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幸せのありか 3


 やっと幸せをつかめるのだと、思っていた。

 こどもがいるなんてばれたら、婚約も白紙に戻ってしまうと、そう思った。

 だから殺したのに。

 だから殺したのに、あの子を。

 公園の大木の前で、あの子を呼び出して、首を絞めた。

 そうして、土に埋めた。

 殺したはずだ。

 自分は、幸せになれるはずだった。



 町が眠る時間──

 家屋の明かりはすべて消え、大通りに時折見える明かりが、ほのかにその下を照らしている。

 噴水のある公園の木の下では、リディスが立っていた。悠良たち三人もまた、同じだ。 やがて、夜中だというのに日傘をさした、見事なブロンドの女性が、現れた。

「……どうして?」

 彼女は、悠良たちの存在には注意を払いもせず、真っすぐにリディスのもとへと歩みをすすめた。

「あなた、死んだでしょう? あの夜、あなた、この場所で、死んだでしょう? どうしてまたいるの、どうしてよ……!」

 震えた、むりやり感情を押さえこんだような声で、いう。

 しかし、リディスが何かをいう前に、悠良が口を開いた。

「あなたが、殺したのね?」

 エイヌ=ニールティアンは、悠良の方を見たが、驚きもしなかった。もしかしたらどこか、おかしくなっているのかもしれない。必要以上に、彼女は饒舌だった。

「ええ、そうよ。わたしが殺したの。わたしの幸せのために、この子を殺したの。だって、

この子邪魔なんだもの。この子がいたら、わたしは、幸せになれないんだもの……!」 「人を殺して得る幸せなんて、幸せじゃないと思うけどね。ちょっとその辺、あまいんじゃないの、おねーさん」

 しかしエイヌは、怜の言葉に、高らかに笑った。

「何も知らないくせに……! いいのよ、人はね、裏切られて、裏切って、そうやって生きていくのよ。あなたたちだって、そうでしょう? リディスだって、そういうこと、知らなかった自分が悪いのよ」

「安心してください」

 リディスは、淋しげに、笑った。

「僕はもう、死んでます」

「何よ、じゃあさっさと消えなさいよ!」

「……!」

 かわいた音が響きわたった。

 悠良は、エイヌの頬を、殴っていた。

「……あなた、何様のつもり? この子を生んだって、それだけで、すべては思い通り?

冗談じゃないわ……あなた、そんな……!」

「だってそういう生き方をしてきたのよ」

 泣き笑いのような、笑顔。

 エイヌはただ、笑った。

「泣き方も忘れたわ。本当の笑い方も、忘れたわ。毎日を取り繕って、そうやって生きてきたのよ……でもね、幸せになれるの、幸せになれるのよ……! もうすぐ、本当の幸せが、手に入るのよ……!」

 ほんとうのしあわせ。

 そんなものはたぶん、誰も知らない。

 その言葉に執着する愚かさに、彼女は気づいてはいなかった。

「あなたのいう幸せというのは、なんなのですか?」

 莉啓の問いに、エイヌは唇の端をあげる。

「変なこと聞くのね。幸せは幸せよ。自分が、幸せだと思えることよ。そんなこと決まってるじゃない!」

「お母さん」

 リディスは、じっと母親を見つめた。

「あなたは今、幸せですか?」

 ひどく簡単に、その言葉は口から流れでた。

 ずっと聞きたかったこと。

 自分を生んでくれた母親に、自分に幸せだと思うことを与えてくれた母親に、ずっと聞きたかったこと。

 幸せですか、と。

「……し、幸せじゃないわ……でもあなたが死んでくれれば、幸せだわ……そういっているでしょう……」 

 肩が震える。

 この息子は、何をいっているのだろう。

 死んでもなお、自分の前に現われて、一体何を。

 自分を責めているのではない。これは、そういう目ではない。

 ……哀れみ?

「いいたいことがあったんだ。だから、死ねなかった。お母さんに逢えて、やっといえると思ったら、この前はいえなかったから、今いうね」

 リディスは微笑した。

「僕を生んでくれてありがとう。僕はとても幸せです。だからお母さんも、幸せになってください」

 短い、ただそれだけの言葉。

「……な……ん、ですって……?」

 エイヌは、リディスを見つめた。

 馬鹿だ。

 自分を捨てた母親を、自分を殺した母親を、そんな目で見るなんて。

 そんな、嬉しそうな、いとおしそうな、目で。

 リディスの身体は、次第に薄れていった。役目を果たし、天へと昇華する。

 かすかに残った輪郭が、笑顔が、最後に怜たちを見た。

「……レディは、悲しむかな」

 誰もその問いには、答えられなかった。

 悲しむに決まっている。しかしそんなことは、いうべきではない。

「……ああ、ねえ、レディに伝えて。リディスはこんなにも……こんなにも、レディのことが大好きだって……」

 そして、静かな、静かな光。

 リディスの消えたそのあとには、ただ静寂だけが、残る。

「覚えておきなさい」

 悠良は、押し殺した声で、ゆっくりと告げた。

「あなたは、愚か者だわ」














 翌日。

 旅の宿リュミエの女将であるレディが、もっとも心待ちにしていた朝。

 しかし、彼女は、木の下に植えられていた死体を発見することになる。死後一週間の、息子の死体を。

 一度も、お母さんと、呼ばれることのないままで。




 とうとうこの日がやってきたと、エイヌ=ニールティアンは微笑んでいた。

 手を尽くして手に入れた幸せだ。絶対につかんでみせる。

 息子は、確かに、死んだ。消えていくのを、この目で見た。

 これでもう、邪魔するものは何もない。

 きらびやかなドレスに身を包み、彼女はパーティー会場を見渡した。まだ、人はきていない。当たり前だ、まず婚約者との対面をするのだから。

 こんな胸の高鳴は、久しぶりだった。これから一生一緒にいる相手だ。どうせなら、いいひとがいいに決まっている。

 やがて、ホールの重い扉が、開かれた。

 勢い良く振り返る。

 そこでは、自分と同じ年齢ぐらいの男性が、立っていた。

 この地方ではめずらしい、白銀の髪。

 どこか情けない、笑顔。

 ……エイヌの表情が、強ばった。

「久しぶり、エイヌ」

 男はどこか照れ臭そうに、いった。

「前々から、報せておいても良かったんだけど、驚かそうと思ったんだ。ここのお屋敷に、世間を知るためにお世話になって、良かったと思ってる。だって、君に出会えたんだから。びっくりしただろう?」

 エイヌの耳に、言葉など届いてはいなかった。

 視界が真っ暗になり、男の姿だけが、浮き彫りにされた。

 これは、どういうことだろう。

 何かの、夢なのだろうか。

 こんな、たちの悪い夢……!

「僕たちのこどもは、元気にしてるかい?」

 その場にへたりこみ、エイヌは、笑った。

 両目から、忘れたはずの涙が、思い出したかのようにあふれ出てきた。

「じゃあ、わたしのしたことは……」

 あなたは愚か者だわ。

 あの少女の言葉が、聞こえてきた気がした。

 エイヌは、声をあげて、笑った。







*****







 それから何年、たったのだろう。

 旅の宿リュミエに、三人の客が、訪れた

「いらっしゃい、お泊りですか? それともお食事?」

 ふくよかな女性にそういわれ、客は食事だけと答える。

 女性は、うしろに大きく声を張り上げた。

「アンター! お客さんだよ! お茶をお持ちして!」

 そして、すいませんねぇさわがしくて、といいのこし、女性は慌ただしく他の客の注文を受けに行く。

 三人は、顔を見合わせて苦笑し、椅子に腰かけた。

「可愛い赤ちゃんね」

 その中のひとりが、そう女性に話しかけた。

 彼女は振り返り、恥ずかしそうに笑う。 

「この歳になってね、やっと生まれたんですよ。でもおぶってお仕事しなきゃなんないから、もう大変! ほらリディス、ご挨拶!」

「あー、う!」

 にこやかに、背中の赤ん坊が声をだす。

 一生懸命手をのばそうとする赤ん坊に、女性は笑った。

「あらあらお客さん、気に入られちゃったみたいね。なあに、その長い棒!」





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