#15.もしかして楽勝……?
バリアント・ベアは、西の聖域から見てやや東寄り、森の中央付近を闊歩していた。
明らかに普通の熊とは違う、僕の三人分はあろうかという巨躯。
爪先は鋭く飛び出ていて、手というよりもこれそのものが兵器か何かのよう。
ずしり、ずしりと物々しく足音を立てながら四足で歩く様は、獣ではなく魔物の類なのではないかと疑いたくなるほどで、圧巻だった。
(参ったな……思ったよりも強そうだ)
あれくらいの大きさの化け物は、別に初めてではない。
サイズだけならそれこそ山にいた可哀想な怪鳥より小さいくらいなので、見かけただけで委縮するとか、そういうのはないけれど。
(ミースは大丈夫かな……)
遠巻きに眺めながら、まず心配するのは、ミースが恐慌状態に陥らないかだ。
僕にはそれほどでもない見た目でも、ミースには途方もない化け物に映る可能性もある。
ミースの気性を考えると、それでも半々くらいで「何よこんな化け物!」と却って奮起してくれる可能性もあるけれど、恐れをなして何もできなくなる可能性も無視はできない。
まずは、外見や特徴を的確に説明できるようにしたほうがいいだろう。
「あんな名無しちゃん。怖い物って、なんで怖いんだと思う?」
「突然何言ってるの? 強いからでしょ」
「ははーん、まあ、生まれついて戦場で生きてた名無しちゃんだとそうかもしれないけどさ、一番怖く感じるのって、強さとかじゃなく、『解らない事』なんだよなあ」
「解らない事?」
「そそ。例えば幽霊なんかは、幽霊って存在が何なのか正確に解らないから怖い」
「僕は怖くないよ?」
「他にも例えば、呪いとか魔法とか、そんなのも多分、それが何なのか分析できて対抗手段が取れれば、別に怖くもなんともないと思うんだよな」
「僕は別に怖くないけど……」
「女心とかもさー」
「エリクは怖がりだね」
「うるへー。少しくらい怖がりなくらいの方が、長生きできるんだよー」
不意に思い出した光景は、何の役にも立たなさそうな過去のひと時。
本物のエリクと二人、夜の番をしていた時の事だった。
あの夜は確か……隊長や他の人たちと一緒に怪談をしていて、エリクが一人でトイレに行くのを怖がってたんだったと思う。
(あいつは情けない奴だったけど、確かに解らないのは怖いよな)
こうやって未知と遭遇すれば、恐ろしさの根源がそこにあるのは明白だった。
そして、解らない事でも知ってしまえば、理解できて対処できれば、それは脅威でも何でもなくなるのだという事も。
『ぐぉ? グォォォォォ……』
すんすんと鼻を鳴らしながら、何かを探すように樹の上を見ていた。
そうかと思えば立ち上がり、バリバリと樹の皮を爪ではがし始めたので、ちょっと驚いてしまう。
(何やってるんだあいつ……?)
動物の事は、そんなに詳しくはない。
熊の習性とかも、図鑑である程度は学べたと思うけれど、いざ実物を前にするとやっぱり未知が多い気がする。
バリアント・ベアは、そのままバリバリと樹の皮を剥ぎ落とし、丸裸になった樹の繊維質に、長い舌を這わせてゆく。
(うん……?)
次第に、舌を這わせている辺りに、黒いものが集まってくる。
(アリか……? そうか、あの樹はアリの巣なのか)
樹中に営巣するタイプのアリなのだろう。
入り口を樹の皮ごと剥がされ、無遠慮に舐め取られてパニックに陥っているらしく、舌先にまとわりついてこの邪魔者を排除しようとしていた。
けれど、それはこの熊にとって都合がよく。
『ぶろん♪ べじゃ、ブジュルルルル……ズズッ』
たかってきたアリを、まるで果物でも味わうかのように口の中でこすり取り、圧殺して汁気を楽しんでいるようだった。
(そうか……あれが、バリアント・ベアの好物なのか)
アリにとっては災難だけど、食性が解ったのは大きい。
勿論、好物の一つなだけで、実は人間のはらわたが一番の好物です、という可能性もない訳ではないから、油断はならないけれど。
でも、餌が分かれば、誘導もしやすくなると思う。
それから小一時間ほど、頭上の雲の時計で確認しながら遠巻きに眺め、ある程度の習性を把握した後、帰還する。
時間の経過はそれほどでもなく、まだまだ余裕があるけれど、一度はミースに伝える必要があると思ったのだ。
聖域に戻ると、ミースは切り株に腰かけ、スケッチブックに何やら描いていたけれど。
僕が戻るや、「おかえりなさい」と立ち上がって出迎えてくれた。
「目標、見つけられた?」
「うん。森の中央辺りをうろついてたよ。しばらく観察してたんだ」
狩猟についてはそんなに詳しくないけれど、モンスター討伐と同じ感覚でいけるなら、習性を利用して罠にかけていけば、間接的にダメージを狙っていけると思う。
少しの間だけれど、バリアント・ベアの活動を見ていて、どうすれば上手く罠にかかりそうか、興味を引きそうなものは何かが解ってきた気がしたのだ。
「ちょっと、簡単に説明するね」
僕も切り株に腰かけて休みながら。
ミースに、目で見てきたものを説明していった。
「――なるほど、アリが好物なのね、バリアント・ベアって」
「そうみたいだね。熊って雑食なことが多いみたいなんだけど、こいつはアリばかり食べてたよ」
観察していた時間の大半は、バリアント・ベアが樹の表面をアリの巣ごと破壊し、アリを貪るという行動を繰り返すだけ。
他の動物の気配がないから何とも言えないけれど、多分、こいつはアリが主食なんだと思う。
「鋭い爪で樹の皮をはがして、中のアリを食べる……ってだけだと、なんだか人畜無害に感じるわね」
「うん……すごく大きいから安全な生き物って言われると釈然としないけどね」
実際アリを食べているときのあいつは、とても幸せそうで、なんだか狩猟するのが可哀想に思えてしまったくらいで、「これ、本当に用意された獣なのか?」と疑問を抱きそうになっていた。
「ただ、力は間違いなく強いし、身体もかなり大きいから……もし狩猟に失敗して、そのまま放置とかされたらそのうち村の方にまできて大変かもしれない」
あんな巨大な熊が村の中で同じようにアリ探しなんて始めた日には、家という家がズタズタに切り裂かれてしまう。
可哀想だから放置するかというのも、それは違うのだ。
「それで……作戦なんだけど」
「あ、ええ。エリク君は見ていて何か思いついたのね?」
「うん。アリの巣を使えないかなって思ったんだ」
「アリの巣を?」
「あいつは、それを餌にしてるから……適当なアリの巣の周りに罠を設置していけば、勝手にかかって弱体化してくれるんじゃないかなって」
あわよくばそのまま倒れてくれれば楽だけれど。
実際にそこにピンポイントではまるとは限らないけれど、上手く行の事を願って。
「それで、罠にかかったところを二人がかりで一気に、っていうのが思いついた作戦なんだけど」
「私はそれでいいわよ。いきなり対峙するのは危険でしょうし……魔物と比べてどっちが強いのか解らないけれど、命がけだものね」
命がけの戦いなのだから、やれることは全部やる。
これがずっと続く持久戦なら、森中に罠を仕掛けて回ってもいいくらいだけれど。
制限時間もあり、かつ相手は回復持ちとなると悠長なことはやっていられない。
一点限りの罠で大ダメージを狙い、更にそこから畳みかける。
「罠は簡易的な落とし穴。上手くかかれば足とかにダメージを与えられるから、そしたら這い上がろうとするあいつに投石してやって」
「エリク君は?」
「僕は、ミースに注意が行かないように意識を僕に向けさせるから」
わざわざ罠にはまった敵の手の届く場所に立つのは、自殺行為でしかないけれど。
まあ、上手くやりたいと思う。
「解ったわ。それじゃ、罠を作ってる間、私は周りの警戒をしてるわね」
「うん、お願い。ミースなら安心して任せられるよ」
ミースの監視能力なら、バリアント・ベアの接近くらいは察知できるだろう。
信頼を置かれていると感じたからか、ミースもちょっと照れたように「もう」と笑っていた。
「エリク君、足音が少しずつ……」
「うん、もうすぐだ……もうすぐ……」
落とし穴を掘り、中にフッドトラップを仕掛け。
いそいで樹の枝と落ち葉を落とし穴の上に敷いていき、隠してゆく。
穴そのものはそんなに深く掘らず、足だけを狙い撃ちできればいいくらいの感覚で適当に掘った落とし穴だ。
だけど、掘ってる間はちょっと懐かしい気持ちになっていた。
「よし、隠れよう」
「ええ」
熊が来そうな方向から離れ、風下になるような場所で二人、身を潜める。
『ぐぉぉぉ……ぐぉぉぉぉ……スン、スンスンスン……』
ほどなくバリアント・ベアが近くに現れ、あの特徴的な、鼻を鳴らす動作に入った。
(気づくな、気づくな……)
鼻の利く動物は、人間のにおいに気づき、容易に見つけ出してしまう聞くけれど。
幸い、バリアント・ベアは鼻がアリ特化になってしまっているのか、あるいは最初から興味もないのか、目をらんらんとさせながら罠の樹へと向かっていった。
『ぐぉ……っ!? ピギィャャャャャャャャッ!!!!』
先ほどまでの野太い叫びと完全に異なる、まるで小動物か何かのような高い鳴き声。
見事右前足が落とし穴に落っこちて、中のトラップに足を貫通されていた。
「よし……っ」
直後飛び出す。
風下からの強襲。バリアント・ベアはそれに気づくのが一瞬だけ遅れる。
「――はっ」
胴を薙ぎ払う。
『ぴぎぃっ!? ぎぃぃぃぃぃ――』
初撃から容赦しない。
油断もしない。こいつは、僕を殺しうる化け物だ。
だから、僕も全力で狩らないといけないのだ。
『――ぐぎゃうぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!』
身の毛もよだつかのようなクライが僕の鼓膜を痛めつける。
「ぐっ……しまっ――」
油断した訳ではなかった。
けれど、巨躯から繰り出される至近距離からの叫びは、僕の身体を激しく揺さぶっていた。
僕一人で挑んだのではとても大きな隙。
致命的過ぎる隙だった。
けれど、僕は確信していた。
《パシィッ》
『ぎびぃっ!?』
バリアント・ベアの後頭部に、高速で投げ飛ばされる石。
それが見事なまでに綺麗に決まった不意打ちだったから、僕は「ないす」と褒めた。
ミースもまた「やったわ」と、嬉しそうに笑っていた。




