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グノシエンヌに逆らうな

作者: 森屋志子

登場人物


科子シナコ …… 橙花堂とうかどう店主 魔術師

桐谷小春    …… 橙花堂住み込み店員。


真一      …… 初老のピアニスト。橙花堂の客。

三夜ミヤ  …… 橙花堂の客。科子や真一とは古い付き合い。


夏梨カリン …… 七歳。橙花堂の客

アカル  …… 真一の孫。


都       …… 科子の前の橙花堂店主


   橙花堂。

   薄暗い店内。

   グノシエンヌ一番、徐々に消える。

   手袋、着物にショールを羽織り、ウールの帽子を被った女が店の扉を開けると

   カウベルが鳴り、外のランプがつく。

   女は常連客の三夜である。



三夜 あらやだ、まだこっちは開店前なんかしら。



   レジ前までやってくると、置いてある呼び鈴を二回鳴らす。



三夜 科子さん! 桐谷ちゃん! 



   もう一度、呼び鈴を鳴らす。

   店内をぐるりと見渡していると、ロフト部分から慌ててTシャツにジーンズ姿の

   若い女(桐谷)が降りてくる。



桐谷 三夜さんごめんなさい! 今灯りつけ  ますね!



   桐谷は奥のピアノの上からランタンを取り、店の中央にある机の上に置く。   

   マッチでランタンに火を付けると、店全体が明るくなる。



桐谷 ごめんなさい。お待たせしました。

三夜 いいんよ。もしかして、こっちはまだ開店前やった?

桐谷 (恥ずかしそうに)いいえ……。

   そのぉ、お昼寝してたらぐっすり寝ちゃってたみたいで。

三夜 珍しい。科子さんまで?

桐谷 えぇ。ほら。



   桐谷、壁に掛けてある時計を指さす。   

   盤上は三時半。三夜、自分の懐中時計を取り出して時間を確認する。



桐谷 最近、夜あまり寝られてなくて。

三夜 外ではもう七時半を過ぎてんで。

桐谷 後で科子さん起こして、こっちの時間合わせて貰いますね。

   三夜さん今日は何をお探しですか?



   三夜、巾着から古びたノートを取り出す。

   ぱらぱらとめくり、在るページにたどり着くと、破って桐谷に渡す。



三夜 これ。

桐谷 えーと、『お菓子の国の王子様』。

   うぅん、あったかなぁ……。これ、作品名です?

三夜 たぶん、副題やと思うわ。ちゃんとした題名は私では手に入らんかったから。

   


   ノースリーブのワンピースにストールを羽織った女(科子)がひとり店の奥から静かに出てくる。

   ふたりは気づかずに話を続ける。

   科子、棚からポットとカップを二つ用意し、紅茶の用意を始める。

   その後、棚からブランデーの小瓶を出す。



桐谷 これ、三夜さんの時代で合ってます?  

   違ってたらいくら三夜さんといえどもお売りできませんけど。

三夜 どうやろうなぁ。なにぶん人伝えやから……。



   ふたりが、ノートの切れ端を見合わせているところへ、科子が作業台の椅子を引きながら声をかける。


科子 小春ちゃん、それは初出が一八九二年だから、(あくびをかみ殺し)お売りして大丈夫よ。

桐谷 科子さん! 起きたんですか。

科子 起きたわよ。で、三夜さんがお探しのそれ、きっと『くるみ割り人形』だから。

三夜 くるみ割り人形?

桐谷 あぁ! なるほど、だからこんぺいとうの王子様なんですね。ちょっと取ってきますね!



   桐谷退場



科子 (桐谷を見送って)ロシアのバレエの作品に出てくる人形です。

   発表は一八九二年、明治二五年。三夜さんがお生まれになった頃にはもう出回ってますから。

三夜 ふぅん。けどようすぐにわかったな。

科子 別に、三夜さんの格好もありましたし。



   科子、机近くに移動して、紅茶を入れ

   始める。



三夜 格好?

科子 今日コート着てらっしゃるし、手袋も帽子もして、お外は冬だってことぐらい、想像つきます。

   そんな寒い時期に『こんぺいとうの王子様』だなんて、くるみ割り人形以外にないじゃないですか。

   きっと、クリスマスのおくりもので探してらっしゃるんでしょ?

三夜 ほんま、科子さんには隠し事できひんな。なんでも分かってしまう。


   科子、紅茶入れ終わり、三夜を手招き

   する。三夜、レジを回り、机のそばまでやってくる。科子が椅子を引き、三夜座る。


科子 ま、そんなこと言っても、今回は別ですけどね。

三夜 別やなんて何でまた。もしかして、昔に年よりの私が売りにでも来た?

科子 ノーコメントです。

三夜 じゃあ、訊かんときましょ。その方が私も楽しみが出来るやろし。



   三夜、紅茶を受け取り、ブランデーを一垂らしする。



三夜 いただくわ。

科子 どうぞ。



   桐谷、くるみ割り人形を抱えて戻ってくる。



桐谷 お待たせしました。

科子 遅かったわね。

桐谷 いやあ、久しぶりに倉庫行くと灯りが渡るまでに時間かかっちゃいまして。

  (人形を机の上に置きながら)これですか?

科子 そうよ。

三夜 タグにはなんて?

桐谷 (人形についたタグを見ながら)くるみ割り人形にされた王子様。

三夜 こんぺいとうの王子様ではないん?

科子 これから後に、ついたんでしょうね。

   いつついたのかまでは、こちらでははっきりと言えませんけど。

桐谷 あ、あたしも紅茶飲んで良いですか?

三夜 どうぞ。(紅茶をひとくち)

科子 グラスと氷を持ってきなさいな。三夜さん用に温かいのを入れたから。

   カップには出してるから、その間に少しは冷めると思うわ。

桐谷 はい、科子さんは?

科子 私はいいわ。



   桐谷退場



三夜 (人形を膝の上に抱きながら)それで、これにはどんな魔法が?

科子 まだ魔法と言うほどの魔法はかかってないですよ。魔力という段階です。

   たいしたことはできません。

三夜 例えば?

科子 こんぺいとうに埋もれる夢を見させたり、くるみが勝手に割れていたり。

   あぁ、後はねずみをベッドから遠ざけたり。

三夜 充分や。いただくわ。

科子 ラッピングしますね。お色は?

三夜 女の子やから。他はお任せするわ。



   科子、人形を受け取ると、後ろの作業台の上の包装紙とリボン使って包装する。

   桐谷、氷を入れたグラスを持って戻ってくる。

   紅茶をグラスに注ぎ直し、一気のみしてグラスを机の上に置く。



三夜 そんなに喉渇いてたん?

桐谷 たぶん、ちょっと時間酔いしてるんです。外と四時間もずれてたみたいだし。

   (人形を見ながら)お買い上げです か? あぁ、科子さんあたしやりますよ!

科子 (手を止め)じゃあお願い。



   桐谷、科子、場所を交代。科子机に戻る。椅子に座りぼんやり。

   桐谷、人形の包装を始める。三夜、紅茶を再度すする。



三夜 それにしても……(桐谷の方をちらりと伺い)桐谷ちゃんも随分とこの店に慣れたみたいやねぇ。

桐谷 そりゃあ、もう半年いますからねぇ。

三夜 最初は品にもお客様にも時間にも戸惑ってたのになぁ。なぁ、科子さん。

科子 (ぼうっとピアノを眺めている)

三夜 科子さんったら!

科子 (三夜の方に振り向き)はい?

三夜 科子さんがぼうっとするなんて、珍しいなぁ。

科子 あぁ、ごめんなさい。

桐谷 最近科子さんずっとそうなんですよ。

   ……今日もふたりして寝過ぎちゃうし。

科子 少し調子が悪いの。

   (またピアノに目をやる)



   来客を告げるカウベルの音。ドアが開いて小学校低学年ぐらいの女の子が入ってくる。

   服装はブラウスにカーディガンとスカート。名前はカリン。



桐谷 いらっしゃい、カリンちゃん。

科子 いらっしゃい。

カリン (きっちりとドアを閉め)こんにちは。

三夜 こんな小さい子までお客さん?

科子 見つけちゃう子は、このぐらいの年でも見つけちゃうんですよ。

   カリンちゃんのところなんかは三代でそうです。



   カリン、店内の棚を眺めている。



桐谷 (包装の終わった人形を持ち上げる)よし。三夜さん、お待たせしました。

三夜 はい、ありがとう。包装も上手くなったなぁ。最初はド下手で見られたもんじゃなかったのに。

桐谷 もう、それ忘れてくださいよ……。

  (三夜に人形を渡した後、レジ前の椅子に腰掛ける)カリンちゃんは今日はどうしたの?

カリン 小春ちゃん、あのね。(レジカウンターを回り、ポケットから一本のリボンを取り出す)

    これね、売りたいの。

桐谷 (カリンからリボンを受け取り、目の前に垂らす)うーん……これはまた上等そうなリボンだけど。

カリン あのね、おばあちゃまのノートを結んでたの。

三夜 科子さん、出番やで。

科子 (椅子から立ち上がりながら)小春ちゃん、カリンちゃんに待って貰う間の飲み物。

桐谷 (科子の方を向いて)はぁい。

   (カリンと背丈に合わせてかがみ)カリンちゃん、オレンジジュースでいい?

カリン うん。

桐谷 (リボンを科子に渡して)じゃあ、お願いします。



   桐谷退場。

   カリン、三夜の隣の椅子に腰掛ける。

   科子レジカウンター横の作業台でリボンの観察を始める。

   撫でたり、レースの細かさを調べたり。



三夜 お嬢ちゃん、ここにはよく来るん?

カリン うん。でも、用があるのはほとんどパパかママだから。

三夜 今日はひとり?

カリン ……パパとママには、内緒で来たの。

三夜 内緒?

カリン うん。あのね、リボン、おばあちゃまのなの。ママのママ。

三夜 勝手に持って来ちゃって、怒られん?

カリン (首を振り、作業をしている科子を見る)わかんない。

    でも、ママがおかしくなって、パパも哀しそう。

三夜 おかしくなった?

カリン あのね、おばあちゃま、亡くなってから、ママ、おばあちゃまのこと、どんどん忘れていったの。

    お昼寝も、赤ちゃんの弟よりも長いの。最近は、ずっと眠ってる。

    ……パパは、どうすればいいのか、分からないみたい。

    パパ、ひとりで橙花堂は、見つけられないから。



   桐谷、オレンジジュースを入れたピッチャーと氷の入ったグラスを持ってやってくる。



桐谷 はい、どうぞ。

カリン ありがとう。(受け取って飲む)

桐谷 科子さん、何か手伝うことはありますか?

科子 (作業台から顔を上げずに)タグを書くから、インクがほしいかな。

桐谷 てことは、やっぱり魔力があるんですか?

科子 えぇ。(作業台から顔を上げる)

   インクは……(少し考えて)そうね、深緑のがいいかな。

桐谷 分かりました。



   桐谷棚を探す。

   舞台がだんだん暗くなっていく。

   ジムノペティ一番がかかっている。

   科子は作業。カリンと三夜は手遊び。

   桐谷、インク瓶を持って舞台中央へ。



桐谷 (瓶を見ながら)赤いインクは恋の、青いインクは秩序、深緑は慈愛を込めて。

   (インクの瓶を机の上に。客席を見ながら)ここは橙花堂(とうかどう)

   ごらんのように奇妙な雑貨屋。なにもかもがでたらめな雑貨屋。


  

   周囲、暗い中でレジカウンター前の椅子に科子が本を手に座っている。

   桐谷、荷物を持ってカウンター前に移動する。



桐谷 あの、表のバイト募集のポスター見たんですけど。

科子 (本から顔を上げずに)バイト?

桐谷 えぇ。

科子 バイトなんか、募集してたかしら。

桐谷 でも、募集のポスターはちゃんと貼ってましたよ。

   店舗事務と家事が一通り出来て、住み込み可……っていう。

科子 (本から顔を上げて、少し考える)

   あぁ、真一さんが貼っていったものね。

   募集してたわ。すっかり忘れてたけど。

桐谷 それで、あの、面接なんですが。

科子 あぁ、合格。(また本に目を落とす)

桐谷 まだ何にもしてませんよ。

科子 いいのよ。ここに来れたってだけで、貴方には素養があると言うことだから。

桐谷 素養?

科子 (無視して)お名前だけ伺ってもいい?

桐谷 (困惑しながら)桐谷(きりや)です。桐谷(きりや)小春(こはる)

科子 じゃあ、小春さん。

桐谷 はい。

科子 ……何から教えたらいいのかしら。先代の話、私ろくった覚えてないのよね。

桐谷 えぇと(店内を眺めながめる。科子、その様子を見て)

科子 じゃあ、まず、この店の扱う商品なんだけど。

  (本を脇に片付けて立ち上がる。商品棚を指さしながら)

   リボンに、ボタンに、グラス、ペーパーウェイト、ノート、ペン。

   これ全部ね、お客様から買い取ったものなの。

桐谷 アンティークってことですか?

科子 似たようなものよ。うちの商品はね、全部魔力や魔法が宿っているの。

   魔術品ってことね。

桐谷 (うさんくさげに)魔術品、ですか?

科子 そう。魔術品。生成される経緯に違いはあっても、全てに魔力は宿っている。

   (科子、眠そうにあくびをかみ殺し)詳しいことはおいおい分かっていけばいいわ。

   いきなり魔術品だなんて言っても理解できないでしょうしね。荷物を置いてきなさいな。

   階段を上った先がロフトになってるから、そこを好きに使ってくれていいわ。

桐谷 (困惑しながらも荷物を持って移動する。ふと窓の外を見る)あれ? 

科子 どうかした?

桐谷 いえ、お店に入った時は、こんなに暗くなる時間じゃなかったと思って……。

科子 (時計を確認して)あぁ、こっちはもう八時過ぎてるもの。

桐谷 八時?! あたしが時計見た時はまだ五時で……。

科子 言ったでしょ、うちは魔術品を扱う店なの。

桐谷 全く以て意味が分かりませんが。

科子 この店、色んな時代の色んなものを集めてるから、時間の概念が他と比べて緩いのよ。

   “魔力”が宿った魔術品を扱うって言うのは、こういうことが起こりえるってことなの。

桐谷 (少し考えて)すみません、やっぱり分かりません。

科子 いいのよ。最初うちに来た人はみんなそう。私もそうだったから。



   店内暗くなる。科子、作業台につく。

   桐谷、荷物を置いて舞台中央へ。一度、店内を見渡して、



桐谷 魔法? 魔力? 魔術? 店主の言っている言葉はファンタジー過ぎてにわかには信じられない。

   でも、あたしはそれでもまだこの店にいつ続けている。

   信じられない。でも、どっぷりと日の暮れた窓を見ると、信じるしかなさそうだったからだ。



科子 小春ちゃん、インクは?



ジムノペティが消える。

   店内明るくなる。



桐谷 はぁい!(科子の作業台へ向かう。途中、机の上に置いたインク瓶をとる)

三夜 科子さん、そのリボン、よければ私買い取るけど。(カリンと手遊びをしながら)

科子 (インク瓶をうけとり、蓋を開けながら)いいえ、この手のものは、三夜さんもうお持ちだったと思いますから。



   科子タグに文字を書く。

   カリン、三夜との手遊びをやめると、作業台に近づき、タグの文字をのぞき込む。


カリン なんて読むの?

桐谷 (科子の手元をのぞき込みながら)最後の午睡、だね。

カリン 午睡?

科子 お昼寝ってことよ。(タグをリボンに付けて)さぁできた。

   カリンちゃん(科子、椅子をカリンの方へ向けて)


   カリンはリボンに目をやったまま。


科子 カリンちゃん(科子の再度の呼びかけでカリンは科子と向き合う。科子、一度頷いて)

   このリボンはね、ちゃんと橙花堂で魔力封印をしました、安心してくださいって、パパに伝えてくれる?

カリン うん。リボンは、悪さしない?

科子 このリボンはね、おばあちゃまが大好きだったから、まだおばあちゃまを探そうとしていたの。

   だから、おばあちゃまを大好きなママの想い出と、夢に、いたずらしちゃったのね。

   でも、眠って貰ったから、大丈夫よ。

カリン そっか(リボンに目をやる)

科子 これから、このリボンはうちに並べるけど、並べた以上は商品になるわ。

   でもね、もしカリンちゃんが長い間このリボンのことを忘れずにいたなら、

   きっとカリンちゃんのところへ戻ってくる。(科子、リボンをケースにしまいながら)

   だから、待っててあげてね。

カリン (頷く)

桐谷 さ、そろそろカリンちゃんはおうちかえろっか。お店出たら夜になっちゃうかもしれないから。

カリン また来て良い?

科子 今度は、パパかママと一緒にね。

カリン うん。



   カリン、桐谷に連れられてドアの近くまでくる。

   桐谷がドアを開けると、初老の男性(真一)とカリンがぶつかる。

   真一は楽譜ケースをいくつか持っている。



真一 おや、すまないねお嬢ちゃん。どこか痛くないかい?

カリン 大丈夫。(店内に振り返って)バイバイ!



   店内の大人達それぞれカリンを見送る。



桐谷 いらっしゃいませ(ドアを閉めながら)

真一 こんにちは、桐谷さん。

三夜 あらまぁ、久しぶりな顔ね。

真一 三夜さん、お久しぶりです。

桐谷 今日は何かお探しですか? 

真一 いや、瓶に音を詰めてくれと、科子さんから頼まれていてね。

科子 (首をかしげて考える)頼んでたかしら?

真一 頼まれてましたよ。夜まで鳴る楽譜があるから、一度弾いて眠らせてやってくれと。

三夜 あら、そんなら私お暇した方がよろしいかしら?

桐谷 まだ紅茶も余ってますから、奥へ行きましょうか。科子さん、いいですか?

科子 どうぞ。

桐谷 じゃあ、三夜さん。

三夜 いきましょうか。



   桐谷・三夜退場

 真一、ピアノの蓋を開けて音を鳴らす。

   天板の上にある時計や小物入れをどける。科子ぼんやりそれを眺める。



真一 僕が音を詰めるのも久しぶりですね。

科子 そうだったかしら。(椅子から立ち上がり、楽譜棚の方へ移動する)

真一 そうです。最後に詰めたのは、桐谷さんが来てからすぐの頃ですからね。(椅子を調節する)

科子 (少し間があって)最近、時間をうまく覚えていられないのよ。年かしらね。  

   (楽譜棚を漁りながら)今日だって、起きたら四時間も外とずれてたみたいだし。

真一 それは珍しい。店を始めたころならともかく。(椅子に座る)

科子 三夜さんにも言われたわ。時間酔いまでしてる。

   (間があって)小春ちゃんにも悪いことをしたわ。

   最近時間酔いもしなくなってきてたのに。(楽譜を見つけ)あった。



   科子、楽譜棚に置いてある瓶の一つを手に取る。それから楽譜を持ち、真一の傍らに立つ。



科子 ごめんなさいね。私がこの子を弾いてあげるのが一番なんだけど。

真一 いいんですよ。僕はピアノを弾くのが本業ですからね。それで、今日は何を?

科子 貴方の得意なフランス系。(楽譜を渡す)ドヴュッシーがひとつ。 

真一 (楽譜をめくりながら)雨の庭か。これは確かに、夜ともなれば寝られませんね。



科子、瓶の栓を開けて、天板の上に置く。

   真一、頷き、科子机まで戻る。椅子を引き腰掛ける。

   あくびをかみ殺し、うつぶせになる。

   真一弾き始める。(雨の庭)

   店内暗くなる。雨の庭と入れ替わるようにしてグノシエンヌ四番がかかる。

   雨の音がする。

   科子、うつぶせから体を起こす。周りを見渡すと誰もいない。店内薄暗い。

   科子、立ち上がり、時計に近寄ると、自分の懐中時計を取り出し、時間を合わせる。

   ピアノの側に誰か立っている。

   若い男。



科子 (男を一瞥し)準備は出来た?

男  僕は、本当にここを出て行かなければいけないのか?

科子 貴方は元々お客でしょう。外の世界から来た人がここに長居するのはよくないことよ。

男  (怒ったように)それなら、君だって元々は外の住人だろう。

科子 私は、もうここを先代から譲り受けてしまったもの。

   私の体は、もう外の時間とはずれてしまっているわ。

男  時間って何だ? 魔術も、魔力も、ぼくにはわからない。

科子 えぇ、そうね。そういうものよ。分かってしまったら、その人はもうこちら側の存在ね。

真一 この店だってそうだ。ここへたどり着ける人間は一握り。

科子 えぇそうね。でも、貴方今言ったじゃない。ここへたどり着くのは人間よ。

   ここに住んでいる私は、もう人間とは違うものだわ。

男  人の形をして生きているのに?

科子 でも、もう私の体は貴方を作っているものとは別なのよ。

   ここは橙花堂。魔力の宿る品を扱う時間のでたらめな店。

   そんな店の店主を、ただの人間ができると思う? 

男  (少し間を開けて)魔術師ってのは、みんなそうなのか?

科子 (時計をかけ直し)少なくとも、先代や、同業はそうね。

男  わかった。(荷物を肩にかけ)君は魔魔術師をやめるつもりもなければ、

   この店を出るつもりもない。そうだね?

科子 そうなるわね。後継者でも出来ない限り。

男  よく分かった。でも、今まで通り、お客としてはくるよ。

科子 どうぞ。

男  君みたいな人が、ひとりで生きていけるのか心配だけど。

科子 大丈夫よ。

男  また、音を詰める時は呼んで。僕にはそれくらいしかできないけど。

科子 頼りにしてるわ。ピアニストさん。

男  (ドアの方へ進む。ドアに手をかけ、一度振り返る)それじゃあ、また。

科子 えぇ、またね。真一さん。


   男、ドアをくぐり、閉める。

   科子、薄暗い店内をぐるりと見渡す。グノシエンヌと雨音が大きくなる。



科子 また大きくなった。グノシエンヌ。もうピアノを弾く人などいないのに。



   科子、机まで戻り、椅子に腰掛ける。

   うつぶせる。店内暗くなる。



真一 (科子の肩を揺すりながら)科子さん、

   科子さん!



   グノシエンヌが止む。

   店内明るくなる。

   科子、体を起こす。



科子 ごめんなさい、眠っていたみたい。

真一 音詰め終わりましたよ。(瓶を机の上に置く)後はラベルを。

科子 あぁ……(瓶を手に取る)わかりました。ありがとう。

真一 本当に大丈夫かい? 今まで音を詰める時に眠るだなんてなかっただろう?

科子 なかったわけじゃないわ。(少し間を取って)滅多になかっただけで。

真一 今日はこれだけでいいかい?

科子 えぇ。これで全部。



   科子、立ち上がり、作業台へ向かう。

   真一、ピアノを元に戻していく。

   ラベルを書き、瓶に貼り付ける。瓶を

   棚に入れた後、時計を見、手に取る。

   懐中時計を取り出して時間を確かめる。



科子 忘れてたわ。これも直しておかないと。

 (少し考えて)ねぇ。

真一 なんだい。

科子 時計を直す間、何か弾いてくれない?真一 何かって? 

科子 何でも良いわ。ショパンでも、ラヴェルでも……。

真一 じゃあサティにしよう。

科子 (時計を直す手を止めて)サティ?

真一 最近、ちゃんと夜眠れてないんだろう。

   ジムノペティなんかは、きっといい睡眠薬になるんじゃないかな。



   科子、戸惑うが、止めようとはしない。

   真一、ピアノの前に座り、ジムノペティ(一番)弾き始める。

   桐谷・三夜戻ってくる。



桐谷 あれ? 今日は、一曲じゃないんですか? 

科子 終わったわ。私の暇つぶしに弾いてくれてるの。

桐谷 これって、聴いたことあります。

三夜 綺麗ね。誰の曲?

真一 (間を開けて)サティです。ジムノペティ、一番。

桐谷 ジムノペティ。これって、私が初めてこのお店に来た時にも、かかってましたよね。



   科子、作業の手を止める。時計を置き、

   立ち上がる。



科子 ごめんなさい、今日は用事があるので、

   早く閉めさせて貰ってもいいかしら。

桐谷 え? 今日用事なんてありました?

三夜 まぁ、そんならはよ言うてくれたら良かったのに。(三夜、真一を見る)ねぇ。

真一 また今度、ゆっくり弾きに来ますね。

科子 ごめんなさい、ばたばたして。



   三夜、人形を抱える。真一、楽譜ケースを持つと二人ドアへ向かう。



三夜 ではまた今度。

真一 おやすみなさい。

桐谷 ありがとうございました。



  ドアから出た二人を桐谷見送る。

   科子はゆっくりとピアノに近づき、椅子に腰掛ける。桐谷、科子に振り返る。



桐谷 科子さん、今日用事なんてなかったでしょう。

科子 いえ、今できたわ。小春ちゃんにね。

桐谷 (間をおいて)あたしに?

科子 (頷く)小春ちゃん、初めてこの店に来た時、ジムノペティがかかってたって、言ったわね。

桐谷 えぇ。

科子 (しばらく鍵盤を見つめた後)もっと早く気づくべきだったわ。

桐谷 科子さん?

科子 小春ちゃん、次から貴方がラベルとタグを書いてちょうだい。

   それから、時計の調整も。慣れるまでは、私も手伝うから。

桐谷 ちょっと待ってください! いきなりなんですか?! 

   それ全部、科子さんじゃないとできないって言ってたじゃないですか。

科子 私じゃないと出来ないわけじゃないわ。  

   小春ちゃんも出来ると分かったから、やって貰おうと思って。

桐谷 でも……そもそもなんであたしに出来るって?

科子 ジムノペティがかかってたって言ったでしょ。

桐谷 えぇ。さっき真一さんが弾いてた曲でした。

科子 あの時ね、ジムノペティなんかかけてなかったわよ。

桐谷 え?

科子 聞こえたのだとしたら、私が過去に音詰めしたあの人の演奏ね。(間を置いて)

   蓋をして、棚の奥に保管してあるわ。そんな簡単に聞こえるものじゃないの。

   私だって聞こえなかった。

桐谷 だったら、なんであたしには。

科子 代替わりが始まってたのよ。

桐谷 代替わり?

科子 そうよ。私の時は数年かかった。だからてっきり私の不調だと思ってたんだけど。

桐谷 ちょっと待ってください! どういうことなんですか!

科子 文字通りの意味よ。(焦ったように)

   こんなに早いと分かっていたら、レジと一緒に時計もラベルもタグの扱いも教えたのに。

桐谷 科子さん……?

科子 思ってた以上に、こちらの世界となじみが良かったってことでしょうね。

   ここへこられるんだから、元々素質はあったんでしょうけど、どうしてまた……。



   科子、店内をぐるりと見渡す。

   視線、ピアノ、時計、窓、タグ。



科子 (間を開けて)ここまでか。

桐谷 え?

科子 (応えず)ひとつの店に、ひとりの魔術師。どういうわけか、そうと決まってる。

   小春ちゃんは、次の橙花堂の魔術師よ。本物になれる子が来たから、代替わりの準備が始まってたのね。

桐谷 そんな、次の魔術師って、あたしがなれるわけが……。

科子 (桐谷から視線を逸らし)最近、時間酔いが多いでしょう。

桐谷 そうですけど……。

科子 時間酔いはね、自分の時間の主軸と時計が一致してないから起こるのよ。

   小春ちゃんは、私と合わせてるから私に合わせてる時計で酔うはずがないの。

   ……あるとすれば、小春ちゃんに独立した主軸が存在しているということ。

   独立した主軸を持てるのは魔術師だけ。

   小春ちゃんはね、まだ、“もどき”だけど。主軸が何本もあれば、店の時計達は混乱するでしょうね。

   基軸が私から小春ちゃんへと移っているのだとすれば、最近の私の不調も頷ける……。

   あとしばらくもすれば、時間酔いをするのは私の方でしょうね。

桐谷 そんな……。

科子 橙花堂を継ぐかどうかは小春ちゃん次第よ。

   でも、時計を扱えない限り、小春ちゃんの時間酔いは治らない。



   グノシエンヌ(一番)がかかる。

   桐谷、顔を上げる。


科子 聞こえる?

桐谷 はい。今日も、三夜さんが来る直前に。

科子 私も、今ではこれだけは聞こえるわ。



   科子、ピアノで主旋律だけ追うように弾く。

  店内暗くなっていく。

   桐谷退場。

   科子、ピアノを弾くのを止める。

   ライトで照らしたロフト部分に、先代の都がいる。



都  なんでやめちゃうの?

科子 (蓋を閉めながら)本業さんの聞いてると、自分じゃ物足りなくなって来ちゃって。

都  あぁ、「楽譜の音詰め」ね。真一君、いい音鳴らすでしょう。

科子 いい音かは分かりません。でも、耳には残ります。



都、笑いながらロフトから降りてくる。



科子 (ムッとして)何がおかしいんです? 都さん。

都  ごめんごめん。いや、真一君は若いが腕は確かだ。彼に頼んで良かったと思ってさ。

   (おかしそうに)科子も、真一君を気に入ったようだしね。



  都、ダイニングテーブルの椅子に腰掛ける。科子、都を睨み付ける。



科子 別にそんなんじゃ!

都  (被せるように)でも、深入りは止めた方がいい。

科子 え?

都  科子はもう、時計も、タグも、ラベルも扱える。立派にうちの店員だ。

科子 そりゃあ、もう何年ここにいると……。

都  ねぇ、時計を扱えるってことはさ。もう体は魔術師のモノに変わり始めてるってことなんだよ。

   覚えてる?

科子 ……。

都  すぐに、科子の時間と、真一君の時間はずれていくよ。

科子 ……。

都  橙花堂の主人は……いいや、同業者はみんなそう。

   外と関われても交わりはしない。交われば、魔術師の意義を失う。

   失えば、魔法はあたし達に語りかけはしなくなる。

科子 ……だから、深追いするなって?

都  (科子を見つめる)

科子 (苦笑して)私、魔術品を選んだ女ですよ……。

   橙花堂の次の魔術師になれるって分かった日には、うれしくてないたぐらいです。

   みすみすチャンスを逃すようなことするはずがないじゃない。

   ……それとも、都さんは魔術師になって後悔することでもあったんですか。

都  いいや。

科子 (被せるように)ほら!

都  ないといったら、嘘になるね。

科子 (信じられないというように)……だから、あんなにあっさり代替わりを受け入れたんですか。

都  それだけが理由じゃないよ。……たださ。(窓の外を見る)……あたしはね、魔術師を八十年やったよ。

科子 八十……。

都  そう、八十年。

   十八の頃からずっと魔術品を迎えて、タグやラベルを書いて、魔法に名前を付けて、

   そうやって長い時間を過ごしてきた。

   ……面白い仕事だよ。

   ひとつとしておなじ魔法はないからね。

   でも、あたしは待つことしかしなかった。

   (科子に向き直り)あたしね、たまにお客さんがとてもうらやましかった。

   ひとつの時間に留まって、自分の目で魔術品を見つけられる。外に行きたいって思ったよ。

科子 ……だから、人に戻るんですか。

都  (笑って頷き)後、どれぐらいの寿命が残ってるかは、分からないけどね。

   ま、あたしみたいなのの方が、魔術師の中じゃ珍しいよ。

   中には魔力が尽きる前に、魔術品使って自分を魔法にしちまうやつだっているような世界だよ、ここは。

科子 ……そっちの方が、ずっと魅力的ですけど、私には。


   都、椅子から立ち上がり、科子の傍らに立つと、彼女の頭を乱暴に撫でる。

   科子、その手を払いのけながら怒ったように、


科子 なんなんですか!

都  いいや、小さい頃のあたしそっくりなこというもんだから、懐かしくてつい。

科子 小さい頃?

都  そう。

科子 (首を傾げて)都さんが橙花堂を継いだのって、十八ですよね? 

   それよりずっと前から、ここにいたんですか? それとも、先代からそんな話を聞いたとか?

都  (得意そうに)いいや、あたしが直接、言ったし、聞いたんだ。

科子 ……はぁ?

都  あっ、信じてないな。あたしが店長になった頃に、小さい時のあたしが来たんだよ。客として。

科子 え?

都  ここは、そういうことが起こりえる場所なんだよ。

   なんたって、時間の概念が緩すぎる。もう、水分多いゼリーみたいにゆっるゆるだし。

   ……それをね、先代  に言ったらうらやましがられたのなんのって。

   写真でも見られないちいさな自分が、目の前で動いてんだからね。

  (間を開けて)でも、それだけじゃないんだ。

   こどものころの自分と会えた魔術師はね、例外なく、魔力が強化される。

   出逢える品も人も多い。長い時間を生きられる。……いつか科子も、会えるといいね。



   都のスポットライト落ちる。

   作業台にスポットライト。

   若い姿の真一が椅子に腰掛けている。



科子 でも私は、こどもの頃の私とは、会えなかった。

真一 けど、会えることは稀なんだろう?

科子 先代が会えてるのに私は会えないなんて……。 

真一 悔しい?

科子 (笑いながら)悔しいに決まってるじゃない、そんなの。

真一 ぼくも、小さい頃の科子さんは見てみたいなぁ。

   ……あ、そうだ。



   真一、何かを思い出したようにポケットの中を漁る。

   縁日や駄菓子屋で売っている飴の指輪を科子の掌に向かって軽く投げる。

   科子、両手で受け取る。



真一 妹が買ってきたんだ。こういうのって、好きだったのかな。

科子 さぁ、どうだったかしら。(指輪を撫でたり電気に掲げたりしてまじまじと見る)

   けど、きっと好きだったわ。今の私が好きなんだもの。


   

   科子、うれしそうに笑って、飴の指輪を指にはめる。 



科子 小さい科子さんは見せてあげられないけど、教えてあげることは出来るわよ。   

   (ピアノの椅子を半分空けて、その場所を叩く)

   ほら、ここ座って!



  真一、ピアノに向かい、空いた場所に腰掛ける。



真一 うん、じゃあ、小さい頃の科子さんは、何が好きだったんだい?

科子 子犬のワルツ、トルコ行進曲、金平糖の踊り、エーデルワイスも。

真一 よし、じゃあ。



  真一、鍵盤に手をかける。F#を鳴らし、すぐに体が崩れ落ちる。

  不協和音が響き、暗転。

  科子、舞台中央でうずくまっている。

  スポットライト。

  都が側にやってくる。



都  (困ったように)だから深入りするなと言ったのに。

科子 (顔を上げずに)……真一さんは?

都  眠ってる。大事はないよ。あたしが近くにいる時で良かった。(間を開けて)

   魔術師でもない、魔力の耐性がそれほどない人間が、長時間いるにはここは毒なんだよ。

   最初は科子だって耐性付けるのにずいぶん時間がかかったじゃないか。

科子 (顔を上げずに)……私、馬鹿ですね。

都  そうだね。

科子 (顔を上げて)真一さんが目を覚ましたら、外へ返します。



  玄関明るくなる。

  扉の前で浴衣姿の三夜が不安そうに立っている。

  真一、扉に手をかけ、硬い表情で立っている。



三夜 (焦って苛ついているように)ねぇ、入らんの?

真一 ……どんな顔をして会えば良いのか、分からないんです。……今更。

三夜 (怒って真一の腕を引っつかむ)あんたなぁ! ここまで来てソレか!

真一 でも。

三夜 そんなん、科子さんかて一緒や! あんたらの間で何があったかは知らんけどな! 

   魔力が尽きた魔術師なんか、後は死ぬだけや。消えるだけや! 

   その前にあの科子さんが、あんたに会いたいって使い頼むぐらいでうちに頭下げてんで?!

真一 分かってる! 分かってるけど! 

   けど、ここで会ったら、本当にあの人、消えて、どこにもいなくなるって、

   そんなの、確認しに来たようなものじゃないか……!

三夜 (掴んだ腕を放し、呆然としながら)あんた、ちょっと、まさか。

   なぁ、まさかとは思うけど、真一さん、あんた!

真一 (三夜から視線を逸らす)

科子 (ドアを開けて)ふたりとも、うるさい。

三夜 ……それが郵便屋さんに言うセリフ?

科子 ごめん、頼れそうなの、三夜さんしか思いつかなくて……。

三夜 まぁ、えいけど……。(真一と科子を見比べ、ため息)ほんなら、うちは失礼するわ。



  真一、すがるように三夜を見る。

  三夜、ソレを無視して日傘を差す。


真一 (何か言おうとしてやめ)……ありがとう、三夜さん。

三夜 なんやの、気持ち悪い。(科子を見て)今度何か美味しい魔法酒手に入れたら流して。

科子 うん。取っとく。

三夜 じゃあまた。

科子 また。



  科子・真一ふたりで店の中に入る。

  三夜、一歩二歩、下手に向かって歩くが、

  扉が閉まった音に振り返る。



三夜 (呆れた様に)……まさか両方、阿呆やとはな。



  三夜退場。

  店内、レジ前で立っている真一。

  作業台の椅子に腰掛けている科子。

  目の前の大量の瓶。

  科子がひとつひとつキレイに磨いている。

  真一、躊躇いながら中へ進む。



真一 魔力が、尽きるって。

科子 (瓶を磨く手を止め、真一を見る)

   その前に、仕事を頼みたいの。

真一 仕事?

科子 個人的なものだから、気負わなくていいわ。

   (瓶に視線をやり)これにね、好きな曲を入れようと思って。

真一 (作業台までやってきて、瓶を手に取る)……これが、最後の仕事かな。

科子 そうね。私が魔術師であるうちにできる最後の仕事だと思うわ。

真一 (間を開けて)いいよ、手伝う。

科子 (ホッとしたように笑む)

真一 でもふたつ、条件がある。

科子 ……条件?

真一 最後に入れる曲は、ぼくが選びたい。

科子 ……あとひとつは。

真一 (瓶を握りしめ、科子をじっと見つめる)……ぼくが死ぬ時、ボトルの魔法をもらい受けたい。



  科子、何も言わずに真一をじっと見つめる。

  グノシエンヌが流れる。

  舞台暗転。(回想終了)

  桐谷、退場前までの位置に、科子、ピアノ椅子に、それぞれ戻る。

  舞台明るくなる。



桐谷 科子さん? どうしました?

科子 (頭を振って)……なんでもないわ。

   さて、まずは小春ちゃんに時計の合わせ方から覚えて貰わないと。



   科子、ピアノから立ち上がる。桐谷、

   納得してない風だが、科子の後に続く。

   科子、時計を取り、桐谷に持たせる。



科子 じゃあ小春ちゃん、どうして外と中の時間がずれているのか、覚えてる?

桐谷 えぇと(少し考えて)店内は魔力を持った魔術品がたくさんあって、時代も力もばらばらだから、

   時間の概念が緩くて上手く一つの時間軸に乗らない……でしたっけ?

科子 そうよ。時代は合わせられなくても、一日の時間は合わせることができる。

   魔術師の体内サイクルを基準として調律しているの。(懐中時計を取り出し)

   これでね。今日四時間も外とずれているのは、私がいつもの体内サイクルをずらしてしまったから。

   じゃあ、今の懐中時計の時間と、外の時間を合わせてみましょうか。

桐谷 (懐中時計を受け取る)時間は、四時半。えぇと、壁掛けも四時半に……

   (確認してから、手に持っている壁掛け時計を合わせる)



  窓の外が暗闇から夕方になる。その途端、カウベルが鳴る。

  入ってきたのは、制服を着た中学生ぐらいの女の子。



夏梨 こんにちは。(科子と、面食らっている桐谷を見て)何してるの? ふたりとも。

桐谷 えぇと……(科子を見る)

科子 こんにちは、夏梨ちゃん。

桐谷 カリンちゃん?!

夏梨 (不審げに桐谷を見て)小春ちゃん、どこか頭でも打ったの?

科子 ごめんなさいね。小春ちゃんが中学生の夏梨ちゃんに会うのは初めてなのよ。

  (桐谷の方に向き直って)

   時間は外と一緒に出来ても、お客様にとっての時代まではどこに行くかわからないのよ。

夏梨 もしかして、今日は時計、小春ちゃんが変えたの?

科子 初めてね。それで、夏梨ちゃん、今日はどんなご用?

夏梨 (少し間を置いて)遊びに来ただけ。

   橙花堂も、しばらく来てなかったし。科子さんも、小春ちゃんも元気かなって。

科子 そう。じゃ、久しぶりに来てくれたん

   だから、お茶でも飲んでらっしゃい。



   桐谷、慌てて時計を壁に掛ける。

   夏梨、机から椅子を引き、座る。

   桐谷紅茶の用意をしようとしたところで、また勢いよく扉が開く。

   中に入ってきたのは、真一の若い頃とよく似た青年(明)。



桐谷 いらっしゃいませ。

科子 小春ちゃん、私は夏梨ちゃんにお茶をいれるから、お願いね。

桐谷 はい。

明  (店内をぐるりと見渡し)あの、ここは橙花堂でいいですか?

桐谷 はい、橙花堂ですが。

明  (息を整え)ボトルを探してるんです!

桐谷 ボトル?

明  いきなりすみません。でも、橙花堂にあるってことしか、つかめなくて。

桐谷 ボトルと言われましても、うちにはたくさんありますから……。

   あ、おかけになってお話を聞かせて貰っても?

夏梨 あたしの隣の席座る?

明  いえ、時間がないんです。とにかく、ボトルを探してるんです!

桐谷 あの、特徴とかないです? 作家名とか、タイトルとか。

明 (首を振り)祖父から聞き出せたのが、橙花堂という名前だけだったんです。

   あとは、ここで音を詰めたとしか。

   音を詰めたって言うのも、俺にはよく分からなくて、両親も祖母も、分からないらしくて。

   でも、ずっとボトルを欲しがってて! あの、ここが最後の頼りなんです。

   お願いします。祖父は、今夜が峠らしくて。  

   僕は、真木と言います。真木明。祖父は、

 真一です。よくこちらにお世話になっていたはずなんです!



   科子、紅茶ポットを落とす。割れた音に、全員が振り向く。うずくまっている科子。



桐谷 科子さん!

夏梨 ちょっと、科子さん大丈夫?!



   夏梨、科子のそばまで行く。

   徐々に聞こえ始めるグノシエンヌ(一番)



科子 聞こえる。

夏梨 え? 

桐谷 グノシエンヌだ。また聞こえる。なんで?

科子 (夏梨に支えられながら立ち上がる)

   そう、あれが最後だったから、グノシエンヌが聞こえたのね。

夏梨 ねぇ、科子さん顔色悪いよ。

桐谷 科子さん?

明  あの、大丈夫ですか?

科子 (明を一瞥した後、桐谷を見る)小春ちゃん、ボトルはね、音詰めをした瓶よ。

桐谷 どのボトルなのか、あたしには……真一さん、全部に音入れてたじゃないですか!

   (慌てて瓶をまとめて取り出してくる。明と二人がかりでタイトルを確認する)

明  雨の庭、月の光、まどろみ、子犬のマーチ、噴水、幻想即興曲、ソナチネ。

桐谷 モーツァルト、ラフマニノフ、ショパン、ドヴュッシー、リスト……。

明  くそっ、どれだよ!

科子 商品棚にあるのじゃないわ。

桐谷 え?

科子 (楽譜棚を指さす)その中。



   桐谷、楽譜棚を探し始める。



科子 二段目の奥。

桐谷 あった!

明  これは……。全部。

科子 サティよ。(疲れたように椅子に座り、目を閉じる)

明  祖父が、一番好きだった作曲家です。

   なんで、こんなにたくさん……。

科子 もう何十年も前、私が生きている頃、貴方のお祖父さんが弾いてくれた曲を、

   片っ端からボトリングしていたのよ。

夏梨 何十年も前って……。

桐谷 それより、生きていた頃って、どういうことですか、科子さん!

科子 この大量の魔術品を、たったひとりの人間の魔力で抑えるなんてできなかったのよ。

   だから、私の体そのものを魔術品にしたの。(間を開けて)その前の話。

明  そんな……。じゃあ、今の貴方は。

科子 ただの魔力のかたまりよ。

夏梨 でも、そんなことどうやって。

科子 元々、先代や、小春ちゃんみたいに魔力に耐性があるわけじゃなくてね。

   寿命が尽きる直前に、真一さんに弾いて貰った曲を聴いて、ボトリングしたの。

   未練を混ぜたから、私が今まで作ったものでこれ以上ないってくらい強い魔力を有した魔術品になったわ。

   ……今の私は、その魔法。魔術師の、なり損ない……。

明  じゃあ、これを持っていけば、祖父ちゃんは助かるんですか?!

科子 (首を振る)逆よ。私の未練と一緒にボトリングしてるのよ。

   私に引きずられて、そのまま命つきるでしょうね。

   持っていっても、持って行かなくても、きっと結果は変わらないでしょうけど。

明  (しばらく考え)それでも、祖父はボトルを待ってるんです。

   ……教えてください。祖父が待っているとしたら、どのボトルなんですか?

科子 ……グノシエンヌ。私が一番好きだった、サティの曲。

桐谷 グノシエンヌ。(瓶の中をさがす)あった!

明  よし、じゃあこれを急いで病院まで!

桐谷 割らないように気をつけて!

明  はい! 

夏梨 待って、あたしの鞄に入れて行きなよ! 剥き出しで持って行くより安全でしょ! 

桐谷 じゃあ、車で病院まで送るわ。科子さん、行きますか?

科子 (目を閉じたまま)私は、良いわ。

桐谷 (明と科子を見比べ)わかりました。車回してくるから、真木さんと夏梨ちゃんは店の前で待ってて!

夏梨 了解。

明  お願いします!




三人、慌てて外へ出て行く。

  科子、それを見送ると、ゆっくりと椅子から立ち上がり、ピアノの前に座り込む。

  蓋を開け、鍵盤にうつぶせるようにしてグノシエンヌ(一番)を鳴らす。

  店内暗くなる。

  グノシエンヌ、半分過ぎたところでぴたりと止まる。





  数日後

  橙花堂

  店を片付けている桐谷、三夜の姿。科子の姿は見えない。



三夜 さて、これでだいたい終わったかな。

桐谷 ありがとうございます。わざわざ手伝って貰っちゃって。

三夜 良いんよ。寂しいわ、橙花堂がのうなるだなんて。

桐谷 でも、科子さんが、やっぱりこの店の店主でしたし……。あたしには、やっぱり荷が勝ちすぎてます。

三夜 そう。(段ボールを一つ抱える) でもなぁ、やっぱりお客としては残念だわ。

桐谷 すいません。あたしは、やっぱり魔術とか、よくわからなくて。

三夜 仕方がないわ、こればっかりは……。じゃあ、この段ボール出してくるわね。

桐谷 お願いします。



   三夜と入れ替わりに小さな女の子(小春)が入ってくる。手には、縁日で配られるような指輪。



桐谷 あ、お嬢ちゃん、もうこの店はね……。

小春 この指輪、外でワンピースのお姉ちゃんに貰ったの。

   もしいらないなら、あのお店で、店員のお姉さんに預けなさいって!



   桐谷作業の手を止めて、女の子の前にしゃがみ込む。



桐谷 ワンピースの、お姉ちゃん?

小春 うん!

桐谷 (指輪を受け取る)かわいいね。

小春 預かってもらえる?

桐谷 そうだね、預かっておこうか。



   グノシエンヌ一番が流れる。

   店内、だんだん暗くなっていく。


桐谷 魔法の名前を、付けようか。

小春 魔法の名前?

桐谷 うん、指輪を魔法のアイテムにするの。お嬢ちゃん、お名前は?

小春 コハル! キリヤ、コハル!

桐谷 (うつむいて、少し考える)うん、じゃあ、コハルちゃん、あっちで一緒に、つけようか。




  グノシエンヌ、だんだん大きくなっていく。

  舞台は真っ暗に。

  机の上に指輪とタグと青色の瓶。





  終わり

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