10 「……絶対に無茶はしないでね」
時は少しさかのぼる。
アマネが地球穴に飛び込んでいたころ、エリアもまた、行動を開始していた。
エリアの前には立派な木製の扉がある。その扉の上には学園長室とかかれた看板がかけられていた。
アマネと別れた後、エリアはすぐにこの場所に向かっていた。このままではアマネが助け出すより先にロストの時間が訪れてしまう。それを防ぐ。それが、今のエリアの行動理由だった。
手を胸まであげてノックする。コンコンという小気味のいい音が響いて、扉が内側から開かれる。ということはない。
「やっぱりそうよねえ」
ここの学園長はさぼり癖がある。わかっていたことだ。曲がりなりにも、この世界にくる前からの知り合いなのだから。
エリアは今度はノックすることなくドアノブを回す。部屋の中には高そうな家具が立ち並んでいた。ただそれは煌びやかというわけではなく、荘厳といった雰囲気のものだ。こういった場所にふさわしい内装だと言えるだろう。
「学園長、一つ相談したいことがあるのだけれど」
部屋の一番奥には大きなこれまた高そうな机があり、その向こうにはやはり高いのであろう椅子がその背を向けていた。
「学園長?」
エリアは近づいてその椅子の前に回り込もうとする。だが、椅子はくるりと回りエリアにその背を見せ続けた。
エリアが逆から回ろうとしてもそれは変わらず。
「がーくえーんちょー?」
エリアの言葉に椅子が少し震えた気がするがエリアはそれを意図的に無視した。
ガシッと手が椅子の背を掴み、そのまま強引にエリアは自らがいる方へとその椅子の正面を持ってくる。
「ひぅっ、いやその、ごめん。ごめんって! ごめんなさい! 悪かったです! わるうござんしたぁ! だからその笑顔やめて! そんな冷たい笑顔はもとめてないからさぁ!」
椅子の上にはエリアと同じくらいの背の少女が座っている。目尻に涙を浮かべているこの少女はかつてエリア達の世界を救った英雄だった。
ブラウンの髪は長く、その腰まで伸びていて、右側だけひとまとめにしてある。その瞳は銀色で、顔立ちはまだあどけない感じの残るものだった。ただ、特筆すべきはその瞳でも、その子供のような背でも無いだろう。その少女の額には水色に輝く水晶が埋め込まれているのだ。
この少女もまた異世界人。人類に協力するために召還された存在だった。
「がくえんちょう? 要件はおわかりになっているわよね?」
「えっ、なにそれしらないぃたたたたたたちょ、ちょい待ち! ちょっと待って! 待って! ねぇお願いだからぁ!」
引っ張っていた耳をエリアは離し、もう一度問いかける。
「ようけんは、おわかりよね?」
一文字一文字をしっかりと、まるで子供に言い聞かせるみたいに。
「…………わかってるよ。地球穴からの未帰還者のことだろう?」
そして、観念した学園長はエリアの期待通りの言葉を返した。
「なら、私がなにがやりたいかはわかってるわよね? 一応、学園長から許可を貰いたいのよ」
「うーん、まあ、わかるけどさあ。っていうか、その学園長って呼び方止めない? 昔みたいにイリーナちゃんって呼んでよ」
「……一応立場というものがあるのだけれどねえ」
「そんなこといわないでさ。僕もそっちの方がやりやすいんだよ。ね?」
エリアは一つため息をつく。それを見て学園長――イリーナは笑った。
「ほらほら、いつも通りにさ」
「……わかったわ、イリーナちゃん。それじゃあ、いつも通りにね」
エリアは少し昔のことを思い出して、そして、すぐにそれどころではないと顔を引き締めた。
イリーナもそれにあわせてその雰囲気を変える。
「それじゃあ、まじめな話に戻ろうか」
「ええ」
イリーナは椅子から立ち上がり近くの棚へ近づく。そして、その棚から一冊のファイルを取り出した。
「やりたいことってのは、これのことだろ?」
そのファイルには『地球穴に関する実験とその結果』というタイトルがつけられていた。
「そうよ、やっぱりわかってたのね」
「当然さ。今ロストを引き延ばせるとしたら、これぐらいだろうしね」
イリーナはそう言ってファイルを開き、机の上にエリアにも見えるように置いた。
「地球穴の再構成は入り口の扉があいている限りは行われない。それがこの実験の結果だ」
エリアは差し出されたファイルの中身に目を通す。それは知っているとおりの内容だった。
「だけど、ことはそんなに簡単なことじゃない。もちろんそれも知っているとは思うけどね」
イリーナはその言葉と共に実験結果の一部を指差す。そこにかかれている内容は扉を開け続けるのは難しいという旨を記した物だった。
「扉は開け続けると内側から世界の悪意が溢れ出してくる。その様は扉を閉めろと世界の悪意が怒り狂っているようだったらしい。正確には普段は悪意が現れることのない扉付近に多くの悪意が現れ始めるといった内容みたいだ。それも、時間がたつにつれてその数は増え続ける。扉は一定時間誰にも触れられないと勝手に閉まるからね。つまり……」
「扉に頻繁に触れながら戦わなくちゃいけないってわけでしょう? わかっているわよ?」
イリーナは肩をすくめてファイルを元の場所に戻す。エリアはイリーナがファイルを片付けるのを待って、口を開いた。
「それじゃあ、許可をもらうわよ?」
「本当にやるの? 僕的にはひとりじゃ三十分が限界だと思うけど」
「それでもやらないよりはましでしょう? あなたが手伝ってくれてもいいのだけれど」
イリーナは苦笑していた。その手を顔の前で横に振ってその提案を拒絶している。
「わかってるでしょ? 僕はもうまともに戦えないんだって。水晶が割れかけた日のこと忘れた訳じゃないくせに」
「……冗談よ。ただ、力を貸してほしいっていうのは切実な願いではあるのだけれどね」
エリアはイリーナの額にあるひびが入っている水晶を見つめる。
この世界にきて、イリーナは力を失った。正確には扱えなくなったのだ。あの水晶が完全な状態で存在しているからこそ、イリーナはその力を行使できる。今は、水晶のひびのせいで力を制御できず、その威力は不安定だ。
「あなたは、帰るべき存在の筈なのだけどね」
「……ほんとだよ。異世界人が元の世界に帰るタイミングはわかってないけど今一番有力視されてるやるべきことを終えたら帰れるってのは多分違うとは思うね。僕的に一番有力だと思うのは神の気まぐれ説かな。あと何か大きなことを成し遂げた人だけが帰れる説とか」
イリーナは冗談っぽく言っているがエリアはそれを笑う気にはならなかった。もしイリーナがいったとおりの条件ならばイリーナが帰れる確率は少なくなるだろう。今のイリーナでは何か大きなことを成し遂げることはできないからだ。エリアとしてはまだ神の気まぐれといった方が救いがあった。それでも、戦えない彼女を帰さない時点でその神の気まぐれとやらにはあまり期待できそうもないが。
「話がそれたね。うん。許可は出すよ。僕だって救えるなら救いたい」
「ありがとうね。……あとは私が抑えていられる時間内にアマネちゃんが帰ってくることを祈るだけね」
エリアはそれだけ言って学園長室を出ようとする。イリーナはその背をじっと見て、扉にエリアが手をかけた瞬間に一言だけ、投げかけた。
「……絶対に無茶はしないでね」
「――わかってるわ」
エリアは今度こそ、本当に学園長室を出て行った。
一人取り残されたイリーナは椅子に深く腰掛ける。そして、自らの額にある水晶に右手を添えた。
「……もっと、最善はあったのかもしれない」
思い返すのはそれにひびが入ったときのこと。無茶をした結果がこれだ。エリアには自分のようになってほしくはなかった。
強大な力を持つ異世界人は少ない。溢れ出る悪意を倒し、時間を稼げるのは今この学校にはエリアとアマネくらいだろう。こんな不確実な作戦に生徒をかり出すわけにはいかない。だからこそ、エリアは一人でやること前提で話していたのだろう。
だが、一人だけ。たった一人だけ心当たりがあった。海外からもうすぐ到着するはずの異世界人は、その名をテラという。妹を探している彼はもしかしたらと世界を飛び回っているらしいが、その次の行き先はこの日本の地球穴だと聞いていた。
間に合うかはわからない。くるかもわからない増援をエリアに伝えればそれこそ無茶をしてしまう気がして、話すことはできなかった。だが、一縷の望みをかけて、イリーナは受話器を手に取る。
「…………」
イリーナはただ無言でその受話器の先からの返答を待った。