7 「……シル?」
悠真は目覚めたのは、体に感じる違和感からだった。
手を何かが舐めている。そんな感覚があった。
ゆっくりと、悠真は目を開く。
うっすらと開いた目から、銀色の何かが見えた。それは、昔、毎日のように見ていた色。
「……シル?」
自然と、そんな声が漏れ出ていた。
俺は死んだのだろう。だから、シルがここにいるのだ。悠真はそう思っていた。
しかし、悠真の呟きにこちらを見た銀色のそれを見て、悠真は意識を覚醒させる。
シルではない。そう思った。
その猫は確かに銀色の毛並みだ。格好もよく似ている。だが、シルではない。
その体には、鎖のような赤い紋様が浮かんでいた。そして目も、オッドアイだった。右目が赤く、左目が青い。その2箇所だけが、シルと違っていた。
猫は相変わらず、悠真に甘えてくる。
体をこすりつけ、その姿はとても愛らしいものだった。
悠真は体を起こす。そして、変わっていない景色を見て、自分は生きていると理解した。
「お前、どこからきたんだ?」
悠真がそう問いかけると、その首を左右に振った。
反応されるとは思っていなかった悠真は少し驚くが、そこで、授業で習ったことを思い出す。
「お前、もしかしてマヨイビトか?」
猫はその問いに首を傾げた。
当然だ。異世界の猫にマヨイビトとかわかるわけがない。
――マヨイビトとは、異世界から地球穴に迷いこんでくる人のことらしい。時々、本当に時々、そう言うことがあるんだそうだ。授業で、そう言っていた。
異世界の猫なら、言葉を理解できてもおかしくないし、こんな変わった鎖の紋様があったとしも理解できる。
「にゃ~」
ただ、言葉は話せないようだった。
その猫の姿を見て、悠真は思う。そして、それを問いかけた。
「お前、まだ死にたくないか?」
猫からしたら、当然だろう。
猫は質問の意味がわからなかったのか首を傾げ、次にそれに頷いた。
「……だよな。そうだよな。それが、当然だ」
悠真は今、一つ、決意をした。
俺は死んでもいい。だけど、この猫だけは、生きていて欲しかった。
「……ここは、危ないんだよ。だから、俺が安全なとこまで連れて行ってやる。だから、俺についてきてくれないか?」
猫はそれに、迷うことなく頷く。
悠真は、その猫に生きる意味を見た。
「……ありがとう」
だから、そんな感謝の言葉も、自然と口にできた。
猫はただ、首を傾げているだけだった。
「そうと決まれば、早速動かないとな。お前、名前とかあるのか?」
猫はただ首を傾げている。
「? なんでだ? 名前だよ、名前」
悠真が首を捻っていると、猫はガリガリと地面に何か書き始めた。
悠真がそれをジッと見つめていると、それは文字だということがわかる。
「……お前、文字書けるのか」
悠真がそう言っても、猫はただ黙々と床に文字を書き続けていた。
しばらくして、猫が何を書いていたのかを理解する。
そこには、ずいぶんと汚い文字ではあるものの、カタカナでシルと、そうかかれていた。
その文字を見た瞬間、ドクンと心臓が波打つのを感じた。
「……お前、これ」
名前、か? でも、シルって名前は。
猫はただ、ようやく描ききったそれの横でドヤッとした顔をしていた……気がする。
シルという名前。それをこの猫に言ったことはない。悠真は混乱していた。混乱して、どうしてかを考えて、そして思い出した。
「……あ」
悠真は最初にこの猫に向かって、シルと呼びかけた。そのとき悠真はこの猫をシルだと思っていたが、そんなこと、猫にはわからない。
きっと、そのときに自分の名前だと思ったのだろう。悠真はそう結論づけた。
悠真はその名前には抵抗があった。だから、問いかけてみる。
「……その、その名前じゃなきゃダメか?」
猫はブンブンと激しく頷いていた。それはもう、それでなきゃだめだっていうくらいだった。
悠真はため息を吐く。仕方なく、悠真は頷いた。
「……わかったよ。わかった。これから、まあ少しの間かもしれないが、よろしくな、シル」
「にゃー」
シルは一度、大きく鳴いた。
猫の名前が決まり、悠真はこの地球穴から脱出するすべを考えていた。
左手にあるログストーンは、ここまで通ってきた道を示す物だ。だから、今それに右手をのせても、光は落ちてきた穴を示した。
穴はもう閉じていたし、そこに上るすべもない。
悠真に残された選択肢は、一つしかなかった。
「歩き回って、上層への階段を見つける」
覚悟を決める為に、悠真はその残された道を口にする。
世界の悪意はこの地球穴を歩き回っているのだ。
このままここに立ち止まっていても、いつ出会うかわからない。
たとえ戦えなくても、どちらにしろ危ないのだ。今は、進むしかない。
「にゃ~?」
心配そうに、シルがこちらをのぞき込んでくる。
安心させるために、悠真はその頭を撫でた。
落ちたときに時計は壊れ、現在時刻はわからない。
それでも、急がなければいけないことは理解していた。
「さて、いくか」
悠真はドライバーを虚空から取り出し、背中に鞄を背負い、歩き出した。