メイド、襲来
***
「なっ……」
仕事終わり。残業でへとへとになって、終電手前の電車で紙切れみたいに挟まれて、しゃくしゃのチリ紙みたいな心理状態で帰宅し、自分の部屋に入ると、
そいつは黒のドレスに白のエプロン、所謂メイド衣装を着て私を見ていた。
「わわわ……、え、えっと、は、は、はじめましてっ!」
ペコリと頭を下げるとそいつの頭には白のカチューシャが見えた。なんかフリフリまで付いてるし。つか、こいつ。ピンクの魔法ステッキまで持ってやがるっ!
「あ、あんたは……」
私が頬を引きつらせて唖然としていると、メイド衣装の白カチューシャは、完全に裏返った声で、
「わ、私は『ようこそ魔法メイド』の来木マノビなのですよっ!」
なんて言って名乗った後に、
「ご、ご主人様のためにわざわざパソコンの中から出てきたんです!」
と、押しつけがましい存在理由を口にした。
「……」
言葉が出ない、というのはこのことを言うのだろう。
あまりにも堂々とし過ぎていて、開いた口が塞がらなかった。
「ま、まさか私を知らないのですか?」
知らないわけがない。『ようこそ魔法メイド』といえば私が愛して止まない恋愛シミュレーションゲームだし、来木マノビといえばその正ヒロインだ。
『ようこそ魔法メイド』といえばそのストーリーも素晴らしいが、ヒロイン達の立ち絵衣装の数が尋常でないことで有名な作品だ。一人あたりの平均枚数は三十枚で、来木マノビだけに関していえば五十五枚である。立ち絵がではない。衣装が、だ。
そのバリエーションがとにかく豊富で、普段着や制服、メイド服はもちろん、スク水や巫女服。そしてゴシックアンドロリータ、所謂ゴスロリや姫系ファッション。さらには幻想コメディホラーなんていう意味不明な衣装まであるのだ。もはや恋愛シミュレーションなのか着せ替えゲームなのか分からないような衣装数である。
そんな『ようこそ魔法メイド』は、今までに六作が出ていて、さらに第七作目が製作中という噂だった。ちなみに今までの六作はデスクトップパソコンの中にきちんとCG完全コンプリート状態で保存してある。もちろん、他人には絶対に見せられないような衣装まである。嗚呼、部下よ。会社一の堅物で通っているお前たちの上司はそんな人間なんだ。職場ではぼろを出さないから、許せ。
そして、今、私の目の前にいるそいつは、確かに『ようこそ魔法メイド』の来木マノビの衣装の一つである『誤奉仕割烹その四』と呼ばれる黒のメイド服を着ていた。
「ご、ご主人様は一人暮らしですよね? だ、だから、わ、私が、ご、ご奉仕しますっ!」
いや、猛烈に結構ですから。そして話すな。虫唾が走る。そもそも私は極度の人見知りなのだ。知らない人間と話すなんて仕事と趣味の場以外ではありえない。特にあんたみないなやつは絶対に無理。
「ど、どうしてですか? わ、私がここにいるんですよ? ゲ、ゲームでやったあんなことやこんなことだけじゃなくて、そこからまた一歩進んだあんなことやこんなことだってできるんですよ!」
な、何だこいつは。緊張しすぎて逆に興奮してきたのか意味のわからないことを言い始めたぞ。
付き合いきれないから帰れよ。こっちは残業で疲れが溜まってるんだよ。早くスーツも脱ぎたいし。
「あーっ! じゃあご飯よりもお風呂が先ですねっ! 実はもうお風呂の準備はできているんです!」
ちょっと待て! 何勝手に人の家の風呂を沸かしてるんだ? というか、入らないから!
「え、どうしてですか? 私が一生懸命沸かしたのに?」
そういう問題じゃない。てかそれも問題だろ。それと、沸かしたのは高機能湯沸かし器であって、あんたじゃない。
「あ、もしかしてお風呂じゃなくて、先にその、えっと…………私ですか?」
何を言いたいのかを理解してしまった私は、手に持っていた鞄を思いっきりそいつに投げつけた。
「あぁ! 何をするんですか!」
私が投げた鞄をそいつは意外にも機敏な動きで避けた。まるでそこらへんのスポーツ選手並みに動きがいい。そういえば鞄の中には仕事用のノートパソコンが入っていたけど、そんなことはもうどうでもいい。会議用プレゼン資料の提出期限が明後日だとか、今まで一度も遅れたことのない、完全主義かつ堅物で通っている私の職場でのイメージとか、もうどうでもいい気がしてきた。
とにかく、まずはこいつを黙らせないと。
でなければ、私の身が危ない。
「私とご主人様はゲームの中でも男と女の関係になるのですから。現実でもそうなるのがしぜ―――」
「それ以上その気持ち悪い口を開くなぁ!!」
私は今度こそ本気で、自分の部屋にある物を片っ端から、本気でそいつに向かって投げ続けた。ペンケースだとか仕事の持ち帰り資料だとか、とにかく手当たり次第に投げて、投げて、投げまくった。
異常なまでに必死に投げ続けていたせいか、私は近くに投げるものが無くなった時には肩で息をしていた。
ああ。しんどい。これも老いか。全盛期はオールでゲームやっても仕事に響かないのに、最近ではめっきりゲームよりも睡眠時間を優先するようになってしまったしなぁ……。
ああ、わりと綺麗だった部屋はもう無残なことになっている。もう最悪だ。
部屋の入り口には方で息をする。もう動けないのを悟られないように息を整える。
しかし、壁際の投げ集められた小物の近くでは、メイド服をひらつかせながら、
「あ、危ないじゃないですか!」
なんて言う存在が顕在だった。
一体何なんだこの存在は。まさか本当にこいつは来木マノビであって、本当に魔法でも使えるのか?
いやいや、絶対にないから。もう外見からして180度違うし。もしかしたら一回転して540度違うのかもしれない。
たとえ世界がアレを来木マノビだと認めても、私が認めない。断じて、決して!
「あーあ、ご主人様の部屋がこんなに滅茶苦茶になっちゃった~…」
私が息を整えている間に、そいつはそんなことを言いながらせっせと部屋の掃除を始めた。気が付けばお気に入りだったプラモや美少女フィギュアまで投げていたようで、絶対に他人には触られたくないはずだったのに、そいつがそれらを拾って片付ける様子を見ていると、なんだかどーでもよくなってきてしまった。
お、いい感じに落ち着いてきたかも。
とにかく何か打開策を見つけないと、と自室禁煙にも関わらず、私はタバコを吸おうとポケットに手を入れて、
そもそも客観的に言って、この状況下でまず初めにするべきことを思い出した。
ああ、そうだ。
警察に電話すれば良いんだ。
しかし、このとき何故か、なるべくこの惨状を他人に見られたくないという心理が働き、本当に何故か、警察に電話をかけるフリをしてそいつを追い出そうと考えてしまった。
そしてケータイを取り出して警察に電話をかけるフリをすると、案の定、そいつはまた騒ぎ出した。
「あーあーあー! 待ってください! どうして警察に電話するんですか!」
どうしても何も、部屋に不審者がいるのだから警察に通報するのは当然だろう。
「やめてくださいやめてください!」
そいつは手に持った小物を床にぶちまけてこっちに走りよってきた。
もちろん、息も整って冷静になったので、私は逃げる。
「ま、待ってください! ゆ、ゆーことを聞かないと、ま、魔法をかけますよ!」
そう言って、目の前のそいつはピンクのステッキを振るいながら、さらにこっちに近づいてきた。
やばい、半べそかいてる。
「い、いいですか、ま、魔法を……し、しすたぁ、ああ、あ、あ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
そうやって奇声を発しながら私に近づいてくる『来木マノビ』。
やばい。
やばいやばいっ!
何がやばいって顔がやばい。もう汗と鼻水と涙でめちゃくちゃになってる。
あと何かやばい。
とにかくやばい。
全身に鳥肌を感じながら一目散にトイレへと駆け込み、ドアロックをかけた。
「ああぁ! あーけーてーくーだーさーいーっ! ご主人様ぁー!」
叫びながらトイレのドアを叩く音。
「私の話を聞いてーっ!」
うるさいうるさい!
もう我慢できなくなって、とうとう警察へと電話を入れた。妥協しよう。この惨状が他人に見られても、職場の人間に知られなければいいんだ。
「もしもし、け、警察ですか!?」
オペレーターの声が聞こえてから、私は状況を説明しようとした。
「落ち着いてください。どうされました?」
落ち着いているに決まっている。私は営業のときよりも落ち着いているんだ。これが悟りの境地なのかもしれない。
「家に帰ったら、部屋の中に不審者が――」
そうして私は、できるだけ丁寧に、かつ迅速に今現在に至る状況を説明した。自分で何を言っているのか分からなくなるくらい常識からかけ離れた現状に、電話越しのオペレーターも困惑しているようだった。
「ええっと、その、つまり……」
電話越しのオペレーターが確認する。
「今日家に帰ったら、その空き巣が、く、来木マノビ? という女性キャラクターに変装して、あなたの部屋を荒らしていたと」
「は、はい」
しばらくの沈黙。どうやら困惑しているらしい。
無理もない。ドア越しに「ご主人様ぁ!」なんて叫ばれていなかったら、自分の頭を疑うところだ。
理解することをあきらめたのか、オペレーターとしての仕事を思い出したのか、電話の相手は沈黙の後、質問を始めた。
「今、近くの警官が向かっていますので落ち着いてください。それではもう一度、不審者の外見を教えてください」
「不審者は、えっと、黒のメイド服に白い前掛け、頭には白のカチューシャをつけていて来木マノビの格好をした、髪の薄い三十代後半ぐらいの男性です」
***
「それで、結局誰だったの?」
警察の事情聴取の後、怖くて自分の部屋に戻れなくなった私は近くで一人暮らしをしている妹のアパートに転がり込んだ。
「多分、なんかのイベントであった人」
「何のイベントかは覚えてないの?」
「うん」
「ストーカー、だったんじゃない?」
「多分そうだろうって、警察の人にも言われた」
きっと、どこかのイベントで一回会って写真を撮っただけなんだろう。それだけでこんなことになるんだから、人間って怖い。
「で、どうしてその不審者が来木マノビのコスプレをしていたのかは聴かれなかった?」
「えっとね、確か――」
私は刑事さんから聞いた不審者の言葉を妹へそのまま伝えた。
『忍び込んだ部屋のクローゼットを漁っていたら、彼女が好きだと言っていた衣装を見つけた。理想のタイプが来木マノビのような男の子といっていたので、自分が着れば彼女の理想に近づけると思った』
つまり、不審者である彼は何を思ったか私のコレクションボックスである来木マノビの衣装ケースを漁り、こともあろうかその中で自分も着られるようなものを着てしまったのだ。私に好かれるために。
なんの偶然か、『誤奉仕割烹その四』は私のお気に入りだった。お気に入りだからこそ着ていなかったのに、まさかあんな中年に奪われるとは……。今思い返すともう憤りしかない。
妹は私が伝えた不審者の供述を聴いた後、少し頭を抱えてから、今までにないくらい真剣なまなざしで私に言った。
「やっぱりさ、おねえちゃん、もうイベントに出てコスプレするのは止めたほうが良いと思うよ? こういうの三回目でしょう? おねえちゃん、スタイル良いし。無愛想なのに変に気遣いする性格だから、簡単に勘違いされちゃうんだよ」
だってしょうがないじゃん。
写真も撮ってくれるって言うんだからさ。
コスプレしないあんたはわからないと思うけど、自分で自分のコスプレを撮るって、かなり恥ずかしいんだよ?
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。よろしければ感想だけでも頂けたら幸いです。




