scene4
Scene4
キャンパスから一歩外に出ると、世界は茜色に染まっている。そして真っ赤な夕陽に向かって何かがアホー、アホー、と三羽程飛んで行った。ふと時間を確認すると、五時半を少し過ぎている。
俺の名前は原田海都(男)。つい今さっき登場した、憐れな友人いわく「薄情者其の壱」だ。
たまたまルームシェアしたやつがヘビを連れてきて一緒に住んでいるんだ同情しろってか?
ふっ、そんなの知ったことじゃない。俺は実家から通っているし家族にそんな趣向があるやつもいない。俺には縁のない話だ。
それよりも、今日の俺には果たさなければならない役目がある。大学から二百メートルほど歩いた所にある洋菓子店『ナニーユ・エニ』で、妹のためにケーキを買わなければならないのだ。
「お兄ちゃん、『ナニーユ・エニ』のイチゴケーキ買ってきて」
「はぁ? 何で俺が……自分で買いに行けよ」
「だってあの店、お兄ちゃんが通ってる大学の近くにあるんだもん。帰ってくるついでに買ってきてよー、いいでしょ?」
「えー、ケーキなら近所の店で買えばいいじゃねぇか」
「あの店のイチゴケーキが食べたいの!」
「じゃあ明日の風呂掃除、お前やれよ」
「えぇー、なんでええぇぇぇぇぇ」
というわけだ。
俺は正門を右に折れていつもの帰路を辿った。自動車が通り過ぎる音が絶え間なく続き、自転車に乗った高校生がしゃべりながら後ろから追い越していく。そして時々、仕事終わりかどうかは知らないが一般人と擦れ違う。その途中でパン屋のいい匂いを嗅覚がとらえ、その残り香は少し歩いたところで現れたガソリンスタンドからの匂いによって掻き消される。僅かばかりにイラッとしたところで赤信号に引っかかり立ち止まる。割と大きな十字路であるため目の前を通る車の数もそれなりに多い。暇を持て余して少しばかり左前方を見ると、その先に中学校がある。グラウンドで走っている部活動生の姿が小さく見え、そういえば俺って中学の頃は科学部だったなー……とふと思い出した。高校でバスケ部に入って、中学からの友人に「お前変わったなぁ」とよく話のネタにされたものだ。なーんて思っているうちに信号が青になり、十六歩で白黒のラインを渡り終える。そのすぐ右には五階建ての会社らしきものがあるが、興味がないため視界にグレーの壁を認識する程度だ。よって何の会社なのかはまったく不明。そのかわり、入り口付近にある自動販売機に目新しいジュースがあるのを捉えた。今飲みたい気分ではないためスルーして、続いて弁当屋の前を通り過ぎる。腹が減っているため余計に食欲をそそる匂いが辺りを漂っている。続いてまたもよくわからない建物と月極の駐車場を通り過ぎ、コンビニの前にさしかかった。学校帰りの学生が立ち読みをしているのが見える。向かいからやってきた二人組の奥様方をよけて、道路に出ようとしている車の前で立ち止まり、やがて運転手が止まってくれた車の運転手に会釈して向かいの車道に出て行った。俺は再び歩き出し、ビジネスホテルの前を通り、橋を渡り始める。その間にも人と擦れ違い、自転車に追い越され、自動車やバイクが横を通っていく。ふと右を見ればオレンジ色の水面が静かに波打ち、時の流れを緩やかに告げている。やがて橋を渡り終え、小さな病院を通り過ぎ、信号のない道路を渡り、シャッターの閉まった店を通り過ぎ、ようやく目的の洋菓子店『ナニーユ・エニ』に辿り着いた。店の前に立ち、俺は思わず呟く。
「たった二百メートルの距離をこうだらだらと書くのもどうかと思うぞ」
手動のガラス戸を開けて店内に入り、俺はイチゴケーキを探した。
美味しそうなクッキーにシュークリーム、チョコレート菓子、マドレーヌ、様々な種類のタルト、誕生日ケーキ。続いてショートケーキ、チョコレートケーキ、チーズケーキ、モンブラン、抹茶ケーキ。
そしてついに見つけたイチゴケーキのスペースに「売り切れ」という無情な立て札があるのを見て、俺は叫んだ。
「なにいいいぃぃぃぃぃぃっ!?」
そのすぐあとに、カウンターの店員が「ゆ、えに」と呟いたのを俺は聞き逃さなかった。