#9.ミースと畑
家に戻ってからは、ロゼッタと二人、テーブルに広げた地図とにらめっこ。
前に西の洞窟に向かう時に参考にしたものの、危険だと言われた洞窟と北の山以外には村くらいしか把握していなかったのだ。
だけど、こうして二人で見てみると、地図を元にさまざまなことが解る。
「北の山の麓には大きな湖があってね? 村を流れている川もそこから引いてきているの」
「このあたりの水源なんだね……こっちの、湖の近くにある建物は?」
「これは管理小屋。昔はここから水量調節をしてたみたいなんだけど……大量の水の吸収と放出ができるブルーストーンが見つかってからは必要無くなっちゃって、ただの休憩場所みたいになってるわ」
まずロゼッタが説明しくれたのは、村から少し離れた北側。
山と湖が中心になっている地域だった。
「エリクが山に向かう事はあんまりないと思うけど、この山の頂上から向こう側は国境になっているの。オーランド公国の兵隊さんがうろついてる事もあるから、気をつけてね」
「オーランド公国……」
ロゼッタが細い指でなぞってゆく、山の上の方に書かれた国名。
なんとなく見覚えがあるような、ないような、そんな複雑な気持ちになる。
そういえば、と、僕自身が今いる国は何という国なのか気になり、ロゼッタの説明とは外れた、ずっと下のほうに目をやる。
「この国は、エレニアっていうんだね」
「うん、そうよ。村の南にずーっと向かった先には、王都カスティーニャもあるわ。まあ、馬車で何週間も掛かる場所らしいし、ここで用が足りない事でも、近くのシュリンまで行けば大体足りるみたいだから、覚えておく必要もないと思うけれど」
ロゼッタ自身も行ったことはないのか、ちょっと困ったように頬をぽりぽり書きながら説明してくれる。
「……見覚え、ある?」
それから、上目遣いで、ぽそり、小さく聞いてくるのだ。
その仕草に、思わずドキッとさせられてしまう。
顔を正面から見られなくて、ついそっぽを向く。
「ううん、覚えがないね」
ちょっと引っかかるものがある気もするけれど、実際、その名前を聞いて何かを思い出すとか、そういうのはなかった。
少なくとも僕は、この国や隣国であるオーランドには、それを見ただけで何かを感じるほどの思い入れはないらしい。
「そっか……」
気まずくなってしまったのか、それからちょっとの間だけだんまりになる。
「ロゼッタ、村の東には何があるの?」
このままなのはどうかなあと思ったので、自分から話題を切り出す。
まだ、ロゼッタの説明は終わってないのだ。
きちんと全部聞きたいのもあったし……何より、自分の事のように辛そうにしているロゼッタを見るのは、腹の奥がじん、と、締め付けられて辛かった。
「あ、うん。村の東には、この辺りの領主代行をしている代官様のお屋敷があるのだけれど……」
「へぇ、代官の屋敷が……」
再びロゼッタがなぞらえた先にあったのは、小さなお城のマーク。
これが代官の屋敷を示すらしいけれど、ロゼッタはちょっと言葉に淀む。
「どうかしたの?」
「ううん。ただ、ここ数年は徴税にもこないし、どうなっているのか解らないの。わざわざお屋敷に様子を見に行くのもなんだし……」
代官の仕事といえば徴税がまず真っ先に来るはず。
なのにそれをしない。どういう事だろうか?
「この辺りは、どこの村も若くて健康な男の人は戦争に駆り出されちゃったから……もしかしたら、代官様のお屋敷も人手不足でそれどころじゃなくなってるのかも……?」
「なんか、つくづく男不足っていうのが枷になってるね、この辺りは」
「うん……私がちっちゃかった頃はそんなでもなかったのにね。そのお屋敷にはね、私より三つくらい上のお嬢様が暮らしているのよ。以前は徴税の際に村に顔を出していたけれど、最近は全く見なくて心配だわ」
元気にやっているならいいけれど、と、髪をあおりながら、心配げに地図のマークを見やる。
「ターニットがすごく好きな人だったの。エリクが作るようになったから、また顔を出してこないかなあ」
ほう、とため息混じりに呟くロゼッタは、どこか大人びてるようにも見えた。
「村の西は、洞窟以外にも小さな森があるの。結構色んな果物や薬草が採れて便利なのだけれど……一人で行くのはやめたほうがいいかもね」
西側、洞窟の先に指を向け、ロゼッタの説明は続く。
「何かあるの?」
「賊が怖いわ。こういう森は、そういう人たちが潜むにはうってつけだっていう話だから……女の子一人で行くのはやめろって、お父さんから何度も言われてたもの」
中々に物騒な話だった。洞窟といい賊がいるかもしれない森といい、西側は危険な場所が集まってる気がする。
「そういう賊って、村に襲撃してきたりとかはしないの? この村、そういうのから身を守るような手段がないように見えるけど……」
気になった事といえば、賊の対処だ。
アーシーさんは僕にそういったものの対処も期待しているみたいだけど、それじゃあ、僕が居ない間はどうしていたのだろう?
ガンドさんも、村の女性は戦うことが出来ないと言っていたし、そうなると、賊にされるがままになっていたのではないかと心配になってしまう。
「んん……さっき、この辺りは国境に近いって話したでしょう? 時々ね、オーランドの兵隊さんがこの村に来るの。本当に危ない時は山の方まで頑張って向かって、兵隊さんを頼ってたわ」
「オーランドの……でも、それって越境してるってことじゃ」
エレニアとオーランドの関係は解らないけれど、他国の兵隊が他所の国の村にまで足を伸ばすのは、かなりギリギリな行為な気がする。
一歩間違えばそれが元で戦争になる可能性だってあるのだから。
「うん。元々この村を守ってくれていた衛兵さんも戦争に行ってしまったから、他国の兵隊さんでも近くにいたら頼るしかないの。オーランドには、まだ男の兵隊さんもいるし……勿論、お礼もするわ。たくさんのご馳走と物資を用意するの」
「そっか……でも、そのおかげで賊には襲われてないんだね、この村は」
「私が知る限りは一度も襲われてないわ。兵隊さん達も悪い人じゃないから、心配しなくてもいいと思うよ」
ロゼッタの話を聞く限り、守っているからと何か好き放題してる訳でもなさそうだし、オーランドの兵隊というのは案外、人のいい集団なのかもしれない。
少なくとも、村が今まで無事だったのはそういった人たちのおかげなのは間違いないのだから、特別何かを言う筋合いもなかった。
「ロゼッタ。この……北東にあるこれは何なの?」
一通り説明を終えたらしく、ロゼッタは地図から指を離したのだけれど。
僕は、まだ説明されていない、その塔のマークが気になった。
ロゼッタはそれについては説明してくれなかったし、あまり意味の無いものなのかもしれないけれど――
「それは、『ストロベリータワー』だわ。何の為にあるのかも解らないし、いつごろからあったのかも解らないの。入る事も出来ないし、誰かが住んでる様子もないから、説明する事もないかなあって」
「ストロベリータワー……」
「見るだけなら村の東の方から見えると思うけど……この辺りって、山や丘が多いから、無理に近づかないでね」
心配そうに僕を見つめてくるロゼッタ。
そんなに無理に近づいてしまいそうに見えたのだろうか。
「うん。まあ、当分はそっちの方には用事もないだろうし、近づく事はないと思う」
興味が無いといえば嘘になるだろうけど、入れないし人がいる様子もないのなら、特別優先して見に行く事もないだろうと思う。
もしかしたら僕の記憶に何か関係があるかもしれないけれど、今は自分の目的を優先すべきだと思った。
「とりあえずはこんなところかな。まだ他にも気になるところ、ある?」
「ううん。これで大分解ったよ。ありがとうロゼッタ」
今はもう、これ以上に聞くことはない。
必要なら、その都度追加で聞くことになるだろうけれど……ロゼッタが自分から説明してくれた場所だけで、多分この村にいる内では必要な事のほとんどが済ませられるんじゃないかと思う。
「それじゃ、お昼にしましょ。午後からは畑に出るんでしょう?」
「うん。まだまだ雑草も多いし、午後は草刈りを中心にやろうかなって思う」
畑仕事は、まだまだ先が長い。
ターニットの収穫は楽しみだけれどまだまだだし、少しでも畑を元の使える状態に戻して、他の作物を育てたいとも思っていた。
「じゃあちょっと待っててね。急いで作るから」
「何か手伝える事ってある?」
ロゼッタはいそいそとエプロンをつけるけれど、僕としても、毎日何か作ってもらってばかりというのも悪い気がしてしまう。
居候なりに、何か手伝いたいのだ。
「大丈夫よ。ご飯を作るの、最近は楽しくって。エリクは座って待ってて」
だけれど、やんわりと断られてしまう。
ただ、ニコニコ顔で言ってくれているので、気を遣っているというより、本当に楽しんでくれてるように見えた。
こんな顔をみせられたら、食い下がれない。
「うん……じゃあ、楽しみに待つ」
「ふふっ。エリクは午後から力を使うし、ゆっくり休んでてね」
手をフリフリ、ロゼッタは奥のキッチンへと下がってしまう。
それから少しの間、包丁を使う音やなんかが聞こえてきて、僕はその音を楽しみながら、お昼ご飯が出来上がるのを待っていた。
「あ、居た」
「……何よ」
午後一番で畑に出た僕は、何故かそこに居たミースと目が合った。
手にはスケッチブック。じろりと睨まれる。何でここに居るのか解らない。
だけど、ちょっと睨むだけ睨んだらすぐにそっぽを向いてしまった。
「もしかして、君って畑が好きなの?」
流石にもう不審者扱いはされてないんじゃないかなあと思ったけれど、それならなんで畑に居るのか解らず、また適当な事を聞いてみる。
「はぁ? なんでそうなるの?」
ミースは相変わらず人が善い。
僕の適当な振りにも反応してくれて、そしていぶかしむ様に僕の顔を見てきた。
「いや……なんか、いつもここにいる気がするから」
「私があんたと会ってからまだ三日目なんだけど?」
「だから、なんとなくそんな気がして……違った?」
的外れな事を聞いたからかもしれない。
ジト目で見て、「何考えてるの」みたいな顔になっていた。
だけど、つまり僕は彼女から見て何を考えてるか解らない奴なのだろう。
睨まれても気にしていない風を装って首をかしげると、ミースは困ったように眉を下げ、そっぽを向いてしまった。
「……別に。今日もちゃんと畑を手入れする気があるのか、見に来ただけ」
「そう」
「そうよ」
それだけだから、と言いながら、それ以上は言わなくなる。
ミースとしても、わざわざそんな事を聞かれるのは予想外だったのかもしれない。
だけど、わざわざ監視を買って出てくれたのだ。
有り難いと思いながら作業する事にした。
「よっ、ほっ……はっ」
雑草を抜いていると、ジリジリと肌を焼く陽の強さに珠の汗が流れてくる。
一人きりだと一心不乱になる作業。
けれど、ミースが見ていると「見られている」という感覚がある為か、集中し過ぎず、適度に周りに意識を向けられた。
そうすると、次第に解ってくるのだ。自分の疲れが。
「……ふーん」
足腰に来る重い疲れ。
何も考えずにやっていたらもっと無理をしてしまっていたかもしれないけれど、ミースのなんでもない声のおかげで、作業を中断できた。
「どうかした?」
痛む腰に気を遣いながら振り向いてみると、ミースは柵の上に腰かけ、スケッチブックを開いていた。
ターニットを植えた時にも腰かけていた場所。
一か所だけちょっと土台の部分が低くなっていて、柵もそれに合わせて一段低いのだ。
もしかしたらミースにとっては腰掛けやすい場所なのかもしれない。
声を掛けたからか、スケッチブック越しに僕の顔を見る。
「別に。思ったよりは速く進むのね。雑草抜き」
ミース先生からのお褒めの言葉だった。予想外だったけど、ちょっと嬉しい。
「大分動けるようになったからね。それに、目標もできた」
「目標って?」
「沢山頑張って村の男として認められて、ロゼッタがからかわれないようにしたいな、って」
その為にできる事は、なんでもやるつもりだった。
その決意をミースに聞かせてもあり意味はないかも知れないけど、でも。
こうしてきちんと言葉として出したかったのだ。誰かに聞かせたかったのだ。
そんな勝手な想いだったからか、ミースは「なにそれ」と口を抑えて笑い出す。
「まるでロゼッタをお嫁さんに貰うみたいな事言うのね。ただの居候が」
「……お嫁さんに?」
何でそんな反応になるのか解らない。
困惑していると、「ああ」と、気のない声でミースが目を細める。
「そういう気はないのね。だとしたらほんとに助けられたお礼に、とかか。ああ、なんて感動的なのでしょう」
「感動してくれてもいいんだよ?」
「する訳ないじゃない! 皮算用もいいところよ!!」
作物一つ作れてない癖に、と、足をばたつかせながらスケッチブックを閉じてしまう。
「そういえば、洞窟の前でも持ってたけど、それ、何か描いてるの?」
「んー? これ? 気にしなくていいわよ。ただ趣味で持ち歩いてるだけ」
持ち歩くのが趣味なら特異だけれど、そんなことはないだろう。
描く方が趣味なのだろうけれど、それにしても言い回しが迂遠過ぎないだろうか。
はっきりと「絵を描くのが趣味だから」と言ってくれればいいのに。
「スケッチブックを持ち歩くのが趣味のミース」
「……何よそれ」
「いや、なんとなく」
「変なあだ名付けないで! 定着したらどうするのよ!?」
気を悪くしてしまったらしい。
なんというか、何故だろうか?
ミース相手だと僕という奴は、ちょっと意地悪な奴になるのかもしれない。
なんでか楽しいのだ。こういうやりとりが。
僕が言う事にミースが反応してくれるのが、とても楽しい。
「馬鹿みたい……もう帰る」
「最後まで見ていかないの?」
「雑草抜きなんて最後まで見ててもつまんないし。いいわよ別に。暇潰しできただけだから」
心底つまらなさそうな顔で柵から降り、スカートの後ろをぱん、ぱん、と叩いてから歩き出す。
「またね」
「……ええ」
とっても短かったけれど、きちんと返答してくれた。
それがとても大きな変化のように思えて、つい口の端が緩んでしまう。
ミースには面白くない顔を、きっとしてるんだと思う。
でも、去っていくミースも怒った様子はなく、普通に歩いているし、きっと昨日までよりも関係が良くなったんじゃないかと思えた。
午前中もだけど、こうやって少しずつ距離が縮められれば……ミースとも笑顔で笑いあえたりするんだろうか?
ロゼッタのように朗らかに笑ってくれるところはまだ想像できないけど、いつかは、ミースにもきちんと認められたらなあと思う。
「よーし、頑張ろうか」
あと一息。それだけ頑張ったら一休みしよう。
ミースとの会話で少しだけ癒やされた足腰に号令し、僕はまた、雑草抜きを再開した。




