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第一晶

何もかも奪われた。コンクリートの地面に倒れている体からは、もはや何の力も残っていない。

 ひび割れた地面も、倒壊した建設途中の鉄塔も、自らが失った力を痛感させる。先程、たった一度腕を振るい破壊したものだ。自分にはそれだけの力があった。

 だが、それを少し前に奪われてしまった。今や、ただの人間になってしまった。

「くそ」

 悪態を吐き、細い腕を硬い地面に打ちつける。何度も、そうしているうちに手の感覚が消え、痛みを感じなくなった。突然、空しくなり腕をだらしなく地面に預ける。

「無様ね、昔はあんなに強かったのに」

 どうやら、力を奪っていた者達の一人が残っていたようだ。視線だけ動かし、声の主を確認する。おそらくは、二十台後半の女性だろう。とても美しい。白衣を着ている事にも驚いたが、それよりも、眼を引く物があった。

 青い。彼女の左目が青く光り輝いていた。

「だから、なんだよ」

 反抗的な態度が彼女のお気に召したようで、しゃがみ込み囁きかける。

「あなたの失った力、返してあげようか?」

 青い瞳が辺りの景色をかき消し、世界を青く染め上げる。




 己我定義おのがていぎが自分の通う高校の在籍しているクラスの戸を開くと、友達の佐藤が話しかけてきた。

「おはよう、優等生」

 皮肉めいた言葉をかけながら、彼は定義の肩に手をかける。

「今日の宿題は難しかったな」

 爽やかな笑みを浮かべ、佐藤の表情を伺う。

「お前、俺がやるとおもっているのか?わかってるよ、あれだろ、皮肉だろアイロニーだろ、わかってるよ」

「もちろん、君に見せる宿題はないよ」

「あ、そうだ、ちょっとお前が好きそうな話があるんだよ」

 悪がきと形容できそうな表情を浮かべ、佐藤は腕を掴み、教室の外へ連れ出そうとする。

 その時だった。

「うるさいよ!」

 同じクラスの田中という女子が怒号を上げる。田中の周りには、鈴木と秋梨という名前の女子達が苦虫を噛んだような表情で、沈黙していた。

「あの…田中さん」

 秋梨が逆なでしないように、弱弱しい言葉で話しかける。

「あー、まあ着いて来い」

 佐藤はうな垂れながら、廊下に連れ出す。

「で、なんだ?佐藤」

「見たとおりだ」

「あの三人がどうかしたのか?」

「最近、仲が悪いと伝えようとおもったんだ」

「それを何で俺に言うんだ?」

佐藤は信じられないものでも見たような表情を浮かべる。

「だって、お前は、困っている人に優しくしないと死ぬ病気だろ?」

「人の為にできることがあればしているだけだよ、あれは三人の問題だよ、誰にも邪魔できないさ」

「そうか、で宿題を見せてくれよ」

「だめだ」

 狼狽している佐藤と共に、教室に入る。件の三人はそれぞれの席に座っている。己我定義はある物を発見した。

 それは、輝いていた。怒りの声を上げた田中の手の甲は赤く輝いていた。にやりと、口元がゆるむのを抑えることができなかった。




 今日の授業が終わり放課後になり、己我定義は玄関を抜ける。玄関と校門の中心で、先程の三人がまた喧嘩している。会話の内容は聞こえないが、一方的に秋梨が責められているように映る。

 業を煮やしたのだろうか、彼女を抜いた二人組みが校門を抜けて、帰ってしまった。

 定義は気がつくと、呆然と立ち尽くす秋梨に話かけていた。それを見ていた佐藤の悪態が聞こえたが無視する。

「秋梨さん、なんだか朝も騒いでいたね、大丈夫かい?」

 ぽろりと涙を流す彼女に、ハンカチを渡しつつ、微笑む。

「己我くん、ごめんなさい」

 震える手で、ハンカチを受け取り、彼女は涙をふき取るが、矢継ぎ早に滴る為にあまり意味を成していない。

「俺で良ければ、話を聞くよ」


 夕暮れ時、自販機で買った暖かい缶コーヒーを公園のベンチに座る秋梨に渡し、隣に腰掛ける。

「ありがとうございます」

 涙は引いたが、まだ気持ちは落ち着いていないのだろう。何処か、憐憫を感じさせるトーンで、彼女は感謝の言葉を述べる。

「暖かいものってさ、落ち着くよね」

 彼女を刺激しないように、穏やかな口調を意識し、彼女の目を見て、話す。

「そうですね」

 彼女はそう言っているが、コーヒーを飲んでいない。

「もしかして、コーヒー嫌いだった?」

 彼女は今までの雰囲気を崩さず、返事をした。

「はい、コーヒーは嫌いなんです」

 ここまで、露骨に嫌うということは、相当苦手だったのだろう。定義は、彼女のいつもと違う反応に驚く。

「あ、もしかして、今、私失礼なことを言いました?」

 表情から感じ取ったのか、彼女は子犬のように怯えた顔で上目遣いに見つめてくる。

「あまり、他の人には言わないほうがいいと思うよ」

「すいません…実は」

 彼女の唇が止まる。何かを伝えることを戸惑っているように見える。それから、しばらくして、深呼吸した後に真剣な眼差しで定義を見る。

「私、人の気持ちが分からないんです」

「それは、みんなそうだと思うけど…」

「察することができないのです、今だってそうです」

「つまり、空気を読めないって事?」

 首を傾げるような曖昧な動作で秋梨は頷いた。自分のことなのに、自信がないように見える。

「変な言い方かも知れません、私は生まれたときから人に対して悪いことをしようと思ったことはないんです、でも、何故か人を怒らせてしまうんです」

 口元に力が入り、唇が歪む。

「さっきみたいにどこか抜けた発言をしてしまうの?」

「はい、今まで友達とはうまく言ったことがないのです、それで自分の言動にとても気をつけていたのですが、田中さんを怒らせてしまいました」

「ちなみに何を言って怒ったのかはわかるの?」

「わかりません、私は生まれたときから悪意を持っていないんです、だから、人の悪意もわからないし、自分の言葉に含んだ悪意にも気づけない」

 ありがとうございました、と呟き、秋梨は立ち上がる。立ち上がり、彼女の腕を掴む。

「俺は秋梨さんを理解するよ、君の助けに俺が成れるなら」

「それは嬉しいですけど、できないことは言わないほうがいいですよ」

 彼女は足早に去っていった。確かにそんな言葉は信じられないだろう。だが、定義にはそれ以上に懸念することがあった。田中だ。朝、彼女の手の甲は赤く輝いていた。確実にアレの予兆だ。

「たぶん、このままだと、確実に暴走するな」

 独り言を呟き、カバンの中からベルトを取り出す、それを制服のズボンの上から巻く。このベルトはMRという。力を失った定義に残された最後の力だ。ベルトの中心には凝ったデザインのバックルが聳え、サイドにはポーチのようなケースがついている。その中には彼の力が入っている。もう片方には、折りたたまれた拳銃がくっ付いている。

「さて、秋梨さんがこのまま、田中さんのところに行ってくれるといいんだけどね」

 視界の先に彼女を捕らえ、尾行する。距離は走っても二十秒かかる距離だ。気づかれれば、逃げればいい。

 十分ほど着いていくと、あるゲームセンターに入っていった。とっさに、キャップ帽を被り、メガネを掛け、ゲームセンターに入る。

 奥の方にある椅子が置かれた休憩スペースに秋梨の友達である田中と鈴木が座って、話をしている。田中と手の甲は相変わらず、赤く輝いている。朝見たよりも、光が増している。

偶然、彼女らの近くに男子トイレがあったので、そこの個室に入る。ゲームセンターは喧騒が漂うものではあるが、男子トイレ自体は静かになるように設計されていた。

近くにいる、彼女達の声は聞くことができた。

「田中さん、私とあなたは合わないみたいです、もう縁を切りましょう」

「そうね、なんか、たまに癇に障ることを言うのよね」

 田中の口ぶりは誰が聞いても、苛立っているように思われる。

「ごめんなさい、でも、少しの間楽しかったです」

「そうね、でも、これ以上一緒にいても楽しくならないわ」

田中の声色が落ち着いていく。

「はい、今も早く、ここからいなくなりたいです」

「相変わらずね」

「すいません、また私気に触ることを言ったんですね」

「また、それ?わかってるなら、言わないでよ!」

 彼女の口調が激しくなる。狭い男子トイレに何度も反響する。

「いえ、私には何がなんだか、わからないんです」

 刹那、赤い光が男子トイレを包んだ。

「暴走した」

 ゲームセンターに、絶叫が響き渡る。暴走した田中の姿を見て、中にいた人たちが叫んでいるのだ。

「よし」

 定義はポーチから、黒い結晶を取り出し、それでバックルの中心をたたくように強く押す。黒い結晶は砕ける。

{MELT OUT}無機質な女性の声が響き渡る。

 すると、ベルトが黒く輝き始めた。輝く闇と形容するにふさわしい。闇は彼の体を包み込み、一つの姿に変えてしまった。

 その姿は全身が黒く、タイツに装甲をつけたようなもので、頭にはライダーが装着するヘルメットのようなものを被っている。ところどころ、血のように赤い深紅色の線が装甲やヘルメットに引かれていた。

 ベルトに付いていた拳銃を手に掴むと、一瞬で元の形に戻る。

 彼が、男子トイレを出た瞬間、雄たけびが聞こえた。そこには、巨大な体躯に毛を走らせ、胸板が厚く、拳も巨大なゴリラがいた。

 近くに、秋梨と鈴木がいるので、あのゴリラは田中だ。

「逃げろ、ここは危険だ!」

 そういうと同時に、拳銃をゴリラに向け、発砲する。銃弾ではなく、輝く闇が発射される。それが、ゴリラの頭に衝突した。

 おおおおおおおおおと叫びながら、獣は定義に突進してくる。彼は飛び上がり、タックルを避け、そのまま、空中で闇を射出する。闇は四方に広がり、網を形成し、ゴリラを押さえつけた。

「君の場合はそのゴリラを消せば、イライラも収まるだろう」

「モードチェンジ、クリスタル」

 ライダーマスクがそう告げると、拳銃は姿を変える。その銃をゴリラに突きつけた。

「君の力は僕が奪わせてもらう」

 引き金を引いた。

{CRYSALIZE}白い一筋の光が、化け物の体を通り抜けると、脱皮のようにゴリラがはがれて行く。中から、気絶した田中が現れた。剥がれ落ちた、ゴリラの皮は赤く溶け、銃の中に吸い込まれる。そして、拳銃の中から、薬莢のように赤い色をした結晶が飛び出てくる。

「貰った」

「さてと、事後処理をしないと」

 闇を吐き出していたときの形に戻った拳銃を天井に撃ち放つ。闇がプラネタリウムの星空のように広がり始めた。そのまま、満点の夜空は降り注ぎ、ゲームセンターにいた人間全員を襲う。これは、攻撃しているのではない。事後処理だ。普通の人間がこのような予想できないかつ恐怖を伴う経験をしたら、どうなるだろう。答えは簡単、パニックになり、心に傷を負ってしまうのだ。

 さらに、あのゴリラのような異形の存在―――先祖帰りと呼ばれている―――は一般に知られていない。おそらくは、知ってしまった人と知らない人の間にも、亀裂が生じ心の傷はよりそのひびを深くしてしまう。

 ならば、知らないことにすればいいのだ。この闇は人の記憶を奪うことができる。このゴリラの記憶だけを消した。そうすると、彼らはここで何らかの事件が起きたことは覚えているが、その詳細が思い出せないという状況に陥る。

 記憶を消された人間がぱたりぱたりと地面に倒れていく。倒れた時に怪我をする人がたまにいるので、何台か救急車を呼んでおく。

 深呼吸をし、ベルトのバックルを叩く。その衝撃が装甲とヘルメットに響き、振動する。やがて、砕け散り、それが収束し、闇色の結晶を作り出す。ポーチにしまい、男子トイレに置いたカバンを取りに行く。

「あの」

 その時、聞いたことがあるような声を背中に受ける。振り向くと、秋梨が立っていた。他の人間は全て倒れているのに、彼女だけが気絶していない。

「秋梨さん、見てしまったね」

「あの、どういうことですか?何が起きたんですか?」

 常識では考えられないような現象を見たにも関わらず、彼女は落ち着いていた。先祖帰りを退治していると、倒れた時に怪我をする人間よりももっと珍しい人間が現れることがある。それは、記憶を失わない人間だ。

「秋梨さん、トイレしたいので、ちょっと待って」

「はい、わかりました」

 男子トイレに入った定義は、カバンを持つ。窓を開け、路地裏に出ようと窓枠に足をかけたときだった。

「なんで、逃げるんですか?」

 恥ずかしそうな表情をしながら、秋梨が男子トイレの入り口から顔をちょこんと出し、睨んでいた。

「さらば!」

「逃げても、明日学校で会うんですよ」

 彼女の言葉に歩が止まる。確かにそうだ。今までは逃げれば、有耶無耶にできたが、彼女は定義を知っている。

「わかったよ、これは夢だ」

「じゃあ、覚めるまで付き合ってください」

 煮え切らない態度に、嫌気が差したのか、彼女は男子トイレの中を走るように歩き、彼の手を掴む。

「あ」

 何かを思い出したのか、秋梨は耳を真っ赤に染める。

「手は洗いましたか?」

 確かに、トイレに入った分けだが、用を足すために入ったのではないので、手を洗っていない。

「いや、洗ってない」

「え?」

 手を離し、彼女は触れたほうの手の手首を触れていない方の手で掴む。

 彼女は先程、定義が闇に触れたのを見ている。おそらく、彼女は闇に触れた手に触れたことに恐怖したのだ。ゴリラを倒したり、人を気絶させたの見たので、怖がるのも無理はない。実際には、彼女の手には闇は付いていないし、定義にも付いていない。

「安心して、無害、無臭、無味だよ」

 闇は彼が敵意を持たない限りは、攻撃の手段にならない。これを説明すれば、彼女も落ち着くだろう。

「無害じゃありませんよ!なんですか、無味無臭って私は騙されませんよ」

「え?もしかして、気分が悪いの?」

 彼女の反応がおかしい。自分が勝手に害がないと思っていただけで、さらには味もあり、においもあったのだ。何より、彼女の体に付着してしまったらしい。闇は体の一部で、何も感じなかったが、他人にとっては違ったようだ。

「ごめん、それでどんなにおいでどんな味なの?今後の為に教えて」

「う…な、なんで、そんなひどいことを言うの?」

 彼女は涙を流し始めた。

「に…においはアンモニア、あ…味はアルカリ性だから…たぶん苦い」

「ん?」

 何かがおかしい。アンモニアのにおい。そして、ここは男子トイレ。

「ま、まさか!ごめん、秋梨さん、そんなつもりはなかったんだ」

「う…こんな人だったなんて…」

 その後、彼女を慰めるのに、一時間以上もかかった。だが、心の傷は治らなかったようで、一メートル以上近づかないように念を押された。




「それで、結局、あのゴリラはなんだったんですか?」

「僕たちの間では、先祖帰りと呼んでいる」

「え?じゃあ、田中さんの先祖はゴリラだったんですか?」

「いや、そういう生物学的な意味じゃないんだ」

「ん?」

「妖怪って知ってる?」

「はい、小豆を洗ったり、枕を返したりする」

「うん、今は妖怪はほとんど、絶滅状態でめったに見ることができないのは知ってた?」

「そもそも、いないと思うんですけど」

「さっきすごいものを見たよね」

「確かにそうですけど、というか、田中さんはゴリラの妖怪だったんですか

「いや、彼女は人間だよ、ただ」

「ただ?なんですか」

「妖怪の血が混じっているんだ」

「ゴリラの妖怪と人間のハーフとか、クォーターなんですか?」

「いや、もっと血は薄いし、もっといろいろ混ざっているよ」

「ややこしいですね」

「まあ、何千年の人間の血の流れの中に妖怪の血が複雑に混ざり合ってるんだ」

「うーん」

「それで、妖怪の血、一つ一つはとても薄いんだけどね、それがいい感じで体に混ざりあうと、不思議な力が使えるようになるんだ」

「それが田中さんだったと、ところで何千年間も前から、妖怪の血があったら、いっぱい妖怪の血を持った人がいそうですけど」

「おそらく、全ての人間は何らかの妖怪を血を持ってるはずだよ」

「じゃあ、私もですか?」

「そうだよ、俺も持ってるそれどころか、俺は先祖帰りだった」

「え?でも、田中さんみたいに暴れてないですよ」

「あれは特別な状態なんだよ、暴走と呼んでいるだけど」

「では、さっきの己我くんの黒い姿が先祖帰りした姿ですか?あれが暴走してない姿なんですか?」

「そんなところ、それで、暴走するには条件がある」

「それは?」

「耐え切れないストレスを抱えたときに、不満を解消するために暴走するんだ」

「ストレス…もしかして、私のせいですか?」

「たぶんね」

「私のせいで、田中さんが…」

「気にしても、しかたないよ、いつかは先祖帰りするから」

「己我くんは何で、先祖帰りしたんですか?」

「力がほしかったんだ、世界を幸せにする力をね」

「すごいですね」

「全然うまくいかないけどね」

「そういえば、よく人のために何かしていますよね、それも世界を幸せにするためにしてるんですか?」

「いや、自分のためだよ」

「ん?どういうことですか」

「人にされたいことは自分が一番してることだと思うんだよね」

「じゃあ、己我くんは誰かが自分の為に何かしてくれるのを待ってるんですか?」

「さあね」

「何かを求める前に、何かを与える、とても立派です、私なんか…せめて、人の心が読めたらなぁ…」

「俺が屈折してるだけさ」

「謙遜しなくてもいいですよ、じゃあ、私そろそろ帰りますね」

「そう、送ろうか?」

「いいです、そうしたら、私も送らなければいけなくなります」

 今の己我定義は周りへの意識が欠けていた。自分の悩みのようなものを打ち明け、秋梨を見ていなかった。彼女の左目が赤く輝いていることに気が付かなかったのだ。


 翌日、己我定義は、秋梨秋が田中と鈴木と会話をするところを見なかった。彼女は、それを忘れるためか、しきりに定義に話しかけてきた。

 彼はそれに合わせて、何度も会話をした。



 秋梨秋はいつもどおり、登校した。クラスを確認すると、まだ、己我定義は来ていないようだ。少し、残念に思いつつも、自分の座席に座る。

「秋梨さん」

 誰かに話しかけられる。振り向くと、目つきが悪い田中だった。

「何?」

「何って、昨日の今日で男と仲良く話すなんて、どうかしてるわよ」

 瞬間、田中の恨みに満ちた表情が消え、毛むくじゃらの猛獣、ゴリラの顔に変わった。



己我定義が校門を潜り抜けると、世界が変わったような印象を受けた。この感触に、先祖帰りが作り出した結界に入ったときを思い出す。

「妙だ」

 彼はカバンからベルトを取り出し、腰に巻く。まだ、変身はしない。

「とりあえず、クラスに行ってみよう」

 廊下を移動している間、生徒たちが奇妙に映った。何かが起きている。その疑惑は確信に変わった。

 教室近くの廊下に、佐藤が立っている。彼は自身に満ちた表情を浮かべていた。

「おはよう」

「おお、優等生、聞いてほしいことがあるんだ」

「何だ?」

「俺、超能力が使えるようになったんだ」

 この妙な雰囲気による影響だろうか。

「で、何ができるんだ?」

 彼は、定義の耳元に近づき、囁く。

「人の心が読めるんだよ」

 確実に、何らかの先祖帰りが関与していると見ていいだろう。ならば、確かめなければならないことが発生した。

「佐藤、俺の心を読めるか?」

 佐藤は得意げな顔になり、定義を睨みつける。しかし、すぐに顔をしかめた。

「あれ?おかしいな」

 元先祖帰りであり、何度も他の先祖帰りと戦闘したことがあるので、不特定多数に向けた能力の影響を受けることはまずない。さらに、学校を覆う規模だ。生徒一人一人に裂く、力はとても少ないのだ。

「ちなみに、佐藤以外の人は心を読めるのか?」

「ああ、どうもみんながみんな、人の心を読めるみたいだ、女の子の秘密が分 かっちゃったぜ」

 その時、自分のクラスから、叫び声が聞こえる。秋梨の声だ。

 すぐさま、戸を開き、中を確認する。

「な、なんで」

 そこには、先日倒したはずのゴリラがいた。獣は今にも、秋梨に襲いかかろうとしている。

「秋梨さん!」

{MELT OUT}

 定義はすぐさま、変身し、猛獣を殴りつける。化け物が怯んでいる隙に、怯えている彼女を抱きかかえる。

「己我くん、また、田中さんが」

「うん、今は逃げよう」

 先祖帰りの中にある妖怪の血を抜き、結晶化させるのが、彼の持つ拳銃の役目だ。そして、妖怪の血を抜かれたものは、己我定義のように先祖帰りの力を使用することができなくなる。だが、彼女の先祖帰りの力が失われていない。今まで、このケースは存在しなかった。というか、理論的に考えてあり得ない。

「ああ、田中さん…どうして、そんな酷いことを」

 廊下を走り抜ける中、秋梨の心に、田中の考えていることが流れてきたのだろう。

「俺には聞こえないんだ、教えてほしい」

「田中さんが、みんなに、私を、殺すように、命令しています」

 彼女は震える声で、途切れ途切れに伝える。心を読めるようにしていたのではない。心と心を繋げていたのだ。そして、田中を中心とした一つのネットワークを作り出したのだろう。ボスに感化され、普通の人間たちも、逃げる秋梨を追い始めた。

「これじゃあ、うまく戦えないな」

 彼は人間を気絶させる程度の闇を撃つが、ゴリラには傷すら付けられない。そして、ゴリラにも効く闇を撃とうとすると、操られた人間が射線に入っている。教室に逃げ込もうにも操られた生徒が待ち伏せしている。

「人を殺しては元も子もない」

 気が付くと、学校の端に追い詰められていた。端には、使っていない教室があり、そこには確実に生徒がいない。定義は、秋梨を中に入れ、自分は扉の前に立つ。

「己我くん」

 ゴリラが殴りかかってくる。それを頬で受け止める。叫びながら殴られ、何度も痛みが襲う。

「やばい、どうすれば」

 闇を放つにも、周りの生徒を殺してしまう可能性がある。ついに、意識に煙がかかり始めた。

 ああああああああああああと、雄たけびに合わせた右ストレートが彼の顔面に炸裂した。蓄積したダメージにこらえる事ができず、扉を破りながら、吹き飛ばされる。そのまま、秋梨のいる教室に転がり込んだ。

「己我くん!」

 意識が薄くなったせいで、変身が解けてしまった。その瞬間、意識の中に他の人の意識が入り込んで来る。近くにいた、秋梨の心が入り込んできた。

「ああ、そうか、そうだったのか」

 己我定義は全てを理解した。突然、おかしさが体中にあふれて、笑いが止まらない。

「わかった、あははは、そうだよ、この銃は確実に妖怪の血を奪うんだよ、あはははははは」

「己我くん?」

 猛獣が飛び掛ってきた。このまま、その攻撃を受ければ、死んでしまうだろう。だが、定義は笑い続けた。

「こんなものはまやかしだ!」

 彼が叫ぶのと同時に、ゴリラの皮が剥がれ、田中が出てきた。彼女は姿が変わったことに驚き、獣のような唸り声を上げる。

「何が起きたの?」

 一度、妖怪の血を失った者は己我定義のように、先祖帰りできなくなってしまう。それは、絶対だ。だが、田中は血を抜かれたにも関わらず、猛獣の姿に変化していた。彼女は先祖帰りをしていなかった。ある人の先祖帰りに巻き込まれていただけだ。

「秋梨さん、君だよ」

「己我くん?」

 秋梨秋が先祖帰りを暴走させていたのだ。

「君が、先祖帰りしていたんだよ」

「え?私が」

「君の心は、消え去りたいという衝動に苛まれていた、だから、暴走したときに自分を消そうとしたんだ」

「そうなんですか、また私迷惑かけましたね」

「それは俺じゃなくて、田中さんに言うんだね」

「はい」

「秋梨さん」

「己我くん!私を殺さないんですか?先祖帰りですよ」

「俺は人を殺さない」

「もう、嫌です、私…」

「俺は君を理解するよ、俺は世界を幸せにするために生まれたんだ」

「私、また心無いことを言うかもしれませんよ」

「大丈夫」

「缶コーヒー嫌いなんですよ」

「大丈夫」

「人を先祖帰りさせるくらい、怒らせたんですよ」

「人間はいつか先祖帰りするんだ」

「そんなこと言わないでください、私は人と仲良くできないんです」

「俺は話してて楽しかったな」

 定義は泣きじゃくる秋梨を抱き寄せる。嗚咽をあげながら、彼女はその腕で抱き返した。

 それから、しばらくして、秋梨秋は落ち着いた。二人で手を寄りそうに座り、手を繋いでいる。

「己我くん、私、さっきあなたの心が見えてしまいました」

「そうかい」

「定義くんも、理解されたかったんですね、あなたは今まで一人で世界を幸せにしようとがんばってきた」

「はは、恥ずかしいな」

「誤魔化さなくていいです、でも、誰かに理解されたかった、だから、人にしてほしい事を自分が一番していると言ったんですね」

「そういうのはかっこよくないから、言わないようにしてたんだけどね」

「いいんですよ、かっこよくなくても」

「はは、何でだろ、涙が出てきた」

「私があなたとずっと一緒にいて、あなたを理解してあげます」

「秋…」

 定義は気が付くと、秋を抱きしめ、さきほどとは打って変わって、嗚咽をあげて、泣き喚いた。




 屋上で変身した定義は、銃を空にかざし、巨大な闇を撃ちはなった。秋と手を繋いで。

「今日は記憶消すのにとても疲れるなあ」

 満天の星空が校舎に降り注いだ。

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