縁の録
俺がまだ幼少の頃だったか。
ある日のこと、唐突に友達が死ぬのが恐ろしいとぼやいた。
お前死ぬのか? と尋ねるとまだその予定はないと笑った。
何なんだお前、と呆れると「いつ死ぬか分からないから恐いんだよ」と意味ありげな表情をして友達は空を見上げた。釣られて俺も空を見たが所々に雲が浮かぶだけのただの青空だった。
「不死になりたいな」
空から目を落とした俺を待ち構えたように友達はそう呟いた。
どことなく吹っ切れたような顔だった。
それから何年かしてその友達は俺の前から姿を消した。
一定の年齢に達したら村を出て行く人間はよくいたので、一言言っていけよとは思ったが、その時はあまり気にはしなかった。
それからまた何年か経って、奴とまた会ったのは村が滅ぼうとしている最中だった。
あいつは夢を叶えたと笑っていた。
そう、笑っていたんだ。
俺の人生を台無しにしたかつての親友は笑っていた。
その笑顔がとても憎かった。
*
「堕ちた天使って話知ってるか? まあぶっちゃけて言えば堕天使ってわけだが」
「何が言いたい」
「空を飛んでいた天使が地上に恋をし自ら羽をもいで地上に落下した話さ。しかし地上に落ちても天使は天使。俺らみたいな生物として暮らせなかった。適応してなかったんだ。やがて天使は愛した地上に拒まれていることを察しつつも、それでもこの地で生きようとした。天使だから生きるってのも変な話だが」
「……それで?」
「おお、気になるかい兄ちゃん。まあ結局天使は地上人として生きれず、だからといって天使にも戻れず発狂したまま今もどこかでさ迷ってるらしい」
「救われない話だ」
「ああ全く恐ろしい話だ。話ながらも身震いしちまうぜ。さて兄ちゃん、何で俺がこんな話をしたと思う?」
「さあな」
「これからあんたが会うかもしれない子はそれだって噂だ。ま、細やかな縁からの忠告ってやつだ。俺が案内した客の身に何かあったら俺の評判が下がるかもしれないだろ?」
「なるほど、なら営業妨害にならないよう気を付けるよ」
「ありがてえぜ。さ、着いたぞ」
寂れた雰囲気の廃村の入り口で俺の乗っているタクシーは停車した。
金を払いタクシーを降りた俺は背後で車が遠ざかっていく音を聞きながらその村を見た。
一ヶ月前にいきなり全ての人が死んでいた無人の村。
闇に食われたと、死体処理に関わった人たちは噂し、近隣の集落から怯え恐れられている。
はあぁ、と両の手に息を吐きかけすりあわせ黒コートのポケットに突っ込む。雪がうっすらと降る冷たい空気と曇り空が重苦しい気味悪い世界を少しだけ和らげているように思えた。
ドサドサドサ、と音を立てて半壊した屋根から積もっていた雪が落ち雪の山を作った。
こんなうっすら降っているだけなのにどうしてこんなに積もっているのか。一体いつから降り続いているのだろうか。
少し周りを見渡してからまた一息吐いて俺は廃村の中に入っていった。
落ちた屋根、折れた柱、崩れた壁、倒壊した建物。歩き勧めて見えるものの全て雪で埋もれている。
時折雪を踏みしめる音に反応したのか、どこかしらから雪が落ちて地に山を作った。
歩き続けているとまだ比較的原型を保った廃屋があった。真ん中から真っ二つに折れてゆらゆら開閉している扉を押し開けて中に入ってみると、倒れたテーブルや割れた食器がまず目に入り次に破損した家具類が見えた。
倒れた家具等をどかして真ん中まで進んで立ち止まり、辺りを見渡して天井を見上げる。何とか雨雪は凌げそうではあった。とても住める状況ではなかったが永住するわけではないので当面の宿にすることにした。
ふと視界の端に暖炉が見えたのでそこへ近づいた。少し調べてみるとまだ使えそうだったので、持ってきていたよく燃える液体に浸した紙を入れた小箱とマッチ箱を取り出し、中身をそこに投げ入れ同じようにマッチも処理をした。
小さく燃え出した火が若干大きくなったところでそこらに転がっていた木材の残骸を中に入れさらに大きくした時、何か人の声が聞こえた気がした。
咄嗟に辺りを見渡してみたが人影はどこにもなく気のせいだと思い、まだ原型のある倒れた椅子を起こしてそこに座った。
暖炉の前に幼い少女が座り込んでいた。
真っ白いペンキを頭から被ったかのように、髪から靴の爪先まで、着ている薄手の服の色まで白と徹底された驚くほどに白い女の子だった。
少女は無表情に火を見つめ、気持ち良さそうに両の手をかざし全体がまぶさるようにゆったりと動かしていた。
俺は暫し呆然とその少女を見つめていたが、パチッと火が弾ける音を聞いて我に返りコホンと咳払いをしてそいつに話しかけてみた。
「あんたは?」
返事はなかった。
「質問を変えよう、名前は?」
「名なんて無い」
ぼんやりとした口調で少女は火から目を離さずに言った。
「なら名無しか。ここは人んちだぞ、勝手に入っていいのか?」
自分のことは棚にあげて俺は問うた。しかし少女は俺の言葉を無視してジッと火を見つめていた。質問を変えようかと思った矢先に、不意に少女は口を開いた。
「聖者は自らの首を切り取り天に捧げ身の潔白を証明した。知ってる?」
「ん?」
何を言っているんだ。
「どういう意――」
「あはははははっはははははっ」
「……」
話にならない。
「あははははは、あっはははははは、はは、ははあははははっ」
いや、話す気がないんだろう。無表情のまま少女は大きな声で笑っていた。俺は息を吐いて天井を見上げた。ひび割れ欠けたそこからチラホラと雪が舞っていた。
笑い声が消えたので視線を下ろすと少女は先程の体勢のまま火にあたっていた。
「そのまんまの体勢と無表情でよくそこまで笑えたな」
「貴方は何者?」
視線を今だ動かさず少女は逆に問うてきた。
「俺か。老い先短いただの若造だ。そういうあんたは?」
「私は楓。死なない楓。何も分からない楓」
「楓か。そんであんたは何でここにいる」
「分からない。ただ私はここにいる」
「随分と薄着だな。この寒さをそれで生きてたのか?」
「何も感じない。何も寂しくない。何も知らない」
どうやら話の通じる相手ではないようだ。
「ここは死んだ村。誰もいない。何もいない。誰もいらない」
ふらりと気だるげな様子で立ち上がった少女は、ここで初めて俺に向き直った。
「あなたも、いらない」
「え?」
「不死の苦しみ、貴方に分かる?」
パチッと火が弾ける音が響いた。一瞬だけ暖炉に向いた視線を戻すと、そこには誰もいなかった。
バッと立ち上がり外に出て辺りを見渡したが、いつの間に暗くなったのか周囲はもう真っ暗闇で例え足跡が残っていたとしても探すことは困難だろう。
そもそも足跡が残っていなかった。
強まってきた雪でかき消されたのだろうか。
俺は両の手に息を吐きかけて寒さから逃げるように先程の廃屋に戻った。
今のが堕天使だろうか。
生気の感じられない瞳をした不気味な女だった。
俺は深く椅子に腰掛け直し天井を見た。
ひび割れの隙間から覗く暗い空を白い雪が舞っている、ように見えた。
「不死の苦しみ……なら、先のない苦しみがお前に分かるか?」
呟きは埃が漂う中空に吸収されて消えた。
それから二日、三日と俺はこの廃村を歩いて回った。
歩きまわっての収穫は殆どなかったが、太陽がてっぺんに登ったと思われる頃合いに蔵書が異常にある廃屋を見つけた。恐らくこの村の有力者の家なのだろう。他の家は倒壊したり半壊していたりと酷い有り様だったが、流石はと言うべきか、寂れた様子はあったが家としての形は十分に保っていた。
蔵書の殆どは小難しい話が書いている本ばかりでげんなりしてしまったが、くまなく探索してみると部屋の端にポツンと一つだけの本棚で日記らしきものを見つけた。
それを手に取り中を読み見る。
『人を殺せるかい?』
最初に目に止まったのはその一文だった。
『僕が紹介するのは全てを犠牲にして大切なモノを勝ち取る、そんな方法だ』
『けして誰も幸せにならない、しかし失おうとしている大切なモノをちゃんと手に入れる唯一の方法』
『僕はこの方法を素晴らしいものだと考えている。僕も犠牲にして手に入れたのだ。実証は済んでるよ』
『そう、それでいい。貴方は間違った決断をしたが、同時に大切なモノを失うことはなくなった』
『さあ行きましょう、貴方の娘を』
ドサドサドサ、とどこかで雪が落ちる音がした。
日記から目を離すと無限とも思える量の本棚の向こうで人影が見えた。
日記を閉じて片手に抱えその人影の方に向かう。そこには誰もいなかった。
走っていけば良かったかと少し後悔したが、前に現れた少女だろうと思ったので実際はそんなに気にしてなかった。
視界の端で動くものがあった。
ぱっとそちらに向くとあの時の少女が闇を抱えた扉の前でじっと俺を見つめていた。
「俺になんか用か?」
周囲を警戒しながら少女に向き直り話しかけた。
少女はじっと俺を見つめている。いや俺ではなくどこか一点を見ているようだ。
少女の視線を追うと、それは俺が抱えている日記に向けられていた。
「これがどうかしたか?」
日記を持った手を持ち上げて左右に軽く振る。それに揺られて少女の視線も左右に揺れた。
何だこいつは。
「あんた生き物か? それとも魑魅魍魎?」
「人間をゴミ箱にしたいの?」
「は?」
「手錠をかけて私は人間の口を固定した。私はそいつをゴミ箱にした」
「……」
「一つ投げただけで満杯になるゴミ箱。押し込んでも押し込んでも量を増やして戻ってくる。私はどうあっても戻れない。だから私はいらない楓。いらない楓、どこにも行けない楓」
呟くようなふらふらした語調で自分の名前を繰り返しながら後ろを向き、少女は闇の向こうに消えていった。
冷たいような気持ち悪いような薄気味悪い嫌な空気が流れていた。
「……」
あの女は何なんだ。
幻覚か幽霊かとりあえず俺の妄想の産物として処理していたが、流石にあんな発想俺はできない。
実在の人間か、それとも化け物か。とりあえず関わっちゃいけない類に間違いはないだろう。
が、突然消えるとかどうして生きていられるのかとか訳の分からない発言などを無視して、もしあれが生存者だとするなら事情は少し変わる。
「あー……事故のショックか何か……か?」
柄にもなく悩みながら少女のことを考える。あの実験は生き残るとああいう風になるのか? だが俺は別に外見があそこまで変わったわけではない。思考もあそこまで狂っているとは思わない。少女の元々の気質か?
悩みながらパタパタと軽く日記を振っていると中からパサリと写真が一枚落ちた。
拾い上げてそれを見ると小さなベッドに腰掛けたやつれた少女と疲れた笑みを見せる男が写っていた。
その少女はさっきの少女によく似ていた。
「……」
さっきの日記にあった娘という単語を思い出した。
この男が父親と仮定し、疲れた笑みはあの女の妄言から来ているものでなければ、恐らくは看病に疲れた親の顔なのだろう。
写真を日記に戻し、俺は少女の後を追った。
扉をくぐると誰も居ない小部屋があった。
扉をくぐってすぐなのに、どうしてあんなに暗く見えたのだろう。
小さなベットが部屋の隅に一つ、それ以外何もなかった。
ベッドに近寄り掛け布団をどかしてみたがそこには何もなかった。平らになっている時点でそんなことは分かりきっていたが。
あの少女はどこに行った?
辺りを見回し、結局何もいないことにため息を吐いて俺はベッドに腰掛けた。
抱えていた日記を開き、また読み耽る。
『助けたかった』
さっき読んでいたところより進んだページでそんな一文があった。
どうやらこれは日記というよりその時思ったことを書き留めるメモ帳のようなものらしい。
『助からない命を助けたいと思うのは間違いだろうか』
『私はこれまで自然の摂理には従うべきだと考えてきた』
『しかし自分のこととなるとそんなことは言えなくなった』
『娘は助ける』
『妻が死んだ時は諦めがついた』
『だが娘だけは』
『あの男には感謝する』
『誰が犠牲になってもいい』
『あの子だけは、楓だけは』
『そして、永遠を生きて欲しい』
『もしも』
あとは真っ白だった。
もしもの続きはない。恐らく思いつかなかったのだろう。何を? 俺に分かるわけがない。
あの男、やはりここに来ていたらしい。
そう思いながら最初に見たページに戻り、砕けた口調の文章を見直す。
破り捨ててやりたくなったが、人が書いたものだ。そんな失礼な真似はできない。
震えた右手の力を何とか緩めて俺はさっきまで読んでいたページに戻った。
楓。あの少女の名前。そしてこの男の娘、らしい。
あの実験が行われたことは間違いない。その実験をこの少女に行い、結果今の少女がいるのだとすれば――。
「楓は不老不死になった……か?」
俺は日記を閉じて立ち上がり小部屋を出た。
「私は死なない」
急に背後から少女の声がした。
驚いて振り向くとすぐ目の前に変わらずの無表情な少女が立っていた。
「お前……」
「私は死なない、私は死ねない、私は楓。楓は私」
フラフラとした生気のない口調で少女は言い俺の横を通り過ぎた。
ぶつぶつと同じ言葉を繰り返す少女に俺は覚悟を決めて声をかけた。
「おい、お前」
「私は楓、名もない楓」
「俺は宮野慎弥って言う名前だ。慎弥って呼んでくれ。だからお前を俺は楓って呼ぶ。だから、普通に喋ろうぜ」
「……」
少女は呟くのを止めて俺の方を見た。
「私は楓?」
「お前は楓だ」
「貴方は慎弥?」
「俺は慎弥だ」
「私は楓、貴方は慎弥、私は楓、貴方は慎弥」
少女は――楓はフラフラと夢現なように俺に近づいてきた。
見ようによっては殺しにきそうな動きだったが、俺は万が一の警戒をするだけに留め特に何もしなかった。
なぜそうしたか。放っとけなくなってしまった。
どうしてか。知るかこの野郎。
日記の男が願っていた言葉が頭に張り付いていた。日記の男は恐らく娘のために村を売った。自分ごと売ったんだろう。この娘を救うために。弱った心に漬け込んだ悪意が全くないあの男の口車に乗って、この女を。それがなぜだか、哀れに思ってしまった。
「慎弥」
目の前に立った楓が俺を見上げる。
「私を見てくれる?」
「見れるから見る。消えられたら見えるわけがないが」
「誰かに見て欲しかった。せめて、って」
「何が言いたい?」
楓が俺の背後を指さした。示されるまま後ろを向いたが、そこにはさっきの小部屋に続く扉があるだけだった。
「何もないぞ」
「死んでいた部屋だった。私の死体はそこにあった」
「え?」
振り返ると楓は出口に棒立ちしていた。訳が分からず佇んでいると、楓は俺を手招きして外に出ていった。
慌てて追いかけ外に出ると、いつの間にか夕方になっていたようで雪の地面がオレンジ色に光っていた。
楓の姿はどこにもなかった。足跡もなく、ゆったりと儚く雪が舞っていた。
「あ?」
何で雪が降っているのにオレンジ色に光るんだ?
咄嗟に俺は空を見上げた。後ろにある家に入る前と同じ曇り空が広がっている。
じゃあ何だ。視線を下ろして雪の地面を反射するオレンジ色に光る世界に目を細める。
「あの時私は空に浮かんでいた」
誰もいない世界で楓の声がした。
「お父さんに握ってもらっていた手何も掴んでなくて、寂しかった」
「楓?」
「死にたくないって、お父さんに言った。仲良くしてくれた人たちと別れたくなかったから。お父さんと一緒に居たかったから。死にたくなかったから」
オレンジ色の光が曇っていく。崩壊した廃村が何も無くなっていく。
「お父さんが言った。お前は助かるって。私は喜んだ。そして、私は身を委ねた。気づいたら私一人だった。オメデトウってあの男の人は言ってくれた」
「男……」
「私は愛されていたかっただけなのに」
カツンと頭の中で何かが鳴った。
目の前に沢山のベッドが並んでいた。真っ直ぐ向いた果ても、横を向いた果ても、見通せないほど遠くまで沢山の人が寝たベッドが並んでいた。
「私が目を閉じたらいつも出てくる。仲良くしてくれた人、愛してくれた人、そして――」
体がふわりと浮いた気がした。その一瞬気を取られている内に全てのベッドが消えていた。……いや一つだけ、ベッドがまだあった。そこの隣に楓が立っていた。
「私は死ぬことはなくなった。多分これからも死ぬことはない。でもじゃあ死なない私は、死んでいた楓だったの? 今の私はカエデなの? こんなに一杯人が私にいて、私は楓と名乗っていいの?」
俺は楓の側のベッドに近寄った。
そこには白骨化した骨が寝ていた。
「これは?」
「私の体」
寂しそうな声で楓は言った。
「生きたかった、死にたくなかった。この体で、私はみんなから愛されたかった。」
そっとその骨の頭蓋を撫でながら楓は呟き俺を見た。
「この体で、生きたかった。それを誰かに言いたかった」
そして初めて楓は笑った。
「私は楓、誰かに肯定して欲しかった。それが叶った、ありがとう慎弥」
冷たい風が吹いた。その音で俺の周りの景色は全て戻っていた。
オレンジで反射する雪景色も無数に並んだベッドも、笑っていた楓もどこにもいなかった。
いつものような曇り空で、少し強くなった雪の中で、俺は一人立っていた。
後ろを見たらあの蔵書まみれの家があった。あれから俺はずっとここに立っていたのだろうか。
「白昼夢……だったのか。……まさか」
思わず苦笑して俺は右の頬を掻いた。途端、体が強烈に寒さを訴えだした。
俺は体を抱えるようにして寝床にしている廃墟に向かった。
飛び込むように半壊の扉を開き中に入ると暖かな空気が身を包んだ。
「……?」
出て行く時もちろん暖炉は消していった。ならばなぜ温かい? その謎はすぐに溶けた。
楓が初めて会った時のような体勢で暖炉の火にあたっていた。
「……」
無言で楓を見た後、半壊の扉を後ろ手に閉め、暖炉の側に配置した椅子へ向かい腰掛けた。
「……不老不死も寒いのか?」
「何も感じない」
そう言って楓は腕を暖炉の火に突っ込んだ。慌ててその手を掴んで引き出したが何の痕もなかった。
何も無い、と安堵の息を吐いた俺を楓は驚いたように見ていた。
「……何で危ないことをした」
「何もないことを証明してあげようと思っただけ」
「勘弁してくれ……」
「私が普通じゃないことは証明したはずだけど」
「あの心理世界みたいな奴はやっぱ夢じゃなかったのか。何だあれは、超能力とかぶっ飛んだこと言う訳じゃないだろうな」
「私の心を見せただけ、何か出来る気がしたから」
「あのオレンジ色は?」
「今の私が最初に見た景色だった」
「……」
やはりあまりまともな話はできないらしい。ため息を吐いた俺をじっと楓が見つめていた。
「何だ?」
そう言ってから自分が楓の手を握ったままだったことに気づいた。
「悪い」
謝り手を離した。だがその瞬間楓は俺のその手を握りしめてきた。
「何だ」
驚き思わずその手を振り払った。一瞬の間の後、楓はじっと自分の手を見ていた。
「おい、なんだ、どうした?」
「慎弥、貴方はあの男の人とどんな関係だったの?」
「……」
ふう、と自分の気持ちを軽くするつもりで息を吐き楓から離れて椅子に腰掛けた。
「……前にお前言ったよな、不死の苦しみがどうとか」
「……」
無言を肯定と受け取り俺は話を続けた。
「俺は、多分お前の逆だ」
「え?」
「無いんだよ、目を閉じても何にも。自分のものがな」
「閉じる……」
「その男はな、俺の親友だった。強い心の奴だと、思ってた。ちょっと変わってて死ぬのを人一倍恐れてはいたけど、しっかりした考えを持った尊敬できる男だと、そう思っていた」
そう考えていた情けなさを思いながら俺は笑った。
「騙されたがな、あいつはそんな奴じゃなかった。俺の故郷はあいつに消された。みんな死んだ、俺を残して」
「……」
「そんな目で見るな。俺はお前みたいに不死になったわけじゃないんだ。言っただろう逆だって。俺はな、抜け殻なんだ。全部あいつが持っていった。俺が住んでいた場所もここみたいになった。そんで虚脱感でぼんやりしている俺を見て笑ってた。さすが僕の親友だ、てさ」
「……」
「何で俺が生き残ったのかは分かんねえけどさ。とりあえずあいつは成功させたその不死を世界に広めるのが天命だって言ったんだ。世界を不死に埋め尽くす、いったい何人犠牲にする気か。そんな勘定はあいつにはない。ただ自分が正しいと思ったらやる、そういう奴だった」
「……慎弥は死ぬ?」
「……まあ、長くはないだろうな」
日に日に感じる何かが引き剥がされていく感覚。ただの搾りかすである俺がどうして生きているのか、それは分からないがそれでも残った命がどこかに持って行かれている感覚はずっと離れない。恐らくこの感覚が消えるのは命が消えるときと同じだろう。
それまでにあの男を見つけなければいけない。
「あの男を見つけて慎弥はどうする?」
「落とし前をつけさせる」
「殺すの?」
「……分かんない、とりあえず殴るとは思う」
「正直ね、気に入ったわ」
「気味悪いほど普通に喋るなぁ。あの発狂した感じは何だったんだ、演技か?」
「貴方は死ぬ。ならその死体は誰が片付ける?」
「あ?」
「誰も貴方他を知らない、知らない死体。誰が引き取ってくれるんだろうね」
「……」
「欲しいな、貴方の死体」
「……あ?」
「あはははは、あはははは」
無表情で笑い声をあげながら立ち上がった楓は、それを絶やさないまま家から出て行った。
しばし呆然とそれを見送ってから天井に視線を向ける。
あれは素だ。
勢いを少し増した雪が舞っているのを見ながらそう思った。
次の日の朝、暖炉の火の始末をしてから俺は廃屋を出た。手がかりはこれ以上ここにはない。いる理由がなかった。楓を連れてここを出よう。不死者とはいえ、あんな小さい子をここに置いていく訳にはいかない。どこか近隣に引き取ってもらおう。
しかしどこを捜しても楓はいなかった。あの蔵書まみれの家にも行ったがそこにもいなかった。神出鬼没な奴だからそう簡単に見つかるとは思っていなかったが、ここまで見つからないともさすがに思わなかった。
日も暮れかけた頃になってようやく元は広場だったと思われる場所で楓を見つけた。
崩れた噴水と思われるところに座って、じっと虚空を見つめていた。
「楓」
「ずっと私を捜してくれたのね」
「気づいてたのか、ならなぜ俺の前に出てこなかった。わりと疲れたんだぞ」
「どうして?」
「どうしてって、そりゃあ、何だろなあ」
日記読んで放っとけなくなった、何て理由になるのだろうか。
「とにかくここを出よう。どこか人がいるとこに行こう」
「何になるの?」
抑揚のない声で楓は呟いた。
「私はこんな姿で、何も感じないで、ずっとこの姿のままで、生きていく。そんな私が同じ所に、歳を取る人の中で生きていけるの?」
「それは……無理だな。でも、じゃあお前はずっとここにいるのか?」
「……その理由も無いわね。誰かに見て欲しかっただけだから、この村で私が生きていたっていう事実があったってことを」
「じゃあどこに行く?」
「悩んでた、それをずっと。でも一つ決めたわ」
ピョンと壊れた噴水から飛び降りた楓はユラユラと体を揺らした。
「死体と歩くのも悪くない」
「何?」
一歩一歩、気だるげな様子で俺に近づきながら楓は言葉を紡ぐ。
「いつか何も無い世界を見つけられるかもしれない。慎弥とならね」
「どういうことだ」
「私は貴方について行くことにした。どこかの町ではなく、貴方自身に」
「……早死するぞ俺は」
「そしたら私がその死体を埋めてあげる。そしてその側で暮らしてあげる」
目の前まで来た楓はそう言って俺に向けて右手を差し出した。
「……貴方は私に関わった。勝手に堕天使に祭り上げた人たちと違って貴方は私に近づいた。なら私は貴方を利用する。だから私の手を取って。私の側で、生きていて」
楓は唇の端を歪めて笑った。あの心象風景で見せた笑みとはかけ離れた歪な笑みだった。
「……ほっとけないの意味が変わったな。お前、もし俺が拒否したら同じように近づいた人間を次に狙うんだろう」
「……?」
言葉の意味が分からないのか楓は首を傾げている。自分の行動すら分かっていないようだった。
目的を果たしたあの瞬間にもうあの時の楓は消えたんだろう。ここにいるのは、ただ人を取り込むただの化け物だ。
「分かった、来い」
差し出された手を取り俺は頷いた。
「一緒にいるよ、お前の気が済むまで」
「ふふ、ふふふ、あはははは、あはははは」
手を握りしめたまま楓は虚ろに笑っていた。地平線の先の夕暮れが一線を輝かせてその光を失っていっても楓は笑うことをやめず、暗闇となった雪の世界で、ただずっと機械的に無機質に木霊している。
強くなっていく雪の音にもかき消されないくらいの声は、聞きようによっては嘆いているようにも聞こえた。