#12.ご令嬢現る
「相変わらず精が出るわねえ」
ポテトも無事、最初に植えた分の収穫が全て終わり、ロゼッタの料理のバリエーションもさらに豊かになってきた頃のこと。
いつもの場所で僕の働きを眺めていたミースがぽそり、一言呟いた。
「折角畑を貸してもらえてるからね」
「それでも、こんなに早く畑が使えるようになるなんて、思いもしなかったわ」
今ではもう、話しかければ普通に返してくれる。
それでもいつものむすっとした顔だけど。
監視者様は、それでもいつもより僕に気を向けてくれるらしい。
「色々植えたいからさ。やりたいこと、結構増えてきて」
「ターニットとポテトだけでも十分収入になってるのに? なんていったっけ……作物商人の娘」
「シスカの事?」
「そうそうシスカ。あの娘だって喜んでたわよ。いつも涙目で沈んだ顔してたのに、最近はずいぶん元気になっちゃって……」
それ自体はいいことなんだけど、と、いつもの柵から降りて、スカートをぽんぽんと叩く。
特に汚れてはいないけど、癖か何かなのかもしれない。
「ターニットはお金のかかる煮物とかと相性がいいから、金持ちや貴族にはよく売れるのよ。そういう人らは商人の足元見ようなんて考えないから、まあ、商売下手なあの娘にはありがたい商品よね」
「僕もお金が稼げて、ロゼッタの負担が減らせるから万々歳だ」
「……そ」
それによって僕はもう、借りてばかりの生き方をせずに済みつつある。
今はまだ、それでもロゼッタにご飯を作ってもらったり、一緒に住まわせてもらったりしているけれど……それだって。
そこまで考えていると、ミースが「ねえ」と、視線を逸らしながら問うてくる。
「あんたはさ、稼げるようになったら、ロゼッタの元からいなくなるの?」
「えっ?」
「畑を借りてお金を稼ぐ手段を得た。グリーンストーンを沢山獲得してターニットとポテトを作れて、このままいけばそうかからずにそこら辺の畑やってる女の人より収入がよくなるわよ。それで? 出ていくの? それとも、一緒に暮らすつもりなの?」
逸らしていた視線が、僕へと向く時。
僕もまたミースの顔を見て……視線がぴたり、噛み合う。
綺麗な翠色。真剣な表情だった。
「出ていかない」
もしかしたら、出て行けたかもしれない。
その気になればロゼッタの家から出て、自分なりの住む場所を作って、畑は借りたまま、だけれどロゼッタへの恩を返す、そんな方法もあったかもしれない。
でも……出ていきたくなかった。
「楽しいんだ。ロゼッタと一緒にいるのが。ロゼッタは最初から可愛かったけど、最近のロゼッタは……前より、可愛く思えるようになってて」
よく笑ってくれるようになった。
前から笑った時は可愛かったけど、今はより多く笑ってくれるようになった。
それもきっと、僕が畑を蘇らせたから。
今より沢山の作物を採れるようになれば、ロゼッタはもっと笑ってくれるに違いない。
畑を……ロゼッタのお父さんが使っていた時のように蘇らせれば。
「まだもうちょっとだけ……ロゼッタの傍にいたいなあって思うんだ。君にとっては、つまらないかもしれないけど」
「何よ……まるで私が邪魔してるみたいな」
「そんなんじゃないけど……ミースはいつも、僕がロゼッタのことを話すと不機嫌になるから」
「別に不機嫌になってるわけじゃ――いいわよ、別にっ」
何か言いかけて、はっとしてやめる。
口を手で覆うようにしながら、一方的に話をやめて、歩き出してしまう。
「ミース?」
「ロゼッタが……寂しくならないならそれでいいのっ、それだけ、確認したかっただけだからっ」
気にしないで、とでも付け加えられそうな、そんな少しだけ優しい口調で。だけどツンツンしていて。
そのまま畑から出ていくミースの背を見つめながら「素直じゃないなあ」と、可笑しくなってしまう。
家と畑と市場の往復。
それが僕の一週間で、グリーンストーンがなくなってきたら、その回収のために洞窟に向かう、という日がそれに加わる、といった感じで。
毎日汗水流しはするけれど、だんだんと体が畑仕事に慣れてきて、筋肉痛に苦しんだり、手足が攣ったりすることも減って、一日の終わりには心地よい疲れを感じるだけになっていった。
ようやく、畑初心者から脱することができたと言えるのではないだろうか。
初級者くらいにはなれてるんじゃないかなあと思えてきたのだ。
そんな頃、それはやってきた。
「――失礼するわ!!」
ある日の夕食時の事。
ロゼッタと二人、ゆったりと、それでいて朗らかな時間を過ごしていた中、突然家のドアが開けられ、二人して驚かされる。
入口に立っていたのは、腰までの長いストレートの赤髪と、燃えるような鮮やかな赤い目が印象的な、若い女の子。
ロゼッタやミースとそんなに変わらないんじゃないかな、といった年頃の、身なりのいい娘だった。
「あ……領主代行令嬢の……」
「お久しぶりねロゼッタ! 元気にしていたかしらぁ?」
「ええ。貴方も……」
声の大きな人だった。
話しかけたロゼッタ自身、返ってきた声に眉を下げ苦笑いしてしまうくらいに。
そして本人はそれを気にした様子もなく、ロゼッタとの会話もそこそこに僕のほうを見る。
「貴方がエリクさんね? あの、作物商人の娘の――」
「シスカの事?」
「そう、そのシスカの売ってきたターニットを作った農夫なのでしょう?」
「ああ、そうだよ」
びりりと家の中に響く大きな声。
夜分なのでもうちょっとボリュームを下げてほしいなあと思いながらも、聞かれたことにはちゃんと返していく。
どうやら、僕がターニットを作っていることは、村の外にも知れ始めているらしい。
「私はクレアモラ。この近辺の村々を管轄する領主……の代行を行っているわ!」
「あ……領主代行、クレアモラさんが引き継いだの?」
「ええ! お父様や配下の方々がやっていた業務を、私が引き継いだのよ。長かったわ……とっても長い間、貯めこんでいた書類との戦いだった! 辛かった!!」
大きな声で、しかし何かを思い出すかのようにぎゅ、と目を閉じコブシを握り。
なんというか……シスカとは別方向にコミカルな人だった。
「だけれど、その日々もようやく終わったの……今までは徴税すらできなかったけれど、これからはきちんと、月ごとに税を納めてもらうわ! もちろん、飢えないくらいには配慮するけれど」
徴税という単語を聞くと嫌な気持ちになるはずなのに、その後に続く一言が妙に人情味があるというか、本人的にもあんまり乗り気ではないらしいのがよく分かった。
「私の所はそんなに困ってないけど……でも、村の人たちは結構大変だから、できれば……」
「だから、配慮すると言っているでしょう! もう、こんなに疲弊した人たちから、前みたいな基準の税なんて取れるわけないじゃない。実質形だけよ、形だけ!」
「よかった……でもクレアモラさん、お願いしておいてなんだけど、それで大丈夫なの? その、領主様の方は……」
「ああ、貴方達は何も知らないのね。領主様は……配下を引き連れて戦争に向かったまま、まだ戻ってないらしいわよ? 領主館ももぬけの殻。実質私の家がこの辺りの領主みたいなものなのよ。文句を言う人なんて誰もいないわ」
私が言わせないし、と、腰に手をやり胸を張る。
……見た目ロゼッタより年上っぽいけど、胸はロゼッタより出ていなかった。
本当に年上なんだろうか? もしかしたら背が高いだけで年下なのかもしれない。
だって大人の女の人って、皆胸が大きくなるはずだし。
「まあ、そんなだからね。村の人たちからはほとんど税は期待できないし、せめてもの……救いみたいな? そんなものが欲しいから、アーシーと話して、ここに来たわけよ」
「アーシーさんと?」
ここで今まで出てなかった名前が出てきて、疑問に首をかしげる。
アーシーさんが、この人と何の話をしたのだろうか。
「ええ。この村でまともに徴税できるのはこの家とアーシーの所と……あとはせいぜい雑貨屋と作家の家くらいだから」
「ステラとミースの家ね」
「ステラは商売やってるからわかるけど、ミースの家もなんだ……」
「ミースの家は、お父さんが作家さんだからね」
街では本が結構売れてるみたいなの、と、新たなミース情報を手に入れる。
……聞いておいてなんだけど、あんまり求めてもいない情報だった。
「まあ、その二人はともかく、ほかで確保できない分、この家で税を払ってもらおうって話になってて~」
「え……それってその、ほかの人の分だけ、税が重くなるって……」
「そういうこと! っていっても、単純に税を重くしたって圧迫するだけだし、今は凌げてもその内飢えちゃうでしょ? だから、商品価値の高いものを納品してもらうわ」
突然の展開に僕もロゼッタも唖然としていたけれど、クレアモラさんはずびしぃ、と指を立てながら「例えば」と続ける。
僕らの意思は関係ないらしい。
「私の大好きなターニット! これなら……そうねえ、30個も納品してくれたら、今月は許しちゃうわ!」
ずびしぃ、と、三本指を立てながら宣言。
……意外と現実的な数字だった。
「ターニット30個……エリク?」
「それくらいなら問題ないよ。期限は?」
「流石に間に合わないような期限は設けないわ。三週間後、月末までには収めて頂戴? グリーンストーンを使ってるなら余裕でしょ? 順次納品でもいいし、まとめてでもいいわ。納品は、シスカを通してね」
そのほうが効率がいいし、と、突き出した指をひっこめながら口元を隠す。
「30個もターニットがあれば毎日ターニット料理が……グヘヘヘヘ……」
にまにましながら呟いてるけど、もしかしたら声を隠したつもりなのかもしれない。
「ターニットのサイズとかは、普通のでいいのかしら?」
「えっ? あ、ええ、そうね。そう。普通に頭大くらいのサイズでいいわ。もちろんそれ以上の特大サイズでもいいわよ! 大きいの大好きだし!!」
ロゼッタの質問に若干慌てながらも、両手を大きく開いて大好きアピールする。
本当にターニットが好きなんだなあと思える必死さだった。
「……うん。じゃあ、頑張って納品します。ちなみに、他の商品価値の高い作物って、どんなのがあるのかな?」
「そうねえ? 例えば薬草とか。この辺りだとヒーリングフラワーや止血草は薬効から需要があるから、まとめて出してくれるなら相応に税として認めるわ。後は果物類とか……」
「あ、ベリーとかレモンって、買うと結構高いものね。大体は森で採れるけれど」
「そうね。この辺じゃ果樹栽培はしてないし、シュリンで売ってるものも大体は自然に生ってるのを採ってきたものだから、商品としての価値は高めよ」
つまり、お金になるということでもある。
果樹栽培はまだ本にも出てきてないレベルの話だけど、余裕があったら考えてもいいだろう。
でも、今はターニットのほうが効率がいいはず。
「とりあえずはターニットを育てて、合間を見て果樹を探すのもいいかな……」
「そうね。それがいいと思うわよ? 果樹なんてまず種を見つけないとだし、普通の畑じゃ育てられないでしょうからね」
作り方から考える必要があるのかもしれない。
何にしても、ただ作物を作るだけでなく、他の方向でも貢献できるなら言うことはない。
それで村の人の負担が減るなら、そのほうがいいに決まっていた。
「それじゃ、今後の方針はそれでいいとして……クレアモラさん? 私たち、晩ご飯を食べていたんだけど……ご一緒します?」
「いいえ結構よ! 今からだと遅くなっちゃうけど、急いで屋敷に戻ってターニットを食べるわ! エリクさん、貴方のターニット、とぉ……っても美味しくて、私、大好きよ!!」
「は、はあ……ありがとうございます」
大好き、の部分がやけに強調されていたせいでちょっと恥ずかしくなったけれど、僕の作ったターニットがそんなに美味しく食べられたなら、作った僕としては本望だった。
嬉しい。自分で食べておいしかった時よりも、何倍も嬉しかった。
けれど、そんな僕の喜びは、次の彼女の一言に飲み込まれてしまう。
「うんうん! 消費者を満足させられる作物を作れるのはいいことだわ! 食べながらマーシュさんを思い出したもの! ロゼッタ、いいお婿さんを捕まえたわね!!」
「ふぁっ!?」
「うぇっ?」
なんでそんな、と思ったからつい変な声をあげてしまったけれど、ロゼッタもまた、変な声をあげていた。
こちらは僕と比べればそれすら可愛いのだけれど……でも、驚いた様に目を見開いていて。
そしてすぐに「どうして」と、困惑したように目がうろうろしていた。
「あら、違ったの? 一緒に暮らしているというからてっきり……でもまあ、それならそれでもいいわ。貴方、結構寂しがりっ子だし」
「な、な……な、何を言い出すんですかクレアモラさん! 私、寂しがりじゃないし……もうっ、エリクも黙ってないで何か言って! 私なんかじゃ、エリクだって迷惑でしょ!?」
「え、いや、でもその……迷惑とかじゃ、ないけど」
「ふぇぇっ!?」
僕の返しがロゼッタにとってどれほど予想外だったのだろうか。
そんな、迷惑がる訳がないのに。
こんなにいい娘と一緒にいて、毎日が楽しくて。
そりゃまあ、確かに恋人とかお嫁さんにとか、そんなことまでは考えてないけど。
それでも、そう勘違いされること自体は嫌なわけではないのに。
「貴方は昔から自己評価低いのよねぇ……もっと自信もっていいのに」
残念なものをみるような目をロゼッタに向けながら、クレアモラさんは小さくため息する。
ロゼッタも眉を下げたまま、しゅんとしてしまって。なんだか見ていていたたまれない。
「あ、あのっ、ごめんなさいっ、意味わからなくって……その、そのっ」
「ああはいはい、悪かったわよ。それじゃ、私はもう帰るわ。さようなら」
なんとなくそんな雰囲気になったから。
そのままいるのは居心地が悪いから。
そんな感じがして、話が終わってしまったのが残念だったけれど。
「あ、はい。さようなら」
「ま、待ってくださいクレアモラさんっ、違いますからっ、私とエリクはそんなんじゃ――っ」
背を向け手を振り去ってゆくクレアモラさんに、いつまでも「違いますから」と何かを否定し続けるロゼッタは、今まで見たことがないくらい必死で、年相応で……可愛らしかった。