#12.越えられない壁
ブルーベリータワーに到着した僕らは、相変わらず入り口も何もないその塔の外周部を回っていた。
やはりというか、隠された入り口のようなものもなく、ただただ岩壁があるだけ。
魔物もいるけれど、たどり着くまでの平野部と比べると数も少なく、見つけるたびに瞬殺していくのでほどなく襲撃されることも無くなった。
「やっぱり、そのままでは入れそうにないですね」
一通り回り切った後、僕らは村から見た正面の位置に再び立っていた。
顎を手をやりながら、まじまじと塔を見上げるミルフィーユさん。
実は、入る方法自体は、僕には解っていた。
教会で聖水を買い、中身を捨ててミースに投げつければワープホールが出るからそれに乗ればいいだけだ。
でも、今はミルフィーユさんを連れている。
流石に二人一緒に塔に入ると、ミルフィーユさんが何をされるか解ったものではないので、今回はただ連れて来ただけという形になる。
何の用事で来たのかはまだ解らないけれど、僕の話を聞いてからここに来たいと言い出したのだから、ミルフィーユさんの目的に合致する何かが、ここにあるのかもしれない。
(あるいは……旦那さん関係、かな?)
あんまり考えたくないけれど、あの人相の悪そうな男が、ミルフィーユさんの旦那さんの可能性も無視できない。
服装から口調から異世界の人っぽいし、他にそれっぽい男性はいつまでもこないしで、流石に鈍い僕でもそれくらいは察するというか、そんな感じはする。
するけど、直接ミルフィーユさんの口から聞かない限り聞きたくないので、黙っていた。
聞いたら聞いたでショック受けそうだし。辛いし。
「……やっぱり、無理ですね」
しばらくじっと眺めていたミルフィーユさんは、やがて何かを悟ったのか、ほう、と大人びたため息をつきながら僕に視線を向ける。
「入れませんよね」
「ええ。ここからでは入れません。それ自体は知っていたんですが……それだけでなく」
「っていうと?」
「外からプロテクトを解除することが、私には無理かな、と。中にはロイズさんがいるみたいですし、今の時点ではっきりと監視されてますし」
まあ、ロイズ達にしてみれば、僕がミルフィーユさんと一緒にいることにメリットはあんまりないだろうから、何かやってるのを見れば気になるのは解る。
つまり、今の僕らは下手な行動がとれないという事。
まあ、だからデートくらいにしかならないんだよな、とは思うけれど。
でも、ミルフィーユさんはそれでも何か考えているようで、口元に手をやり、尚も考え始めていた。
「――強引に入り込めばロイズさんを刺激しかねませんし、現状、あの人たちはまだ無事なようですし……下手に手を出すのは得策ではないですね」
「ミルフィーユさんには解るんですか? 内部の様子とか」
「解りますよ?」
「それも魔法で?」
「いいえ、そういう視点に立てるというか……立つ方法があるというか」
今一要領がつかめない。
というより、これは多分、僕がよく解ってないだけなのだろう。
ミルフィーユさんも僕に説明しているというよりは、途中から呟いているだけみたいだし。
無理に理解しようとしても、今の僕には解らない事、とかそんな感じで。
「とにかく、一旦戻りましょう。これは私一人では手に余ります……」
「解りました」
困った様子のミルフィーユさんだけれど、だからと「僕が手伝いますよ」と安易に言えないような、そんな難しそうな状況なのは解る。
実際、ここにあの二人が居たとして、どうすればあの二人を出せるのかなんて僕には解らないし。
ただ、気になることはいくつかあった。
あったので、帰り道すがら、ミルフィーユさんに問う事にする。
「ミルフィーユさん。実際に見てみて、何か感じた事ってありますか? その、捕えられた女の子の事、とか」
解らない事、それまで疑問に思った事。
忘れてしまうはずの記憶を、何故忘れずにいられたのか。
それはカウンセリングの際にも一つの可能性としてミルフィーユさんから聞けたことではあるけれど、今もそうなのか。
隣を歩くミルフィーさんは「そうですね」と視線を上に向け、すぐに僕の方を見た。
「恐らく私の仮説は正しかったと思います。塔の一部の部屋に、『ここにいる女の子を無として扱う』という条件付けがなされた部屋がありました」
「無として扱う……?」
また難しい言葉が出て来た。
異世界人だからというよりも、単純に僕とミルフィーユさんって、知識とか知性とか、そういうのがまず全然違う段階にいるように思えて、時々何を言ってるのか解らなくなる。
不思議がっていると「すみません」と、眉を下げながら頬をぽりぽりとする。可愛い。
「簡単に言うなら、そこにいる人は『そんな人いない』ってゲーム世界側から認識されるようになるんです。だから、エリクさんが夢で見たとしても、すぐに忘れてしまう、と」
「それじゃ、忘れずにいられる今っていうのは……?」
「とても単純なのですが、『女の子』以外がそこに居た訳です」
「ああ、なるほど……」
女の子以外、つまりあの白い服の男だ。
あの人が現れた事で、部屋に課せられた条件が崩れた。
でも、それだけだとちょっと違う気もする。
「それだと、女の子の方は僕にはまだ、思い出せないって事になるんじゃ」
「そうですよ? 実際私は、そこにいた女の子を、その瞬間こそ認識できたはずですけど、すぐに思い出せなくなりました。エリクさんも多分、顔とかは思い出せないのでは?」
「……確かに」
言われてみて初めて気づく。
その女の子の特徴が、何一つ思い出せなかった。
夢を見た直後は確かに覚えていたはずなのに。
「恐らく、そこにいた『もう一人』がひたすら話しかけていたので、それによって『もう一人が話しかけている相手』を認識できるようになって、そのおかげで一時的に忘れなくなっているだけなんですよ。だから、話していないと私達には認識できないのです」
「つまり、話してる時だけ僕らはあの女の子を認識できる……?」
「あの部屋にいるのなら、恐らくは。そしてそこから出す方法は……かなり難しいですね。今の私では無理です」
辛そうにしているからと、すぐに助け出すのは不可能だと言われれば、なるほどそんなような気もしてくる。
けれど、今の僕には、それを可能にする手段があるのではないだろうか。
「実は僕、世界を書き換える力を与えられたんですけど」
「書き換える力、ですか……? それは、バグを修正するような?」
「その為のものなんですけど、これも直せないかなって。ずっとずっと、参照にしちゃいけないものを参照にし続ける現象、あれってこれに関係するんじゃって思うんですよね」
何の根拠もないことだけれど。
でも、原因らしい原因が他に見えてこないので、当たりを付けていくしかないのだ。
それに……毎度毎度夢見の悪い思いをさせられるのも、いい加減辛いので。
「変えられるんじゃないかなって」
「……」
僕の提案に、けれどミルフィーユさんは思案顔。
何か思うところがあるのかもしれない。
けれど、何を考えてそんな顔になるのか。
もっと景気よく「すごいですね!」とか褒めてくれてもいいのだけれど。
残念ながら、ミルフィーユさんはそんな顔にはなってくれなかった。
そして僕がそんな彼女を見ていると、ミルフィーユさんは「すみません」と、申し訳なさそうな顔になる。
自分の反応が、僕を落胆させることになったと思ったのだろうか。
僕自身が勝手に「そうだったらいいな」と思っただけだから、仕方ないと思うのだけれど。
この辺り、この人の人の好さがよく解る。
「それで上手くいくなら、多分、一番いい方法なんじゃないかと思います。そういった権限を付与されるという事は、世界を変えることを、あのお二人も認めた上でしょうから」
勝手にやってしまうよりはずっといい。
手放しで受け入れてくれるようにも見えるけれど、それとは別に、「でもできるとは限らないですよね」という、言葉にしない、できない否定が感じられた。
なんでそんな風に感じたのかは解らない。
でも、ミルフィーユさんは僕には無理と思ってるように思えたのだ。
「じゃあ、変えてみますね」
願えば叶う。
願ったことはそのまま書き換えられる。
今僕が願うのは――
(あの女の子を、元居た場所に戻せ)
(戻せ)
(戻――)
「もういいですよ」
「――えっ?」
気が付けば、目の前は暗転していた。
いいや違う。暗くなっていたのだ。
願い続けていた。何度も願った。強く念じた。本気でそれを望んだ。
でも、その願いは、夜になれという事だったか……?
「エリクさん。貴方がどれだけその願いを強く求めていたのか、解りました……でも、それは恐らく、エリクさん一人の力では、叶うものではないようです」
「……ミルフィーユさん、僕は」
「ずっと見ていましたから。周りの時間すら感じられず、ただ一心にそれだけ願う様を」
夜になれと望んだのではない。
あの女の子を、解放する事。
ただそれだけを願って、僕はこんな時間まで願い続けていた――?
「きっとあの女の子は、貴方にとってそれだけ大事な人なのです。だから……なんとしても、解放してあげなきゃいけないですね」
「……そう、か」
何の関係もない女の子を、夢になんて見るはずがなかった。
それだけ強く思いこがれた誰かだから、ずっと、僕は……
「ふふっ、やっぱり貴方は、恋の為生きて居た方がずっと格好いいですね。応援したくなります♪」
とってもお姉さんらしい顔でにっこりと微笑んでくれるミルフィーユさんに……けれど僕は、何故かときめくことができない。
だけれど、とても強い安堵を覚えた。
揺さぶられていた心が、落ち着けたというか。
寄り縋れる樹を見つけたような安心感が、そこにはあった。
「ミルフィーユさん」
「はい」
「僕はきっと、その女の子が、大好きだったんですよ」
「……はい」
なんで忘れてしまっていたのか。
そんな理由、さっきもはっきりとミルフィーユさんから説明されていたのに。
なのに頭の中ではさっきから「なんで」「どうして」と、疑問ばかりが浮かんでいつまでも晴れてくれない。
悔しかったのだ。悲しかったのだ。
忘れてはいけない、そんな一人の女の子を、僕は忘れ去ってしまっていた事を。
恐らく今でも、これからもずっと、そんな風に忘れてしまう事を。
「話を、聞いてくれますか」
この場ではない。
誰にも邪魔されない場所で、聞いて欲しかった。
アリスにもロイズにも聞かれない場所で、僕の気持ちを吐き出したかった。
泣き出しそうに震える自分の目元を手で覆う。
こんな顔、ロイズには見せたくなかった。
見せてやるものか。絶対に。
「村に戻ったら」
「お願い、します……っ」
僕はまだ、いいや、この人の前では、大人になりきれなかった。
割り切ることができない。諦めることができない。
ただただ、受け入れきれないその感情の津波を、心が溢れさせるままに吐き出すしかないのだ。
それができる場所があった。
それができる人がいた。
それは、僕にとって救いであり、慰めであり、そして……赦しでもあった。
忘れていた僕の。僕自身が許されるための。
「――どうやら、気づいてしまったようですね」
村の入り口にて。
戻った僕らの前に、この時点ではこの村にいるはずのない人達が待ち構えていた。




