#5.ヒルガルデは二度死ぬ
「エリクさんに大事なお話があります」
湖から戻った翌日の事。
やはりというか、またしてもというか、アーシーさんが家を訪れた。
なんとなく来そうな気がしたので「お昼は僕が作るから」とカレーを作って早めに食べたのが功を奏し、団らんの時間に来られるのは回避できた。
「……絵のお勉強、ですか?」
「ええ、まあ」
そして今の僕はというと、空いた時間で絵を練習していた。
ミースはいない。というか昨日の事で怒られてそのまま。
機嫌が悪いのかバツが悪いのか、朝もほとんど話さずにどこかへ行ってしまった。
おかげで昼食時はミースの分も用意したのに、プラウドさんと二人で食べててちょっと寂しかった。
「思い付きでミースを描いたら、ヘタ過ぎて怒られてしまって」
「あらあら……エリクさんは色んなことを試すのね。でも、まあ、あの娘の絵は、お母さんから教わって、子供のころからずっと描き続けたものでしょうから……」
本気のレベルが違う、ということだろうか。
ミースのお母さんは絵を描かない人だと思ったけれど。
「すみません。今はとにかく、練習しかないと思ってて」
「そうですね。上手になって、ちゃんとした絵を描けるようになれば、あの娘も認めてくれるでしょうし……」
全く話をしてくれない訳でもないし、時間が経てばきっと許してくれると思うけれど。
でも、上手くなるまではミースをモデルにできないと思うと、できるだけ早く上手くなりたいと思うものだ。
今は、そのモチベーションが僕を駆り立てている気がした。
「それで、アーシーさん、大事な話っていうのは?」
「ええ、それなんですが」
絵を描く手を止め、アーシーさんの様子を窺う。
やはりというか、話しにくいことのようだった。
「そういえば昨日、賊と思しき男を一人倒したんですけど」
なので、先に話を持ち出す。
これくらいなら実際にあったことだし、多分偉い人からも指摘はないはず。
「あら、そうだったのですか? 実は私が話そうとしたのもその賊に関することで……実は、湖で賊を見かけたという人が居まして」
「ああ、やっぱりそうなんですね。もしかして他にも?」
「恐らくは……ただ、その賊は少ししたら見かけなくなったというので、多分エリクさんが倒したという賊だったのかしらね……そうだといいのだけれど」
賊の数など少ないに越したことはない。
それにしても、春に一度討伐したのにまた現れるとは。
これは、もう一度討伐に出向かなくてはいけないか。
「それにしても、早速一人倒してくれていたなんて、流石エリクさんね♪」
かっこいいわ、と、ニコニコ顔で褒めてくれるのは素直に嬉しいと思える。
ほとんど勢いで倒したようなものだけれど、倒しておかないと何が起きるか解らないし。
(そういえば前の時も、女物の水着を着た時に現れたな。毎度そうなのか。もしかして季節ごとに? そういえばモンスター襲撃の時にも賊がいたな……)
賊がモンスター扱いなのはともかくとして、定期的に出現する、ということなのだろう。
アーシーさんもその可能性は考えているようで、「だけれど」と、真面目な顔に戻る。
「賊が一人でいるはずがないから、必ずどこかに拠点を作っているはずよ」
「例えば、西の森……とか?」
「そうかもしれないわね。後は、山の方にとか……」
山の方はないだろうな、と思いながら、西の森にいるであろう賊を思い出す。
「そういえば、春に倒した盗賊のボスが、弟がいるみたいなこと話してたような」
「まあ、では兄の仇討ちか何かできたかもしれないのね。エリクさん、これは危険だわ」
アーシーさんの警戒も解らないではないけれど、今回の賊のボスが僕が知っている奴なら、仇討ちとかそんなのとは関係なしに野営しているだけだと思う。
勿論、そんな場所に野営なんてされたら村の人が危ない目に遭いかねないので、速攻で潰さないと。
「それじゃ、ちょっと行ってきますね。森を探索してきます」
「お願いして大丈夫ですか? 遊びに行った翌日で、疲れているでしょうに……」
今すぐじゃなくてもいいのよ、と、気遣いの言葉に温かみを感じながら。
けれど、僕自身やることが決まっているので、「大丈夫ですよ」と、笑って見せた。
「……弱いなあ山賊。山賊弱いなあ」
「ぐふっ……こ、この、山賊王ヒルガルデが……」
案の定というか、山賊のボスヒルガルデを倒すのは余裕だった。
明らかに盗賊王モーニガルデの方が強い。
というか従えてる賊がまず少ないし弱い。罠の数も少ない。
やる気があるのかと説教したくなるくらいに野営にやる気がない。
盗賊王の時にはミースの投石があったから倒せた部分も大きいが、今回は手伝いなど要らないレベルで瞬殺だった。
「落としたアイテムも……鉄鉱石か」
鉱区に入る前なら貴重な鉄の材料も、今となっては駄々余りしつつある、いくらでも手に入る石でしかない。
それでもお金にはなるけれど、手に入ったのは微々たる量なので誤差の範囲内。
(そもそもお金に困ってないんだよなあ)
大量のグリーンストーンといくつもの畑を用いての大量生産農法。
結果的に市場に沢山の作物を出回らせ、作物の価格を大幅に下げることにも成功した。
村の人たちも、自活できる分の食料を自力で作れるようになり、その上で余剰分を多めに売れるので、前よりは生活が楽になっているという話をよく聞くようになったし。
リゾッテ村だけじゃなく、更に遠方の村の支援も進んで、各地に共助の輪が生まれ始めたのは、いい流れだと思うのだけれど。
結果として、お金が大量に余っている。
(……村中の畑を買い占めても余裕の額になってきたなあ。どこにこれだけのお金があったんだろう)
商人ほど商売の知識に詳しくはない僕でも、お金の流れというものは最低限は解っているつもりだし、お金が無限に存在するとは思っていない。
僕の手元にある大量のお金はつまり、元々商人たちが持っていたか、あるいは誰かしらが貯めこんでいたお金、という事になる。
けれど、例えば作物を扱っているシスカはそこまで大きな商売をしている様子もないし、いくら儲け始めていると言っても、そんな莫大な儲けを出したという話も聞かないしで、「どうやって僕の作物を買い付けられるだけの額を用意したの?」と疑問に思う時があった。
その時はシスカを助けたいという気持ちもあったので聞いたりはしなかったけれど、何か、そう、歪な流れがあるんじゃないかと、そんな気がしてきたのだ。
(もしかして……僕は、とんでもない事をしでかしているんじゃ)
あるいは、僕ではなく、アリスや、今の人生で聞こえてくる『天の声の人』か。
いずれにしても、ガンツァーの警戒の為もあって進めた「人間同士の争いの元」を無くす、あるいは減らせる状況になってきているのは確か。
これは良いことだと思うのだけれど……
「……終わってるし」
物思いにふけっていると、聞きなれた声。
顔をあげると、ミースが居た。
「やあ」
「やあ、じゃないわよ」
抗議めいた視線。どうやら勝手に出かけたことに怒っているらしい。
「いつの間にかいなくなって……エリク君、もうちょっと考えなさいよ」
「プラウドさんには言ったよ? 聞いてない?」
「聞いたから追いかけたの! 人が居ない間に勝手に決めて、勝手にこんなところまできてっ」
いつもよりちょっと感情が溢れてるような気がする。
いや、ある意味で最初の人生で出会ったばかりの頃のミースっぽくて懐かしさすら感じるのだけれど。
でも、胸がずきずきと痛む。
「心配してくれたの?」
「――っ、バカっ、うぬぼれないで!!」
きっと心配してくれたのだ。
そういえば、ミースはいつも心配してくれていた。
最初の人生ではそうだった。
では今は?
今の人生でも、ミースはやっぱりついてきてくれたのだ。
相棒みたいに感じるくらいに、何度も。
なのに僕は、一人で来たのだ。来てしまったのだ。
それがミースには辛かったのか、悔しかったのか、悲しかったのか。
でも、目の端に涙を浮かべているのを見て、後ろに突き出している拳を震わせているのを見て、「ああ、僕はまたミースを泣かせたのか」と、酷く辛い気持ちになった。
「ごめんよ」
だから、素直に謝って。
そして、ミースを抱きしめる。
これは、やっちゃいけないことなのかもしれないけれど。
もしかしたら、もっと色々と……段階を踏まないと偉い人に記憶を消されてしまうのかもしれないけれど。
でも。やりたかったのだ。
抱きしめて、もう一度「ごめん」と言って。それから。
「下手な絵を描いたから、ミースが怒ってると思って」
「当たり前よ」
「だから、顔を合わせづらくって」
「それは私も一緒」
そう、一緒だったのだ。
どちらかが歩みよればすぐに仲直りできたかもしれないことを、なんとなく居心地が悪くて、互いに距離を開けてしまっていただけ。
「でも」
腕の中でミースが見上げてくる。
「勝手にエリク君がいなくなったら、残された人はどうなると思うの? 辛いでしょ?」
『なら、好きにしなさいよ! 別に止めに来た訳じゃないし――ただ、誰も知らずにいなくなったなんて、ロゼッタがあんまり可哀想だから確認の為に来ただけだし!! 』
――そうだ。知らずにいなくなったっていうのは、ミースにとって、あんまりに辛いことなんだ。
それがなんでなのかは僕にはわからないけれど。
でも、好きな女の子を悲しませてしまう事なんだと思えば、途方もなくバカらしく感じてしまい。
だから、つい口角が吊り上がる。
「はははっ」
「な、何よっ、何がおかしいのっ!? 私、そんなおかしなこと言った?」
笑われたのがよほど許せないのか、ミースはすぐに僕の腕を振りほどいて、僕の肩を掴む。
でも、その力はとてもか弱くて。
そして、僕は振りほどく気もないのだ。だって、嬉しいから。
「ミースがデレた」
これに尽きる。
「は、はぁっ!? 何言ってるのよ貴方!? バカにしてるの!?」
「だって、僕がいなくなったら悲しんでくれるんでしょ? 悲しいと思ってくれるんだ、ミースは」
いいや違う。ミースは最初からそうだったのだ。
こんなにうれしいことはない。
そうか、だからか、と。
納得して、そして、この子を愛しいと思う気持ちが、一気に広がっていった。
晴れがましい。なんて素晴らしい人生なんだ、と。
「そ、それは……それは、おかしなことじゃないでしょ! なんで笑ったのよ! おかしいんじゃないの!?」
「そんなことないよ。ミースが僕を心配してくれたのが嬉しかったんだ。それを喜ぶのは、そんなに変かい?」
「な……エリク君、なんか人格変わってない? なんか、意地が悪く感じるんだけど……?」
変わってなんていない。
ただ思い出したのだ。僕なりの、ミースの愛し方を。
「もう、変なエリク君! ほら、討伐が終わったなら早く帰りましょ!」
「絵は描かないの?」
「……スケッチブック、忘れちゃったわよ」
何より大事なもののはずのスケッチブックを忘れてまで、僕を追いかけてきてくれたのだ。
ミースの中の優先順位が、初めてスケッチブックより上になったのではないか。
これは……胸にクるものがある。
やった。僕はやったんだ!
「こんな日はカレーを食べないと。お祝いしないと」
「か、カレー? 昼も食べたんじゃなかったの? パパはそう言ってたけど……」
「ミース! 美味しいものは、何回食べてもいいんだよ!!」
幸せは決して減らないのだから。
だって、夕食にはミースがいるのだから。
絶対楽しいに決まってる。美味しいに決まってる。
「まあ、エリク君がそれでもいいなら……ほんと、時々変な人になるわよねえ、貴方って」
どうしてなのかしら、と、ため息交じりに受け入れてもらえる。
なんだかもう、それが当たり前になってきたのだ。
そういう関係になれている。喧嘩をしても、仲直りできる。
そういう安心感が、ようやく生まれてきたというか。
僕達の関係がようやく、僕の望んだように進んでいるように感じられて、なんだか先が楽しみになってきた。
辛いことばかり、怖いことばかりじゃないんだと、そう思える現実がある。
それが、今の僕には何よりも必要だったのだ。
《ううん……? アリスのカレーを食べてる間に、山賊ボスが倒されてる……? あれ、ミースと二人で倒したのかな? ま、それくらいは余裕かなあ》
偉い人の声もなんだか僕に都合が良さそうなのもありがたかった。
《それじゃ次はメリウィンかなあ。まだ誰ともフラグ立ってないから結婚は無理だけど》
挫折がそこにあった。
絶望が目の前に広がった。
僕はその場に、崩れ落ちた。
「えっ、えっ、ちょ、どうしたのよエリク君!? 急に!?」
《カレーの食べ過ぎで胃がやられたのかな? 大丈夫だよエリク君! 君はお腹が痛くても排泄なんてしなくてもいい身体なんだ! だから痛くても痛みが薄れるまで繰り返されるだけで勝手に治るからね!!》
地獄のような人生だった。
こんなタイミングでそんな酷い仕様を説明しないでほしい。
楽しい気分が台無しだ。台無しすぎた。
「大丈夫……? 背中、さするわね。肩貸す? とりあえずその辺りの切り株にでも……」
「ううん、大丈夫だよ」
とっても心配そうに親身になってくれるミースに心底癒されながら、なんとか立ち上がって、僕はミースと二人、歩き出すのだ。
よれよれとした足取りだけれど。でも。
奇祭を乗り切らなければならないから。




