第9話 F線上のノゾミ・後篇
変な生き物に対して、カワシマさんはじめ、他の軍人すべてが敬礼をした。
「状況をまだ把握していない人が、1人いますね」
1時間前に聞いた声がした。
「双葉特務少尉、貴官の立場をお忘れか?」
わたしは目を丸くしたまま、呆然としていた。
「あ、失敬。私はこの姿にもなれましてね。こういう急務の時は、こっちの方が都合が良いのです」
典型的なマスコットキャラクター、みたいな風貌と化したメッフィーは、淡々と言った。
「いずれにせよ、現場指揮官として命令しないといけません。双葉特務少尉、今すぐギターを奏で、敵を抹消させなさい」
「いやだ……と言ったら?」
「我々は死ぬでしょうね。貴官は幼くとも女性ゆえ、敵から辱めを受けるかもしれませんよ」
すると、カノンがテントに入ってきた。
メッフィーに素早く敬礼をすると、わたしの方も見ずに、ピアノへ向かった。
「相沢特務中尉、ヘルメットです」
しかしカノンは、カワシマさんが差し出したヘルメットを、奏手で払った。
「いらない。頭にそんなの被ってピアノ弾くなんて、ダンベル持って登山するようなものよ」
「しかし……」
カワシマさんの声をかき消すように、カノンはピアノを弾きはじめた。
とてつもなくテンポが早く、強烈な打鍵を繰り返す曲だった。
「ほら、相沢特務中尉は偉いですね。任務をすぐ全うしている」
私の側に寄ってきたメッフィーが、耳元でそうささやく。
曲は5分もしないで終わった。カノンは、無線でやりとりしていた軍人に向かってこう聞いた。
「現状は?」
「野砲1門、歩兵砲3門を撃破したとのことです」
「チッ!」
カノンは舌を打ち、眉間にシワを寄せた。こんな娘でも、ものすごい顔になるんだな。
「次、連続していくわよ」
現代音楽のような、もはや不協和音のような音が響いた。
あの長い指が折れてしまうのではないか? と心配になるぐらい、彼女は強烈に鍵盤を弾いた。いや、叩いている。
「そういえば、双葉特務少尉」
と、メッフィーが言った。
「例の千川くんですが……心肺停止状態のようです」
「は……?」
メッフィーはモニターを出し、千川くんの姿を映し出した。
ベッドを囲むように、人が立っている。千川くんの親族かもしれない。
「心電図もご覧なさい」
映像が、心拍数を表すモニターを映した。
線が一直線だ。
ピーという音が幻聴的に聞こえてくる……
「蘇生リミットは、4分と言われていますね」
メッフィーは電車の到着時刻をアナウンスするかのように言った。
……曲が終わった。
「現状はっ!?」
「歩兵砲が2門、また戦車1両にわずかな損傷を与えたとのことです」
「ああっ! もうっ!」
カノンは両手で、髪をぐしゃぐしゃにして叫んだ。
「旅団長令によりますと、左Aおよび右Cに配置されているカノン砲いずれかを、先に大破させて欲しい、とのことです」
「狙えるなら、さっさと狙ってるわよ!」
カノンは再びピアノを弾き出した。
もはや、曲ではなかった。重音が強く鳴り、映画の劇伴みたいになっていた。
その時、バチンッ、という鋭いような鈍いような曖昧な音が、鳴り響いた。
「ああっ! なんでこんな時に……っ!」
ピアノ弦が一気に、いくつも切れたらしい。
「さあ、どうしますかねえ」
メッフィーはわたしの顔の前で言った。まるで人ごとだ。
「もはや運命は、貴官の判断によります。あ、あと3分ですよ、千川くんは」
カノンはまだ弦が切れていない部分を探しながら、鍵盤を叩いている。
「ノゾミちゃん……こんなことしても意味ないのよ! だからお願いだから……!」
涙顔のカノンがそう言った時、近いところで爆音がした。
と同時に、テントの中は一瞬で荒れ果てた。
ふっ飛ばされたわたしは、体ごとアンプにぶつかった。
砂埃が消え始めたころ、わたしはやっと立ち上がり、テント内を見回した。
カノンもカワシマさんも、血を流して地面に倒れている……
2人の意識を確認するため身体に触れようとしたが、救護班らしき衛生兵がやって来た。
他の5人の軍人たちはも倒れ混んでいて、そのうち1人は右腕がなかった。
わたしは外に出て、空気を吸った。
煙と砂埃が混じったニオイがする。
粉々に破壊された巨大岩の周りには、死体と化した兵士があちこちにあった。
「大丈夫ですか、双葉特務少尉」
買ったばかりのぬいぐるみのようなメッフィーは、わたしの周りを、ハエのように飛び回った。
「あ、あと、数十秒ですかね、千川くんは」
わたしはメッフィーの言葉を無視してテントに戻り、ギターを手にした。
そして、アンプのボリュームを最大限にし、Fのコードをひと撫でした。
Fコード……ギター初心者が最初に挫折するコードとして、あまりに有名だ……わたしもそうだったな、でもこれが抑えられるようになったから、いろんな曲が弾けるようになったんだよな……
そんなことを思っていたので、視界を隠す閃光や、爆音より大きい轟音のことなんて、どうでも良かった。
挿絵・大橋鉄郎