第7話 凄く愛された死体になった気分の俺
「ランスロー様」
露天の茶屋で、俺が地元民達と一緒に甘くて辛いのを飲みながら、カイルの恋バナやら猫の話題で盛り上がっていると、妻らしき女性を連れたカイルが、遠くから俺に声をかけてきた。
大切そうに妻らしき女性の手をとり、こちらへ歩いてくるカイルを、俺も地元民達も、ニヤニヤしながら迎えたのだ。
「やあ、カイル。楽しく飲ませてもらってるよ。ここはいい店だな。ところで隣にいる美人は誰だい?」
ニヤニヤした俺が聞く。
「ふふふ。楽しそうで何よりです、ランスロー様。私の妻を 紹介させてください。リリーシアです」
「ああ、よろしくな。リリーシア。俺はランスローだ」
その無礼な挨拶は何だと、時々雇い主達に怒られるのだが、俺の挨拶なんて、いつもこんなものなのだ。
カイルは気にならなかったようで、俺の挨拶に嬉しそうに微笑むと、リリーシアに向き直った。
「リリーシア。こちらがランスロー様です。とても強い方なのですよ。あなたの旅を少しでも安全にしたくて先ほど護衛をお願いしたところ、幸運なことに、快く承諾していただけたのです!きっと白き精霊様のお導きに違いありません!」
大騒ぎするカイルの横で、その妻リリーシアは、俺よりももっと遠くを見ている様な目で俺を見て、人形のような声で「宜しくお願いしますわね」と言った。
途端に俺も地元民達も、もぞもぞした。
リリーシアの声音には、何か俺たちを落ち着かせないものがあったのだ。
馴染みの場所からグイッと引き剥がされて、清らかな場所に立たされてしまったような、心もとの無い気持ちにさせられるのだ。
そもそも、リリーシアは俺たちと全く違っていた。
ふわりと被っている寒さ避けのショールは、頭から足元まで覆うほどの大きさで、滑らかで、柔らかそうで、鮮やかな色合いで、おそらくとんでもない値段がする一級品だ。
首元にも、たっぷりレースのついた綺麗な衣装が見えている。
シミのない透き通るような肌をして、まつ毛が長く、瞳の形は繊細で、高価な人形のような顔立ちをしていた。
小さな唇に塗られた鮮やかな赤い口紅は、きっと異国から取り寄せたものだろう。あんな見事な赤い色なんて見たことがない。
生まれた時から大金をかけて、大切に育てられた人なのだ。
そりゃそうか。あのアドニス商会の孫娘なのだ。
そんな人が、厳ついカイルの隣に立っているのだ。
いや、リリーシアの方が半歩前に立ち、カイルは半歩後ろでリリーシアを守るように立っていた。
確かに、二人は夫婦には見えなかった。
何に見えるかと言えば、お嬢様と護衛に見えた。
地元民達の言う、きっとカイルは騙されていて利用された後、捨てられる、という予想も分かる気がした。
ただ、カイルが幸せそうなのも、確かだった。
カイルは子犬のようにつぶらな瞳で、愛おしそうに妻を見つめた後、俺を見て、にっこり笑い、
「では、馬車が整いましたので、こちらへどうぞ」と言ったのだ。
・ ・ ・ ・ ・
幸せ商人カイルは、俺との約束も守る生真面目な商人だった。
王都へ向かう商隊の長く連なる馬車の一つに、俺のゴロゴロできる場所をちゃんと作ってくれていたのだ。
リリーシアを先に豪華な馬車に乗せた後、案内してくれた荷馬車に用意されていた。
幌付きの荷馬車の中に用意されたその場所は、縄で縛り付けられた高く積み上げた荷物の横に開けられた。
狭く四角く、ちょうど棺桶がすっぽり入りそうなくらいの広さの寝床だった。
床には魔獣の毛皮が何枚か敷かれ、さらに体の上から被る用の毛皮まで用意されていた。
暖かそうな棺桶だ。
俺をその場所に案内したカイルには、「狭くて申し訳ありませんが」と申し訳なさそうに言われたが、カイルの後ろに控えた従業員風の奴らには、怒りのこもった目で睨まれた。
出発直前の荷馬車に無理やり作らせた場所なのだろう。そりゃ大変だったんだろうな。
「充分だよ」と俺は言った。狭い場所で寝るのも好きなのだ。
「毛皮まで敷いてくれて、ありがとう」
カイルは嬉しそうに頷いた。
「それは最近出回ってきた魔獣の毛皮なのです。きっと雪の降る夜でも、暖かく眠れると思います」
「ああ、知ってる。これは暖かいよな」
俺はそういうと、しゃがんでその毛皮を撫でた。この触り心地を知っている。きっと俺が狩った魔獣の毛皮だ。最後に狩った我が友かもしれない。お前は俺と一緒に王都に行くのか。
「いい毛皮だ。売り物なんだろ。俺が使ってもいいのか?」
「ええ。そこにあるものは全て私が個人的に買い取ったものです。王都の屋敷に飾るつもりです。久しぶりに会った方達に北の思い出話と一緒に披露しようと思ってます。次の冬には、暖炉の前に敷いて、妻の足を暖めてもらうのです」
カイルはそういうと、何かを思い出したように、ふふふ、と笑って、ぽっと頬を染めたのだ。
たぶん妻の足先でも思い出していたのだろうが、なんだろうなあ、ごつい体で、むさい顔の男に宿るこの乙女な感じは。
いや、別に好きに生きればいいのだが、なんだろうなあ、俺の心に宿るこの納得いかない気持ちは、なんだろう。
色々納得いかないが、カイルは信用出来るいい奴に思えた。
実際、その通りだったのだ。
最初から最後までずっと、カイルは揺らぐ事なくカイルだった。
・ ・ ・ ・ ・
カイルの商隊は、王都へ向かって進んだ。
俺は、俺の為に造られた狭い場所で、温かい毛皮に包まれて、幌の隙間から灰色の空や舞う雪を眺め、うつらうつらしながら運ばれていった。
こうしていると、凄く愛されていた死体にでもなった気分になってくる。
棺桶みたいな場所で、大事に運ばれている感じが、そんな気分にさせるのだろうか。
俺は幌の隙間から見える雪を眺め、毎日ぐーぐー寝て過ごし、大切に運ばれた。
少しずつ体が癒されていくのを感じていた。
・ ・ ・ ・ ・
旅を始めて数日経った。
朝の早い時間に、幌の隙間から、馬がひょいと覗き込んだ。
カイルの商隊には俺以外にも護衛が何人も雇われている。
その護衛達が交代で馬に乗り、巡回しているのだ。
きっとその護衛の馬が、俺の乗る荷馬車の後ろについているのだろう。
俺が寝転んだまま、俺を見つめる馬の黒い目を見つめ返していると、その後ろからナイフが飛び込んできた。
真っ直ぐ俺の額に向かって飛んでくるナイフを、懐かしいなと思いながら指で掴み、昔と同じように相手の額に向かって投げ返そうとした。
が、直前で思い止まった。
昔この遊びを俺としていた冒険者は、ナイフ投げ一級の冒険者で、どんなに速い速度で投げても、必ず2本指でビシッと受け止め、すぐに投げ返してきたものだった。
俺たちはこの遊びが楽しくて、キャッキャと笑い合いながら、速く!もっと速く!と何度もナイフを投げ合ったものだ。
しかし、今回ナイフを投げてきた奴は、随分のんびりとした速度で投げてきた。
このナイフを投げてきた相手は、それほど鋭い遊びを望んでないのかもしれない。
そりゃそうだよな。ナイフ投げ一級なんて、そんなにゴロゴロいるわけじゃないもんな。
俺は気の利く男だった。
相手の額は狙わず、革鎧辺りに受け止め易い速度で投げ返してやると、「うっ」と声がして、馬が立ち去る音がした。
うっ、とはなんだろう。
俺は考えた。
受け止め辛かったのか?
俺がナイフを投げる速度が思ったよりも速すぎたのか、それとも遅すぎたのか。角度がいまいちだったのかもしれない。
俺もまだ本調子じゃないのだ。丁度良いというのは、難しいな。
しかし、その後も護衛達は交代でこの遊びを仕掛けてきた。
意外と好評だったのかもしれない。
昼も夜も、真夜中にも、ナイフは飛んできた。
俺はいつだって暇だったから、いつだって相手をしてやった。
俺がナイフを投げ返すと、やっぱりいつも「うっ」と声がするので、俺はうつらうつらとしながら「うっ」について考えていた。
なんの「うっ」なんだろう。
わざわざ尋ねに行くには、俺の体はまだ疲れていた。
だからずっと分からないままだった。
分からなくても十分楽しませてもらっているのだ。べつに分からないままでも良かった。
でも欲を言えば、俺が投げ返したナイフを投げ返して欲しかった。
更に欲を言えば、もう少し早く投げて欲しかった。
その方が面白いのだ。
でも、俺は、退屈な俺をこんなふうに慰めに来てくれる善良な人達に、そこまで注文を出すほど欲深い人間でもなかった。
暖かい棺桶の中で、俺は幸せに運ばれていった。