#11.肉を切らして蔓を食む
ポテトを植えてから一週間。
ターニット育成と並行しての生育だけど、少し成長が遅いらしく、まだ収穫できるような状態ではないようだった。
それでも、あと一週間もすれば穫れるようになるかな、というところまで育っている。
ターニットはすでに二週目の収穫日。前回よりも大きく、そして多く収穫できた。
……流石にこれだけ一度に作物を作ると、グリーストーンもすぐに枯渇する。
前回獲得できたグリーンストーンも底を尽きかけていたので、再び洞窟に入ることにした。
スライムやら大蝙蝠やら、相変わらず襲い掛かってくるモンスターを造作もなく蹴散らし、以前フレアリザードを倒したところまできてぴた、と足が止まった。
(前に入った時グリーンストーンを採掘した壁……また緑色に光ってる……?)
少なくとも三週間前にここの壁からは掘れるだけ採掘したはずなのだが、天井の穴から日差しに照らされキラキラと光るこの緑色は、まぎれもなくグリーンストーン。
一度採掘したら二度と採れないものと思っていたけど、どんな作用か、復活したらしい。
前よりは小さいが、それでも貴重な収入だ。遠慮なくこれをナイフで割り、回収していく。
その先は一本道が続く。
結構曲がりくねっていたりで先行きが見えにくいが、幸い天井に穴が開いている場所が多く、カンテラなしでもなんとか足元まで見えるようになっていた。
ただ、ところどころ水たまりやスライムに足を滑らせそうになる。
手すりが欲しいところだった。
(ん……何か、ひきずるような音が)
ずちゃ、ずる、と、水の中をずって回るような音が洞窟に響く。
またフレアリザードか、とナイフを手に、足音を立てないようにゆっくりと進む。
ほぼ一本道。遭遇すれば、正面から。
まだ見えない場所ながら、このまま進めば出くわすのは確実。
直近のカーブの先か、あるいはその先か。
次第に引きずるが大きくなっていくのを感じ、カーブで足を止め、様子をうかがった。
『グジュルル……フー、シューッ』
何が居るのか。知的とは思えない謎の鳴き声を発しながら、すぐ近くに黄色い何かが蠢いてていた。
(……スライム? いや……スラッグか?)
その姿に見覚えがあるのか、すぐにフレーズが浮かぶ。
そう、イエロースラッグ。普段は植物などを食べる、あまり害のないヌメヌメとした奴だ。
巨大だけどモンスターとかじゃなく、どこにでもいる弱い生物。
こちらに気づいた様子はまだなく、地べたの水たまりを啜りながら奥へ、奥へと進んでゆく。
(……ただ水を啜ってるだけなのかな? 邪魔だなあ)
動きは鈍いし大きいといっても通れないほどではない。
恐らくダッシュで抜ければスルー出来るだろう。
ただ、抜けた先に何かが居たら、場合によっては逃げる際に邪魔にもなりうる。
とはいえ、危害を加えてくる訳でもない生き物に攻撃を加えるのはいかがなものか。
(……殺した方がいいんだろうなあ)
後を考えたら殺したほうがいいに決まっていた。
なんたって邪魔だ。そこにあるだけで素早い逃亡が難しくなる。
今は地べたを這っているけど、壁にでも張り付かれたら避けるのも一苦労。
そう考えると、やはり――
すらりとカーブから身を出し、イエロースラッグに近づく。
気づいた様子もなくマイペースに進んでいくその様は、なんとものろまで無防備で。
ちらちらと周囲をうかがう飛び出た目が僕の方に何度も向いているのに、全く警戒する様子もなく。
「……だめだ」
戦う気が削がれてしまった。
妙に愛嬌がある気がするのだ。
ただのナメクジである。人によっては気持ち悪いと思うこともあるだろう。
僕も別にそんなに好きではないし、邪魔なら殺してもいいと思うのだけれど。
なんでか……こいつは殺せなかった。
殺せないと思ったなら躊躇などしている暇はなく。
のろのろと移動し続けるイエロースラッグを、蹴りつけないように壁沿いに進んでゆく。
ぎりぎりの道幅。ぶつかったところで大した攻撃もできないこいつを、なんでか一撃でも攻撃しちゃいけない気がしてしまう。
そうして通り抜けた後は大きくため息をついた。
(僕は何をやってるんだろう……)
別に効率優先で生きているわけではないけれど、なぜ殺せなかったのか。
殺さないなら殺さないで、なぜ一撃も加えずに通ろうとしてしまったのか。
それこそ急ぐなら、適当に踏みつけたりして進んでしまえばいいのに。
あるいは天井に気を付けながらジャンプすれば、踏みつけるかもしれないけれどてっとり早く奥に進めるというのに。
甘いのか。それとも何かに躊躇したのか。
なんでそんなことになったのか分からないままに、胸の中にもやっとしたものが溜まったままになっていた。
奥に、奥にと進んでいくと、そうかからずに二本の分かれ道が見えてきた。
左は、水たまりが多い土道。
では右はというと、乾いた岩がちな道。
どちらがいいのかと考えたが、水たまりが多い道では靴も濡れてしまうし、と、とりあえずは右の道に進むことにした。
さくさくとした、よく乾いた土道は足にかかる負担も軽く、とても歩きやすい。
ただ、ほとんど進まぬ内から頭上の穴が減っていき、真っ暗な道へと逆戻り。
(まあ、最初は暗かったしな……)
やむなく腰に下げたカンテラを取り出し、明かりを灯す。
ちりちりと火先が焼けて、静かなダンジョンを照らす。
道自体は曲がりくねっていた。
油断せず、ゆっくりと進む。だんだん細くなってくる。
光に反応して襲い掛かってくるモンスターもいるかもしれない。
ナイフ一本手に構え、緊張気味に歩き続ける……と、曲がり角の先に、影が見えた。
(あれは……)
ゆらゆらとゆらめく、四枚の可憐なハートマーク。
一見すると闇に咲く花のような影の形状に、僕の背筋はピリリと、強い緊張を伝える。
(――試してみるか)
記憶にかすかに残る危険信号。
脳裏に走る「これ以上進むな」という意思を受け、僕は素直にそれに従う。
足元を照らし、手ごろな石ころを手に取り、うまく影の向こうへ届くよう、壁に向けて投げつけた。
かこん、と、小気味いい音とともに石ころが影へと転がってゆく。
《――シュバッ》
直後、花のように見えた影の真下から鋭く長い影が現れ、石ころを切断していくのが見えた。
真っ二つになる石ころの影。
(マンイーター……)
ごくりと、緊張に喉を鳴らしながら一歩下がる。
マンイーターは、植物型のモンスターで、このような洞窟や遺跡、暗い森の中に生息している。
一見すると可憐な花のように見えるのだが、実際にはそれは疑似餌と呼ばれる、特定の対象を惹き付ける為の餌のようなもので、それに近づいたモノを感知して地面に隠れている蔓によって獲物を殺害、そのまま養分として地面に溶け込ませる。
子供や女性など、花に意識を向けやすい人間はそれが罠なのだと知らずに近づいてしまうことから、これの生息域には子供や女性を立ち入らせないようなルールを敷いている村もある。
幸い、移動してこないので今の僕には危険はないが、倒すとなるとそれなりの強さの火で焼くか、蔓が届かない程度の長柄の武器で戦う必要がある。
「気づけて良かった……ナイフ一本じゃ無理だな」
成長したマンイーターの蔓の長さは、大体1メートルから大きいもので3メートルほどにまでなる。
広めの通路ならかわせるだろうが、その反射速度は僕でも回避が難しいほどだから、この狭い道を進むのは無理に近い。
――引き返そう。無理をすることもないし。
多少の手傷くらいなら気にしないつもりだったけど、流石にこの装備でマンイーターは命がけになってしまう。
そんなリスクを冒す必要なんて……確かにグリーンストーンは欲しいけど、少なくとも数日分はさっきの所で確保できたし、それでもとりあえずは凌げるのだから。
踵を返し……しかし、そこでまた足を止め「どうせなら」と、さきほどの分岐を思い出す。
(靴は濡れるかもしれないけど……もしかしたらそちらは進めるかもしれないな)
視界が通るかも不安定な洞窟の中。足場が濡れているというのはそれだけで不安材料の一つになりうるが、それでも前に進めるなら。
そう思い、先ほどの分岐まで戻る。
水たまりの多い、湿った岩がちな道。
足を滑らせないように気を付けながら進む。こちらは天井に穴が空いているおかげで明るいままだったが、そのせいで水たまりも多い。
《ピチャ……》
「――ふんっ」
『ぴぎっ』
頭上から落ちてくるスライムにも慣れたもの。これくらいならなんてことはない。
地面を這っているのも踏みつぶし、壁に張り付いている奴にはナイフで突き刺してゆく。
今は危険性がなくとも、いずれは頭上まで這ってきて、いつかは僕の頭へと襲い掛かってくるかもしれないのだ。
殺しておいたほうがいい。こいつらは、さっきのなめくじと違って明確に僕に殺意を向けてくるのだから。
(なんでモンスターって、僕らを襲うんだろうな……)
この世に生きる生き物にも、人を襲うもの、襲わないものがいる。
モンスターなんかは種類を問わず人間を襲うけれど、野生の動物だって必要があったり脅かされれば人間を襲うことはある。
でも、動物が僕らを襲うのには大体理由があって、意味もなく殺すということはあまりないのに対し、モンスターは人間を襲うことまで含めて存在理由のような感じで、殺した後に食べたりするものももちろんいる反面、どう考えても必要性のない殺戮も平然と行う。
例えば、今僕が殺したスライムなんかは、食性は植物食。
壁や川辺に生えている微細なコケやカビを消化液で溶かして食べるので、人間を殺したところでこいつらには何の意味もない。
人間側にもこいつらがいることによる害もないので、本来は互いに殺す必要すらない関係性のはずなのだ。
なのに、スライムはモンスターだから、人間を襲う。
この「モンスターだから人間に襲い掛かる」というのが、僕には今一理解できなかった。
(なんで襲うんだろう……美味しそうに見えてるわけでもないだろうし、邪魔だから、とかかな?)
スライムにそんな高等な意識があるのかも分からないけれど、襲う以上は何かしらの理由があるのかもしれなかった。
けれど、それは人間にはわからないものなのだ。
謎が謎を呼ぶ。一人でいると、こんなことばかり考えている自分がいた。
「……水場、か」
前に進み前に進み、できるだけ慎重に靴を濡らさないように進んでいった先は、視界一杯の水場だった。
空から照らされた水面がきらりと光り、いくらか魚なんかも泳いでいるのが見えた。
どこかの川か何かに繋がっているのかもしれない。
「流石にこれ以上は無理かなあ。泳げば泳げるだろうけど……」
泳げるだろうけど、と自分で口にしてから、「僕は泳げるのかな?」と、不思議な気持ちになる。
泳ぐこと前提に考えていた自分に対し、僕はまだ、自分が泳げるのかを知らないのだ。
泳いでみたら案外泳げるかもしれない。
でも、もし泳げなかったら……
(こんな誰もいないところで溺れでもしたら……それこそロゼッタに合わせる顔がないなあ)
澄み切った水面はキラキラと輝いていていかにも泳ぐのに向いていそうだが、その辺の問題から僕は踏み切れなかった。
今回は……そう、今回は、諦めておこうと思えたのだ。
「はあ……どっちもだめだなあ。戻るか」
結局、そのままでは進めない、という場所が二か所あるのを確認できただけだった。
それを知ることができたのだから後は対処を考えればいい。
そう思えるだけ前進したといえるだろう。ポジティブに考えるべきだった。
「……まだこんなところにいたのか、こいつ」
帰り道すがら、分岐まで戻ってきたところで、さっきのイエロースラッグと再会する。
飛び出た目をきょろきょろさせながら、ぬったりゆったり、分岐の道に差し掛かっていた。
(……まてよ?)
こいつがどちらに進もうと、僕はもう帰るだけ。
そう思おうとして、そしてイエロースラッグと目が合う。
あまり気にした様子はなく、またきょろきょろしだすが……僕は、その目を見て「もしかして」と、別の方向に考えが向いた。
(こいつ、利用できないかな……?)
右の道に立ちふさがるマンイーター。
これを倒すのは、今の僕には無理だ。
だが、これだけの巨体、そして植物食のこのイエロースラッグなら……
そう考えが及び、左に進もうと頭を向けていたこいつの前に、僕は立ちふさがった。
「まてっ」
ば、と、体を大きく見せるように両手を広げて立つ。
それでようやく僕を認識したのか……さっきまできょろきょろさせていた目を一瞬縮め、びくりと動かなくなり……そして、頭をゆらり、右の道へとずらしてゆく。
幸い、軌道修正に成功したらしい。
そのままのっそりのっそり、少しずつ右の道を進む。
僕もその後についていき、作戦の推移を見守る。
そこからはもう、牛歩の時間との闘いだった。
僕から見て明らかに進みの遅いなめくじのお尻を眺めながら、彼が進むのを待つだけ。
余計なことをして足を止められても困るので、本当に見ていることしかできなかった。
これでマンイーターに何の効果もなかったら、それこそ時間の浪費に等しい。
(……こいつ、勝てるのかな。大丈夫かな)
そしてあまりにのんきに進むものだから、だんだん不安になってきた。
人間から見て、このイエロースラッグはそれこそ害のない、ただ植物を食べるだけの生物だった。
子供でも塩を投げつければ簡単に倒せるくらいの弱い生き物。
そういう認識だったから、マンイーターにけしかけたら瞬殺されて終わるんじゃ、と、ちょっと怖くなってきたのだ。
そんな奴を、マンイーターなんて危険な植物にけしかけて、本当によかったんだろうか、と。
不安だけじゃなく、後悔も湧いてきて。
だけど、見守ることしかできなかった。
もう、彼はこの道を前に進むことしかできないのだから。
その道に、僕が誘導したのだから。
(せめて……ちゃんと見ててやろう)
もしこいつが死ぬのだとしたら、それは僕のせいだろう。
僕のせいで、こいつはひどい目に合うのかもしれない。
とんだ偽善者だった。笑われてしまうような情けない奴だった。
それでも、やったことの責任くらいは取りたい。
こいつが生きるか死ぬのかも分からないが、ただ死ぬだけで終わらないくらいには、僕自身も何かやるべきだと思えたのだ。
ナイフを握りしめながら、もう少しでマンイーターのところ、という距離。
カンテラの光が照らす、マンイーターの壁。
せめてもの援護とばかりに、さっきと同じように石ころを投げつける。
イエロースラッグが曲がり角に頭を滑り込ませる直前、蔓が石ころを切り裂き、戻ってゆく。
――さあ今だ。行け。
できることはやったとばかりに、イエロースラッグを見つめる。
きょろ、と、目玉が僕を見て……そして、小さく頷いた様に上下し、前へ向いた。
ずるり、巨体が狭い曲がり角を抜けてゆく。
長く鋭い影が、すぱりとイエロースラッグの身体を切り裂こうと纏わりつく。
《ヒュパ、ヒュパッ》
『ブシュルルル……グバァッ』
ぬめったイエロースラッグの身体は、マンイーターの蔓をものともしない。
切り裂かれてもすぐに再生し、その巨体はズルリと、マンイーターの蔓を捕らえる。
緩慢な動きのまま、俊敏に動く蔓を少しずつ、少しずつ削ぎ落すようにして食してゆく。
蔓も抵抗を続けるが、次第にその力も弱まっていき、やがて一本、また一本と動きを止めていった。
そうして蔓が全滅すると、今度は露出した疑似餌もイエロースラッグに啄まれ、そのまま食されてしまう。
マンイーターの本体は地中の浅い場所にいるためこれだけですぐに死ぬことはないが、完全に無力化されたことになる。
「すごいなお前……マンイーターの攻撃もものともしないなんて」
蔓を食べてくれたのもそうだけど、蔓による攻撃をまったく意に介していないのは驚かされた。
のろまだなんて言って悪かった。十分大した奴だったのだ。
「ありがとうな」
頭に当たる部分を撫でてやると、またぎょろりとした目がこちらを向いて上下する。
まるで「いいってことよ」とでも頷いてくれたかのようで。
なんとなく、いいやつのように思えた。
ついでに、地面に隠れてるマンイーターも、ナイフでとどめを刺しておいた。
ようやく進めたその先にももう一匹マンイーターがいたけれど、そちらもイエロースラッグ君が食べてくれたので問題なく通過。
そしてその先には……また大き目のグリーンストーン。
「これだけあればしばらくは持つな……ほんと、イエロースラッグ様々だ」
二匹目も仕留めたことで、僕の中のイエロースラッグへの評価が爆上りになっていた。
変わらず前に進み続ける彼に敬意を表しながら、この相棒とどこまでも進みたい欲求をしまい込み、彼と別れる。
「またな」
手を挙げ、出口へと戻る。
洞窟を出たころにはもう、陽が傾き始めていた。