第1話 そうだ、王都に行こう
その日、雪に覆われた大地に倒れこむ魔獣を見ながら、ふと思った。
「そうだ。王都に行こう」
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北の大雪原に現れた馬鹿でかい魔獣の群れを倒してくれ、どうにかして倒してくれ、報酬は弾むから倒してくれ!
と、北の辺境伯から指名依頼をされたのは半年前の事だった。
以前から辺境伯は、領内で起こる、騎士団が出張るほどでもない程度のちまちまとした討伐依頼を、冒険者ギルドに出していた。
俺は報酬の良さに惹かれ、ちょくちょくその依頼を受けていたのだが、どこかで辺境伯に気に入られたらしく、頻繁に指名依頼をされるようになり、そのせいでここ数年、北の辺境伯領で暮らしていた。
しかし、飽きた。
最初は物珍しかったこの寒さにも、真っ白い雪に埋もれる生活にも、つくづく飽きた。
俺はもともと、雪など降らない土地の生まれなのだ。
もう少し暖かい地で暮らしたくなった。
断ろう。とは思ったが、いろいろ世話になった辺境伯に「むり。出ていくわ」とだけ伝言して旅立つほど人でなしでもなかったので、辺境伯の城へ直接断りに行った。
宿を出ると、雪雲が低く広がる空をうんざりしながら眺めてから、狭い路地や、馬車が行き交う広い通りを、ザクザクと雪を踏み締め進んでいく。どこまでもどこまでも進んでいくと、強固な石で築かれた辺境伯の城に辿り着くのだ。
顔馴染みの門番に取り次ぎを頼むと驚くほどすぐ、暖かい暖炉のある、辺境伯の執務室まで通された。
「おお!ランスローよ!よく来てくれた!依頼は受けてくれるのだな!」
執務机の向こうで立ち上がった辺境伯は、痩せた老人だったが、しっかりとした骨格と大きな手を持っており、若い頃は恐ろしく強く戦上手だったそうだ。本人が言っていたのだ
目を輝かせて俺を見ている老人に、俺はそっけなく首を振った。
「悪いが受けられない。明日にでも引っ越すつもりなんだ」
「な、なんだと!何処へ行くつもりだ!?」
老人は目を剥いて言った。
「もっと暖かい土地へ行く。雪も寒さも、もう飽きた」
俺は辺境伯にそんな物言いができるほど心易い関係になるまで、多くの依頼をこなしてきたのだ。もういいだろう。
しかし、ヨボヨボの辺境伯は、いかにも憐れな様子で懇願してきた。
「お、お、お願いだ。わしの時間も後短い。おそらくこれが最後の依頼になる。ランスロー!わしの最後の依頼をうけてくれ!領民達の為に、うけてくれ!」
目に涙を滲ませた年寄りを、ああ胡散臭いと思いながら眺めていた。
何がわしの時間も後短いだ。
何日か前に食事に呼ばれた時には、分厚い肉を噛み千切ってみせ「歯はまだまだ丈夫でな」と俺に自慢していたのだ。
「頼む!頼むランスローよ!」
元気いっぱいに懇願してくる老人を見ながら、後二十年は生きるんだろうなと思ったが、結局、最後の依頼とやらを受けてしまった。
熱演に負けたのだ。
それに、依頼内容を聞いてみると、領民も気の毒だった。
討伐依頼の魔物の群れは、狡猾なボスが率いているらしく、広い大雪原を荒らしまくり、町を二つと村を五つ潰し、辺境伯の城の近くまで出現するようになっていた。
イノシシ型の巨大な新種の魔獣の群れで、賢く、残忍で、臆病な性格だった。
辺境伯領の強い強い騎士団は、数ヶ月かけて果てしない大雪原を魔獣とぐるぐる追っ掛けっこをした挙げ句、一頭も討伐出来ないうちに、さらに村を二つ潰されたらしい。
「我々も、ただ奴らにしてやられていたわけではない」
辺境伯に命ぜられ、俺に魔獣の説明をした騎士団長の顔は屈辱で歪み、額には青筋が立っていた。
そりゃそうだ。
騎士団は失敗し、騎士団長が敬愛する辺境伯様は、胡散臭い冒険者の若造に討伐依頼をだしたのだ。
そりゃ青筋ぐらい立つよな、分かるよ騎士団長。
俺はなるべく誠実そうな顔をして頷いた。
無駄に敵を増やさない主義なのだ。
騎士団長はしばらく俺を睨み付けた後、やっと説明を続けた。
「あいつらの逃げ足があれほど早くなければ、とっくに我々が討伐していたのだ!しかし気配を読むのが上手い奴らで、罠は全て見破られた。いろいろと試してみたが、少しでも怪しければ出てこない。もちろん大勢で討伐に行くとさっさと逃げ出しでてこない。少人数で行っても出てこない。一人で行くと出てくるのだが、あいつらは群れで現れる。一人で敵う相手ではない。何人も潰された」
騎士団長は悲惨な何かを思い出したのか、両手の拳を握り締め、しばらく黙り込んだ後、
「強い一人で倒すしかないのかもしれない」と、俺を見た。
なるほど俺だ。
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それから俺は、半年がかりで切っていった。
最初は大雪原に一人でノコノコと出かけて行き、案の定現れた群れを切った。
避けて切り、切って避け、飛び上がって切り、蹴飛ばして切った。
最初の遭遇で群れを半分ほど切ったのだが、残りの半分には逃げられた。
放っておくと、また増えて最初からやり直しになる。
奴らが来そうな場所に当たりをつけ、雪に穴を掘り、あいつらが警戒心を解くほど長くそこに潜んだ。
雪洞の中で凍えずにすんだのは、奴らから剥ぎ取った毛皮のおかげだった。
奴らの毛皮は温かく、雪洞の中でも凍えることはなかった。
そんな生活に必要なものは、潰された村に行けば、強い目をした生き残りの村人がなんとしても調達してくれた。
俺は礼として、魔獣の肉や毛皮をごっそりあげた。
雪に潜み、奴らを切り、また穴を掘って奴らを待った。
俺は魔獣達に少しずつ勝っていったが、俺の体力も少しずつ削られていった。
へとへとだった。
しかしやった。
毎日奴らの事を考えていた。奴らの事を思っていた。
足跡から残り少なくなってきた奴らを一頭一頭見分ける事ができるようになっていた。
姿を見ると、胸に喜びが湧き起こった。
この気持ちは何だろう。
依頼から半年経ち、雪が舞い散る雪原に、何度も逃げられたボスらしき最後の一頭の巨大な姿が目の前に現れた時、俺は喜びに震えた。
そして思ったのだ。これは友情なんじゃないかと。
「友よ!」と俺は叫んだ。
友に会えた喜びで、俺の胸はいっぱいだった。
「俺もおまえもよく頑張ったな!」
しかしもちろんそいつも切った。
俺はその為にそこにいたのだ。
血飛沫を上げながら雪の上に倒れていく奴をみて、ああ、やっと終わったと思った。
寂しさが込み上げてきた。
いってしまうんだなと、死にゆく魔獣を眺めていた。
雪原に立っているのは俺だけだった。
とても寒くて、寂しかった。
雪が俺と魔獣の上に降っていた。
死にゆく魔獣の匂いが鼻についた。
すると何故か、思い出したのだ。
この辺境の地から遠く離れた、王都の下町にあるあの店の事を。
暖かい湯気漂う店内は、古い傷だらけのテーブルや椅子が置かれている。
ちょうど良い高さの椅子とテーブルなのだ。
客達はその椅子に座り、テーブルに肘をついて、好きな酒を飲みながら店の奥を眺めるのだ。
店の奥には大きな鍋がある。
そこで作られているのは、どの魔獣肉だか分からないゴツゴツとした肉を、なんだかよく分からない薬草や香料や根っこやらと煮込んだ料理だ。
その店の料理は、その煮込み料理しかないから、みんなそれを食べるのだ。
大きめの器にたっぷり盛られた煮込み料理が自分のテーブルに運ばれてくるのを、楽しげに眺めて待つのだ。
甘みのある脂身、肉汁、独特の噛みごたえが堪らなかった。
暖かいあの場所で、あの椅子に座り、テーブルの上に置かれた煮込み料理を食べた時の事が鮮明に思い出された。
口の中に、あの旨みがいっぱいに広がり、唾液が溢れてきた。
「そうだ。王都に行こう」
生きているものが俺しかいない雪原で唐突にそう思った。
「王都に行って、あれを食べよう」
俺の上にも魔獣の上にも雪が積もっていた。
俺は頭を振り、血のついた剣も振り、鞘に収めた。
そしてザクザク雪の上を歩き出す。
「店の名前は、何だった?銀。銀色。銀の。そうだ『銀の牡鹿亭』」