雨降らす雲の ▼ バッキング
六月六日、平日――。
高校からの帰宅途中、俺たちは激しい豪雨に襲われた。昼は暑いくらいの晴天だったはずなのに天候が陰り出してきたかと思えば、夕刻になるといよいよ突発的に降りしきった。ちょうど学校を終えて家路についたタイミングにあった俺たちは、コンビニで買ったビニール傘をさすも手遅れに近く、ずいぶんと濡れてしまった。
地面を叩く雨音と充溢する湿った空気、足元からただよう不快な悪臭やワイシャツ越しにじわりと伝う雨独特の生ぬるさ。湿気を含んだ天然パーマの髪の毛は跳ねに跳ねるし、傘をさしたところで今の文明では雨水を凌ぎきることは不可能だ。
たく、雨の日はろくなことがない。
なにより、七年前の“嵐の夜”に起きた出来事を思い出してしまう――。
だから――雨の日はどうしても苦手だ。
上記の事情により、普段の俺なら突然の豪雨に悲観していたところだが、今日に限っていえば俺はその雨がまさしく天からのお告げであるように感じていた。
俺は命じられているのだ、
ここで一発決めちゃえよ――と。
俺の住宅は愛知県南部の高級住宅地に並ぶ瀟洒なマンションの十二階“で”ある。十二階“に”あるのではなく、十二階“で”ある。にわかには信じられないような頓珍漢な話だが、十五階建ての高級マンションの十二階すべてが俺が有するスペースなのだ。
このマンションをあてがってくれたのは母の弟、いわゆる叔父だった。
両親を早くに亡くした俺は一人きりで生活していくほどの権利や精神力を持っておらず、順当といえば順当な話なのだが近縁にあたる叔父の家庭に引き取られることとなった。そのため小中のうちは叔父さんの家、つまりは東京都で暮らしてきた。
そして今から一年前、愛知県の南部、名古屋に位置する高等学校へ俺の進学が決まった時、その間の住居としてマンションの一フロアが丸ごと提供された。一人暮らしだと言うのに、だ。
叔父は数十年前、資産家の女性と結ばれた。そう――敬愛すべき恩人にこんなこというのは心苦しいが、叔父さんは成り上がりの金満家であるためか程度の知らないバカだった。
マンションの屋根つきアプローチへ駆け込んで、傘をたたんでからオートロックのドアに鍵を回した。俺はマンションのエントランスへクラスメイトを招き入れる。そのまま俺たち二人は並んで豪華な装飾の施されたエレベータで十二階まで上がっていき、俺は家のドアを開ける。
「……わりぃけど、ここで少しだけ待っててくれ」
同行したクラスメイトに声をかけたところ、相手は不服そうではあったものの理由を察したらしく、渋々といった具合に了解してくれた。クラスメイトを外で待たせてしまうのは心苦しかったけれど、乱雑に散らかった自室を見られるわけにはいかない。クラスメイトの体が濡れていたので先にバスタオルだけを手渡すと、「出来るだけ早くしてよ」と呼びかけられた。クラスメイトの要望通りに俺は急いで自室へ向かう。
初夏の夕暮れ時であれど外が雨天のために室内はやや薄暗かった。電灯をともすと、一人で暮らすには広すぎるリビングが照らしだされる。この家の家具は件の叔父にすべて見繕ってもらったものであるため、俺のセンスで選んだ調度品は一点もない。十五畳ほどのリビングには、間取りに見合った(つまり異常に大きな)ソファーがあるのだけれど、ピカピカ輝く成金趣味な代物であるため目に悪いので、俺はほとんど座ったことがない。
――とと、悠長にそんなことを考えている場合ではない。
まずは自室を片付けてしまおう。念入りに掃除機をかけてデスクを整理し、クッション等を配置してから、至るところに並べられているあっち系の本をすべて押入れに隠匿しておく必要がある。
クラスメイトにいつまでも待っていてもらうわけにはならないので、それらの作業を即刻速やかに終えねばならない。この日に限ってクラスメイトに幻滅されたり、用心されたりとするわけにはいくまい。そうだ、しくじるわけにいくものか。
なにせ、今日は俺の“卒業式”(になるやもしれない)日なのだから!
数分の時間を要して、素早くそれでいて丁寧に自室の整理整頓を終えてから、殺菌性能抜群と銘打たれたバブリーズを右手に持ち、その上から被せるように買ったばかりでふかふかなシーツを抱えて部屋をあとにした。
これまたむだに長く伸びたリノリウムの廊下を進んでいき、突き当たりに差しかかると方向転換し、右手側にある寝室の前に立った。寝室も広いくせに一人分のベッドが設えてあるだけといった空疎な部屋だ。広大なフロアを持て余し、デッドスペースが多いのがこの家の特徴だと言えるだろう。
さあ、ベッドメイキングの時間だっ!
左手で高級なつくりのノブを握りしめ、板チョコを彷彿とさせるダークブラウンの重たい扉を開いた。
と、その寝室に――
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
荒い息を吐く、見知らぬ少女の姿があった。
「っ……!?」
その時点で驚天動地な出来事であるのに変わりないのだが、俺は悲鳴を上げなかった。いや、悲鳴を上げようとしたのだが衝撃のあまりにその息を呑み込んでしまった。脱力した手からバブリーズが転げ落ちた。
「おい、ちょっと待て……なんのどっきりだよ」
謎の少女はベッド上に突っ立ち、“一糸まとわぬ姿で俺のボクサーパンツを被っていた”。
顔を向けた少女の上気した頬と口からもれる荒い呼吸、潤んだ瞳に真っ白な肌、小さな背格好のわりに発達したバスト、網膜張りつくピンクの刺激。そして、細い首を通って発されるほそぼそとした声――。
「……遅かったね、大毅」
「誰だよ、お前ッ!!?」