#7.泣いた主人公
何度目かの人生。
始まってから数日経った……何日目かも覚えていないような、些末な時間が経過し。
その日は、雨が降っていた。
急な雨だ。朝のうちは晴れ目も見えていたのに、いつの間にか雲に満ちて、今は濡れるような雨になっている。
ぼーっと、村の中心、市場の入り口で、雨に打たれながら行商の人たちが品物を慌ててしまい込むのを眺め……いいや、そんな風のまま、僕は深いため息をついて、呆然としていたのだ。
「なんだい坊や、こんなところで棒立ちして。雨に濡れちまうよ?」
皆が雨に濡れないように屋内に、あるいは屋根のある場所に逃げ込んでいく中、僕だけが逃げることなくぼーっとしていたのを見かねてか、ベルタさんが声をかけてくれる。
そうして初めて「ああ、確かに濡れてしまうな」と、身体を冷やす冷たい風を感じ始めていた。
「すみません。ちょっと考え事をしていて」
考え事なんてしてはいないけれど、それでも体面を繕う必要はある。
楽しくても、つまらなくても、人生は続き、何度だって繰り返され、その度に僕は、新しい人間関形を構築していかなくてはならない。
それがどれだけ同じように見えるものでも、それは毎回違うもので、そして一から組み直さなければならないものが、殆どなのだから。
そんな僕を見てか、ベルタさんは「いいから入りな」と、市場横の小屋を指さした。
今まで全く意識もしていなかった、目立たない小屋。
どうやらそこがベルタさんの家か何からしいと気づき、素直に頷き、既に歩き出したベルタさんについていった。
「待ってな、今ココアを入れてやる」
外から見た通り、小屋の中はあまり広くはなく、小さな暖炉と、その向かいに安楽椅子が一つ、それからテーブルと椅子が一つずつ。
それから、壁に置かれた小さな棚の中に、いくつかの楽器が並んでいるだけだった。
家かと思ったけれど、この生活感の薄さを見ると、もしかしたら待機所か何かなのかもしれない。
ベルタさんがここで住んでいたような記憶もないし、恐らくそうなのだろうと考えた。
改めて雨の当たらない場所に来ると、急に背筋が寒々しく感じて、自分が今までどれだけバカなことをしていたのかを思い知らされる。
そう、実にばかげていた。
雨が降っていたなら、他の人のように濡れないように動くべきだったのだ。
なのに、さっきまでの僕はどこか自暴自棄で……
「何入り口で突っ立ってるんだい? 早く火の当たる場所に来な」
促されるままに暖炉の前に立ち、ぱちぱちと小気味よい音を鳴らす火に向けて手を伸ばす。
濡れた袖や肩がじんわりと熱を取り戻していき、何とも言えない心地よい気持ちになる。
けれど、そんな落ち着ける状態になってもやはり、僕の心はどこかやけくそじみていた。
「何かあったようだね」
す、と、茶色い液体の入ったカップを渡され、それを受け取る。
少し熱い、けれど血の気が指先に戻ってくるような感覚を覚え、カップに鼻を近づければ、温かな湯気と共に甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「……ちょっと、辛いことがあって」
悩み事があるなら、ミルフィーユさんに聞いてもらうのが一番のはずなのに。
なのにどうしてか、今の僕は、あの人のカウンセリングを受ける気になれないでいた。
そんな僕を、ベルタさんは安楽椅子に腰かけながら、まっすぐに見つめてくる。
「この村でかい?」
「いいえ……よく、思い出せませんが」
思い出したくないだけだった。
ひとつ前の人生の時の話だ。
クレアモラさんが、僕と同じ情報を共有していた、その時の事。
一瞬の喜び。けれど僕は、あの時点でそれに気づいていた。
「……何もかもが仕組まれていた事で、僕はそれに気づきながら、それを受け入れて……その人の純粋な願いを、ずっと、見続けていたんです」
「過去に関する事か……記憶喪失だって話だったもんね。案外思い出せそうなのか」
「思い出したくはない思い出かもしれません……良い気持ちは、しなかったから」
クレアモラさんが僕に語ってくれた事。
あれは全て、ロイズに仕組まれていたことだった。
当然だ。あの二人に想定されていない状況に関しては、全て「セリフが用意されていません」と話すのがこのゲームのヒロインなのだから。
あれだけ流暢に、自然に語る事ができるクレアモラさんが、あの二人の想定外の行動をしているはずがないのだ。
それに気づいてしまったから、そしてクレアモラさん自身がそれに気づけていなかったから、僕は、とても辛かった。
その人生の終わりの後、なんでそんなことをしたのかロイズに問い詰めたけれど。
彼女は「だってエリク君がちょっと寂しそうだったからね」と、何の悪意もなさそうな無邪気な笑顔を見せてそう語ったのが、余計に胸に重くのしかかった。
ただ変化を与えたかっただけなのだ。
僕が寂しがらないように疑似的に同胞めいた役目をクレアモラさんに付与しただけ。
全て、僕を中心に回る世界。
彼女達もまた、僕を中心に据えて考えているから、そんな事ができてしまえたのだ。
「ベルタさんは、自分が何かの中心になって全てが決まっていくような状況って、怖いと思いますか?」
僕は怖かった。
ヒロインたちの人生も、彼女たちが感じる気持ちも、想いも笑顔も涙すらも、全てが僕を中心に動いてゆく。
これはゲームなのだ。娯楽なのだ。遊びなのだ。
なのに、僕自身が望んでいるかいないかなど関係なしに、あの二人は全てを僕中心に考え決めていってしまう。
彼女たちの中の「僕が望むであろうこと」を前提に。
そんな僕の内心なんてこの人が解るはずもないけれど、それでも問わずにはいられなかった。
ベルタさんは「そうだねえ」と安楽椅子を揺らしながら口元を緩める。
暴投気味な問いで、僕自身「どうせ用意されてませんと返ってくるだろう」と思っていたけれど、そうでもないらしい。
あの二人は、こんな事で僕が悩むことすら解った上で、セリフを設定したというのか。
「あんたが何に悩んでるのかは解らんが。あたしゃ、人生なんてそんなもんだと思ってるがねえ」
「人生が……?」
「だってそうだろう? お前さんがどんな人生を歩んで生きたってさ、所詮そんなものは、何か偉い神様か何かがあらかじめ決めたものかもしれないだろう?」
「……っ」
「何怒ってんだい」
「あ、いえ……すみ、ません」
つい、表情に出てしまったか。
そう、僕の人生なんてものは、所詮は造り物、まがい物、元々空虚なものだった。
あの二人の、神様より偉いという人たちによって創造された、ゲームの中の主人公。
そんなの、ベルタさんが言うように、あらかじめ決められた事に過ぎないのだろう。
けれど、「それをわざわざ自分のゲームの登場人物に言わせるのか」と、流石に趣味が悪すぎるだろうと、腹が立った。
だって、クレアモラさんはあんなに沢山悩んでいたのに。
僕と同じ道を歩みながら、それていて自分だけが忘れてしまう事に絶望し、それでも尚自分の運命に必死に向き合って、また同じように気付いてくれると誓ってくれたのに。
僕達は、こんなにも必死になって生きているのに。
「よっぽど辛い目に遭ったようだね。はっきりと思い出せないにしろ、自分の人生に従う事が耐えられないように見える」
「……」
「だけどね、難しく考え過ぎなんだよあんたは。いや、若者は皆そうだ。自分の生きざまに真面目に向き合い過ぎて、どんどん心を擦り減らしていく。こんなものは、誰かのお遊びかもしれないというのに」
「誰かにとってのお遊びでも、僕らにとっては、真面目なものだったら?」
「どうにもなんないだろう?」
真実、その通りだった。
どうにもならない。だって彼女たちは、僕なんかより遥かに上等な存在で、高位な存在で。
世界を創るだとか、世界を操作するだとか、そんなもの、どうやったらそうなるんだと思うくらいには途方もない、そんな人たちなのだ。
そんな存在から見たら、自分が作った世界の住民なんて、それは確かにゲームの駒か何かのように思えてしまっても不思議ではないのだろう。
だって、主人公として、他の住民と違う扱いを受けている僕自身、いつの間にかそんな風に、このゲーム世界の住民たちを違う視点で見てしまっているのだから。
きっと、ベルタさんの言うように、どうにもならないのだろう。
「……気楽に考えて、適当に過ごしたら、それは正解なんでしょうか?」
「正解かどうかなんて関係ないだろ? じゃああんたは、正解だったらどんなに気に食わない事でも飲み込むのかい? 違うだろう? 違うからそうやって悩んでる」
「正しくない事なら猶更、飲み込めませんよ?」
「そんな事はないさ。人は楽しければそれを受け入れられる。自分がいいと思った事なら、例えそれが間違いでも飲み込める」
揺れる安楽椅子。
まるで謡うように流暢に語るベルタさんは、なんだかいつものベルタさんとは違うように思えて。
そうして、「こんな会話、この人としたことなかったな」と、今更のようにベルタさんとの接点の無さに気づかされた。
「――いいかい坊や、人が一番楽しいのはね、楽しいと思ったことを、好きにやる時さ」
「それが神様に決められた人生でも?」
「神様だってそれくらいは許してくれるんじゃないかい? じゃなきゃ、何の余裕もありゃしないだろう? あんたはそんなにつまらない人生ばかり歩んできたのかい?」
皮肉げに口元を歪めながら。
けれど、そこまで話して「おっと記憶がないんだった」と、顔を抑えてけらけらと笑いだす。
何が面白いのかも解らないけれど、面白いらしい。
僕のこんな人生でも。
でも、確かにそうだった。
こんな僕の人生でも、楽しいと思えることはあった。沢山あった。
だから、こんな途方もない回数、人生を繰り返せたのだ。
「楽しい事だけを、する人生、か」
それはきっと、楽しいに違いない。
自分がいいと思ったことをする。していく。変えていく。
それはきっと、今までにない展開を生むんじゃないだろうか?
誰かが描いた線をなぞるだけの生き方ではなく、自分で線を引くのだ。
「やってみようかな。ありがとうございます、ベルタさん」
「何がだい?」
「例えそれが用意されていたセリフであっても、僕にとって、大切な道しるべになるって事ですよ」
「そうかい、それは良かった」
気が付けば、濡れていた服も大分渇き。
そうして窓の外を見れば、雨は止んで、晴れ間が広がっていた。
「あたしゃ一休みすることにするよ。エリク、今度は道を見失うんじゃないよ?」
「……っ、はい」
その今度というのは、何を意味するのか。
それを問う事も出来ないままに、ベルタさんは目を閉じ、そのまま眠りについてしまったようだった。
揺れていた安楽椅子も静かに動きを止め。
小屋の中にはぱちぱちと、暖炉の中で炎が揺れているだけ。
(この人、もしかして……)
自分の中の感覚が正しいのかも解らない。
けれど僕は、どうにもこの人が、前にも会った事のある人のように思えてならない。
顔も口調も雰囲気も、何もかも違うはずなのに。
なのにどうしてか、見守られているような気がしてしまったのだ。
ずっとずっと、何度でも。
小屋の外に出ると、春の陽射しが暖かで、さっきまで冷たい雨が降っていたなんて嘘かのように優しい風が吹いていた。
雨に濡れた地面は反射でキラキラと輝いていて、視界が急に眩くなったように感じる。
「――行くか」
新たな人生を歩む。
今までにない道を進む。
そうして、あの二人を驚かせてやろうと思った。




