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幸せのありか 1







   お母さん。

   あなたは今、幸せですか?








「おじさん、今日一番のお魚ちょうだい! うんといきのいいやつ!」

 リディスは魚売りのところに走りこみ、息をきらせながらそう叫んだ。

 まだ朝早い時間の市場に、十歳かそこらの少年がいるというのはなかなか不自然ではあったが、すでに市場では顔馴染みのこの少年を、ここの人間が邪険に扱うはずもない。魚売りの男は、すぐに特大の魚を取り出した。

「これなんかどうだい? たったいまとれたばっかりの、しかもこの季節でしか味わえない大物だ」

「じゃ、それ。おじさんの目を信じるよ。いくら?」

「ちょっと、値ははるぜ。こいつを欲しがってるやつぁ、ほかにもごまんといやがんだ」

 その金額を聞いて、リディスは思わず目を見張った。たしかに、高い。

 彼は、自分の懐から財布をひっぱりだし、中を覗き込んだ。

「うーん……でも、買う! レディからのいいつけなんだ。一番高くておいしそうなやつを買ってこいってね」

「そりゃあ、たいした注文だな。なんだ、今日は、なんかのパーティか?」

 リディスは首を左右に振って、それから満面の笑みをうかべた。

「ううん、うちの店にね、すっごいお金持ちのお客さんが来てるんだ」

 その言葉に、魚売りは納得して頷いた。

「ああ、そうか。宿貸しだったっけか、お前んところは」

「そう。宿屋さんだよ」

「じゃ、ま、安くしといてやらぁ。重いぞ、持てるか?」

「うん、そのお客さんのうちのひとりが、一緒にきてくれてるんだ。こういうの、一度見てみたかったんだって。手伝ってくれるみたいだから、大丈夫」

 もう一度笑うと、リディスは魚を受け取った。やはり重そうによろめいたが、すぐに歩きだす。

「また来るね! 明日も、最高のやつよろしく!」

 振り向きざまに、捨て台詞も忘れない。

 魚売りは手を振ると、ちょっと安くしすぎたかもしれない、と苦笑した。あの少年の笑顔を前にすれば、大幅値下げもしてしまうというものだ。

「毎日毎日、ご苦労さんだねー、あの子も」 

 突然、後ろから声をかけられた。

「ああ、文句ひとついわねえでな。よく働くよ、ガキのくせによ」

 魚売りは、つい返事をしてしまってから、声の主を見る。初めて見る顔だ。

 服装も、このあたりではあまり見ないものだし、手には自分の背よりも長い棒を持っている。要するに、あやしい。

「あ、初めまして。俺ね、あの子のお友達なんだけどさ」

「は? ああ、リディスのかい?」

「そう、最近知り合ったんだけどね。それにしてもよく働くなーって思って。で、一つ質問なんだけど、あの子って赤ちゃんの時に今の家に拾われて、それからずっとそこで働いてるってほんと?」

 いきなりの質問に、魚屋の主人は思わずその少年をまじまじと見た。

「なんなんだ、おまえ……」

「まあまあまあまあ、だからお友達だっていってるじゃん。とにかく、ほんとなの?」

「あ、ああ、そりゃあほんとだが……」

「ふむ。どーも! ではまた!」

 いうが早いか、あっという間に少年は雑踏のなかに消えていった。

 呆然と、魚売りは彼が走り去っていった方向を眺める。一体、なんだったのだろうか。

 それから気を取り直そうと身体を客の方に向け、あのリディスに友達かあ、と小さく笑い、何だか幸せな気分になるのだった。


 市場の出口まで来て、リディスはきょろきょろと辺りを見回した。

「レンさん、どこいったんだろ」

 つぶやきながら、魚の入った箱を下におろす。持ち続けるには、あまりに重いのだ。

「この辺で待ってるっていったのにな……」

 一生懸命、人ごみのなかに長い棒がないかどうか探した。探している人物自体は長身ではないが、持っている棒がやたらに長い。それを目印にすれば見つかると思ったのだ。  やがて彼はその棒を発見し、同時に目当ての人物の姿も確認すると、大きく手を振った。

「レンさん、こっちこっち!」

 その声に、怜という名の少年はこちらに気づき、手を振り返してきた。

「ごめん、リディス。ここすごくおもしろいねー、思わず時間忘れちゃったよ。あ、探した?」

「ちょっとだけ。何も買わなかったの?」

 怜は、急に深刻な表情になった。

「それなんだけどさー。買おうかどうしようか……。いや、うまそうな果物があったんだけどさ、うかつに金使うと啓ちゃんとか悠良ちゃんに殺されかねないからなー」

 本当に真剣に悩む怜を見て、リディスは笑い声をあげた。まだ知り合って三日だが、リディスは彼のこんなところが大好きだった。何でも、遠方の国から、貴族のお忍びの旅の護衛としてきているらしいが、堅苦しいところはなく、自分にさえ気さくに話しかけてくれた人だ。

「果物だったら、今日の朝食にとびきりのがでるよ。レディがいってた」

「ほんと? なんだ、じゃ、はやく帰ろう! この箱、リディスの買ったやつ?」

 怜は軽々と箱を持ち上げた。棒を持ったままで、かなり器用な持ち方をする。貴族の護衛についているぐらいだから、よっぽど強いんだろう──リディスは何となく彼に憧れの感情を抱いた。

「さ、帰って朝食! その後は、また頑張ろうな」

 棒と箱を片手で持って、怜はあいている方の手をリディスに差し出した。手をつなごうとでも、いうのだろうか。

 リディスは当惑した。怜は、自分にとってはお客さまだ。ここで手をつなぐなんてことは、たぶん許されない。本来ならば、荷物も自分が持つべきなのだ。

 怜は、そんなリディスをおもしろそうに見ると、半ば強引に手をひっつかんだ。

「はやく行かないと、レディさんにどやされちゃうんだろ?」

 リディスは頷くと、くすぐったそうに微笑んだ。



 港町、レ・ギラン。

 この町から主要大陸すべてへの船がでているという、巨大な町だ。したがって訪れる旅人も多く、この町にはたくさんの観光名所に加え、多くの宿があった。

 そしてその中の一つ、旅の宿リュミエには、三人の若者が宿泊していた。高貴な身分の少女ひとりとその護衛二人の、お忍びの旅──という名目で。

「遅いわね」

 鋭い一瞥と同時に『高貴な身分の少女』はいい放った。目をみはるほどの美少女だが、可愛らしいという形容はしがたい、どこか冷たい容貌だ。

「朝早くにでていったと思ったら、今までどこにいっていたの? この私に一言の断りもなく出歩くなんて、一体どういうことなのかしら?」

 口を挟む暇を与えることなく叱咤する少女、悠良に、怜は思わず返答に窮する。

「えっと……」

「いいわけは無用よ。これがどういうことかわかる? 朝起きてみたら、あなたどころか莉啓もいなかったわ」

 悠良は、怜の相棒の名を口にした。怜は驚いて、聞き返す。

「啓ちゃんが? え、それは知らないけど。啓ちゃんが、悠良ちゃんほっといていなくなっちゃったの?」

 心底意外そうに繰り返す。信じがたい。何せ、莉啓という青年のすべての判断基準は悠良にあるのだ。

「……そうよ」

 憮然と答える悠良を見て、怜は何となく納得した。要するに、誰もいなくて寂しかったのだろう。殺されそうなので、決して口には出さないが。

「で、あなたはどこにいっていたの」

「俺は、ちゃんと任務の遂行。リディスが朝の仕入にいくっていうから、くっついていってきた。やっぱあれだよ、リディスがここの家の子じゃないってことは、みんな知ってるみたいだね」

「そう……それは、原因に関係あることなのかしら」

「さあ? それはなんとも」

 にへらと怜が笑う。何かいいたげに悠良が口を開いたが、いうかわりに、ため息をもらした。この男のペースに乗せられてはいけない。

「でも……そっか、啓ちゃんがいないか。それは何か収穫ありかな」

「知らないわ」

 知るわけがない。知っているなら、こんなにいらいらしていない。

「……ほんとに何にも心当たりないの?」

 無遠慮に悠良の部屋のベッドに腰かけながら、怜が尋ねた。悠良がいかにも不機嫌そうに眉を寄せ、彼を見下ろす。

「私のいうことが信じられないと、そういうこと?」

「いやいやいやいや、そうじゃなくて! 啓ちゃんが悠良ちゃんに何もいわずに出かけるって、絶対変だろ? 昨日とか! 今朝早くとか! 啓ちゃんがなんかいってたけど忘れてたーみたいなことはないですかっつってんの」

 悠良は、まったくの無表情で怜を見つめた。

 しかし、身体全体から怒りのオーラが伝わってくる。

「あの……悠良ちゃんを疑ってるんじゃなくて、ね……」

 もう一度怜がいい繕う。笑顔が引きつる。

 やがて悠良は、右手をゆっくりと口元にまで持ち上げ、小さく声をもらした。

「……あ」

 そういえば。といわんばかりの動作だ。思わず、怜が半眼になる。

 その時ちょうど扉がノックされ、顔を出したリディス少年は、

「朝食の準備が整いました。あ、莉啓さんの分も用意しちゃいましたけど、大丈夫ですか? 確か今朝は、出かけてるんですよね」

 と、にこやかに告げた。

「そういえば、出かけるっていってたわ、莉啓」

 まったく詫びれた様子もなく、さらりと悠良は呟いた。




 噴水のある公園の、大きな大きな木の前で、莉啓はたたずんでいた。

 黒い髪、黒い瞳の、落ち着いた雰囲気の青年だ。年齢は怜と同じぐらいだろうが、よほど大人びて見える。

「……何なんだ、ここは」

 異様な気配。

 莉啓はそっと、大木に触れた。ぞわりと、悪寒のようなものが全身をはしる。

 早朝といっても、通りにはまばらに人が行き来していたが、さすがに公園内は閑散としていた。しかしひとりだけ、遠くの方からこちらを見つめている女性。

 莉啓は、その女性の存在に気がついてはいたが、何をするわけでもなく、ただ木を見上げていた。

 血の、匂いだ。

「…………」

 眉をひそめるが、この木だけで何かの情報を得ることは不可能だ。どうしてもこの木のことが気になって、わざわざ早起きまでして来たのだが。

 そろそろあきらめようかと、きびすを返す。ちょうどそのとき、先程からこちらを見ていた女性と、目があった。

 しかしその女性は、莉啓を通り越して大木を見ているようだった。そこに莉啓がいることすら、気がついていないのかもしれない。

 見事なブロンド。相当高貴な生まれであることがうかがえる、装飾品と白い日傘。

 だが、目をみはるほどの見事な容貌であったにもかかわらず、お互い様というべきか、莉啓もまた彼女に注意を払う事無く『旅の宿リュミエ』への道を歩き始めた。



 彼女は、大木を見つめていた。

 すべてを受け入れてくれるような、大きく広がった枝についたたくさんの葉が、時折風にゆれ、まるで何かを話しかけているかのようだった。

 少なくとも彼女には、そう見えた。

「わたしを、責めているの?」

 彼女は、ひどく落ち着いた声で、呟く。

 もちろん木は答えなかったが、最初から独り言のつもりだ。

 彼女は笑った。

「でも、わたしの勝ちね」




 すべてにおいて注文の多い悠良にとっても、旅の宿リュミエの食事は間違いなくおいしかった。

 彼女が優雅に口元を拭き、食後の紅茶を飲みはじめたときには、怜はすでに二人分を制覇していた。もちろん、莉啓の分だ。

「知らないわよ、どうなっても」

 そう諌めるが、怜はご満悦の様子で笑う。

「平気平気。冷めちゃったらまずいからね」

 しかしまさにその瞬間、背後から首に手をまわされた。

 洒落にならないほどに、力強く。

「……冷めてしまったらまずいから、かわりに食べておいたというわけだな?」

 冷然とした声が聞こえ、怜の笑顔が引きつる。

「け、啓ちゃん……痛いんですけど……」

「お帰りなさい、莉啓」

「ただいま、悠良」

「……く、苦しい……」

 莉啓は、あっさりと手を離し、怜を端に追いやると、悠良の向かい側に腰かけた。怜が、大げさに咳を繰り返す。

「し、死ぬかと思った……」

「首を絞められたぐらいで死なないだろう、おまえは。今朝は栄養も十分なようだしな」

 どうやら、朝食を食べそびれたことを根に持っているようだ。

「それで、何か収穫はあったのかしら?」

 しかし、悠良には柔和な笑顔を向け、彼は答える。

「いや……公園にある木から妙な波動を感じたんだか、何もわからなかった」

「何だ、収穫ないんじゃん」

「……。おまえはあるのか?」

「ううん、ない」

 莉啓のまわりを、険悪な空気が漂う。

 しかし彼は、大きく息を吐き出すことで、なんとか自制した。ペースに乗ってはいけない。

 まわりに宿の人間が誰もいないことを確かめてから、口を開く。

「理由も、わからないままか?」

「どっちの理由?」

「……どうして残っているのか、だ」

 それはたぶん、と怜は答えた。

「お母さん、じゃないかな。あの歳だからね。レディさんのこと、お母さんって呼んでないし」

「母親か……」

 莉啓は腕を組み、思案する。どうしても本当の母親に逢いたかったと、そういうことだろうか。

「そうかしら」

 今まで黙っていた悠良が、そう異議を唱えた。

「普通、自分のことを捨てた母親に、わざわざ逢いたいだなんて思う? もし私だったら、願い下げね。殺してやりたいとは、思うかもしれないけれど」

 とんでもないことをいう。

 怜は、苦笑した。

「たしかに、レディさんってすごくいい人だしね」

「……では、違うところに理由があると?」

「わかんないんだってば、それがさ」

 振り出しに戻る、だ。

 三人は顔を見合わせ、嘆息した。いつものことだが、面倒だ。

「では、怜はこのままターゲットに接近、理由を突き止めろ。悠良は、レディさんに話を聞いてみてくれ。俺はもう少し、あの木を調べてみる」

 ということで方針が決まり、三人は再び動きだすのだった。




 エイヌ=ニールティアンは、そっと日傘を閉じ、屋敷への扉を開いた。

 お帰りなさいませ、と執事が声をかけてきたが、答えることなく自室に入り、すぐに扉を閉ざす。

 椅子に腰かけ、背もたれに身をまかすと、大きく息をついた。

「……あと一日、か」

 複雑な気持ちだ。結婚など、もうあきらめていたのに。

 二十五を過ぎ、十代のうちに婚儀をすませるのが当たり前のこの貴族世界で、期待など欠けらもしていなかった。いまさら、という気もする。

 しかしこれで、幸せが手に入るのは確実だった。相手は、ニールティアン家よりも階級が上になる貴族だ。生きることに疲れ、ただこのまま時が過ぎてしまえばいいと思っていたエイヌにとって、このチャンスはどうしてもつかまなければならないものだった。

 相手には、会ったことがない。初めて逢うことになるのは、婚約発表パーティーとなる明日だ。

 しかし、相手がどんな人間であるかなど、そんなことはどうでもいい。

 向こうからの申し入れだ。きっと、自分を愛してくれる。

 自分を捨てたりはしない……あの男のように。

 エイヌは、笑った。

 やっと幸せをつかめるのだと、確信の笑みだった。






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