#14.『エリク』は死にました
そこは、戦場だった。
侵攻してきた隣国・大エストラ共和国と、僕達エレニア王国、そして、両軍の衝突に触発され、その場に集ってきた多数のモンスター軍。
三者がぶつかり合い、命を削り、奪い合い、殺し尽くす、地獄のような世界。
「いや、参っちまったな」
そんな戦場の中、本当のエリクが、僕の前で横たわっていた。
深い塹壕の中、敵方の大砲の砲弾が近くに着弾するが、その衝撃にすら慣れていて。
だというのに、僕は、そいつが死んでゆくのを見るのに、慣れられなかった。
「とどめ、さす?」
早く楽になりたい奴は多い。
エリクもそうなんじゃないかと思って、僕はショートソードを振りかぶる。
「もうちょっと待ってくれ……ああ、痛みは薄れてるから。それよりもさ……名無しちゃん」
「なに?」
はあ、と、深い息と共に、エリクは右手を差し出してくる。
「タバコ、くれねえ? 落としちまった」
そんなものどこにもないよ、と言えず、その辺に落ちていた草の束をよって、「はい」と手渡す。
「ありがと……かー、何だよこれ。草たばこかよ。クソだな」
「タバコなんて吸えないでしょ? 吸ってるの見たことなかった」
「……まあ、吸ってみたかったというか、死ぬ前に一度くらいは、というかさ」
意外としゃべれる瀕死のエリクに、けれど僕は皮肉ばかり口にしてしまう。
もっと、話したいこともあったはずなのに。
死ぬなとか、もっと生きてくれとか、教えてほしいことだってあったはずなのに。
なんで僕は、そんなバカなことばかり、普段と変わらない事ばかり口にしていたのか。
「ま、いいや……あー、痛ぇ」
「痛み、薄れてたんじゃないの?」
「強がりに決まってるじゃん……痛ぇよ。すげえ痛ぇ。横っ腹にまともに喰らっちまった、これはもう助からねえ」
助からないのは見てて解っていた。
血が止め処なく溢れ、今も彼の横たわっている地面を、赤に晒している。
「他の奴が死んでるの見てもよ、実感なんて沸かなかったけど……いざ自分がってなると、これ、結構怖いんだなあ……ああ、目の前が暗くなってきた、やべえ、ほんとやべえわこれ」
「……エリク、うるさい」
そういえば、死なずに済むんじゃないかと。
もしかしたら、怒りだしていくらか怖さが薄れるんじゃないかと、わざと嫌な奴になるけれど。
でも、そんなの意味がなかったようだった。
「なあ名無しちゃん、俺さ、故郷に残してきた子がいて」
「……」
それが彼の遺言、のようなものなのかと思い、最後の言葉として、聞き届けることにした。
「いや、嘘だよ嘘。死ぬ前に見栄張っても仕方ねえもんなあ……好きだった娘がいたんだ。ずっと、片思いで、その子はとっくに結婚する相手決めてたのにさ」
「負け犬」
「そうだな、負け犬だ」
「未練なの?」
「すごく未練だ。だって、すげえいい女でさ。皆から人気で、村の男どもみーんなその子が好きだったんだぜ?」
特別エリクだけがそうだったのではなく、村の皆がそうなのだと言われれば、確かにそれは、すごい女性なのかもしれない。
けれど、恋に興味もなかった僕には、彼の気持ちなんてわからなかった。
「俺がリゾッテ村から来たってのは、前に話したけどさ」
「忘れた」
「おぼえてろよー……ああもうしんどいなあ。最後の言葉だぞぉ?」
「死ぬ奴は普通、そんなにしゃべらないから。エリクはきっと、死なないんじゃないかな?」
言ってしまった。
そんな事言わなければいいのに。
言わなくたって解ってるだろうに。それが、ただの願望なんだって。
言ってしまったからか、エリクは、にい、と、口元を歪めた。
「なんだよお前、普通に悲しんでくれてたのか……ああ、よかった」
こいつがそれを求めていたことくらい、わかっていたはずなのに。
言った瞬間、それがそういう事実なんだと、気づいてしまうんだと。
自分はもう助からないんだと、ずっと茶化して現実逃避してたエリクが、本当に死を、受け入れてしまうのだと。
「なあ名無しちゃん。リゾッテにはさ、ブスで性格悪い女が多くてよ、いい女はほんと、奪い合いなんだよ。そんな中でも、ピオーネは最高にいい女だった」
「……そう」
「ああ、またピオーネに会いてえなあ。恋が叶わなくてもいいんだ、あの笑顔を、また見たい」
叶わぬ願望だと解っていながら口にするそれに、僕はなんと応えればよかったのか。
「……」
結局、どう応えればいいのか解らないまま、僕はじ、と、エリクの顔が白くなっていくのを見ていたのだ。
一度は下げた、ショートソードを持ち上げながら。
「ああ、まだ死にたくねえ……隊長、名無しちゃん、みんな……おれを、みすてないで、くれ――」
「見捨てないよ、おやすみ」
それが最後だと。
焦点の合わない眼でうわごとを呟くエリクを見て。
それ以上は残酷だと思って、僕は、エリクにとどめを刺した。
「……昼か」
目が覚めればベッドの上。随分と陽が高くなっていた。
どうやら力尽きてそのまま寝入ってしまったようだけど、今がどれくらいの時間帯なのか気になる。
「あら、エリク、起きたのね。よかったわ」
すぐにロゼッタが気付いてくれて、僕のところにやってくる。
胸にはジュニアを抱いていた。
どうやらお昼寝の時間だったらしい。
「さっきまでジュニアにご飯を食べさせてあげていたの。とっても可愛かったんだから」
「それはもったいないことをしたなあ……ちょっと、バカなことをしちゃったみたいだ」
「夜更かししてたの? 眠れなかった? もしかして、私が先に疲れちゃったから――」
「ううん、そういう訳じゃない。ちょっと、疲れすぎて却って寝られなかったというか」
つまらない嘘だとは思いながらも、ガンツァーの事をわざわざロゼッタに聞かせるのもどうかと思ったので、これは仕方ないな、と思う。
そんな呵責に気付かないまま、ロゼッタは「そういうことってあるわよね」と納得してしまう。
申し訳ないという気持ちと、この真実をどこまでしまっておいていいものかという迷いとが生まれ、何とも言えない重い想いが、胸の中に溜まってしまっていた。
「ちょっと、用事を思い出したから出かけてくるよ」
「大丈夫? 疲れているなら、無理しなくても――」
「ううん、大丈夫だよ。今やりたいことだから」
ただこの場を抜け出したかった。
ロゼッタの純粋な瞳の前にいるのが、なんだかとても悪い気がしてしまって。
自分の心のまま、今は静かな場所に居たいと思ったのだ。
ロゼッタも何かを察したのか、「そうなの」とだけ答え、それ以上は追及も止めもしてこなかった。
僕は「帰ったらお昼を作ってね」とお願いして、ロゼッタの機嫌を取った。
それだけで、ロゼッタはまたいつもの笑顔で「ええ、わかったわ」と笑ってくれるのを知っていたから。
「……そういえば、あいつの想い人が、リゾッテ村にいたんだっけな」
今もいるのかも解らない、ピオーネという名の女性。
リゾッテが襲撃された今となっては、既に亡くなっていてもおかしくはないけれど、折角戻った記憶を、辿ってみるのも悪くないと思った。
あいつの死が、ただ無意味なままだったとは思いたくないから。
「こんにちは、シスター」
「あら、エリクさん……先日はお疲れさまでした」
リゾッテ村の生き残りの人たちは、全員が行商の人の馬車で教会に運ばれた。
酷い負傷をした人や、心の傷を負った人ばかりだという話で、今はシスターに傷をいやしてもらい、少しでも平穏な日々を送れるよう、カウンセリングを受けながら暮らしているのだという。
今も、何人かが聖堂の中で女神像に祈りを捧げているようだった。
「リゾッテ村の人って、今はどんな感じですか?」
「あの方たちですか? まだ傷が完全にふさがったわけではない方も多いですが、運ばれた当初と比べれば、全員が命の危険からは免れたと言って良いでしょう……」
これも女神様の思し召しですわ、と、手を組み祈りを捧げるシスター。
僕も同じようお祈りのポーズをして見せる。
それだけで、シスターはにっこりだ。
「あの方たちだけでも助けられてよかったです。ただ、そうは言ってもモンスターの襲撃を受け、親しい方を目の前で失ったり、恐ろしい目にあったりもしたでしょうから……しばらくは、落ち着ける環境で暮らさせたいですわね」
「では、しばらくはまだ教会に?」
「そのつもりです。ですが、ずっとという訳にも……私も、できる限り助けられたらとは思いますが……」
普段、無駄を望まず清貧を志すシスターとしては、突如降って湧いた負担増はかなり厳しいものがあるのだろう。
先立つものがなければ、被害者たちをいつまでも住まわせる訳にもいかないのも仕方ない。
「とりあえず、当面の間はこれを……」
「まあ、寄付をいただけるのですか? エリクさん……」
手持ちにあったお金の大半を、シスターに手渡す。
シスターは感激したように目を潤ませ、僕に向けて膝をついた。
「シ、シスター、そんな……」
「ありがとうございます。エリクさんのお心遣い、そしてあの方々への慈悲、決して私、無駄には致しません!」
そこまで感謝されるとむずがゆいものを感じる。
モンスターの群れを倒して得たお金なので、これに関してはあぶく銭に過ぎないのだ。
それでも、有効な使い方をしてくれるならその方がいいかと考えた。
「今はまだ無理ですけど、そのうち被害者の人も住めるような家とか、用意できないかアーシーさんと相談しようと思います」
「まあまあ……重ね重ね、エリクさんのご慈悲には感激させられますわ。ええ、どうかよろしくお願いしますね」
まだ何も決まっていないし、何もできる訳ではないけれど。
それでも、前向きに考えられたらと思う。
それによって、リゾッテ村の人が少しでもこの村に居場所を確保出来たなら。
そう思いながら、僕は教会から出ることにした。
「……」
去り際、女神像に祈りを捧げていた内の一人が、僕の事をじ、と見つめていたような気がしたけれど。
それがなんでなのかは、結局わからずじまいだった。
(そういえば、ピオーネさんがいるかどうかとか、聞いてなかったな)
そんなことを考えながら、アーシーさんの元へと向かう僕だった。




