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幸せのありか 2


 ──あなたは今、幸せですか?──


 昔何度も読んでもらった童話。

 身寄りのない少年が、旅をしながら、そう多くの人に問いかける。


 ──あなたは今、幸せですか?──


 幸せだと、そう答える人に、ならば自分も幸せだと、そう答えた。

 幸せなものかと、そう答える人に、ならば一緒に探しましょうと、そう答えた。


 ──あなたは今、幸せですか?──


 なかには、答えない大人もいた。

 よくわからないといって、笑うこどももいた。

 少年は、何度も何度も問いかけているうちに、人にこう聞かれるようになった。


 ──そういう君は、幸せかい?──


 少年は、答えることができなかった。



 幸せを探す少年。

 少年は、多くの人の幸せに触れるが、それは所詮他人の幸せにすぎなかった。

 彼は幸せに触れるたびに、孤独になった。

 でもたぶん、それは違うとリディスは思う。

『幸せ』なんて、ものさしがあるわけじゃない。人にきかれて、答えるものじゃない。

 嬉しいと思うこと、悲しいと思うこと、全部ひっくるめて『幸せ』なのだと、そう思う。

 それでもリディスは、この童話が大好きだった。

「あなたは今、幸せですか」

 声にだしていってみる。少し気恥ずかしい。

 そう尋ねて、幸せだといわれたら、きっとそれは素晴らしいことだ。

 嬉しい気持ちで、いっぱいになるだろう。

 まだ、きいたことはないけれど。

「リーディース、ちょっといいか?」

 物思いにふけっていると、そう陽気な声が聞こえてきた。

 一階にあるリディスの部屋に客が訪ねてくるなどということは今までなかったが、声から怜であると察する。リディスはあわてて、扉を開けた。

 そこには、片手に長い棒、もう一方にトレイに乗ったふたつのカップを持った怜が、にこやかに立っていた。

「レディさんから紅茶もらってきた。一緒にどう?」

「うん! どうぞ、入って」

 トレイを受け取り、招き入れる。

 二人は、小さな部屋の端にあるガラス製のテーブルを囲み、座り込んだ。

「わあ、レディ特製のお茶だ。これね、なかなか作れないんだよ」

「みたいだね、さっきレディさんにいわれたよ。心して飲めってね」

 根っから女将タイプのレディは、とくに客に向かって敬語を遣うということもない。

 レディが紅茶を渡している現場を想像して、リディスは思わず笑みをこぼした。

「でも、おいしいのは本当だよ。レディの作るものは世界一さ」

 それが自分にとっての自慢であるかのように、いう。

 怜もまた笑ったが、やがて、呟いた。

「リディスはさ、今、幸せなんだな」

 少しの間。

 リディスは、驚いているようだった。

「どうして?」

「俺ね、母親とか知らないからさ。レディさんは、本当のお母さんじゃないんだろ? でもそうやって、リディスはレディさんのこと、大好きみたいだから」

 リディスは少し、考えた。ひとにいわれて、初めて気づく──確かに自分は、レディのことが大好きで、毎日が楽しい。

「うん、そうだね、すごく幸せ」

 すごくしあわせ。

 怜はその言葉を、つよく心に受ける。嘘ではない。

「でも、なんでレディさんのこと、お母さんって呼ばないんだ?」

 その言葉に、ほんの少しためらってから、彼は小さく笑った。

「約束なんだ。もうすぐ、僕の十二歳の誕生日──レディが、僕を見付けた日からね──なんだけど、十二歳の誕生日までは、レディのことを『レディ』って呼ぶって。十二年経っても、レディが僕のお母さんになってくれる気でいたら、僕の本当のお母さんが迎えにこなかったら、その時は『お母さん』になってくださいって」

「……そっか、約束か」

「うん」

 怜は、もう一度そうかと呟き、紅茶を飲む。

 それから、思い出したかのように、問いかけた。

「いつなんだ? リディスの誕生日」

「明日、なんだ」

 そう答えた少年の笑顔は、どこか淋しそうだった。


「約束、ね」

 食堂の、一番端の椅子に腰かけ、レディ特製の紅茶を眺めながら、悠良は呟いた。

「じゃあ、明日が楽しみね」

 その奥で、食器を拭いているレディが、にこやかに答えてくる。

「そうねえ、やっぱり、呼んでほしいですもんね、お母さんって。うちには、こどもができなかったから。ダンナも遠くで働いてて、なかなか帰ってこないしねえ」

 レディは、見るからにあたたかそうな、ふくよかな女性であった。その笑顔を見ていると、ここの宿をほとんどひとりで切り盛りしているというのも頷ける。宿として、安心感が得られるからだ。

 とても幸せそうなレディに、悠良は胸が締め付けられるようだった。

「リディス……といったかしら? よく働く、いい子だわ。随分と旅をしてきたけれど、あんないい子はめったにいない」

「そうでしょう? あたしとしては、もっと甘えてくれてもいいんですけどねえ。ひょっとしたら、こどもなりに気を使っているのかもね、頭のいい子だから」

 そうね、と、悠良は答える。

 ……それが、限界だった。

「お茶、ありがとう……とてもおいしかったわ」

 そうとだけいい残し、席を立つ。

 悠良はすたすたと階段を上がり、部屋に入ると、唇を噛み締めた。

 どうしようもないやるせなさが、広がった。



 莉啓はまた、大木のもとへと足を運んだ。

 そこではすでに、今朝見た女性が、たたずんでいた。

「…………」

 距離をおいて、莉啓は彼女を観察することにする。本来なら、こういうことは怜の仕事のはずだが、仕方ない。

 一応、宿の戻った時点で調べておいた。エイヌ=ニールティアン。今回の出来事に関係あるかどうかはわからないが、少なくともこの異様な大木には関係しているのだろう。

 十分、二十分……

 じっと、彼女は動かない。

 怜であれば、何か行動を起こすのだろうが、莉啓はただ見ているだけだった。そもそも、行動的な性分ではないのだ。

 あきらめて、帰ろうかと考える。しかしその時、エイヌはそっと日傘を閉じた。

「もう、ここにくるのも、最後にするわ」

 それは、独り言のようだった。莉啓であるから、辛うじて聞こえるほどの。

「わたしは、幸せになるの」

 そうして彼女はきびすを返し、振り返らず、真っすぐに歩いていく。

 彼女の姿が見えなくなってから、莉啓は大木に近づき、見上げた。

 一体、なんだったのだろう。

 血の匂いは消えない。

 何かを、この木は、見てきたはずだ。

 莉啓は、木の幹に触れた。身体のなかにある力を注ぎこみ、その内部のものを感じ取ろうとする。

 ひどく漠然としたものが、流れこんできた。

「憎悪……?」

 少し、違う気がする。

 彼は、小さく首を左右に振った。



 旅の宿リュミエは、純粋にレストランとしても人気があるらしく、昼時になると多くの客が押し寄せてきた。座れなくなってしまう前に、三人はさっさと昼食をすませ、夕方に戻るといい残し、宿をあとにする。

 そうして公園に来てみると、そこには、ちらほらとこどもの姿があった。

「この木ね、莉啓がいっていたのは」

 そういって、悠良が大木を見やる。

 莉啓は頷いた。

「奇妙だろう、どこか。これだけの木になれば、魂も持つのだろうが……」

「悲しんでいるわ。ひどく、悲しいものを見たのね。泣いているもの」

 一瞥しただけで、悠良はそうこの木のことを表した。天から降りてきた『聖者』にとって、何かを感じ取るということは少なくないが、天女の力は特別だ。

「んー、じゃ、きっと関係ありだね。リディスの机の引き出しからいただいた、この手紙を見てどう思う?」

 怜が、ぴらぴらと紙切れを見せる。無言でそれを受け取り、悠良は読みあげた。

「……公園の、大きな木の下で、町が眠る時間に逢いましょう。母より。……母、より、ですって?」

「母親か……よめてきたな」

「いやあ、ちょっと罪悪感だけど。睡眠薬なんて、使ったの久しぶりだよ」

「怜にしては、上出来だ」

 莉啓が、褒め言葉とはいいがたい言葉をよこす。おそらく、誉めているのだろうが。 

「この木を見つめている女性がいてね。調べてみると、エイヌ=ニールティアンという貴族の女性だった。もっと調べてみたら、興味深いことがわかったよ」

「……興味深いこと?」

「エイヌ=ニールティアン、二十七歳。彼女は十一年前に、使用人と結婚したいと両親にせがんだが、認められなかった。それ以降、全ての結婚話を断ってきたそうだ。それが今になって、婚約の話が持ち上がっている」

 十一年前。

 なるほどねと、怜は頷いた。

「じゃ、誰が本当のお母さんなのかは、ほとんど決まりだね」

「そうね……行きたくても、逢いにいけなかったと、そんなところかしら」

 悠良は、そう自分でいってから、首を振った。

「あんなに、素敵な『お母さん』がいるのに。わからないものね」

「事故かな」

「しかないでしょう?」

「……そっか」

 三人とも、どこか釈然としないといった面持ちで、黙ってしまう。

 でも、と怜が口を開いた。

「きっとリディスは気づいてるんだと思う」

 あの、淋しそうな笑顔を見ていればわかる。

 かなわない夢だと、知っている者の笑顔だ。

「……もう自分が、ここにいてはいけないんだってこと」



 後悔なんてしていなかった。

 自分は幸せをつかむために、精一杯の努力をしたのだ。

 エイヌ=ニールティアンは、鏡の前に立ち、自分に微笑みかけた。

「良かったわね、エイヌ」

 自分への祝福。他に、婚約を喜んでくれるような人間もいない。みんな嘘。みんな嘘つき。エイヌにとって、世界とは虚構であった。

 最近よく夢に見る、この地方ではめずらしい、白銀の髪をした青年。どこか情けない笑顔をいつも浮かべた、当時のこの屋敷の使用人。

 十一年前、二人は燃えるような恋をした。

 結婚を、誓い合った。しかし、貴族の令嬢とその使用人だ。世間が、何よりも両親が、許すはずもなかった。

 駈け落ちしようと、約束したのに。

「わたしの勝ちよ」

 ねえ、レヴィン。

 かつての恋人に、心のなかで話しかけ、もう一度笑う。

「わたしは、幸せを手に入れるわ」

 あきらめかけていた幸せ。

 ああ、でもひとは、幸せになれるものなのだと、噛み締める。

 笑いが止まらなかった。

 間違いなく、彼女は幸せだった。

 明日は、婚約パーティーなのだ。

 エイヌは、鼻歌混じりに、窓際のゆり椅子に腰かける。そうして、窓から下の通りを眺め──

 ──瞬時にして、笑顔が凍りついた。

 十歳ほどの少年が、袋いっぱいの野菜を抱えて、通りを走り抜けていった。

 でもエイヌは知っている。年齢は十一、旅の宿で働く少年……何もかも、知っている。

 彼女は立ち上がった。

「……どうして?」

 窓を殴り付け、両目を力一杯開き、少年の後ろ姿を目で追いかける。

「どうしてよ……!」

 シアワセが。

 消えていってしまう──



「ただいま! 野菜買ってきたよ!」

「はいはい、ご苦労さま。おまえはもういいから、部屋でゆっくりしておいで。忙しくなったら呼ぶから」

 明るい笑顔でそういわれ、リディスは甘えることにした。

「うん、じゃあ、そうする」

 棚の上に置いてあった、今朝の残りのフルーツを一つつかみ、自室に入る。別段、疲れているというわけでもなかったが、彼はベッドに寝転んだ。どういうわけか、昼にうたた寝をしてしまったので、少しも眠くない。

 寝返りをうち、机の上の開かれた窓のそばに、封書が置いてあることに気づいた。

「……?」

 訝しんで、起き上がる。家をでる前は、なかった気がする。野菜を買いにいくだけのつもりが、途中でずいぶん色々な店に入って寄り道をしたので、その間に誰かが持ってきたのだろうか。

 しかし、その封筒には見覚えがあったので、彼は高揚する胸をおさえながら、丁寧に手紙を取り出した。

 そこには、こうかかれていた。


 ──公園の、大きな木の下で、町が眠る時間に逢いましょう──


 誰からの手紙なのか、それは書いていなかったが、それだけで充分だった。

 もう一度、自分に逢おうというのだ。

 彼は、部屋を勢い良く飛びだし、階段を駆け上がると、怜が泊まっている部屋の扉をノックした。

「怜さん、いる? 入っていい?」

 すぐに扉が開く。部屋には、怜だけでなく、悠良や莉啓もいた。

「どうかした?」

 リディスは部屋に入り、扉を閉める。そうして、深くお辞儀をした。

「色々と、ご迷惑をおかけしました」

 晴れ晴れしい笑顔だった。なんのことだかわからず、三人は顔を見合わせる。

「どういうことかしら?」

「あと一日……いいえ、あと少しだけ、待って。そうしたら、僕、ちゃんとおそらに行くから」

 悠良は、言葉をつまらせた。

「……知って、いたの?」

 悠良たち三人が、死した魂を回収するために訪れたのだということを。

 自分がここにいてはいけないという、事実を。

「なんとなく。わかっちゃうものみたいなんだ、僕はたぶん、ここにいるよりも、あなたたちの方に近いと思うから。でも、今夜終わるから、それも」

 わずか十一歳のこの少年は、全てを悟っているかのようだった。

 どうして、と問う怜に、彼は笑顔を浮かべる。

「今夜、お母さんに逢うんだ」





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