第6話 猫は真っ直ぐやってくる
俺は今、怪しい商人カイルの全てを知っていると言ってもいいだろう。
地元民から何もかも聞いたのだ。
地元民達はカイルの事なら、なんでも知っていた。
何しろ、この露天の茶屋にいる地元民の一人はカイルの父親のマブダチで、もう一人はカイルの実の兄ちゃん、店主はカイルの昔の冒険者仲間だったのだ。
カイルの人生のあらゆる場面の目撃者達が揃っていた。
地元民から集めたニヤニヤした証言をまとめると、五人兄弟の末っ子として生まれたカイルは、小さな武器屋を営む気の荒い両親に雑に育てられ、悪辣な兄ちゃん四人にいいように弄ばれながらも、何故か善良に、すくすく育ったのだ。
「たぶん、体が人一倍デカかったせいだと思うんだ」と、カイルの父親のマブダチは言った。
子供の頃から体が大きく、力持ちだったカイルは、近所の大人に荷物運びや畑仕事を頼まれると「いいよ」と気軽に引き受けた。
そんな子供は重宝されるし可愛がられる。お駄賃がわりに食べ物をもらい、更にすくすくと育ち、10歳を越える頃には、親兄弟よりも背が高く伸び、邪魔だから出ていけと家を追い出され、冒険者の下働きとして働きはじめたのだ。
「その冒険者が槍使いで、カイルが毎日目をキラキラさせて槍を眺めるものだから、暇な時に槍の使い方を教えてみたらしいんだ。そしたらあいつはクソ真面目だわ身体も丈夫だわであっという間に一人前の槍使いになって、師匠よりも強くなったんだよ」と、カイルの兄ちゃんは少し得意げに言った。
元冒険者仲間の店主も、甘くて辛いのをちびちびとやりながら頷いた。
「カイルさんは本当に強かった。俺も何度もたすけてもらった。最後には二級槍使いにまでなったんだ。この辺りでカイルさんより強い奴なんていなかった」
「へえ。でもなんでそんなに強い槍使いが商人になったんだ?」
俺が聞くと、地元民達は揃ってニヤニヤしはじめ、
「恋だよ」「恋だな」「恋なんだよ」と言い出した。
「恋?」と聞きながら、俺は厳つい体と顔のカイルを思い浮かべた。
恋?
「アドニス商会を知ってるか?」と店主が言った。
「そりゃ知ってるよ。この国で一番大きくて有名な商会だ。アドニスって爺さんが一代で作った商会だろ。カイルはアドニス商会の支店を任されてるって、さっき本人から聞いたぞ」
カイルのにいちゃんがふふんと笑って「詳しい話までは聞いてないんだろ?」と言った。
「確かに聞いてないな」
「よし。教えてやろう」
カイルの兄ちゃんは、甘くて辛いのをクイっと飲んで、軽く咳き込み話し出した。
「二年前にアドニス商会のアドニス爺さんが孫娘を連れて、旅行がてら北の支店の視察にきた。
孫娘は十六歳。綺麗な服を着た、人形みたいに可愛い子だったよ。
冒険者ギルドは護衛として強い順から何人か出した。
一番強いカイルももちろんギルドに頼まれた。
あの時のカイルは二十九歳だ。髭面で、筋肉の塊みたいな身体は今の倍ぐらいデカかった。見た目おっかなくってな。
強面好きな女ばかりが、カイルに近づいてくるんだが、カイルと付き合い始めた女は、すぐに、なんか違うと言い出してカイルを捨てるんだよ。
そりゃそうだよ。
カイルの中身は乙女みたいに純情なんだぜ。そりゃ違うよ。
そのカイルがさ。ぷぷぷっ。ある日俺たちに言ってきたんだよ。こ、恋に落ちたって。相手はアドニスの孫娘だって!ひひひひひ!
恋だってさ!あの顔で!似合わねー!」
カイルの兄ちゃんが笑い転げる間、「恋か」「恋な」と、俺たちはなんどもその言葉をかみしめた。
久しぶりにきいた言葉だった。俺の人生にはない言葉だ。恋か。
カイルの兄ちゃんは一通り笑った後、しみじみとした口調で言った。
「カイルもおかしな奴だが、アドニス商会のお嬢さんもおかしな人だよ。あのカイルが、あの見た目でモジモジしながら告白したら、すぐ結婚したんだからな」
店主も頷きながら言った。
「俺たちは、絶対にカイルさんは騙されてると思ったんだ。
やり手のアドニス爺さんが何かに利用する為にカイルさんと孫娘を結婚させたんだってな。
でも、結婚してから二年も経つが、何も起きない。
カイルさんはすっかり商人らしくなって、幸せそうにしてる。
そろそろ酷い事でもされて捨てられる頃だと思うんだが、まだ捨てられない。
ずっと幸せそうにしてるんだ」
地元民達は「おかしな話だよなあ」と呟きながら、遠くで何か指示を出しているカイルを眺めていた。
カイルの元には次々に人が訪れ、そのうちの何人かはカイルに祝福をしていく。
祝福とは家族や親しい人が出かける時に、それぞれの祈りを込めて頬にするキスだ。
カイルは大きな身を屈め、何人ものキスをうけていた。
「幸せそうだな」と俺は呟いた。
「ああ」地元民達は肩をすくめる。
カイルの元に、綺麗な衣装を着た小柄な女が近づくのが見えた。カイルは、いそいそとその女の元へ行き、そっと抱きしめた。
「恋か」と俺が聞く。
「恋だ」「恋だな」「恋なんだよ」と、ニヤニヤした地元民達が言う。
「まじかぁ」俺は甘くて辛いのをまた飲んで一回むせた。
それにしたって、こんなに何度も恋恋言ったのは俺の人生で初めてだ。
「兄さんには誰かいい人はいないのかい」と店主が俺に聞く。
「いないなあ」
「これからカイルさんと一緒に王都に行くんだろ?祝福をくれる人は?」
「それもいないなあ」
「そうかい」店主は俺の肩をポンポンと叩いた。
なんだ?俺は今慰められたのか?
俺は店主の手を振り払い、「俺にはあれがいる」と、近くの木の下を指差した。
地元民達がそちらを覗き込む。
「ほらこい」俺が声をかけると、小さいのが真っ直ぐやってきた。
「猫か?」「猫だな」「猫だ」
毛玉のような茶色い猫が、俺の脛に頬を擦り寄せた。ふふふ。
「どこ行っても俺は猫に好かれるんだよ。ほら、見ろよ。これ、祝福みたいだと思わないか?」
足にまとわりつく小さな猫は、俺の脛に頬や頭を摺り寄せ続ける。
店主がため息をつきながら俺の肩をまた叩いた。
「まあ、兄さん、頑張れや」
「なんだよ、頑張れって」
カイルの兄ちゃんも手を伸ばして俺の肩をとんとん叩いた。
「まあ気にすんな、もう一杯飲むか?あんたとはさっき会ったばかりだから、祝福までは送らないが、酒なら一杯奢らせてくれ。王都まで行くんだろ。しばらくこれが飲めなくなるぞ。飲んどけ飲んどけ」
カイルの親父のマブダチも、わざわざ立ち上がって俺の側までくると、俺の肩を叩いた。
「王都まで行ったらこの酒が恋しくなるぞ。この雪も、その猫もだ。会えなくなると全部恋しくなるもんなんだ」
「恋ねえ」
恋が似合わなそうな俺達は、結局最後まで、恋、恋、言い続けていたのだ。