第二晶
私立全学院学園は生徒数がとても多い。それに比例して、教諭の数も平均を遥かに上回っている。
学力は平均だ。と言っても、一概には言えず、この高校は三つの科が設置されている。学力優秀で、無料でこの学び舎に通う生徒たちのトップ科。スポーツ優秀で、無料でこの学び舎に通う生徒たちのスポーツ科。あとは、普通科だ。
これは、分類分けで、その後文型や理系、就職を狙っている、球技の得手不得手などで、最終的なクラスが決まる。
その中の普通科の中でも、とりわけ普通の生徒を集めたクラスの普通科普通クラスの社会の担任教師、志藤道寸は困惑していた。
それは、一週間前に行われた席替えが原因だろう。彼は授業の為に教室に入り、座席を確認した時は、よい座席だと思っていた。
普通クラスの優等生、己我定義が教卓の眼前に腰を下ろしていた。やる気があるようでないような普通クラスの生徒は授業を聞いていない。その中でも、彼だけは違った。
一人だけ、真剣に授業に挑んでいるのだ。その彼が、教卓に一番近い席を得たのは、行幸以外の何物でもない。その隣には、そこそこ優秀な秋梨秋もいたので、志藤はいつもより、やる気を出した。
しかし、彼の期待に定義と秋がこたえる事はなかった。
今日も、志藤は教室に入り、授業を始めようとする。
「こんにちは」
「先生」
朗らかに、秋梨秋が話しかけてくる。やはり、今日もだ。
「何ですか?」
すぐさま、表情が曇る。志藤は死んだように、秋梨の呼びかけに応じる。
「教科書を忘れてしまったので、定義くんとくっついてもよろしいでしょうか?」
「すでに、くっついていますよね」
「はい」
底抜けに明るい表情であった。
定義と秋は、毎回、机を合体させ、授業を受けているのだ。それも、許せないが、何より、彼女は定義に悪戯をする。そして、彼は困った顔を浮かべながら、悪戯を返すのだ。
それが、教卓のすぐそこで、繰り広げられているのだ。
志藤は深呼吸をし、気持ちを切り替えて、授業を始めることにする。
「えーでは、今日はモラトリアム人間についてですね」
まだ、いちゃいちゃしていない。
「モラトリアムは、エリクソンが名づけたものでですね」
まだ、いちゃいちゃしていない。
「一人前の人間になっているのですが、大学などで、知識を得る為にまだ、社会に対する義務と責任を猶予されている期間のことを言います」
秋が定義の机に消しゴムを置く。
「それで、モラトリアム人間とは、その猶予期間を社会人になっても、引きずっている人間のことを言います」
定義は、そ知らぬ顔で、消しゴムを返す。
「皆さんも気をつけてくださいね」
それに気を悪くした彼女は、定義のノートを奪い、それを抱きしめる。
「秋、返してよ」
始まった。彼は、小声で囁きながら、彼女の目を見て、ノートを取り返そうと躍起になる。その瞬間、なんとも、形容しがたいストレスに襲われた。チョークケースから、チョークを取ろうとして、壊すという作業を繰り返していた。まただ、このチョークも使えない。ああ、定義と秋を元の席に巻き戻したい。
昼休みになり、定義が弁当を広げ、味わっていると、秋が話しかけてきた。
「定義くん、そのお弁当、おいしそうですね、自分で作ったんですか」
「いや、妹が作ってくれたんだ」
「ということは、定義くんは一人暮らしじゃないんですね」
定義たちが通う私立全学院学園は、全国からスポーツの強豪を集めている。それだけに収まらず、座学の面でも、全国から集まっている。
その理由は、学力の高いものは、学費だけでなく、住居も無料なのだ。その甲斐あってか、地方から進学する場合に人気がある。
実に半分以上は、この学校の付近に住み進学したものではなく、さまざまな場所から、やってきているのだ。
秋もその一人なのだろう。
「秋は、一人暮らし?」
「はい、ちなみに、定義くんは、妹さんを入れた四人家族ですか?」
「うん、秋は?」
「三人家族ですよ」
彼女の耳元に唇を近づけ、囁く。
「そうだ、あとで、秋話したいことがあるんだよね」
「突然、どうしたんですか」
「できれば、二人きりで、誰もいないところがいい」
学校が終わると、秋と定義は近くの公園のベンチに座っていた。
「コーヒーは嫌い?」
そう言いながら、彼女に、缶コーヒーを手渡す。
「そうですね、嫌いです」
「相変わらずだね」
秋梨秋は、人の悪意を理解できず、他人をすぐに怒らせてしまう。その為に、友人を先祖帰りさせてしまっている。
「人の悪意がわからないんだよね?」
「はい、でも、治らなくても、定義くんがいるので、大丈夫です」
定義は、そのことについて悩んでいる秋の傍に一生付いていると約束した。
「ありがとう」
秋の微笑みに、微笑み返す。その後、深呼吸をして、真剣な眼差しを彼女に向ける。
「それでさ、秋が人の悪意を理解できないのたぶん、先祖帰りの影響だと思うんだよ」
過去に、世界に跋扈していた妖怪も、今ではその姿をほとんど見かけることはない。その多くは人間と子を産み、徐々に人間に近づいたので、近年、妖怪が生まれることは稀だ。その、薄くなった血が複雑に人間の中で蠢き、一つの形を作り出す。それが、先祖帰りだ。先祖帰りの素質をもった人間は、一度ストレスが溜まり、こらえ切れなくなった瞬間に、初めて発動する。その時は感情が高ぶっていることが多いので、暴走と呼ばれている。
暴走が収まると、先祖帰りの力をある程度、意のままに操ることができるようになる。その後、何度も、能力を使用していると慣れが生じ、よりうまく扱える。秋の先祖帰りは暴走を定義に止められた後に、活動をしていないが妖怪の血を抜いたわけではないので、いまだにその力を使用できる。
「あの、前に思ったことがあるんですけど」
「何?」
「先祖帰り…とか、暴走…とか、そういう言葉は誰が作ったんですか?」
この先祖帰りや、暴走という現象は、言葉で定義されている。定義されたという事は、人間の概念の一つとして、存在するということになる。ならば、確実に名づけた者がいるはずだ。
「そうだね、秋も先祖帰りになっているし、説明しないとね」
「はい?」
「MKって知ってる?」
「公益財団マークのことですよね」
公益財団マークは、国に認められたさまざまな国益になることを行っている団体だ。一般的には、いろいろしているところだと、認識されている。
「そう、あのなんかいろいろしているところ」
「それがどうしたんですか?」
秋は、コーヒーをすすり、顔をしかめて問う。
「マークは多くの人の利益のために多種多様なことをしているんだけどね」
「はい、介護とか、研究所とか、いろいろ運営していますね」
彼女はまるで子供が牛乳を嫌うように、苦しい顔を浮かべながら、コーヒーを飲み干した。達成感に浸りながら、会話を続ける。
「うん、その中には、一般には知られていないけど、先祖帰りに関わる組織があるんだ」
面食らったようで、表情が切り替わる。緩んでいた心が引き締まる様子を象徴しているようだ
「その組織が、先祖がえりとか、暴走という言葉を作ったんですか?」
「うん、そうだよ、でも、それだけじゃない」
定義は、自身の学生カバンから、ベルトを取り出す。
「これは、MRと呼ばれている、簡単に言うと、僕の昔持っていた先祖帰りの力を一時的、限定的に引き出すものなんだ」
「定義くんは力を失っているんですか?」
「そうだよ、先祖帰りは複雑に絡み合った妖怪の血によって、力を発現させるから、血を抜くんだよ」
「え?それで力が使えなくなるんですか」
MKは、専門の武装組織により、暴走した先祖帰りと対峙する。無効化した後に、彼らは特殊な機械を使用し、血を抜く。それにより、緻密なバランスを保ち、共生し合っていた妖怪の血のバランスが崩壊し、能力の使用が行えなくなる。
絶対に、MKは人を殺さない。先祖帰りから、普通の人間に戻された後は、ただ普通の生活に戻るだけだ。
「MKのことや、先祖帰りのことはわかりました」
「よかったよ、秋もMKに狙われないように気をつけてね」
定義は話しを終えたと、満足したようで、ベンチから立ち上がる。
「待ってください、定義くん」
「何?」
「なぜ、定義くんは先祖帰りの能力をMKに奪われたにも関わらず、使えるんですか?」
秋は真剣な眼差しを見せ、彼の手首をしっかりと掴んでいる。
「さっきも言ったけど、MRのおかげだよ」
「それだけではわからないです」
MRは先祖帰りが、その力を失った後に使用するものだ。MKによって吸収された血をもとに結晶が作られ、その結晶とMRと呼ばれるベルトを合わせてしようすることで、先祖帰りの能力が使用できる姿に変身できる。先祖帰りの時には、変身のような動作は必要なかったのだが、MRの使用ゆえに必要になった。
定義が感じていることだが、MRを使用して、先祖帰りの力を行使すると、精神的疲労が蓄積するのだ。常に、変身していれば、精神に異常を来すのではないかと懸念する程の負荷を体感する。その観点から、オンとオフの必要が生じたのではないかと推測される。
さらに、MRは血で生成された結晶を体内に戻して、先祖帰りの能力を再現しているわけではなく、体表を覆い、その力を発動させている。常に、その姿で行動すれば、必要以上に目立ってしまう。
「ところで、そのMRは誰に貰ったんですか?」
秋は相変わらず、手首を離そうとせず、顔を接近させ、尋ねてくる。
「知らない女性だったよ」
「どんな感じでした?」
「日本人で、だいたい年齢は三十台くらいかな?それで、左目が青く光ってたんだよ」
「不思議な人ですね」
「うん、美人なのが、より不思議さを出していたね」
「定義くんは年上が好みでしたか?」
それを聞いた彼女は突然、手首を引っ張り、定義をベンチに座らせた。そのまま、両肩を掴み、脅すように問いかける。
「いや、よくわからないよ」
その行動に驚きながらも、率直な意見を返す。
「そうですか、他にその女性について何か教えてください、今後の為です」
「今後?意味がよくわからないけど、白衣を着ていたよ」
「定義くんは、白衣を着た女性はタイプですか?」
「いや、そんなことはないよ」
「他には?」
秋は、彼の肩をつぶす様に握り締め、詰問する。
何か怒っている彼女に感化され、当時のことを思い出す。定義が、MKに先祖帰りの力を奪われ、地面に仰向きに倒れているときに、その女性は現れた。
疲弊した顔を覗き込むように、白衣の女性はしゃがみ込み、話しかけていた。そういえば、短いスカートを履いていた。そのせいで、あるものが見えていた。
「く、黒…」
「何がですか?髪の毛ですか」
「いや、何でもないよ」
「怪しいです、何が黒なんですか?その女性の性格ですか?」
「秋、何でもないよ」
「定義くん、正直に言ってください」
「そんなことよりも、もっとMRのことは知りたくないの?」
定義は高潮している秋の表情に冷や汗を感じながらも、話題の転換を試みる。言ったところで、得になるようなことは双方にない。
「そうですね、そのことは今度教えてもらいます」
少し怒気を匂わせた語調で、脅しながらも応じてくれた。
「ははは、秋は優しいなぁ」
「でも、他に何かたずねることはあるんですかね?」
「そうだね」
うーんと唸りながら、秋は何かをひねり出そうと、思考しているようだ。
「そういえば、変身した時に使う銃ありますよね?」
カバンの中にあった、折りたたまれた銃を取り出す。変身した際に、この銃から、先祖帰りの力を放出できる。他の用途として、先祖帰りの中に潜む妖怪の血を抜き取り、能力を封じ込めた結晶を作ることができる。
「これだね」
「名前はあるんですか?」
「僕が勝手に付けたんだけど、クリスタライザーっていうんだ」
「どうしてですか?」
「先祖帰りを結晶化させるときに、クリスタライズっていうんだよ、それで名前をクリスタライザーにしたんだ」
「では、変身したときの姿は?」
「いや、とくに無いね」
「そうですか、ではクリスタライズって呼んだらどうですか?」
「すごい素直だけど、わかりやすいね、変身した後の姿に名前があったほうが会話がしやすいしね」
今までは、誰にも語らず、活動してきたので、名前をつけようとすら思わなかった。自分だけの概念だった。もしかしたら、まだ自分だけしか理解できないようになっている事象があるかもしれない。彼は思考を開始する。すぐさま、あることを思い出した。
「そうだ、秋に言ってなかったことがあったよ」
「なんですか?」
「僕の目さ、先祖帰りしそうな人がわかるんだよ」
「それはすごいですね」
「網膜の中に特殊な機械を入れられていてね、先祖帰りしそうな人間の体の一部が光って見えるんだ」
先祖帰りの兆候を掴むこの光はさまざまな色で、危険を報せる。
「そういえば、田中さんがゴリラになった時にいましたね」
「うん」
「でも、それなら、なんとか先祖帰りを止められないんですか?」
「先祖帰りの暴走は、ストレスを物凄く発散してくれるんだ、だから、暴走した後に止めた方が都合がいいんだよ」
説明しながら、一つの弾丸を取り出す。ゴリラの姿になった田中の体から抜き取った血で作った結晶だ。
「それは、田中さんの結晶ですよね?」
「そうだよ、だけど、僕の血から作られた結晶ではないから、変身はできない、さらに、これは弾丸の形で、僕のはクリスタルの形をしている」
「それは撃てるんですか?」
「うん、だけど、一回撃ったら、壊れて使えなくなる」
定義は、過去に何度も弾丸を入手しているが、その全てが撃った後に、消失している。
「さて、話しが少し脱線したけど、僕の目は先祖帰りしそうな人が見えるっていったよね」
「はい」
「今日も見たんだ、学校で」
「そんな大事なこと、何ですぐに話さなかったんですか?」
「今まで、誰に言ってなかったから、言おうと思わなかったんだよ」
「まあ、言ってくれたので、許します、ところで、誰なんですか?」
「わからない」
「え?光ったんですよね」
「秋が僕のノートを奪ったときに、ちょうど光ってさ、その後、すぐに光が収まったから、わからなかった」
「危ないですよ、誰かに被害が出たらどうするんですか?」
「たぶん、大丈夫だよ、すぐに収まったということは、一瞬イラっとしただけさ」
「その光った瞬間に、先祖帰りしたということは?」
「それはない、それだと、その場にいた人がパニックになるし、先祖帰りした人間が暴れるはずだよ」
「確かに、そうですね、でも、その後に、先祖帰りしてるかもしれません」
「大丈夫、一瞬光っている人はよくいるんだ、その光が一瞬ではなく、連続的だと危険だけど、そのあと、クラスを確認したところ、光っている人は一人もいなかったんだ」
「そのさじ加減はよくわかりませんが、定義くんを信用します」
「ありがとう、もしかしたら、今後、クラスの誰かが先祖帰りするかもしれないけど、一人なら誰にも怪我させないでなんとかできるよ」
「すごい、自信ですね、もし二人なら?」
「場合によるね」
「私も先祖帰りの力を使って、定義くんを助けたいです」
「危険だから、お勧めしないよ」
「だったら、定義くんも危険ですよ」
「そうは言っても、秋は先祖帰りの能力が使えないよ」
秋の話をそらす様に、彼女の弱点を突く。
「それは…そうですけど…」
今日も、朝が訪れてしまった。学校に行きたくないという気持ちを抑え、ふとんから出る。昨日の夜、飲酒したわけでもないのに手にはリモコンを持っていた。
「なんなんだ?」
全学院学園の教師、志藤道寸は困惑しながらも、居間に向かう。気持ちとは裏腹に体の調子はいい。
台所を見ると、妻が料理を作っている。まだ若いその背中に挨拶を交わし、食卓の椅子に座る。テレビの電源を付け、ニュースを確認する。まだ、寝ていたいという衝動に襲われ、リモコンの巻き戻しボタンを押す。
録画された番組だったようで、画面の左端に移されたデジタルの時計がさかのぼって行く。それに追従し、アナウンサーも人間とは思えない挙動で動き出した。
その瞬間、座っていた椅子が、先程の位置に戻ろうとする。謎の動きに抗い、椅子を押さえつけるとその動きは止まった。後ろにいた妻が行ったのだろうか。
後ろを振り向くと、妻は料理を作っていた。
「ねえ」
志藤は、穏やかなトーンで話しかける。志藤とその妻の関係は良好で、きっと悪戯をしたのだろう。
「きゃ!いつから、座ってたの?」
彼は、驚き、固まる。
「え?」
「だって、ちょうど今、扉を開けて、居間に入ってこなかった?」
その後、しばしの時間を得て、志藤は理解した。
自分が起きたときに持っていたリモコンは、そのボタンに合わせて、世界を変えられるのだ。と、言っても、おそらくは夢だろう。ならば、覚めるまでに楽しまなくてはいけない。
「早送り、巻き戻し、一時停止、これは便利だ」
彼は新しい玩具を持った子供のように、さまざまなボタンを押した。何度も、妻に対して、使用した。といっても、時間を止めて悪戯をしただけだ。数字のボタンを押しても、何の反応もないし、ボリュームを下げても、話す声が小さくなるだけだ。
彼は、角にあるボタンを見つめる。
「人間の電源を切ったら、どうなるんだ?」
彼は、人が死ぬ光景を想像する。愛する妻に対して、それをするのは気が引けたので、彼はベランダに向かった。
「ちょうどいい、あの人でいいや、死んでも、もう一回電源ボタンを押せば、生き返るだろう」
リモコンを握る手に、汗が溜まる。普通ではありえない状況が彼を興奮させていた。
三人で並び、談笑しながら、歩いている女の子たちがいる。おそらく、中学生だろう。今は、時間を停止しているので、片足が浮いている奇妙な体制になっていた。
「中学生は嫌いだね、やはり、高校生だ」
その中の一人に向けて、電源ボタンを押す。
「うん?反応がないな、ああ、一時停止してるからか」
時間を再生すると、少女に変化が起こった。
「はあ?」
突然、少女の体が、動物のライオンに変わった。
「どういうことだ?」
それに驚き、腰を抜かして倒れている残りの二人の電源も切る。もしかしたら、入れているかもしれない。先程、同様に動物に変化した。ヒョウと、象ではあるが、たいした問題ではないだろう。
流石に、このままでは危ないと、もう一度、電源ボタンを押そうとすると、何処かに走っていってしまった。
「まあ、夢だしいいか」
彼は、さらにボタンを物色する。不思議なボタンを見つけた。
「小?」
小さくなるのだろうか。彼は妻を見る。大人の女性の美しさがただよい、体のプロポーションもすばらしい。その豊満な胸と彼女の美貌に惹かれたのだ。
「押してみるか」
小のボタンを彼女に向け、押す。志藤は、妻の胸に注目した。
「お、小さくなった……」
文字通り小さくなってしまった。美貌は変わらないが、とても女性らしさがない。もう一度、小のボタンを押すと、元に戻った。
「今の何?小さくなっちゃったけど」
「今のままの君が好きだ」
このようなボタンがあるならば、他にも、似たようなものがあるかもしれない。探すと、とても、大変なボタンを見つけた。彼は小と二つのボタンを外した。
「夢の中で何をしているんだろう…」
「とりあえず、学園に行ってみるか」
夢が覚める前に、さまざまなことをしなければならない。
己我定義が目を覚まし、自分の部屋を出て、居間に向かうと、秋梨秋が彼の家族と談笑していた。内心驚いていたが、彼は普通の人間とは異なる神経を持っていたので、平静を保って、行動した。
その後、秋と共に、学校に出発した。
「どうして、僕の家に来たの?」
「少し、道に迷いましたが、着くことができました」
彼女は微笑み、意図を得ない返事をする。
「いや、そうじゃなくてさ」
「なんだか、彼女だと思われてしまいましたね」
嬉しそうに言葉を連ねている途中、彼女の表情が突然困る。
「私が来た理由は自分で考えてください」
「まさか、妹が弁当を作っているというのを確認しにきたの?」
「かわいい妹さんでしたね、ですが違います」
定義には量りえない何かに苛立っている彼女の後方で、突然、青色の光が景色を染め上げる。
「どうしたんですか?定義くん」
「先祖帰りの暴走だと思う」
定義はベルトを装着し、鞄を秋に手渡し、走り出した。
「光が見えたんですか?」
彼女は、その後について行く。
「光が点滅どころか、何秒間も輝いていたから、たぶんそうだよ」
「そうですか」
「秋、先に学校に行って」
一体の先祖帰りであれば、人間を守りながら、戦えるが、わざわざ危険に飛び込ませる必要は無い。
「嫌です」
それを聞いた彼女は、すぐさまそう返した。定義は、その時に理解した。秋は定義に協力したいのだろう。しかし、それを断られているので、彼女はいじけたのだ。
「秋の気持ちは嬉しいけど、僕は君を危険にしたくない」
「定義くんの意見なんて聞いていません」
彼女を説得したいが、先祖帰りした人間を止める方が、急を要する。
「わかったよ」
先祖帰りに近づいているのだろう。人の悲鳴が聞こえる。
定義はクリスタライズに変身し、闇をその体に纏う。
中心に噴水を据えた広場のその外縁をなぞる様に人が固まっている。まるで、何かから逃げようとして、それ以上は逃げられなかったようだ。
「そんな」
秋は先祖帰りの姿を確認して、驚愕の声をあげた。
その声を聞きながら、彼も焦っていた。その場には、先祖帰りが三体いたのだ。動物園から逃げ出したように、ライオンと象とヒョウが人々を威嚇している。
一見、普通の動物に見えるが、輪郭が霞んでいることから、その三体は確実に先祖帰りだ。
彼は、クリスタライザーに先祖帰りの血で作られた弾丸を装てんする。
「厄介だ、三人で喧嘩でもしたのかな」
毒づきながら、銃口をヒョウに向ける。運がいいことに、まだ先祖帰りたちは定義の存在に気が付いていない。これならば、一体は仕留めることが可能だ。
普段は片手で発砲するのだが、この弾丸は一発しかなく、外すことはできないので、両手で構える。呼吸を整え、引き金を引いた。
耳を劈くような、甲高い音が周囲に響きわたる。音速を超えた速度で直進する弾丸に空気が触れ、音が発生しているのだ。さらに、その空気との摩擦が光の残像を生み出していた。
象の様子を確認すると、その存在が確認できないことから、先祖帰りの暴走を止めることに成功したようだ。
先祖帰りから得た弾丸を先祖帰りに向かって撃つと、二つの力が衝突しあい、両者が壊れてしまう。しかし、これは暴走状態で能力がむき出しになっていなければ、効果を発揮しない。
「すごい、定義くんあと二体です!」
弾丸はもう残っていない。歯を食いしばりながら、闇を放つ。弾丸を撃った後は精神的に疲労が溜まる。闇を撃つ時にも、疲労は溜まるのだが、その数倍もの疲労が彼を襲う。
「秋、みんなを逃がして!」
先祖帰りの注意をひきつける為に近づく。本来であれば、闇を撃ちだして、気を引くのだが、精神力の削られている現状では、撃ちすぎると気絶する可能性がある。
「はい!」
秋が逃げるように喚起すると、固まっていた人間達が広場から去っていく。記憶を消す必要があるのだが、そんな悠長なことは言っていられない。
定義はヒョウとライオンの攻撃を交わし、暴走が止まった少女を抱えあげた。この少女を逃がせば、人的被害を抑えられる。
「秋!この子を運んで」
秋に少女を渡し、先祖帰りと対峙する。銃を持っていることや、普通ではありえない格好をしている定義に猛獣たちは注目している。先祖帰りの血を吸収するためには、相手を疲れさせ、身動きを封じる必要があり、二体同時の戦いではそう易々と行えることではない。
ライオンとヒョウは、彼から10メートル程離れた噴水の付近で仁王立ちし、様子を伺っている。
クリスタライザーの引き金を引いた。この銃は、自分が想像した通りの形や挙動をした闇を作り出し、射出する。
銃口から、ゆっくりと闇が流れ出る。そのまま、ある程度闇が伸びた後、固まった。
この銃は射出しないこともできる。発射できなかったわけではなく、銃口から先に闇を固めて、剣のような形の武器を作ったのだ。その刃渡りは50センチ程だ。闇の力を固めただけのもので、その切っ先や刃は鋭いとは言えないが、闇の力で引き裂いているので、相手に触れさえすれば、切り裂くことが可能になる。
先祖帰りたちが走り出すのにあわせて、走り始める。
「定義くん、みんな逃げましたよ!」
刹那、秋の声が聞こえた。全員が避難していたことは確認していたので、内容に対しての反応はなかった。
だが、秋がこの場に残っているとは思っていなかったので、つい彼女の方に振り向いてしまった。
「危ない!」
背中に、鋭い痛みが突き刺さった。精神的疲労も手伝い、地面に倒れこむ。立ち上がろうとするも、猛獣にのしかかられている。
「そんな!」
「秋、逃げて!」
倒れた衝撃で、銃が手から離れ、落ちている。拾おうにも、体を押さえつけられているので不可能だ。ヒョウは、秋に興味を示したようで、彼女ににじり寄る。
すぐに襲おうとしないのは、彼女が先祖帰りだと気づいているのだろう。だが、彼女はその力を扱えない。正確には、使用方法がわかっていないのだ。
本来であれば、そのようなことはない。先祖帰りが始めて、その力を扱うときはストレスにより暴走しており、本能的に力を使っている。その後、徐々に理性を取り戻す。まるで、赤子が大人に成長するように。その為、段階的に理性を取り戻していけば、能力の行使を覚えているのだが、彼女は一気に暴走が止んでしまい、能力の使用方法がわからないのである。
「え?あれ?」
彼女は標的にされるとは、思っていなかったようで、驚愕と恐怖に支配され、体が硬直している。
ついに、ヒョウは彼女に飛び掛る。腕で顔を覆い、悲鳴をあげる。
しかし、彼女はいつまで経っても、怪我をしなかった。
ヒョウは何度も、突進するが、ある地点まで行くと、何かに体をぶつけている。まるで、そこに壁があるようだ。あの猛獣に、パントマイムができるとは思えないし、この場で行う必要もない。
「あれ?何が起きたんですか?」
ピンチにより、彼女は理性で考えることができず、本能的な恐怖に支配された為に、先祖帰りの力を思い出したのだ。
「秋、先祖帰りの力だよ」
定義は、説明しようと、彼女に話しかけるが、聞こえていないようだ。しかし、うなずいている。
「私の力?」
彼女は、何かと話をしている。時折、うなずいている動作から、そう思える。
体を押さえつけているライオンが、そちらに気を取られているようだったので、後頭部を猛獣の体に衝突させる。それに驚いたようで、うなりながら、獣は飛び跳ねた。
その隙に、地面を這い、銃を取り返す。そして、立ち上がりライオンに闇を撃ち放った。闇の弾丸は網目状に広がり、たてがみを持った猫を縛り付ける。
「よし!」
すぐさま、銃をライオンに向ける。
{CRYSTALIZE}
無機質な機械音声が響き渡り、妖怪の血を抜き取る。青色の弾丸が装てんされた。
「秋!しゃがんで」
もはや、妖怪の血を抜き取るほどの精神力が残されていなかったので、定義はその弾丸をヒョウに向けて、放つ。
この弾丸を撃つのにも、精神的疲労が伴うが、途中で意識が途切れようと、撃つことはできる。
周りに人間しかいないことを確認すると、己我定義は気絶した。




