サンディエゴの夜空に
―プロローグ―
3月、アメリカ、サンディエゴ。この季節のサンディエゴは気温の割に湿度が高く、空気が身体に纏わりつくようだ。そんな地に、俺はとうとうやって来た。WBCが華々しく開催されたその裏で、世間には決して知られる事のない、もうひとつのWBCがここペトコパークで行われる。もうひとつのWBC、それはワールド トイレットペーパー ビューティ コンテスト(World toilet-paper Beauty Contest)という。世界各地のホテルマンやベッドメイク、ビルの清掃業者などいわゆる「裏方」という職種の面々が集い、トイレットペーパーを如何にキレイにホルダーにたたんで収めるか、その速さ、美しさを競い合うのだ。
いつかこういう日が来ると、根拠もなくそう思っていた。だから俺はこの道10年、トイレットペーパーの三角折りをひたすら日々鍛錬していた。速く、もっと速く!もっとキレイに!そうして人知れず培ったこの技だが、しかし実は世界にはどうやら俺と志を同じくした連中がゴマンといて、真の世界一を決めようと秘密裏に実行委員会が発足していたようだった。そのうちついに初のWBCが開催されるという風の便りを聞き、いてもたってもいられなくなった俺は、有給を使って旅に出てアジア予選会場を探し出し、ついに夢の舞台に参加する事が出来たのだ。
―予選―
出場して初めてわかったが、やはり世界は広かった。国が違えば折り方もそれぞれだ。要は速く折りたたみ、それが美しければ良いのだ。最初にあたった選手は、仕上がりがまるで象の鼻のような技、「エレファントノーズ」を駆使するインド代表だった。次に対戦したシンガポール選手が折る「マーライオンフィニッシュ」には気品があり、芸術性すら感じた。今にも口から水が出てきそうな仕上がりだった。決勝では、はたしてどう折っているのか判らないが先端が竹林のようになっている中国選手の「バンブーフォレスト」と対戦し、これには正直「負けた」と思った。中国4千年の歴史の重みを実感せずにはいられない趣があった。しかしそんな強豪に次々とあたりながらも、俺は運よく勝ち進む事が出来た。
競技は2人で行う。2つ並んだトイレットペーパーフォルダーに並び、審判の鳴らす号砲を合図に一気にたたむのだ。一種、居合いのような、もしくはガンマンの決闘のような緊張がみなぎる。競技は大体2秒から6、7秒ぐらいの一瞬で終了する。しかし勝負の結果は決してスピードだけで決まりはしない。また、いかにキレイに折りたたもうとも高い芸術点が確約される訳でもない。三角に折るだけという俺の「クラシックトライアングル」だが、他の選手に比べて格段にスピードが速く、先端を正確に90度に保つその技術力を審査員団は高く評価してくれた。おかげで俺は見事アジア代表の座を勝ち取り、ぺトコパーク本戦のチケットを手に入れる事が出来たのだ。その時会場で耳にしたのだが、アジアは本戦出場枠が2枠あり、もうひとつの予選会場では西日本代表の選手が勝ち上ったらしい。同じ日本人か…。果たしてどんな奴なんだろう。
―本戦―
ワールドベースボールクラシックの終わったぺトコパークには、緘口令を布いて秘密裏に行われるはずであった筈のもうひとつのWBCの噂をどこからか聞きつけて世界中から駆けつけた観衆が集い、今また活況を呈していた。人の噂に戸口は立てられない。まあしかし考えてみればこの俺もその噂を聞きつけたおかげで予選に参加し、ここまで来る事が出来たのだ。ナイターの照明が球場の中央、マウンドに設置された特設ステージを照らす。上原が投げ、松坂が抑えたこの場所、王監督が宙を舞ったこの場所で、俺は今世界を相手に戦う。たぎる闘志。確信出来る。俺は、今日この日の為に生まれてきたのだ。
トーナメントの相手は誰1人として息を抜く事が出来なかった。オーストラリア代表の「ワラビーズポーチ」、ロシア代表の「コサック・ボルシチー」などの、写真にでも撮って見せなければ信じてもらえないような驚天動地・天衣無縫のツワモノの技々を俺は「クラシックトライアングル」でことごとく撃破していったのだった。そして準決勝では、こちらも破竹の勢いで勝ち進んできたらしい西日本代表と、ついにあいまみえる事となったのだ。相手が特設ステージに登って来る。若い男性だ。…うん?この顔は!!俺は思わず我が目を疑った。
「スタッフA!!なんでここに!!」なんと西日本代表は誰あろう、同じホテルのスタッフAだったのだ。「僕は住民票が実家のままですから、西日本代表になる事が出来たんですよ。今日は先輩・後輩抜きで、真剣勝負でお願いしますね」「望む所だ。しかしAよ、果たして俺に勝てるのかな?」「まあ、やってみてのお楽しみですよ」そう言ってスタッフAは不敵な笑みを浮かべた。
―準決勝―
「それでは両者とも、いいね。フェアプレイの精神を忘れずに」デービッドソンという主審が俺達2人にステージ中央の位置に着く様に促す。ざわめいていたスタンドが徐々に静まってゆく。それに反比例して鼓動が大きくなる。吸い込んだ息を止めて精神を集中させる。瞬間、周りの景色が時を止めた。
静かだ…。
明鏡止水の境地とはこの事を言うのか。隣のスタッフAの鼓動までが手に取るように分かる。俺の背中でデービッドソンがピストルを構えるのを感じる。引き金を引く!「パーーーーーーーーーン…」乾いた音が虚空に響く。開始だ!
トイレットペーパーを引き出す。ジャスト24cm。左手でペーパーの左側を押さえる。同時にペーパーの右半分を45度の角度で左手の小指、中指に当てつつ裏側に折り込む。ここまで0.5秒。ヤツは?!横目で確認する。「…!!」
「ワンハンドフォールド!!」なんとヤツはペーパーを片手で器用に折り上げていた。しかも作業工程が俺より一歩先を行っている。このままでは技術点でアドバンテージを取られる。まずい!
しかし今は自分の手元に集中せねば。裏側に折り込んだ右端の頂点のやや右側に右手の中指を添える。そのまま左手を抜いて右の中指と薬指の間を開く。右手の中指に巻き込むように左手でペーパーを押し込む。「ミドルフィンガーアタッチメント」、これが俺の究極奥義だ。これで平均的な技量の選手とは約1秒もの差がつく。この世界の1秒がどれだけ重要な事か。ここまで0.95秒。ヤツは?!再び横目で確認する。「…そんな馬鹿な!何故今それを!!」
俺より1工程先に進んでいたヤツはすでに最終工程、フォルダーのセットに進んでいるはずだった。しかし横目で確認した俺は驚愕のあまり目を見開いた。ヤツは最終工程には進まず、折り上げたトライアングル部分をペーパーロールの円周に沿わせる事をせず、逆に鶴が空に向かって鳴き声を発する時にあの長い首をそらせるように、優雅にトライアングルをそり返らせたのだ。
「アネモネ・イナバウアー!!」
何故その技を使うのだ?その技は芸術点には加点されないと、予選の時から競技説明は受けているはずなのに?!完成のスピードを遅らせてまで、何故?!そのうちに何万回、何億回と三角折りの修行をしてきた俺の手は意識を集中しなくても自然に動き、トライアングルをペーパーロールの円周に沿わせ、先端を3cmフォルダーから出してセットを完了した。副審がストップウォッチを押すのが聞こえた。すぐにバックスクリーンの電光掲示板に表示される。1.78秒。自己ベストだ。続いてヤツを見ていた副審がストップウォッチを止める。2.64秒。やはり予想外に「アネモネ・イナバウアー」を繰り出してくれたおかげでスピードではヤツに上回る事が出来た。しかし…。心の中に得体の知れない暗雲が立ち込める。
採点をする審査員団。審議は数分かかっていたが、デービッドソンがマイクを持ち、集計結果を記した用紙を読み上げた。競技は終わっている。俺に出来る事はもう何もない。目を閉じて結果を聞く。「…点。以上をもってミスターW林とミスターA井の勝負、勝者は西日本代表のミスターA井とします!」スタジアムが一斉にどよめく。俺、負けたのか…。しかし何故だ?基本的にヤツの仕上がりも俺と同じ「クラシックトライアングル」、違いと言えば先端部分の処理の違いだけで、これは加点の対象にはならないし…。
―エピローグ―
知らず涙が頬を伝っていた。「Wさん、涙を拭いて下さいよ」ヤツが声を掛けてきた。俺は涙を拭う為、トイレットペーパーに手を伸ばした。左側のヤツのロールと右側の俺のロール、俺は自然と左側のヤツのロールに手が伸びた。そしてその時初めて、どうしてヤツが大切な1秒を費やしてまで「アネモネ・イナバウアー」を繰り出してきたのかが理解出来たのだった。
「こっちの方がつかみやすい…」
そうか。そういう事だったのだ。これはコンテストだから、と機械のように美を求めてきた俺と、その先にそれを使うお客様の姿を想像する事が出来たヤツ、これが今回の勝負の結果なのだ。負けたぜAよ、完敗だ。A、いつの間にかお前は名実共にウチのホテルのAに成長したんだな。
決勝は明日行われる。ナイターの照明も落ちてすっかり暗くなったスタジアムの中、2人で特設ステージの上に腰掛け、ショップで買ってきた缶ビールをAに手渡す。
「ほらよ、祝杯だ」
「ありがとうございます!」
「Aよ、決勝はキューバが相手になったようだな」
「そうみたいですね。俺、Wさんの分まで頑張りますよ」
「頼むぞ。聞いた話じゃキューバの選手は『ハバナ・シガレット』という、とてつもない技を使うらしいぜ」
「俺、日の丸背負ってますから」
「ここまで来たら、勝てよ」
「勝ちますよ」
「絶っ対、勝ーてよーっ!」
「勝・ち・ま・す・よーっ!」
今のヤツならまず負けないだろう。明日は心から応援してやるよ。サンディエゴの夜空、満天の星に向かって俺達2人は声が枯れるまで叫び続けた。
―了―