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第12話 「パウサニアス」

「どうも、ありがとうございます! あなたのおかげで、中にいるものの正体が、はっきり分かりました」


 凍りついたようになっているタレイアたちのことは気にも留めていない様子で、メラスは笑顔になり、生首に向かって丁寧に礼を述べた。


「代償は、確かにお支払いしましょう。あなたの頼み、引き受けます! 奥さんと、お子さんたちに、あなたは確かに亡くなったと伝えればいいんですね。ご家族のお名前は? ……え? よく聞こえな……あ、はい、はい、聞こえます! ……うん、ランピト、……うん、ポレモン、クレアンテ――」


 そのときだ。

 突然、背後から思いきり突き飛ばされて、タレイアは激しく前につんのめった。

 倒れまい、と反射的に踏み出した足が、地面に描かれた防御円の線をまともに踏みつける。


(しまった!)


 ざっと滑った足の裏が、地面に描かれた線を踏み消し、()()()ことを、はっきりと感じた。

 引きつった顔を上げたとき、タレイアが見たものは、彼女を突き飛ばして防御円から飛び出したアリストデモスが、メラスに向かって剣を振りかざす姿だった。


「やめよ!」


 剣が、振り下ろされる。

 アリストデモスの剛腕が振り下ろした刃は、驚いたように振り向いたメラスの顔のすぐ脇をかすめ、地面に置かれていた生首の、脳天から顎までを、真っ二つに立ち割った。


「ばか者! 何を――」


 思わず怒鳴りつけた瞬間、大気を切り裂くような甲高い悲鳴が響きわたり、タレイアも、そしてアリストデモスも思わず声をあげて両手で耳をおおった。

 真っ二つになった生首の上に、半分透きとおった男の姿が、ゆらめきながら立ちのぼった。

 一瞬、闇の中に白い顔が浮かび上がって見え、その表情は、恐怖と苦悶に引きつっているかのように見えた。

 だが、確かにそう見えたと思ったとたんに、死霊の姿は、風にさらわれる煙のように薄れて消えてしまった。


 タレイアは大地に膝をついたまま、目を見開き、あんぐりと口を開けていた。

 死霊呪術師と同じく、死霊というものをこの目で見たのは、生まれて初めてだった。

 これも、詐術か? 自分の目の迷いか?

 ――否。

 もはや、信じざるを得まい。


「テオクリトス殿……!」


 ふと気づくと、アリストデモスが、自ら真っ二つにした生首をかき抱き、男泣きに泣いていた。


「気の毒に! このような恥辱……! 安心せよ! 決して、決して、余人に口外はいたさぬ!」


「あ、お友達ですか?」


 平然と呟いたメラスの胸倉を、猛然と立ち上がったアリストデモスがつかむ。

 だが、タレイアが制止するよりも先に、アリストデモスがメラスを突き放した。


「平時であれば、わしは、貴様を、断じて許してはおかぬ……! だが、今は非常時。いたし方あるまい!」


「あ、はい……え? あの、何を、怒っているんですか?」


「黙れ!」


 アリストデモスが今度こそメラスをぶん殴りそうな気配を見せたので、タレイアは無言で割って入った。

 メラスは、何とも不可解そうな顔つきでアリストデモスを見、タレイアを見、それから、どちらにともなく、遠慮がちに言った。


「あの……ええと、その、お友達のことですが。その首を破壊しても、彼の霊は、安らぎませんよ。この状況の原因である、パウサニアスさん本人の霊を、冥府に送ってさしあげないことには、お友達は……」


「分かった、もう黙れ」


 メラスの顔面に指を突きつけておいて、タレイアは、


「パウサニアスだと?」


 自分の頭を両手で掴み、髪をわさわさとかき回した。


「つまり、今、アテナ神殿に居座っている『顎』の正体は、パウサニアスという者だというのだな?」


「ええ」


 かがんで【垂れ耳】と【垂れ舌】を撫でてやりながら、メラスは、はっきりと言った。


「お友達……ええと、テオクリトスさん、ですか? 彼が、そう教えてくれました」


「そのパウサニアスという者は、人間か?」


「そのようです。ただし、あなた方のような、では、ありません。肉体は、とっくに死んでいます。恨みをもって地上に現れた、攻撃的な霊……いわゆる、怨霊と呼ばれる存在ですね」


()()パウサニアスだ?」


 できるだけ何気ない調子で、タレイアはたずねた。


「まさか、ペルシアと戦をしたときの、将軍パウサニアスではないだろうな?」


 その名の響きに絡みつくのは、何十年も前の、忌まわしい出来事の記憶――

 将軍パウサニアスは、プラタイアイの戦いで輝かしい勝利の栄誉を得ながらも、その後に、敵国ペルシアと内通しようとしたと言われている。

 内通の嫌疑によって逮捕されることを恐れたパウサニアスは、聖域であるアテナ神殿に――そう、今まさにタレイアたちの前にそびえる「青銅の(アテナ・)館のアテナ(カルキオイコス)」神殿に――立てこもった。

 神殿の中に逃げ込んだ者は「神への嘆願者」であり、何者もその者を傷つけてはならない、というのが絶対の掟だからだ。


 むろん、パウサニアスを追っていた当時のスパルタの監督官たちも、この掟には逆らうことができなかった。

 そこで、監督官たちは、一計を案じた。

 彼らは、アテナ神殿を、外側から完全に封鎖した。

 中にいるパウサニアスの肉体には一切手出しをすることなく、飢えと渇きとで苦しめることにしたのである。

 やがて、パウサニアスが衰弱し切り、自力で身動きをすることもできなくなったときになって、監督官たちはようやく神殿に踏みこみ、彼を外に引き出した。

 その頃にはもはやものを言うこともできなくなっていたパウサニアスは、神殿から引き出されて間もなく、命を落としたという――


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