……許容したくはないが、もし仮に本当に泊まるんだとしたら、敷き布団くらいは送ってもらうべきだったんじゃないのか?」


「あ……そっか」


「今気づくのかよ、それ」


「私、寝床すらない……」


 シュンとまつげを伏せた。おいおい、無計画にもほどがあるだろ。


「そりゃ残念だったな。ちなみに、漫画喫茶ゲラ●ラならばゆっくりくつろげ快適なリクライニング出来るソファーがあるぞ。フカフカなクッションも付属する。よし、早速、行こ……」


「……でも、安心。ベッドなら寝室にあった」


「ちょっと待てーーーーッッ!!!」


「大毅の部屋にもベッドがあるわけだし、そうだ、私はあっちで眠ればいい」


 今、コイツはなんと言った?

 寝室のベッドで眠る……だと?


「ダメだ! あ、あれは俺の卒業用のベッドだ!! 卒業式を果たすまでは何人なんぴとたりとて触らせねぇ!!」


「卒業……用?」


「テメェにゃ関係のないことだよ!!」


「なら、私は大毅と一緒に大毅のベッドで眠るまで……」


「ははは、俺がそれを許認するとでも思ったか?」


「大毅がダメだと言っても夜中にコッソリ忍び込んで、布団の中に潜り込むまで……」


「…………ぐう……」


 そうだった。コイツはこの家の鍵を持ってやがるんだった。


 くそ――。くそったれ――。


「ああああああああッ! 分かったよ、仕方ねえなッ! 少しの間だけだぞ! 資金を調達したら布団なりベッドなりを買うこと! いいな!」


「……うんっ」


 俺がわずかな気遣いをした途端に月雲はとびっきりの笑顔を見せつけてくる。そして不覚にも少しだけ可愛いなと思ってしまった俺がいた。けれど、気泡のような淡い感情はすぐに弾けて消えた。


 そうして、大きな器を持つ純朴な高校生、木更津大毅きさらづだいきははやむやむベッドをレンタルしてやることにし、俺の恩人であり、初恋の人であり、どうしようもないレベルの変態、月雲美露つきぐもみつゆとの同居生活が始まった。


 とはいえ、それはまた別のお話……。


 別のお話であってもらいたい、切実に。




次回 ▷ 「いらぬ存ぜぬ ▼ サプライズ」

予定 ▷ 明日投稿したいところですが、いつも通り念のため明後日ということに……。


 作品の改稿が多いように思われるかもしれませんが、それはタイトルやあとがきを変更しているだけです。

 伏線とか物語のつながりとかをすごく気にする人間ですので、誤字脱字以外で文章を途中で変えることはありません。

 安心して読んでいただけると助かります。

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