4 「私は、お前たちの担任をする事になったアマネだ」
悠真はシルを失っても、なんとか毎日を生きていた。
それはただ、夢を叶えるためだった。
院長先生と約束した、自分からは死なないということ。
シルによってつなぎ止められた、あの一年。
悠真は中学三年生になり、ネコカフェを開くため、とりあえず料理を学ぼうとしていた。
受験はもう終えていた。合格ももうもらっている。
料理が学べる所などここらでは専門学校ぐらいなもので、そこに行くことになっていた。
もうすぐでひとまず中学は終わる。あの名前も覚えていない三人組ともようやくおさらばだ。悠真はそう思い、あと数日の中学生活を過ごしていた。
学校から孤児院に帰り、いつも通りやるべきことをして、その後に料理の勉強をしようと悠真は孤児院の机に着く。
――悠真宛てに一通の手紙が来たのはそんなときだった。
外は暗く、こんな時間に手紙がくることがおかしなことだ。悠真はヒシヒシといやな予感を感じていた。
手紙を開くと、一行目にまずこうかかれていた。
『おめでとうございます。あなたはアースダイバーに選ばれました』
悠真はもう、固まることしかできない。
悠真は思う。
神様は一体どれだけ俺を苦しめれば気が済むのだろうか、と。
アースダイバーはほとんど義務のようなものだ。悠真には、それを拒否する権利などなかった。
約一ヶ月後、悠真はその学園の前に立っていた。
学園の名前は、アーススクール。ネーミングセンスの無い、バカみたいにわかりやすい名前だった。
実は、選ばれるアースダイバーは基本高校生だったりする。そのため、ここで軽く学ぶことを学びながら、三年間地球穴に潜るのだ。
ちなみに、この学校は基本的に無料で住む場所も提供してくれる。
いろんな場所から人が集まるこの場所は様々な店も集まり、元々は田舎だったこの場所は今、地球穴が出来る前と比べると驚くほど栄えていた。
立ち止まる悠真の横を幾多の生徒が通り過ぎていく。このままいつまでも立ち止まっているわけにはいかないと、悠真は覚悟を決めてそのやけに大きい校門をくぐった。
学園はどこかの大学のように敷地が広い。むしろそこらの大学よりよっぽど広いかもしれない。
学園の中には悠真が見渡すだけでも様々な施設が存在していた。
これから悠真が住むことになるであろう寮も遠くに見える。一人暮らしは初めてではあるが、悠真は特に心配はしていなかった。
特に何の変哲もない入学式を終えると、悠真たち新入生はそれぞれの所属するクラスに分けられる。
そして、分けられた後、その悠真のいる人のまとまりの前に一人の女の人が立った。
すぐにその人物が教師であるとその場の全員が理解するが、その佇まいは凛々しく、その姿は教師というより一人の騎士のようだった。
「私は、お前たちの担任をする事になったアマネだ」
そう言うと、アマネはその白く長い髪を手でかきあげる。
「この髪を見ればわかるかもしれないが、私は召還者だ。基本的に私が教えられるのは戦闘のことぐらいだと思ってくれ」
そこまで言うと、アマネは生徒全員を見回す。その行動は全員が話を聞いているか確認するものだった。
アマネはいわゆる美人というやつだ。生徒たちの中には見惚れていたものもいたようだった。そもそも、召還者という時点でフィクションの住人だ。そのだいたいが美形なのは当たり前のことだろう。
悠真はその中で、なにも感じてはいなかったが。
「とりあえず、私についてきてほしい。お前たちアースダイバーには力が授けられることは知っているな? まずはそれを確認する。入学式の後で疲れているかもしれないが、すぐに終わる。こっちだ」
そして、スタスタとアマネは歩いていく。その行く先がどこに続いているかなど、今日この学園にきた生徒たちにはわかるわけもなかった。
アマネに連れられて、悠真を含む生徒たちは大きな扉が中にある建物にたどり着いた。その扉は厳かな雰囲気を携えている。そして、人より遙かに大きいその扉は、地球穴と呼ばれるそれだと、此処にいる全員が理解していた。
部屋は神聖な雰囲気に包まれ、アマネのその姿はこの空間によく似合っていた。
立ち止まり、生徒の方向を向くアマネ。
「ここだ。知っているかもしれないが、知らない人もいるかもしれない。一応説明させてもらおう」
そう言うと、アマネは生徒の方へ向けていた目をその大きな扉へと向けた。
「これは、地球穴の入り口。お前たちアースダイバーが潜る場所だ。お前たちはこの扉を通り、世界の悪意を討伐する事になる。詳しくは授業で説明する事になるだろう。……だからそれまで、お前たちが戦う事はない。訓練もしない内に潜ることのないように。むざむざ死なれたら、たまったものではない」
後半は声のトーンを落とし、脅すように言った。否、確かに脅しているのだろう。
その気迫に、生徒たちは震え上がった。
そしてその気迫のまま、アマネは目をさらに鋭くして言う。
「いいか? 私はお前たちを死なせる気など毛頭ない。よって、戦闘の訓練は厳しいものになると思え」
念を押すように、そう繰り返す。
そうして言葉を終えたアマネは、元の顔に戻る。
どこからかホッとしたような声が聞こえていた。
悠真はこれから先にあるであろう訓練というものに、少し憂鬱とした気持ちになる。
元から、悠真は運動が不得意というわけではないが、とりわけ得意というわけでもない。我慢強い方であると悠真は自分を評価しているが、その厳しい訓練とやらに耐えきれるかどうかは、悠真には予想もできなかった。
「さて、本題に戻ろう。先ほど私は能力の確認と言った。これから君たちには地球穴に潜ってもらう」
考え込んでいた悠真は、アマネのその言葉を聞き逃しそうになる。アマネは当然のようにそう言った。
さっきと言っていることが真逆だ。悠真はそうつっこみたいぐらいだった。そのような反応を予期してか、アマネは早口で続ける。
「とは言っても、別に戦えというわけではない。ただ入り口付近で留まり、力を授かるだけだ。入るのは入り口までだ。そこには滅多に世界の悪意は現れない。安心しろ」
悠真としては、全く現れない訳ではないというだけで、ひどく不安だった。
そんな悠真とは対象的に、ほかの生徒たちはそれを聞いて安心する。
「では、さっそく行くとしようか。入学式で疲れているだろう。早く終わらせた方がいい」
そして、アマネは慣れた足取りで近づき、その扉に手をかけた。
すると、力をかけることなく、その扉はひとりでに開いていく。
こんな大きな扉をどうやって開けるのかと疑問だったが、こんな仕組みだったのか。悠真は不安など忘れ、その迫力に感動していた。
扉が開ききると、そこには薄暗い洞窟が広がっていた。洞窟そのものがぼんやりと光を発している。洞窟が真っ暗にならないのはそのためだろう。
アマネはただ無言で、その洞窟へと踏み込んでいく。生徒たちは少しおどおどとしながらも、その後をついて行った。
全員が入りきったところで扉はひとりでに閉まる。最後尾にいた悠真はすぐ後ろで閉まったその扉にビクッと肩を震わせた。
アマネはその体を生徒の方に向け、説明を始める。
「お前たちアースダイバーが力を授かるには、この地球穴の中で力を願う必要がある。資格があれば、力は授けられる筈だ」
そうして、アマネは虚空に手をかざす。すると、その付近に光が満ち、その光が消えた頃にはその手にレイピアが握られていた。
周囲にどよめきが広がる。アマネはそれを横目に説明を続けた。
「私は召還者だからな。厳密には違うが、成功すればこのように武器が現れる筈だ。一度成功すればこの地球穴の外でも確認できる。今日は、とりあえず武器を実体化させるまでだ。その後、外に出て誰がどんな武器を授かったのか確認する。では、やってみろ」
アマネはそこで説明を終えるが、悠真を含めた生徒は困惑するのみだった。
力を願う。そう言われても、どうしろというのか。
生徒たちのその反応を見て、アマネはそこにもう一言加えた。
「そうだな、難しく考えなくていい。何度も言うが、力を願えばいいのだ。それは力という字を思い浮かべるだけでもいい」
一息でそう言うと、アマネは再び黙り込んでしまう。
生徒たちは依然困惑しながらも、各々が行動を始めた。
悠真も、アマネの言った通り力を願うことにする。目を閉じ、力という字を思い浮かべる。できるだけ鮮明に、ただそれだけに意識を集中させる。
だが、悠真のその集中は、声に遮られた。
「おお! できた!」
そんな声が悠真の耳に届く。悠真が声がした方向を見ると、一人の男子生徒がロングソードを手にしていた。その剣には遠すぎてよく見えないものの、刀身になにか文字のようなものが金色に近い色で浮かんでいる。
そして、それを皮きりに武器を出すことに成功するものが加速度的に増えていった。
はたして、十分もしない内にほとんどの生徒がそれに成功する。力を願えば武器が出てくる。その光景を目の当たりにしたことで、半信半疑だったものも、自分にはそれができると心から思えたことが成功の要因かもしれない。
しかし、まわりの生徒がみな自らの武器を実体化する中、悠真だけはいまだにそれができずにいた。
悠真は焦燥感に駆られる。なんとか集中しようとするが、その焦りが余計に集中を鈍らせた。
そこに、アマネからの声が飛ぶ。
「おおかた、終わったか? もし、まだの人がいれば前に出てこい」
その声は、明らかに全員が武器を出したことを確信している声だった。
随分と名乗り出にくい雰囲気だが、ここで黙っている訳にもいかない。
悠真は正直に名乗り出ることにした。最後尾から人を掻き分けて、悠真は前に進む。
悠真がアマネの姿を捉えるのと同時に、アマネも悠真の姿を捉えた。
「ん? お前は、まだ力を授かっていないのか?」
アマネの問いに、悠真は頷くしかない。背後からの他の生徒の視線が痛かった。
「……ん、そうか」
それだけいうと、アマネは悠真に近づいてくる。
そして、目の前に立ち、悠真の目を覗き込んだ。そのあまりの近さに悠真は少したじろぐが、それを許さないと言うように、アマネは悠真の頭を両手で固定した。
そのまま、アマネは言う。
「このまま、力を願ってみろ」
その有無をいわさぬ迫力に、悠真は自然と頷くしかない。
アマネは美人である。それなのにこの至近距離で目を覗かれたら、さすがの悠真でも目を逸らしたくなる。だが、悠真はその感情を押し込んで、多少の恥ずかしさの中、集中を始めた。
……やはり、武器が現れる事はない。
悠真は再びガッカリするが、その悠真にアマネから声がかかった。
「……お前は、強く願えていないようだ。アドバイスをしよう。お前が力を望んだ瞬間を思い出せ。必ずあるはずだ。別に物理的な強さじゃなくていい。精神的に強くなりたいと思った瞬間でもいい。とにかく、思い出すんだ」
なぜそんなことがわかるんだと言いたくなったが、アマネの声は真剣そのものだ。
悠真は大人しくそのアドバイスに従う。
――悠真は思い返す。
いままでの生活の中で、力を願った瞬間。そんなこと、あっただろうか。
いじめられたことはあった。だが、いじめられたそのとき、悠真は力など望まなかった。ただ、終わることを望んでいたのだ。ただ、希望を望んでいたのだ。
では、力を望むときとは?
悠真は自問自答する。
悠真は思う。それは、力不足を感じたときだと。それは、自分では現状を変えられないと絶望したときだと。
力を望むときなど、悠真にはないと思っていた。
だが、悠真は思い出す。あの猫のことを。あの路地裏での出来事の事を。
――とたんに、なにかが手の先に触れた。
悠真は咄嗟に、それを掴む。確かな感触があった。急に体が軽くなるのを感じた。
あの時、シルが死んだとき。確かに悠真は力を望んだ。あの三人を殺したいほど憎んだ。
その感情は、今の悠真にはない。だから、一時的なものだったのかもしれない。だが、一時的だったとしても確かに、悠真はそう思ったのだ。
気がつくと、アマネは微笑んでいた。
「できたようだな。よかった」
そして、それだけいうと、アマネは悠真から離れた。
悠真はホッとする。自分にも武器が出せたということに、ひどく安堵していた。
……だから、悠真は油断していた。悠真は知っていた筈だったのだ。神様はとても残酷で、優しくなどないということを。
アマネは言う。
「ところで、その武器だが、私は見たことがないな。この世界の武器なのか?」
アマネの指差すその先には悠真の武器があった。
悠真はその言葉に首を傾げながら、自らの手元を、武器のあるはずのその場所を見る。
――そこには、どこからどうみても、ネジをしめたりするあのドライバーにしか見えないものが存在していた。