贖罪の悪女 ~回帰した悪女は前世の罪を償いたい~
「ごめんなさい……でも、これで」
使用人に変装して紛れ込んだ第二王子のパーティー。
私の仕事もこれで終わりだ。
人目のない隙を伺い、そのドリンクへ毒液を垂らした。
◇◇◇
「お義兄様、ご命令の通りフォルク侯爵のドリンクに毒を仕込んで参りました」
「おお! よくやってくれたよルミネ。さすがは俺の妹だ。これで義弟は最大の後ろ盾を失うことになる。俺の勝利も確定したようなものだ」
お義兄様だけは、私を私として見てくれる。
だから、これでいいのよ。
お義兄様のためになるなら……。
「さぁ、今日はもう疲れただろう? 戻って休んでくれ。明日からは忙しくなるからな!」
「はい。おやすみなさいお義兄様」
自室への道を歩きながら、私は懐かしい昔のことを思いだす。
ヴァレンタイン王国の三兄妹。
私たちが幼い頃はそんな風に呼ばれていたこともあった。
第一王妃様のご子息であられるハイゼンお義兄様と第二王妃のご子息であるカリスト第二王子、それから第一王妃様の侍女と国王の間に生まれた私。
半分しか血は繋がっていなくても、私はそこに確かなつながりを感じていた。
しかし、そんな半分だけの中途半端なつながりは国王の崩御をきっかけにあっさりと砕け散ることになった。
私は第一王妃様の侍女の娘だが、奇しくも第一王妃様と同じ髪色をしており、対外的には第一王妃様の娘として公表されていたためにハイゼンお義兄様の派閥に所属している。
でも当然、お義母様からはいない者のように扱われているし、私の出生を知っている派閥の人たちからは疎まれている。
それでも、お義兄様だけは違った。
ピリピリとした空気に、誰からも相手にしてもらえなくなった私を妹として、ルミネとして見てくれる。
だから私はお義兄様に尽くすと決めた。
今日の任務はもはや慣れ親しんだ毒液を忍ばせて、敵の要人を暗殺する任務。
この手を使って、もう私は第二王子派の方たちを何人も殺めて来た。
もちろん、その度に心は痛んだ。
でも、弱い私はただ一人、私を必要としてくれるお義兄様を裏切るようなことは出来なかった。
「はぁ……フォルク侯爵様、本当にごめんなさい。私が言えた口ではありませんが、どうかご冥福を」
質素な自室にある女神様の像へ祈りを捧げる。
これは初めてこの手を血に染めてからずっと続けている日課だった。
「せめて、一日でも早くこんな生活が終わりますように」
いつもより少しだけ長く祈りを捧げた私はそうして目を閉じた。
◇◇◇
ヴァレンタイン王国、王城の大広間にて――
私は両手と両足を拘束され、晒し者にされていた。
「信じられる? カリスト様の派閥の連続死あの子が原因らしいわよ」
「酷いわよね。いくら国王の妹って地位が欲しいからって」
「だからって、暗殺なんて……汚らわしいわ」
私を罵る声が聞こえてくる。
暗殺がバレた? でもいったいなぜ——?
「皆、聞いてくれ。この度は私の妹……いや、妹と呼びたくもない、この汚らわしい悪女はあろうことか私に取り入ろうとフォルク侯爵に毒を盛り暗殺を謀った。確かに彼らとは今、王位を掛けて対立をしている仲ではあるが、私は汚い手で手に入れた王位などを望んでなどいない!」
「そんなっ!? お義兄様っ! どうしてっ!!」
状況を受け止めきれずに、半狂乱で叫んでいれば、お義兄様と一瞬だけ目が合った。
だが、その顔は紛れもない嘲笑に歪んでいた。
「黙れっ! 貴様のような悪女が身内に居たなどと公表せねばならない私の気持ちを考えたことはあるか! ……いや、ないのだろうな! 母上の慈悲で傍に置いてやっていたというのに、こんなことをするとは。チッ! これ以上はその顔を見て居たくもない。やれ!」
空はこれ以上ないほどに青天なのに、鈍色に反射される陽光は私の心を暗く照らす。
ああ、どうしてこうなってしまったのだろう。
私はただ、親愛を求めていただけだったのに……。
もし、私に来世があるのなら、これまで迷惑をかけた人には誠心誠意謝ろう。
そして……お義兄様は、いやハイゼン様のことは絶対に許さない。
呪ってでもこの裏切りの報いは受けさせる。
これまで求めていた親愛、彼に感じていた親愛はやけに簡単にひっくり返るものなのだと、何だか内心では呆れてしまう。
私はこんなもののために、今まで……。
パスッとやけに軽い音が耳に残る。
鮮血に染まる視界の中で、私は来世に復讐を誓った。
◇◇◇
「――っ! はぁはぁ……」
私は首を刎ねられる夢を見て飛び起きた。
……いや、おかしい、あれは間違いなく私の血だった。
まだ、刃を当てられた首が焼けるような熱を持っている気がする。
慌てて首に手を当てて確かめてみるも、間違いなく私の首は繋がっていた。
手にも生暖かい血の感触が残っている気がして咄嗟にシーツに擦り付けてみるが、血の一滴も付着してはいない。
「……どういうこと? まさか、夢だったりするのかしら?」
なんて呟いてみてから気が付く。
そこは見慣れた、だが、ずいぶんと久しぶりに立ち入った部屋だった。
「……ここって、私の部屋? それも……まだ国王様が崩御される前の」
質素な薄い毛布一枚のベッドとは違い、身体を包み込んでくれるかのような柔らかいベッドに、今になってみれば子供には過分な気のするドレッサー……ドレッサー!
私は急いで立ち上がると、胸に沸いたこの疑問の解消のためにドレッサーの正面に座る。
すると、鏡の中には……まだ幼い顔立ちの私が映っていた。
「……え、これって」
王女と言う立場を捨ててハイゼン様に尽くすようになってから、ろくに手入れをしていなかった残念なはずの私の肌が若々しくモチモチとしている。
間違いなく、子供のそれだった。
「夢じゃ……ないのよね?」
鏡の中の私が同じ動きをする。
試しに頬をつねってみれば――
「いひゃいわね」
しっかりと痛みが走った。
間違いない、どうやらここは現実のようだ。
「戻って来たってこと……? そんな馬鹿な話がある訳……なにより私は――」
そう口に出して思い出すのは、あの、歪んだ笑みを浮かべたハイゼン様の顔。
……私は、あんな人のために尽くしていたのね。
鏡にはとても子供とは思えない怒りの表情に満ちた自分が見える。
「はぁ、でももう後悔しても遅いわ……だって私は死んだも……の?」
いや、ちょっと待って。
鏡に映っていれば、痛みも感じる。
もしかして本当に……?
まじまじと鏡を見つめてみれば、背後の棚に見慣れた小さな像が見えた。
「……あれって、確か」
近寄ってそれを手に取る。
子供の手にはずっしりと重いそれは、昨日まで毎日のように私が祈りを捧げていた女神像だった。
「これを買ったのは国王様が崩御されたあとだった。うん。間違いなくこの部屋ではこの像に祈ったことはないし……」
もしかしてこれは女神様が私にくれた機会なのかしら。
罪の意識に暮れ、存在しない親愛にすがっていた憐れな私に贖罪の機会をくださった?
本当のところは分からない。
けど、私とこの女神像だけがここにいる。
それだけで私には十分だった。
「分かりました女神様。あなたに頂いたこの機会、今度は間違わずに生きて見せます」
もう一度女神像をそこへ設置し、私はいつものように祈りを捧げる。
しかし、今日は願うのではなく意思表示をした。
一度は死んだ身、だからこそ願わない。
むしろこれ以上の願いは分不相応だ。
「今世では、かつて迷惑をかけてしまった方々の助けになりましょう。あ、でも……」
ごめんなさい女神様。
ハイゼン様には復讐をさせてもらいます。
死に際のハイゼン様の言葉が蘇る。
『妹と呼びたくもない、この汚らわしい悪女――』
私が暗殺で手を血に染めていた夜も、お義兄様はああして私のことを裏で笑っていたのだろうか?
「悪女……確かに前世の私はそうだったかもしれません。でも今世では、カリスト第二王子様方に贖罪をしながら、私を裏切ったハイゼン様を見返して見せます」
ギュッと目を閉じ、いつもの数倍は長く祈りを捧げる。
この機会大事にさせていただきます。
こうして私は贖罪と復讐を同時に誓うのだった。
◇◇◇
あれからしばらく時間が流れ私が十五歳になった年……遂に国王様が崩御された。
国王様の助けになることはできないかと色々と思考を巡らせてみたが、そもそも病床に臥した国王様には子供である私だけで会いに行くことは許されず、必ず王妃の同伴が必要だという点で私は国王様の崩御へ直接的な関与を諦めた。
こうして戻って来てから、今の境遇を見つめ直してみれば、この頃から私は浮いた存在として腫物を触るように扱われていた。
それでも変わらずハイゼン様は私に関わろうとして来るのだから、きっとこの頃から、いつか私に全ての罪を着せて殺すつもりで飼いならしていたんだろう。
それを理解した時は、思わず唇を噛み切ってしまいそうになった。
一方で第二王子のカリスト様は不干渉かと思えば、目に見えないところで私に配慮してくれていたことも見えて来た。
例えば、毎朝朝食を運んできてくれたり、着替えを手伝ってくれていた使用人はカリスト様が遣わせてくれていた人であった。
他にも、前世ではハイゼン様が持ってきてくれたと思っていたお菓子が実はカリスト様が使用人に私へ渡すように持たされていたもので、ハイゼン様はそれを横取りして私の部屋に来ていただけだとか、それはそれは色々なことが見えて来た。
もちろん、どれも凄くありがたいことなのだが、私の中の罪悪感はどんどん膨らんで行く。
無知は罪という言葉の意味を2周目の人生でようやく理解した。
……必ず、この恩には報いらせてもらいます。
◇◇◇
さらにしばらくすれば、私の運命が決することになったあの日が訪れた。
国王様の崩御が近いだろうことは誰もが理解していたことだが、その結果、第一王妃様と第二王妃様の派閥がずっと互いを牽制し続け、遂に後継者の言質を取ることなく亡くなってしまったのがこの件の発端だった。
「第一王子であるハイゼンが王位を継ぐべきです。エトワ神もそうおっしゃっています」
「いえ、第一王子の優位性を否定するつもりはありませんが、あなたは外の出身でしょう? 建国から国を支える貴族の血筋であるカリストこそ、この国を治めるべきですわ」
王妃様同士の仲はすこぶる悪い。
第一王妃様は隣国のエトワと言う小さな宗教国家の出身だ。
元々は第二王妃様が国王の婚約者だったのだが、エトワが別の神を信仰する強硬派宗教国より侵攻を受けた際に、信仰の自由を認めているヴァレンタイン王国へエトワでは聖女と呼ばれていた第一王妃様を嫁がせることでその庇護下に入り、窮地を脱したという過去があり、この二人の間の確執は当人ではない私では測り切れない。
バチバチと火花を散らす二人をそれぞれの従者が諫めるが、もうこのやり取りは国王様が亡くなられてから毎日のように続いている。
そして、今日この後ハイゼン様が私の元へやって来て、一緒に来いと言ってくるのだ。
だけど、私はもう間違えない。
回帰してから短くない時間が流れるこの間、ハイゼン様の干渉には玉虫色の返答をし続けて、その裏ではいろいろなことを調べてきたのだ。
国王様の急な崩御……これにはハイゼン様の母君にして第一王妃、そして肩書上は私の義母となっているエミリー様が大きく関与している。
きっかけはとある夜のことだ。
ハイゼン様のしつこい干渉を避けるために、前世で磨いた隠密術で身を隠していた時、国王様の部屋に入っていくエミリー様の姿を見かけた。
その時、エミリー様の手に何やらおかしな黒い靄のようなものが見えたのだ。
目がおかしくなったのかと、目をこすりもう一度確認してみても、やはりその手は黒い靄がかかっていた。
のちに分かったことだが、回帰した私は、毒物を見抜く力を得ていたようだった。
だが、この時はそんなことは知らず、でも、何かが気になると思い、私は身を隠したまま国王様の寝室の窓側の壁をよじ登り、その中を窺った。
「陛下、ご体調はいかがですか?」
「あ、あぁ……エミリーか。すまないな。少し体調を……ゲホッゲホッ」
「陛下! どうか無理をなさらないでください。……はい、こちら祖国に伝わる万能薬です。私のお産の時にも使っていた薬ですから、ご心配なく……」
「……悪いな」
カーテンがかかっており、中の様子を直接見ることはできなかったが、窓に耳を当てて聞こえてきたのはそんな会話だった。
それだけならば、国王様は第一王妃ともうまくやっていたのだと特に記憶にもとどめず忘れていたことだろう。
しかし、私の眼はカーテン越しにも力を発揮した。
先ほど見たエミリー様の手にあった黒い靄が、エミリー様の渡した薬を飲んだと思しき国王様の寝ているであろう位置へ移動したのだ。
そしてその黒い靄はその日以降も国王様の身体に存在し続け、そればかりか、日に日に大きくなっていった。
それで確信したのだ。
国王様の崩御は、寿命や病によるものではなく、第一王妃エミリー様によって起こされた暗殺だったのだと。
確信してからは、私はその暗殺の証拠を何とか集めようとした。
しかし、当然第一王妃様の派閥では特に冷遇されている私が、第一王妃様やそれに近しいお方の身辺調査を完璧にすることは、いくら私の隠密術があっても難しく、決定的な証拠を掴むには至らなかった。
でも、いつかはその証拠を掴んで、それをきっかけに私はハイゼン様に復讐を——
そんなことを考えていた時だった。
「難しい顔をしているね。ルミネ」
不意に声を掛けられ、肩がビクンと跳ね上がる。
そうだ、今日はハイゼン様から接触を受ける日……こんなところで考え事をしていれば当然見つかってしまう……。
自身の注意力の散漫さを公開しながら顔を上げれば、そこにいたのはハイゼン様ではなかった。
「……カリスト……お義兄様?」
ハイゼン様の眩しいような金髪とは正反対などこか静かで美しい銀髪。
物静かだが、優しさを含む目元。
何度見ても間違いなく、カリスト様だった。
「そうだよ? ここに俺がいるのがそんなに不思議?」
「い、いえ! そういうわけではありませんが……」
「そっか。じゃ、とりあえず行こうか?」
「え? どちらに?」
「さぁ? でも、ここにいたら、またハイゼンに絡まれるよ?」
「——!?」
その発言に私はもう一度大きく肩を跳ね上げさせてしまう。
今回の人生では私は一度もハイゼン様と直接接触はしていない。
催しなどでどうしようもない場合を除き、確実に個人的な接触は避けるようにしてきた。
だというのに、カリスト様は今、「また」と言った。
ハイゼン様が私に関わろうとしてきていたことを知っての発言なのか? それとも——
「さ、早く!」
固まった私の手を引いてカリスト様が走り出す。
私は疑問を抱いたまま、カリスト様に連れられて夜のお城を走った。
連れてこられたのは、前世でも任務の時程度でしか足を踏み入れたことのなかった第二王妃様の離宮。
第一王妃様のそれとはお城を挟む形で反対側に建てられたそこは、第一王妃様の離宮の煌びやかな装飾とは違い、機能美を追求したかのようなスマートな美しさの際立つ離宮だった。
……こうして正面から入ると、まったく別ね。
カリスト様に手を引かれるままに歩きながら、私はそんな感想を抱く。
前世で入った時は、基本的に身を隠しての侵入か、裏の使用人出口からの潜入だったため、雰囲気が全く違う。
「ルミネをここに連れてきたのは初めてだね」
そんな離宮の庭園に腰を落ち着かせた私に、カリスト様が話しかけてくる。
「は、はい。でも、いいのでしょうか? 私のような者が、第二王妃様の離宮に足を踏み入れるなど……」
カリスト様の目的がまだわからない以上、私は私で合った方がいいだろうと、今の世界に伝わっている私を装って反応する。
すると——
「ハハハッ! いいよ、そんなに緊張しなくても……いや、取り繕わなくても、の方が正しいかな?」
笑いながらも、まっすぐと、まるで本当の私を捉えているかのような目でこちらを見据えながらカリスト様が言う。
「……何を、知っているんですか?」
私は無知な自分の皮を捨て、しかし、警戒心は最大限に引き上げて問い返した。
「うーん。そうだな……全部、って言ったらどうする?」
しかし、カリスト様はそんな私の警戒心を煙に巻くように微笑を携えながら、さらに質問を返してきた。
「……信じません」
私はカリスト様の微笑に身を固くして返事をする。
彼はいったい何を知っているんだ?
どうしてこのタイミングで私に接触してきた?
頭の中では疑問が次々に膨らんでいくが、目の前のカリスト様は表情を崩さない。
「ま、なんでもいいけどね。それより、ルミネはどっちにつくか決めた?」
「え……?」
言われてすぐに思い出す。
そういえば、本来は今頃ハイゼン様に久しぶりに妹として扱ってもらえて、そのまま彼に尽くすと決めた日だ。
しかし今世ではどちらにつくかと言われれば、その答えは最初から決まっている。
「俺とハイゼン、ルミネはどっちを選ぶ?」
私が何のことかわかっていないと思ったのだろうか?
でも、そう言ってくれた方が、今の何を考えているかわからないカリスト様の前ではありがたかった。
「無論、カリスト様につかせていただきます」
「それは、今俺が聞いてるから、とかではなく?」
「はい。誠心誠意お仕えさせていただきます」
「そっか」
ハイゼン様への復讐と同じくらい、私は今世でのカリスト様への贖罪を誓っている。
今のカリスト様が何を知っていて、私に何を求めているかはわからないが、それでもこの選択の答えだけは回帰したあの日から決まっていた。
「じゃあ、今は少し不利気味だけど、一緒に頑張ろう。ルミネ」
「はい」
静かな庭園のティーハウスで差し出された手を取る。
私はこの手に、もう何度目かの贖罪を誓った。
◇◇◇
あれからしばらくして、私は第二王妃様の離宮へと引っ越すことになった。
第一王妃様やハイゼン様には何て言えばいいのだろうと、毎晩頭を悩ませていた私の裏で、カリスト様が手を回してくれていたらしい。
対外的には第一王妃様の子供である私を一体どうやって第二王妃様の離宮に住まわせてくれることになったのかはわからないが、また一つ恩が増えてしまった。
「どうやって贖罪をしよう……」
もらったばかりの新しい部屋で、私は一人、前世から祈りを捧げ続けている女神像に話しかける。
当然、像からの反応などはないが、これは前世からの私の癖のようなものだった。
——コンコン。
すると、背後から部屋の扉を叩く音がする。
「ルミネ、俺だよ。ちょっと出てきてくれるかい?」
続けて聞こえてきたのはカリスト様の声だった。
「はい、今開けます」
私は女神像をそっと机に置きなおし、扉を開ける。
「どうかされましたか?」
「いや、実はハイゼンからルミネも交えてお茶会でもどうだって誘いが来てね。まあ、俺もハイゼンとは一度しっかり話しておきたかったし、行こうと思うんだけどルミネはどうする?」
お茶会?
こんな催し、前世ではなかった。
でも、あのハイゼン様がカリスト様を直接誘うだなんてよっぽどの——!
そこまで考えて気が付く。
この手法は前世でハイゼン様が一度使っていた暗殺の手法と似ている。
あの時は晩餐会だったが、普段は呼ばないはずの中立派の要人に遅効性の毒を飲ませて殺害したあの手法。
もしかして……!
「行きます!」
そうとなれば、カリスト様を一人で行かせるわけにはいかない。
「乗り気だね? やっぱりハイゼンが恋しくなった?」
「いえ、そういうわけではありません。私はあくまでカリスト様に尽くすと決めましたから」
「……そっか。じゃあ、二時間後、着替えて離宮前に」
「わかりました」
ハイゼン様は暗殺には基本的に毒を利用していた。
その理由はわからないが、今さらになって考えてみれば、私が公開処刑に遭った時以外、どの暗殺もバレていない。
つまり、足がつかない特殊な毒である可能性が高い。
その場合、あの暗殺を防ぐことができるのは、毒を見抜くことのできる私の眼だけだ。
ハイゼン様……いいえ、ハイゼン。
今世では、あなたの思い通りにはさせないから。
◇◇◇
二時間後、カリスト様にいただいた新しいドレスに身を包み、私はカリスト様が来るのを待っていた。
何着か見繕うとは事前に聞いていたのだが、このドレスは明らかに少し見繕う程度で出されて良い代物ではない。
確かに立場上は王女である私だが、とても自分に似合うとは思えなかった。
とは言え、いただいてしまった以上着ないわけにもいかず、こうして着ているのだが。
「お待たせ。うん、いいドレスだね。似合ってるよ」
しかし、カリスト様はお世辞の色一つ感じさせない声音でそう褒めてくれた。
「ありがとうございます」
カリスト様の正装はと言えば、物静かさが耽美へとレベルアップして、もはや絵画の中の人物の様だった。
「それじゃ、行こうか」
「はい」
歩き出したカリスト様に数歩遅れてついていく。
こんなに堂々と城内を歩くのはいつぶりだろうか?
少なくとも、前世では一度もなかった状況だった。
「よぉ! カリスト、ルミネ。今日は招待に応じてくれて嬉しいよ」
「ええ、僕もですよ義兄さん」
「ありがとうございます」
第一王妃様の離宮、その庭園で私たちを出迎えたのはハイゼン本人だった。
表面上は極めてフレンドリーに、でも、今の私にはその内心で何を考えているのかが丸わかりだった。
「最近は父上のいざこざで対立したりしてるが、俺はまた三人で仲良くできたら、と思ってるんだ。さ、座ってくれ。久しぶりに兄妹水入らずで話そう」
私は、柔和な笑みを浮かべたまま、手をぎゅっと強く握りしめた。
「……って感じで、母上が大変で。そっちはどんな様子だ?」
「こちらも似たようなものです。義兄さんには少し申し訳ないですが、外国の者に王位を継がせるわけにはいかないと」
「だよな……お互い大変だな」
ハイゼンとカリスト様は傍から見れば、久しぶりに話す仲の良い兄弟に見えるだろう。
だが、私にはわかる。
あの二人は腹の内を探り合いながら、お互いに牽制し、刺しあっている。
やはり二人とも王子なだけはあってか、外面には一切不和の色を滲ませないのがさすがだった。
「おっと、茶も出さずに悪かったな。……おい、茶を出してくれ」
会話がひと段落したところで、ハイゼンが使用人に呼び掛けた。
するとすぐに、ティーポットとカップを持って使用人がやってくる。
その瞬間、私の警戒レベルは最大に引きあがった。
使用人が押しているティーワゴン。
その上のカップの二つに黒い靄が見える。
やっぱり、ハイゼンの目的は私たちの暗殺!
でもどうする?
この状況ではカリスト様に伝える方法もない。
カップの選定だけでも、私にさせてもらえれば……。
……そうだわ!
「ハイゼンお義兄様! 私にお茶を注がせていただけませんか?」
「どうしたルミネ? 突然だな」
いきなり立ち上がった私に、ハイゼンが少しだけ表情を硬くする。
これはもう間違いない。
「実は最近、おいしいお茶の淹れ方を教わりまして。……ですが、こんな機会でないと披露する場もないでしょう?」
私が取ったのは妹としての立場を利用すること。
兄妹三人水入らずという建前がある以上、こう言ってしまえば、使用人が我先にとお茶を入れるわけにはいかないだろう。
それが立場というものだ。
「ふむ……だがな……」
さらに、ハイゼンの表情が険しくなる。
あともう一押し、何かがあれば——。
「いいじゃないか義兄さん。せっかくの機会なんだし、妹の腕を見せてもらおうよ」
すると、何かを察したのか、カリスト様が私の後押しをしてくれる。
「ぜひ、お義兄様方に振舞わせてください」
私はこの流れのまま、ティーワゴンの後ろで立ち尽くす使用人からワゴンを半ば無理やり奪い取り、前世で身に着けた使用人としての振る舞いで紅茶を注ぐ。
低い位置から注ぎ始め、すっと香りが立つようにティーポットを高く上げ、もう一度下げる。
「おお! やるねルミネ! うちのメイドよりうまいよ。ねえ、義兄さん」
「……あ、ああ。そうだな……」
カリスト様が面白いものを見たというように満足そうな笑みを浮かべる横で、ハイゼンは少しずつ顔を青白くさせていっていた。
私はそのまま二人分の紅茶を同じように注ぎ、内側に毒の塗られているカップをハイゼン様の前に置いた。
「さぁ、お義兄様方。どうぞ召し上がれ。香りが立って普段よりもおいしく頂けると思います」
そして私は二人に満面の笑みで笑って見せた。
「うん、ほんとだ。いつもより味わい深い気がするよ。さ、義兄さんも飲んでみて」
カリスト様は一切のためらいなくカップに口をつけ、紅茶を一口飲み、ハイゼンにも進める。
……さぁ、どうするの? ハイゼン。
兄妹水入らずという建前を作ったのはあなたよね?
「ン、ンンッ!」
ハイゼンがわざとらしい咳払いをする。
すると、少し離れた位置からこちらを見ていた使用人がハイゼンに駆け寄って、何やら耳打ちをした。
「……そ、そうか。すまない二人とも。急用が入ったみたいだ。今日のところはこのくらいで解散としよう。悪いが先に失礼させてもらう」
さすがに緊急用の手段は用意していたらしい。
だが、これで一つ、鼻を明かすことができただろうか。
「そうですか。残念ですが、わかりました」
「今度は俺の方から誘うよ、義兄さん」
急ぎ足で去っていくハイゼンを見送った後で、私たちも第一王妃様の離宮を後にした。
◇◇◇
「それで、さっきのはなんだったの?」
第二王妃様の離宮に帰ってきてから、なぜか今度は私の部屋に普通に入ってきたカリスト様がそんなことを聞いてくる。
「さて、なんのことでしょう?」
「いやいや、それは無理があるよルミネ。君があんな風に妹らしく振舞ったことなんてもう十年以上見てないよ」
思い出しながら、おかしいものを見たとでも言うように笑うカリスト様。
「では、兄妹水入らずの時間で十年ほど時が巻き戻ったと思っていただければ」
「……ふーん。ま、いいけどね」
もう少し追及されるかと思って、煙に巻いてみれば、意外や意外。
カリスト様はあっさりと引き下がった——。
「けど、これからも俺を助けてくれるって認識でいいのかな?」
「——!?」
かと思えば、いきなり核心を突いたことを言ってくる。
「……本当に、何を知っているのですか?」
「さぁね? 誰かさんと同じように十年くらい時間が巻き戻ったのかも?」
「——っ!」
「まあ、その表情が見られたから満足したよ。じゃあ、また紅茶をいれてもらいに来るから」
思わず目を広げてしまった私の表情を見て満足そうにした後で、手をひらひらとさせながら、カリスト様は部屋を出ていく。
「いったい、どういうことなの?」
私の呟きは、誰に拾われることもなく、消えていった。
ただ、カリスト様の言っていた通り、今日私はカリスト様を守ることができた。
カリスト様が何を知って、何を考えているのかはわからないが、今後もこうして贖罪をしていこう。
そんなルミネの背後から、女神像が温かく彼女を見守っていた。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
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反響が大きければ長編化も考えていますので、何卒……!




