異世界転移した俺が可愛い魔女のぽってりした唇をいただいた話
初投稿作品です。よろしくお願いします。
俺は渡辺玉男、28歳。
身長は平均的だが体重が平均の倍近くあるという、まさに玉のような男だ。
お察しの通り食べることが大好きで、特にラーメンに目がない。
実は今も、空腹を抱えてJR中央線から山手線に乗り継ぎ、お気に入りのラーメン屋に到着したところだ。
この日はひどく混んでいてしばらく外で並ぶはめになった。濃厚なスープの香りが店の外まで漂ってきて悶絶させられた。
1時間並んでようやく券売機に辿り着き、あらかじめ心に決めていた大好物「チャーシューメン大盛り味玉トッピング」を購入した。
ほどなくカウンター席に案内され、店員に券を渡した。
興奮が高まりすぎてここからの待ち時間は永遠のように感じられた。
「お待たせしました。チャーシューメン大盛り味玉トッピングです」
ついにきたと鼻の穴を膨らませた。が。
隣の客のものだった。
ひどいフェイントだ。しかも隣の客の食いかたの美味そうなことといったら。そのせいでラーメン欲が限界を突破した。もう無理だ。これ以上待てない。早くきてくれ俺のラーメン俺のラーメン俺の俺の俺のラーメンラーメンラーメンラーメンメンメンメンメン。
がたがたと身体が震え始めたそのとき。
「お待たせしましたー!」ごとん。
夢にまで見たチャーシューメン大盛り味玉トッピングが、ついに今度こそ目の前に置かれた。
内心で歓声をあげ、踊った。そしてうっとりと観察した。
いつもながらなんという美しさだろうか。
湯気とともに立ち上がる香りが心に染み渡る。
俺は左手にレンゲ、右手に箸を構え、心の中で「いただきます!」と叫んだ。
レンゲにスープを少し掬ったが今日はまず麺からいただくとしよう。
箸先を差し込み、細くてつや腰のある自家製麺を束にして持ち上げた。
俺の口が、ラーメンを迎え入れる形になった。
その瞬間だった。
停電と同時に床が抜けた。そう思った。
「……っ!」
どこかに落ちて激突する恐怖に身を縮めた。
さいわい、激突も転倒もしなかった。
俺は身を縮めたポーズで立っていた。
服装と身体に異変はなかったが、目の前に置かれたはずのラーメンが消失していた。
ラーメンどころかラーメン屋が消え失せ、知らない部屋になっていた。
手に持っていたはずのレンゲと箸すらなかった。当然、箸で掴んでいた麺も消えている。
カウンターの下の棚に置いたお気に入りのカバンも見当たらなかった。
「どうなってんだ」
そこはまるで、映画で見た魔女の部屋のようだった。
薄暗くて、とにかくもので溢れている。
木製の棚に並んだ大量の分厚い書物と、中に怪しげな粉やら何やらを入れたたくさんの保存瓶。
溶けたろうそくまみれの燭台、ぐねぐねと曲がった不思議な短剣。
その他さまざまなものが無造作に並び、あるいは積み上げられていた。
何より、俺の前に立っている女の子の見ためが、ハロウィンの仮装などでおなじみの典型的な魔女だった。
彼女は少しだけ困った顔をして、寝起きのような声でつぶやいた。
「あれ。豚肉料理を召喚したつもりが……」
年齢は俺より少し下といったところか。
総じていえば美少女だった。
背丈は俺と変わらないが身体が細く、顔も小さくて脚がすらりと長い。
ボリュームのある明るい金髪が腰まで伸びて毛先だけくるりとカーブしている。
群青色の瞳はどこか眠たそうで、艶のある唇がぽってりと厚かった。
特に下唇はなんなら少し持て余し気味のように見える。
魔女は右手に持っていた本を見つめて、眉間を少し寄せてやはり寝起きのような声で「ドラゴンのウロコをサーモンのウロコで代用したのが失敗の原因かしら」などと言った。
俺は腹の底から叫んだ。
「ぎゃあああああああああああああああ!」
叫ばなければ気が変になると思った。正気を保つため全てのストレスを吐き出した。
「なんだこれ!ふざけんな!俺の口完全にラーメンの形になってんだよ!ラーメンどこいった!まさに食べる瞬間だったんだ!責任とれよ!うわああああああああああああああああ!ラアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
魔女は少しだけ驚いたような困ったような顔で俺を見ていた。
そして俺が酸欠で黙るのを待ってから小首を傾げ、ゆっくりとこう言った。
「ラーメンという食べ物はそのような形をしているのね?」
言いながらしげしげと俺の唇を観察している。
俺は魔女をその場に正座させ、いや、正座の意味が伝わらなかったので苦労したが、とにかく正座をさせてまず名前を問うた。
「エレットラ」
俺の形相に少し怯えながら名乗った。
そこからはずっと俺のターンだ。小一時間に渡ってこんこんと説教をした。
なんの落ち度もない俺の食事を邪魔したことをまず謝れ。
今すぐラーメン屋に戻せ。
できないならラーメンをここに取り寄せろ。
ていうか俺の話を真面目に聞いてるのか。
どうでもいいみたいな顔してまさか寝てるんじゃないだろうな。
後半はヒートアップして大声になっていた。
気付くとエレットラは少しだけ顔を歪ませていた。
「ごめんなさい……」
瞳からボロボロとこぼれた涙が持て余し気味の厚い唇を濡らした。
この魔女、感情に乏しいのではなく、それが表情に出ないだけなのだとここで気付いた。
俺は「くそ」と吐き捨てて立ち上がり、この部屋唯一の出入り口らしき部屋の隅の石階段を乱暴に上がった。
上階の部屋には窓があり、レースのカーテン越しに入る光が室内を柔らかく照らしていた。
さっきのはつまり地下室だったわけだ。
部屋にはキッチンとテーブルがあった。
キッチンには様々な道具や調味料が並んでいる。カラフルな色の鍋だけでも10種類はありそうだ。それらが綺麗に整理されている様子から、あの魔女は料理が好きなのだろうと思えた。
他にも食器棚や本棚などなどやはりもので溢れてはいたが女の子らしい生活感があった。窓のそばには素焼きの植木鉢が並び、綺麗な花がたくさん咲いていた。
部屋の優しさに反比例して、なんだか心の中がもやもやしてきた。
俺はその暗い気持ちを体内から追い払うように大きくため息をつき、玄関扉を開けて外に出た。
そこは雑木林のど真ん中だった。
振り返れば魔女の家は可愛らしい小さな造りで、木漏れ日を浴びてぽつんと建っていた。
俺は家に背を向け、下草に埋もれて消えそうな頼りない小道を足早に進んだ。
雑木林を抜けると広々とした緑の丘陵地帯だった。先ほどからうっすら感じてはいたが、やはりここは日本ではなさそうだ。
緩やかな登り坂の向こうに古いヨーロッパの片田舎のような町並みが見えた。
曲がりくねった道を登って町の中へと入ってみる。
中央の広場は活気に溢れていた。
布で日差しを遮っただけの簡単な造りの露店が多く並んでいる。
不思議な形の野菜や果物を売る店、剣や防具、魔法の道具を扱う専門店などがあった。
さらに、青空の彼方に翼の生えた巨大な恐竜のような生物が飛んでいくのを目撃するに至り、俺は疑いを確信に変えた。
俺は異世界転移をしたのだ。
町の人々の服装が質素なため小奇麗な身なりの俺は完全に浮いてしまい、好奇心旺盛な人々によってあっというまに取り囲まれた。
皆が友好的で助かったが、ラーメンを知っている者はひとりもいなかった。
俺はがっくりと肩を落としてため息を吐いた。
作るしかないか。
ひらめいた。
そうとも、自分で作ればいいのだ。
それはとても良い思いつきだった。
が、それにしても胸の中のもやもやは晴れないままだ。
「その、ラーメンとやらが食べられるあんたの国はどのへんにあるんだい」
ひとりの老人がわざわざ世界地図を持ってきてくれた。
見せてもらったが、思った通り地球のそれとは似ても似つかぬ地図だった。
「俺の国は地図に載らないほど遠い。それなのに気付いたら魔女の家の地下室にいたんだよ」
人々の顔がパッと明るくなった。
「ああ、エレットラか」
「彼女に召喚されて来たってこと?」
「つまりエレットラに会ったんだね? いいなあ」
なんとあの魔女はかなりの人気者だった。
過去何人もの男が求婚して玉砕したらしい。
ぽってりした唇と天然ボケが魅力なのだと熱く語られた。
残念ながら孤独を愛するタイプなのだそうで、だからみんなそっと距離を置いて、遠くから見守るようにして付き合っているらしい。
集まっていた人々が楽し気に説明してくれるが、俺の頭に思い浮かんだのは彼女の泣き顔だった。
同時に胸が締め付けられた。
もやもやの原因がわかった。
悪気などなかった彼女に、俺はあまりにも言い過ぎてしまったのだ。
特に、表情のことを責めたのは完全に間違いだった。
「ごめんなさい」と泣いて謝った彼女に俺は「くそ」としか言わなかった。
急にラーメンなどどうでもよくなった。
いてもたってもいられなくなった。
俺はみんなに頭を下げ、走ってその場を離れた。
丘を下るのがまどろっこしかった。
大きなカーブを直線的にショートカットした。
思わぬ急斜面があり、足を滑らせて尻もちをついた。
雑木林に辿り着いたが、やはりこの小道は頼りなく、何度か見失った。
さっきの道を正しく戻っているという自信がなくなった。
こんなに遠かっただろうかと不安になったとき。
樹々の向こうにやっとあの小さな家を発見した。
そっと玄関をノックした。
相変わらず寝起きのような声で「誰」と返事があった。
地下室からではない。すぐそばだ。
拒絶するような言い方には聞こえなかったのでそのまま扉を開けた。
出る時にも思ったが、鍵をかける習慣がないらしい。
エレットラは台所に立っていた。魔女衣装の上にフリル付きの白いエプロンを着ていた。
何か洋菓子を焼いたようないい香りがした。
俺の顔を見るとエレットラの表情が少し曇った。
そりゃそうだ。怒って出て行った謎のデブが帰ってきたのだ。不安になるのが当たり前だ。
「さっきは悪かった」
俺はその場に正座して頭を下げた。土下座だ。
そのまま続けた。
「カッとなって言い過ぎた。本当にすまない。ごめんなさい……!」
汗まみれで呼吸も整わないまま、心の底から謝った。
彼女はどんな顔で聞いているのだろうか。
許してもらえない予感がして、苦しさで圧し潰されそうになった。
少し間を置いて優しい声がした。
「顔をあげて」
おそるおそる顔だけ上げると、エレットラが少し嬉しそうに微笑んでいた。
「言い過ぎなんかじゃない。そんなに謝らないで」
ホッとした。
思わずもう一言謝ってから、全身で安堵した。
エレットラは俺なんかとは違い寛容な女の子だった。
安心すると急に饒舌になり、一気にいろんなことを話した。
俺の名前。
この町の広場に行って大勢の人に会ったこと。
みんながエレットラのことを好きだと言っていたこと。
元の世界に戻れないなら、俺がここでラーメンを開発すればいいとひらめいたこと。
そこで彼女は「そうそう」と持て余し気味の唇をきゅっとすぼめると、衝撃の一言を寝ぼけ声で放った。
「私、ラーメンを作ったよ」
言葉の意味を反芻してから、俺は盛大に叫んだ。
「マジでええええええええええ!?」
興奮して部屋中を見回した。
エレットラは魔女だ、何か便利な魔法でも使ったのだろうと思った。
しかしラーメンらしきものは発見できない。
エレットラがゆっくりした所作で調理台から大きな四角いトレイを運んできた。
テーブルの上に置いて銀製の蓋を開けると、そこにはクッキーのようなものが縦横規則正しくずらりと並んでいた。数えたわけではないが100個近くはあると思われる。さっき気付いたいい香りはこれだ。
いや待て、ラーメンは?
「どうかな。形だけではあるけれど『ラーメン』のつもり」
よく見ればクッキーは実物大の『唇の形』をしていた。
いや、型だけでは少々怪しいが、しかしひとつひとつの表面に艶やかな赤いジャムが、唇の形に塗られていたのでそうだとわかった。
「良かったら食べてみて」
口がラーメンの形になっていたという俺の言葉を勘違いしたというわけか。だが俺は落胆などしなかった。
俺なんかのために、一生懸命彼女なりに『ラーメン』を作ってくれたのだ。
胸が暖かくなった。
「確かにラーメンだ。ラーメンの形だ」
俺は笑いながら隅のひとつを手にとっていろんな角度から眺め、唇クッキーの出来映えを褒めた。
そして口に放り込んだ。
焼き上げてから間もない、まだ温かいクッキーだった。
さくっとした香ばしさにイチゴジャムのねっとりした甘酸っぱさが絶妙のハーモニーを奏でた。
美味しいよと素直な感想を伝えて、唇についたジャムを舌でぺろりと舐めた。
続けて2個、3個と食べた。
4個目をもぐもぐ食べながら、口紅のように塗ったジャムがリアルだねと手先の器用さを褒めたら、エレットラは少し頬を赤くして、絵を描くのは苦手だから自分の口にジャムを塗って、焼き上がったクッキーに1個ずつキスをしたのだと笑った。
俺はぶうと吹いて、エレットラの顔を茫然と見つめた。
彼女の持て余し気味の分厚い唇の端によく見ればイチゴジャムが付いていた。
俺は再び彼女を正座させ、食品衛生管理の重要性と、女の子が大切にするべきものについて小一時間こんこんと説教をした。
その後、本物の唇をいただける日が来たのかどうか?
それはご想像にお任せしたい。
ありがとうございました!