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第16話 「勝利への道筋」

()()()()()?」


 タレイアは、眉をひそめて繰り返した。


「どういう意味だ。神殿の結界とやらは、今も、開いているのだろう? なぜ、出られないなどということがある?」


「なぜって、そんなこと、僕に聞かれても。……あっ、あっ、乱暴はやめてください……」


 タレイアに胸倉をつかまれ、ばたばたと暴れるメラスに、


「そもそも、死霊が、建物から出たいのに出られない、などということがあるのか?」


 アリストデモスが、こちらも顔をしかめて問うた。


「そうですね……」


 そろそろとタレイアから遠ざかり、衣の襟を直しながら、メラス。


「死霊というものは、ふつう、骨に縛られます。自分自身の骨がある場所からは、離れられない」


「だが、パウサニアスの骨は、ここに埋まっているのだ」


『慈悲』の女神像に護られた塚を指さしてから、タレイアは、あっと口を開けた。


「まさか……何者かが、この塚を秘密裏に掘り返し、パウサニアスの骨を神殿内に持ち込んでいたということか!?」


「いいえ。それは、ないでしょう」


 メラスは、即座に断言した。


「師匠の封印は、強力です。素人の、人間が手を出して、解けるようなものではありません。それこそ、地震のような、巨大な力が加わらないかぎりはね。塚の様子や、地面の様子から見ても、ここを掘り返してパウサニアスさんの遺骨に手を触れた者がいるとは、ちょっと考えられません」


(何だ?)


 メラスの言葉を聞いていて、タレイアは、強い違和感を覚えた。

 あまりにも確信に満ちた、その口調。

 いや、それ以上に――


「ちょっと待て。そなた、今……『師匠の封印は強力です』と言ったな。それは、どういう意味だ?」


「え? ……ああ! ああ、そうでした。そのことは、まだ、言っていませんでしたね」


 メラスは、こともなげに言った。


「夜のあいだに、筋肉おじいさんが言っていたでしょう? パウサニアスさんが、以前に、一度、目覚めたことがあったと。そのときに、パウサニアスさんの怨霊をこの塚に封じたのが、僕の師匠なんです。師匠は、多分、ずっと、ここのことを気にかけていたんでしょうね……だから、今回、地震で結界が破れたことに気付いて、僕に声を――」


「いや、待て、待たんか!」


 大きく手を振りながら、アリストデモスが割って入った。


「貴様は、いったい、何を言っておるのだ? この塚にパウサニアスが封じられたのは、()()()()()なのだ! そなたの師がやったなどと、でたらめを言うな!」


 メラスは、ぽかんとしている。

 アリストデモスが何を言っているのか、よく分からない、という顔つきだ。


「メラスよ」


 タレイアは、ある可能性に気付き、静かに問うた。


「そなたの師匠というのは、いったい、何歳なのだ?」


「え、何歳……え。今、何歳かですか?」


「そうだ」


「何歳……」


 メラスは、困ったように眉を下げながら答えた。


「何歳、とかは、ないです。師匠は、僕が13才のときに亡くなりました」


 一瞬、タレイアは、言葉を継ぐことができなかった。

 漠然と予期していたことではあったが、やはり、すぐに飲み込むことは難しかった。


「……亡くなった」


「ええ」


「では、先ほど……師匠は壮健だ、師匠に命じられてここに来た、と、そなたが言っていたのは……」


 このときになって、メラスはようやく、タレイアが何に対して戸惑っているのかに気付いたようだった。


「死んだ人たちはいなくなる、と思うのは、魔術師ではない人たちの思い込みです」


 メラスは、静かにタレイアを見た。


「死は、終わりではないんです。……ただ、そう。いつでも、いつまでも、話せるというわけじゃない……」


 タレイアは、昨夜、生首に話させていたメラスの姿を思い出した。

 さきほど、泣いていたメラスの顔を思い出した。


『昔は、毎日のように話していたんですよ。それが、こう、会えなくなってくると……やっぱり、なんというか……淋しいんですよね』


 死霊呪術師にとって、死は、タレイアたちが思うようなものではないのだ。

 これまで、メラスと話しているときに、たびたび感じた違和感のようなものの正体が分かったような気がした。

 自分たちにとって、肉体の死は、決定的な断絶だ。

 あとに残るのは、血筋と、名誉のみ。

 だが、メラスたちにとっては、そうではない。


(ずっと昔に死んだ師匠と話すことも、生首と話すことも……こいつにとっては、生きている人間と話すのと、さほど変わらぬということか。そうだ、それに、怨霊のことを『パウサニアスさん』などと呼んで……)


 あの恐ろしく巨大な「顎」も、メラスにとっては、不気味な怨霊ではなく、単に怒り狂って醜く顔を歪めた、一人の男として見えるのかもしれない。


(生きていようが、死んでいようが、一人の男に過ぎぬ……か。私も、そのような心持ちで戦えばよいのか)


 タレイアの思考では、そうなった。

 相手が、得体の知れぬ化け物だと思うからこそ恐ろしかったのであって、単に「怒っている男」だと考えれば、いかに強く、どのような姿をしていようとも、気負うことなく立ち向かうことができるのではないか――

 そのときだ。


(待てよ)


 神殿の中で「顎」と対峙したときの光景を克明に思い返していたタレイアは、記憶の中に、ふと、引っかかるものを感じた。

 あのとき――

 目を見開いたまま倒れこんだ自分の、その目の前で、「顎」が()()()と閉まった。

 出来の悪い冗談のように巨大な上下の歯が、一部の隙もなく噛み合わさった。

 目の前にずらりと並んでいた、ばかでかい歯。

 前歯の一か所は抜け落ちて、黒い空洞のようになっていた。

 残る歯が、赤い血に汚れているのを、はっきりと見た――


「歯だ!」


「うお!?」


 急に叫んだタレイアに、アリストデモスが驚きの声をあげる。


「いかがなされた、王妃様? 急に、そのような大声――」


「歯だ」


 タレイアは、目を見開いて、アリストデモスの腕をつかんだ。


()()()()()()()()。パウサニアスの上顎に、一か所だけ、歯がない場所があったのだ。死霊は、骨に縛られる。歯も、骨と同じようなものだと言えよう。その一本の歯が、()()()()殿()()()()()()という可能性はないか?」


 話を聞いていたアリストデモスの目が、だんだんと大きく見開かれていった。


「つまり……何者かが、塚からパウサニアスの歯を掘り出し――」


「いや、違う!」


 タレイアは激しく手を振り、その手で額を押さえた。

 その姿勢のまま、ゆっくりと言葉を続ける。


「かつて、パウサニアスが、このアテナ神殿に立てこもったとき……やつは、神殿の中で、死を覚悟した。怒りと、恨み、呪いを抱いて。だが、もはや、命があるあいだにそれを晴らすすべはない。そこで……パウサニアスは、死霊となって戻る決意をした。自分自身の歯を、たとえば、床に打ち付けるか何かして抜き、それをアテナ神殿の内部に隠した……」


「ああ! なるほど……」


 メラスが、タレイアの言葉の続きを引き取る。


「パウサニアスさんは、裏切者である自分の肉や骨が、死後に、どういう扱いを受けるか、どこへやられるか、分からないと思ったのでしょう。だから、必ず、この場所に戻ってくるために、自分の【歯】を、拠り所として残した。そして、彼は死に……10年後に、戻ってきた」


 メラスは、ゆっくりと歩き回りながら、さらに続けた。


「しかし、パウサニアスさんは、そのときはアテナ神殿に入ることができなかった。この前の地震で破れる以前には、神殿は、隙間のない、完全な結界に囲まれていたからです。パウサニアスさんは、神殿の中に入ることができず、地上で暴れまわった……」


「そのときに、メラスよ、そなたの師匠が呼ばれたのだな」


 タレイアの言葉に、メラスは、大きくうなずいた。


「パウサニアスさんは、強大な怨霊になっていた。僕の師匠は、パウサニアスさんを、塚に封印することはできた。でも、完全に鎮めることまでは、できなかった。パウサニアスさんは、地面の下で、ずっと怒り、恨み続けていた……そこへ、地震。とうとう、塚の封印が破れ、アテナ神殿の結界に、ひびが入った。パウサニアスさんは、とうとう積年の望みを遂げ、アテナ神殿に戻った――」


 メラスは言葉を切り、静まり返るアテナ神殿を見上げた。

 タレイアと、アリストデモスも、同じように神殿を見上げた。

 やがて、メラスが言った。


「今、僕たちの話したことが、すべて当たっているとしたら……パウサニアスさんは、その【歯】を拠り所にすると同時に、その【歯】に縛られていることになります。今、神殿の外に出てこられないことも、これで、説明がつきます」


「おう!」


 それまで黙っていたアリストデモスが、勢いこんで言った。


「分かったぞ。やつを倒すには、神殿の中へ入り、その【歯】を見つけて、打ち砕けばよい! こういうことだな!?」


「ああ……そう、そうです! ……まあ、そうです。でも、あの、より厳密に言えば、昨日の、お友達の【首】と同じで、【歯】を砕いただけでは、パウサニアスさんの霊は――」


「そこで、そなたの出番だ」


 アリストデモスの顔色をうかがいながら言ったメラスを制し、タレイアが続けた。


「【歯】が砕かれれば、パウサニアスの怨霊は、地上での拠り所を失う。周辺で暴れ回られては、元も子もない。そこで、【歯】が砕かれると同時に、そなたがすかさず、術によって、やつを冥府へと送る! 今度こそ、将来にわたって、完全に……徹底的にだ」


 タレイアは、メラスを見つめた。

 アリストデモスも、メラスを見つめた。

 メラスは、例の、ぽかんとしたような顔で、空中を見つめていた。

 だが、今度は、タレイアたちにも分かった。

 彼は考えている。

 すべての可能性と、必要な術、そのための準備、勝利への道筋を――

 やがて、メラスの青い目が、ふっと動き、その焦点が、ぴたりとタレイアの目に合った。


「そういうことです」


「よし!」


 拳と手のひらを打ちあわせ、タレイアは叫んだ。

 スパルタの戦士は、進む道筋が見えれば、もはや立ち止まることはない。

 たとえ、その道の先に、どれほど恐るべき敵が待ち受けていようともだ。


「戦士たちを集めよ。この計画を伝える! ……もちろん、黒犬どもにも協力してもらうぞ。羊一頭を勝手に平らげただけの働きを見せよ! 【垂れ耳】、【垂れ舌】、よいな?」


 黒犬たちが、わふ、と鳴いて舌を出し、笑うような顔を見せる。

 三人と二頭は、足早にアテナ神殿の前から立ち去っていった。


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