#3.いざ畑へ
あれから一日かけてロゼッタに見てもらいながら頑張って、なんとか歩けるようになった僕は、翌日の朝、初めて家の外に出ることになった。
「よかったね。これでエリクの世界が広がるわ」
ロゼッタはにこにこと可愛く微笑んでくれるが、僕にはいくらか不安がある。
家の外がどんな風になってるのかも気になっていたし、畑がどんな感じなのかも詳しくはわからなかったからだ。
そうして入り口のドアを開け、開いた僕の視界に映ったのは――思った以上の絶望だった。
家の前の畑は、予想以上に広かった。
ただの畑というよりは農場と言えるくらいで、たくさんの作物が作れそうなスペース、それから井戸が近くにあったのも大きい。
周りは頑丈そうな白木の柵で囲まれていた。
ロゼッタに借りた本を読む限りでは、かなり恵まれた立地条件だとは思う。
だけど、畑の中身が酷すぎた。
雑草は生え放題だし、いたるところに岩やら木っ端やらが突き刺さっていた。
足を踏み入れるにも勇気がいるくらいに荒れ放題だったのだ。
「こんなところに倒れてたんだ、僕……」
「うん……」
命の恩人の家の畑を「こんなところ」扱いしてしまうのは失礼かもしれないけど、どう言い回しても同じ意味でしか伝わらない気がする。
確かに、こんな畑ではなんにも出来ないだろう。
ロゼッタも居心地悪そうにそっぽを向いてしまっていた。
「その……ロゼッタ一人じゃ無理でも、誰かに手伝ってもらったりとかは無理だったの……?」
女の子一人じゃ確かに草むしりもロクにできないだろうが、人手さえ集まればなんとかなるのではないか。
そんな風に考えてしまうが、ロゼッタは首を横に振っていた。
「村に、若い男の人が全然いないから……女の人も、動ける人は皆仕事で忙しいし……嵐や洪水の度にどんどん色んなところから岩とか木片が飛んできたり流れ着いきて、もう無理かなって」
人手が足りないの、と、どこか申し訳なさそうに俯きながら。
そんなロゼッタに、僕はギリギリと胸を締め付けられるような気がして、だから。
「――よし!!」
僕は、荒れ果てた畑に踏み込んだ。ダイブした。
「わぶっ」
そして、顔面から雑草の中に倒れこんだ。
「えっ? エリク、一体何を――」
ロゼッタは驚いた様子で見ている。当たり前だ。奇行にしか見えないだろう。
だけど、それで気は惹けた。空気が変わった。十分だった。
「この畑、僕に貸してくれないか? 雑草を引き抜いて、岩をどかして、木をどこかにやってさ。それで、何か育てるんだ」
起き上がりながらに、提案する。今さっき思いついたばかりの、大切な提案だ。
「貸すって……エリクが畑を? でも、そんな――」
「ロゼッタの役に立ちたいんだ。でも、僕には何ができるか解らない。だからせめて、身体を使って出来ることから始めようって、ずっと考えてたんだ。僕に、やらせてくれないかな?」
農業の心得なんてほとんどない。この二日間、本で軽く読んだ程度だ。
体力もまだそんなにないだろうから、無茶もできないだろうけど。
でも、それでも歩けさえすれば大分違う。こうやって外に出られた。動ける。なら、出来る事だってあるんだ。
「勿論、ロゼッタがダメって言うようなら、別の方向で考えるけど……」
「それは……恩返しとか、そういうつもり?」
驚いていたロゼッタはしかし、考えるように口元に手を当てながら、おずおずと僕に近づいてくる。
かさかさとした草の音が、風に揺れて大きな波になる。緑の波だ。
「それもあるけど。でも……このままじゃいけない気がして」
それは、ロゼッタが僕を助けてくれたのと同じ理由。放っておけないと思ったのだ。
このまま今以上に動けるようになって、記憶を取り戻して、どこかにいけるようになったとして。
でも、この畑をそのまま放っておいてロゼッタから離れてしまうのは、なんとなく、ダメな気がしたのだ。
「――そう」
噛み締めるように間を置いて、ロゼッタは口元を緩める。
「解ったわ。それじゃ、この畑をエリクにお任せします。頑張って、エリクなりの畑を作ってください」
にっこりと微笑みながら、髪を束ねていた赤いリボンを解いて、僕に渡す。
亜麻色の長い髪が風にサア、と、揺れたのに、つい眼を奪われてしまった。
「これは……?」
照れ隠しに、受け取ったリボンをまじまじと見つめる。
今は、視線を逸らせたのがありがたかった。
「この畑を貸しますよ、という証です。村の人に、また作物泥棒扱いされたら大変だろうから、肌身離さずつけていてね」
これが私のトレードマークだから、と、はにかむ。
なんとなく嬉しかった。村人が見てそれと解るようなものなら、きっといつもつけてるような大切なものだろうに。
ロゼッタのその信頼が、笑顔が、とても眩しく僕を元気付けてくれる。
「――よし、やるぞ!」
気合は十分。ようやく、ただお世話になるだけじゃなくなったのだ。
動けるって、素晴らしい。
「はぁ――意外と、動けるものだなあ」
陽も昇りきった頃、僕はくたくたになりながら引き抜いた雑草の山をベッドに、横になっていた。
全体の大体十分の一くらいだろうか。無我夢中でやっていたので、身体に限界を感じるギリギリまで気づかなかった。
キシキシと腕や腰が痛むけど、半日かけてこれなら、案外早い段階で畑全体を使える様にできるかもしれない。
喉はカラカラだけど、心地よい疲れが眠気を誘う。陽射しは強いけれど、そんなのも気にならないくらいに。
「――畑ってのは結構面倒なもんでな。ちょくちょく生える雑草を引き抜いたり、種や作物の芽、実なんかを食いに来る獣の対処も必要だし、土の面倒を見てやらなきゃいけねぇんだ。嵐や洪水の後なんて悲惨でな。一日二日かけて、必死になって元に戻すんだよ」
気がつけば、また、あの赤い世界だった。
この間見た夢の続きだろうか。
不思議と昨日の夜には見なかったが、やはり顎髭の男は楽しげに笑いながら、僕と食事を取っていた。
「でも、そうやって手間をかけてやればかけてやっただけ、畑は恵みを見せてくれる。だから、これを忘れちゃなんねえんだ。これ、農民の基礎知識な」
「そんなの聞いても、僕は農民になるつもりはないけど」
まだ子供の僕は、男の言葉を素直には受け入れない。反抗していた。
「そう言うなよ。結構楽しいんだぜ? それに、沢山働く男はモテるぜ? 美人の嫁さんも貰えるかもしれん」
俺みたいにな、と、ニカリと笑うのだ。
「また隊長の嫁自慢が始まったぜ。皆来いよ」
不意に、視界の外から別の声がした。
見れば、顎に傷の付いた若い男。服装はちょっとだらしがなくて、ズボンが垂れてる。
「がははははっ、女を知らんお前らにも、ちょっとくらい家庭を持つ幸せってもんを教えてやってるんだよ。そんだけだ」
「そんな事言って、ただ美人の嫁さんもらって可愛い娘さん儲けたって自慢したいだけじゃないスか。俺もうソラで言えるよ?」
にやにやしながら僕の隣に座ったその若い男は、皮肉げに隊長と呼ばれた髭の男に笑いかける。
「ばーか、自慢は何度だってしていいんだよ。胸を張れ。沢山伝えろ。俺達は、生きている!」
これほど素晴らしい事もあるまい、と、豪快に笑う顎髭の男は、なるほど、人生を楽しんでるんだろうなあ、と、ちょっと羨ましく思えてしまった。
「――エリクっ」
気がつけば、ロゼッタがいた。
膝に手を付いて、上から僕を見下ろして、なにやら心配そうな顔をしていた。
ああ、そうか、と、半身を起こしながら照れ笑いする。
「ごめん、なんか、疲れて眠っちゃってたみたいだ」
もしかしたらそれは疲労の末の気絶だったのかもしれない。
気温は高めだし、陽にあてられて不味い事になってたのかもしれない。
だけど、ただ眠ってたことにする。幸い、くらくらしたりもしないし、腕や腰の痛みも大分薄れていた。
「……もう。様子を見にきたら倒れてるんだもの。私、びっくりしちゃって――」
ロゼッタはと言うと、ほっとしながらも頬を膨らませて可愛らしく僕をにらみつける。
「でも良かった。本当に大丈夫そうね。それに、すごい雑草の量……」
そうして、すぐに機嫌を直してくれたのか、視線は既に僕のベッド代わりになっていた草の山に移っていた。
「私なんて、何日もかけてやっててもこの半分もできないのに……やっぱり、男の人はすごいなあ」
ほう、と、感嘆したようにため息を吐きながら、雑草と僕とを交互に見るロゼッタ。
「どうも、体力の配分がまだ良く解らなくって。張り切りすぎちゃったのかもしれない」
褒められてるのは嬉しいんだけど、その結果として意識を失ってしまったのはちょっと恥ずかしい。
動けるからと無理に動きすぎるのは良くないのだと、これから学べたらと思う。
「あのね、エリクが雑草を抜いてくれてた間に、うちの物置からお父さんの使ってた農具を出してみたの」
昼食の時間。テーブルを挟んで、ロゼッタとの楽しい時間が流れていた。
「農具……?」
「うん。クワと斧とカマなんだけど……ちょっと古くなっちゃってるけど、良かったら使ってみる? 素手でやるよりはずっといいはずよ」
まだやる事は一杯あるだろうけど、と言いながら、小さく首を傾げて僕の反応を待つ。
「ありがとう、でもいいの? その、君のお父さんの、大切なものなんじゃ?」
ロゼッタの父親があの畑で作物を作っていたのなら、農具は大切な仕事道具だったはずだ。
それを赤の他人の僕に貸すのは、ロゼッタ的に良いのだろうか?
そんな、ちょっと難しそうな疑問は、だけど、ロゼッタにはあまり関係ないらしく。
「大丈夫よ。だって、道具は使う為にあるんだもの。物置で埃をかぶって錆びていくより、新しい持ち主に使ってもらったほうが、きっと幸せだから」
道具の気持ちになって考えましょう、と、にっこり笑う。
「解った。それじゃ、ロゼッタのお父さんの農具、ありがたく使わせてもらうよ」
「……うん。それじゃ、ご飯を食べたら見せるから――スープ、お口に合う?」
なんとなしに葉物のスープを食べていた僕に、ロゼッタはさっきとは違う意味合いで見つめてくる。ちょっと不安げに。
「美味しいよ。ロゼッタの作るものなら何でも美味しいのかもしれないけど」
素直に喜びを伝える。パンだって堅いけど味があるし、この葉物のスープ、中々に味わい深くて食べていて楽しいのだ。
「そ、そう……良かった。スープのお代わりはまだあるから、遠慮なく言ってね」
えへへ、と、可愛らしくはにかみながら、千切ったパンを一口。
小さな唇に小さなパンの欠片が吸い込まれていくように見えて、つい、ドキッとしてしまう。
「ああ、美味いなあ」
僕は、隠し事が下手なのかもしれない。
こうやって女の子にどきどきする度に、わざとらしく褒める言葉が出てしまうのだから。
「ふふっ」
そんなのでも、ロゼッタは笑ってくれる。
胸の中があったかくなっていくのを感じたのは、スープの所為なのだろうか。
食後の運動がてら、雑草を引き抜いた部分を耕してみる事にした。
ところどころ岩が突き出てるのを引き抜いたりしながら、クワを突き刺し土に空気を入れて、混ぜる。
赤茶けた土が湿った黒を帯びた色になっていくのは見ていて楽しい、が、思いのほかの重労働だった。
雑草を抜くのも大変だったけど、これはまた、それとは別の筋肉を使うのだ。
何度も振り上げて降ろして、押して引いての繰り返しで次第に肩と腕が痛くなってくる。
「……休もうっ」
限界は、割と早く来た。
大体十列くらいある空きスペースの中で、三列ほど耕してダウンした。
「ふぅ……」
畑横の木影に逃げ込み、大きく息をつく。
呼吸が乱れる訳ではない。雑草抜きと違って体力的にはまだ余裕があった。
だけど、腕が動かない。こんなのは初めてな気がする。
ロゼッタから借りた木でできた水筒に口をつけ、中の水をごくりごくりと飲み下す。
少しむせそうになるけど、喉の潤いで気分がかなり落ち着いてくる。
耕した向こう側を見ると、まだまだ沢山生えている雑草の緑。
ところどころ突き刺さって耕す邪魔になっている岩や木っ端が目立って、あんまり進んでるようには見えない。
だけど、そんな中でも耕しきった部分というのはあって。
この部分だけでももう作物を作れるのだと思うと、ちょっとだけ嬉しくなった。
途方も無い広さのように感じたけれど、一日でここまで進んだのだ。
素人にしては大したもんなんじゃないかと、ちょっとだけ自信が付いた気がする。
畑を耕せば、後は植えるものが欲しかった。
種でも苗でも、何か育てたいと思ったのだ。
「ねえロゼッタ」
一休み終えた僕は、家の中で縫い物をしていたロゼッタに聞いてみる事にした。
「作物の種とかって……いくらぐらいで買えるのかな? この辺りで売ってる?」
何せ僕はこの村についてもよく解らない。地元の事は地元の人に聞くのが一番だろう。
ロゼッタも、最初こそ不思議そうに首をかしげていたけれど、すぐに畑に蒔く種なのだと思い至ったのか、嬉しそうに笑ってくれる。
「種なら、わざわざ買わなくっても、うちの物置にありますよ」
いりますか? と、聞いてくれるのが嬉しい。
「分けてもらえるかい? 少しスペースが出来たから、試しに育ててみたくて」
「うん、勿論よ。それじゃ、ちょっと待っててね。物置に行きましょう」
ロゼッタは針仕事の最中だったのを止めて、僕を物置へと案内してくれた。
「はい、これ。ターニットの種。毎日お水をあげてね」
「ありがとう。助かるよ」
都合よくターニット。本で読んだ作物なので、なんとか僕でも育てられそうだった。
「それじゃ、また畑に行くから」
「ええ。頑張ってね」
ニコニコと微笑みながら見送ってくれるロゼッタ。
僕は種の入った袋を手に、意気揚々と畑に戻った。