ゼロ~ロク
彼は覚悟をして、一歩を踏み出した。
『まずは、零歳から六歳。あなたが生まれた時から幼稚園の年長の時まで』
「母さんか? 若いな。俺、泣いてばっかだな。……父さん、何をおろおろしてるんだよ」
彼は自分の生まれた時の写真を見ていた。回顧『展』と言うだけあって、数々の写真が飾られている。彼の生まれた時の写真……ベッドで自分を抱いている母と自分を抱かせてもらおうとおろおろしている父。何も知らない無垢な自分に嫉妬する。いや、もしかして自分はこれから起こる悲しい現実を悟って泣いているのか?
『写真に触ってみてください。その時の様子を見ることができます』
「……いいのか、触って」
彼は恐る恐る写真に触れた。すると、あたりの景色が変わった。そこは、病院……彼は、写真の中に入り込んでいた。
「ほらほら、お母さんですよ」
「俺にも、抱かせてくれよ……」
「ダメです。あなた、雑なんですもの。この子が痛い思いをしてしまうわ」
「そんなあ……」
「プッ。なんなの、これ。おっかしいなあ」
彼は笑った。久しぶりに、声を上げて大笑いした。そして、そのことに気が付いて、驚いた。
「俺……笑ってる?」
そのことに気が付くと、彼は再び虹の上に戻っていた。そして、再び声が消えてきた。
「次は……一歳ごろか?」
そこには、両親に向かってよろよろと歩く自分と、それを見て歓喜している両親がいた。
「おおっ!! 歩いたぞ!! 母さん、ビデオを回せ!!」
「……お父さん、ビデオはあなたの手にあります」
「アハハハッ!! バカじゃないの!!」
彼はおなかを抱えて、たっぷり一分笑った。そして、落ち着くと、自分がここにやって来た意味が分からなくなってきてしまった。
「なんで俺、死のうと思ったんだろう。辛いことどころか、大切にされてるし」
生まれたり、歩いただけで大騒ぎになる家族。そんなに大切にされているのに、なぜ自分はこんなにも苦しめられていると思ったのだろうか。……ほんとに、俺は苦しいことだらけの人生だったんだろうか。だが、それもすべて……
「……続きを見ればわかる、か」
その次の写真は、あっちこっち歩き回っている自分とそれを見守っている両親。いたずらしては怒られる毎日。こんな、他愛もない毎日が辛いものとなるのはいつのころだったのだろう。
「アハハ!!」
「何してるのかしら?」
「アハハ!!」
「あっ、こらっ!! やめなさい!!」
「……ごめんなしゃーい」
怒られているというのに、なぜか微笑ましい。なぜ、こんなにも微笑ましいのか。彼はしばらく考えだした。
「……あっ、大切にされてる証拠だから、なのか?」
怒られているのも、よりよくなってほしい、善し悪しが分かるようになってほしい、という思いから来ているからこそ微笑ましいのだ。学校で自分の受ける、悪意のある怒りや恨みとは違うからこそこうなるのだ。
「もしかして、俺は悪意が有る物も無い物も一緒にしていたんじゃないか?」
学校で受ける悪意の有る物と、家で受ける悪意の無い物と。小学校の間に勘違いしていたのかもしれない。
「……勘違いなら、早めに見つけてしまわないと」
その次の写真は、公園で見ず知らずの子供と遊ぶ自分。それを見る母さんや近所の奥さん達。今気が付いたが、これを含めたどの記憶も覚えていない。
「……嫌な記憶ばかり、覚えている?」
そういえば、こんな話を聞いたことがある。ある場所にいじめをしている子とされている子の二人がいた。その二十年後。彼らが出会ってその話をすると、いじめられた子は覚えていたのにいじめていた子は忘れていた、というのだ。嫌なことは、よく覚えているものなのだ。つまり……
「……楽しい思い出は忘れていて、嫌な思い出ばかりが残る。おまけに、自分にいいことも嫌なことと混同してしまう?」
そういえば、そうだったのかもしれない。初めは、自分のためにしていてくれたことすらも、だんだん苦しめられているように見えてきた。それは、先ほどの考えがあっている証拠なのだろう。
「なら……どうしてこうなったのか、見極めないと」
次は、四歳ごろの自分の写真だろう。笑顔で自分の描いた絵を見ている母と、自慢げにしている自分。だが、その絵はお世辞にも上手とは言えない。
『次は、五歳。あなたが幼稚園で遊んでいる時』
幼稚園で友人達と駆け回っている自分。鬼ごっこだろうか? みんな笑顔で遊んでいる。……どうして、こんなに楽しそうな時のことを覚えていないのだろうか?
「たつきクンがおにー!!」
「待てー!!」
「きゃははは!!!!」
楽しそうに笑う子供達に、笑みがこぼれた。やはり、幸せな人生を送っているとしか思えない。多分、小学校に入るまではこんな感じなのだろう。
「……次は、六歳の時」
それは、お受験のために練習している様子だったようだ。
「これに当てはまるのは何?」
「これ?」
「そうそう、正解。よくできました!!」
「わーい!! ばんざーい!!」
今見たら、間違える余地すらない問題。だが、そんなものですら正解すると嬉しかった。だから、頑張れた。……だが、それは、自分を苦しめることになるはずだったのに。
「次は、いよいよ……」
『次は、六歳から今まで。あなたが小学生の時です』
……いよいよ、自殺を考えるようになったきっかけが分かる。