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第11話 「その者の名は」

 タレイアは、反射的に声をあげそうになったが、とっさに自分の口を手でふさいでこらえた。

【垂れ舌】が持ってきた生首は、全体が血に汚れて赤黒いかたまりのように見え、もつれた髪の毛が見えなければ、いったいそれが何なのかさえ分からないところだった。


(誰、なのだ、あれは)


「顎」に頭を食いちぎられた、神官たちのうちの一人なのか。

 目を凝らすが、暗さのために、まったく判別がつかない。


「よーしよしよし、いい子いい子……はい、これ、ちょーだい。ちょーだいしましょうね、よしよし……」


【垂れ舌】を撫でながら血まみれの生首を受け取ったメラスは、それを、壊れやすい器でも扱うように、ていねいに地面に置いた。

 自分の手が乾いた血のかたまりで汚れていることも気に留めず、衣の内側から、何やら輪のようなものを取り出す。

 どうやら、つる植物を編んだ冠のようだ。

 その冠を、メラスは恭しい手つきで生首の頭にかぶせ、囁くように呪文を唱えながら、これまた衣の内側から取り出した小瓶から、何やら液体を地面に振りまいた。


 風が吹きはじめた。

 ふと、タレイアは、何かがぶつかりあうような、かたかたという小さな音に気付いた。

 まるで、鍋の湯が沸騰しているときに、その蓋がたてるような音だ。

 急にものすごい力で肩をつかまれ、タレイアは、もう少しで短剣を抜き放つところだった。

 首をねじって振り向けば、アリストデモスが、転げ落ちそうに目を見開いて、生首のほうを指さしている。

 何事か、とあらためて生首を注視して、タレイアは、またもや声をあげそうになった。

 生首の口が、かたかた、かたかたと音を立てながら、わずかに開閉している。

 見間違いではない。

 完全に死んでいるはずのものが、誰も手を触れないのに、動いている。

 かたかた、という奇妙な音は、生首の上下の歯がぶつかりあう音だったのだ。

 メラスは、生首のほうに身をかがめ、片方の耳に手をやって、じっと耳を澄ますようなしぐさをしていた。


「あの、すみません。もう少し大きな声でお願いしま……え? いえ、すみませんが、全然聞こえな……あ、そうか」


 一人でぶつぶつ言っていたかと思うと、急に、ぽんと手を打つ。

 またもや、衣の内側に手を入れて、今度は、皮の切れ端のようなものを取り出した。

 先ほどの小瓶を手にとって傾け、中身の液体を指先につける。

 濡れた指先で、皮の切れ端に何事かを書きつけてから、その皮の切れ端を、そっと生首の口の中に差しこんだ。


「さっきから、全然聞こえないと思ったら、()()()()()()んですね。これ、よかったら代わりにどうぞ……あ、はい、聞こえました、大丈夫です! どうもこんばんは。初めまして。……いえ、違います。こちらに出てきていただいたのは、ちょっと、お話をうかがいたくて。ええと、あの神殿の中の様子を教えていただきたいのですが……」


(死者と……話している、だと?)


 肩にますます強く食い込むアリストデモスの指を引きはがすことも忘れて、タレイアは目を見開いていた。

 生命なき死体を動かし、ものを言わせる。


(死霊呪術師……)


 その存在を聞いたことはあったが、実際に目にするのは初めてだった。


「ええ、ええ……ああ、そうですか? 儀式の準備をしようとしたら、神殿の奥から、いきなり……それで、応戦する間もなく……ああ、ええ、たいへんお気の毒です……」


 メラスは、相手の話をいちいち繰り返しながら、大げさに頷いている。

 声の調子だけを聞いていれば、生首と話しているなどとはまったく思えない。まるで、近所の年寄りの相手でもしているかのようだ。


 ――いや、待て。

 本当か?

 自分たちは、こいつの()()に、騙されているだけではないのか?


 現に、熱心に生首に話しかけるメラス自身の声はよく聞こえるが、死者の声は、一言も聞こえてこないではないか。

 この暗さだ。生首を揺らして、かたかたと歯を鳴らすくらいのことなら、何らかの仕掛けをもってすれば不可能ではない。

 そうやって、いかにもそれらしい雰囲気を作り出しておいてから、死者と会話しているように見せかけて、実際には、自分一人で話しているだけではないのか――?


「襲ってきた相手は、名前を言いましたか? ……ええ、名前です。あなたを操っている相手の! そいつは、名乗りましたか?」


 メラスは、話しながら地面に膝をつき、だんだん生首のほうへ顔を近づけていき、今や、両手を地面について這いつくばるような姿勢になっている。


「ああ、だめです、まだ行かないでください! ここにいて、僕の質問に答えてください。答えなければだめです。……相手は、名前を言ったのですね。誰ですか? 教えてください!」


 いつのまにか、風がどんどん強くなり、周囲の木々のこずえを激しくざわめかせるまでになっている。

 長い黒髪をおどろに乱しながら、メラスは叫んだ。


「答えなさい! そうすれば、僕たちが、あなたを助けます! ……何? 頼みがある? その頼みを聞けば、相手の名を教えてくれるんですね? 頼みの内容を言ってくれたら、考えてもいいです。僕の魂が欲しいなんて言われても困りますからね……ええ?」


 メラスの片耳は、いまやほとんど生首の口にくっつきそうになっている。


「『妻と』……『息子たちに、自分は死んだと伝えてほしい』と。……『こんな醜態を晒しているとは、知られたくない』……なるほど、ええ、伝えましょう、あなたが、そいつの名前を話してくれれば!」


 ごうっ、と風の音が鳴るのと同時に、メラスの長い髪がなびき、口もとの動きが、はっきりと見えた。


『パウサニアス』


「何だと」


 タレイアは思わず声に出して呟いた。

 パウサニアス。アテナ神殿。

 幼い頃に聞かされた話が、記憶の底からよみがえった。

 それは、何十年も前の、忌まわしい出来事――


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