下 一分の猶予
「街に出よう」
そう言ったのは里美だった。しかも朝早く。
里美は結局俺の部屋に泊まっていった。かと言って何もなく、本当に何もなく夜を明かした。
俺は床で眠るハメになり、起きたら体中が痛かった。が、里美のテンションでは乗らないと後が怖そうだった。
まぁ、“後”があるのかどうかは解らないが。
服を着替えて、俺は里美と一緒に外に出た。里美は持ってきていた服を着ていた。
里美の服の感じは、俺と付き合っている頃とやはり少し違っていた。
俺はどうだろう、と、そんな事が少し気になる。
バイクで行こうと俺は提案した。が、会話が間々成らないから、と、里美が却下した。ものの一秒の却下だった。
街を里美と二人で歩いた。昨日はバイクだったから、昨日とは違う感じで少し恥ずかしかった。
里美にそれを気取られないように歩いた。
里美は楽しそうにしていた。そう振舞っていたのかもしれないが、楽しそうではあった。
俺も案外楽しんでいたと思う。
“普通”に服屋に入り、「服を今更買っても意味が無い」等という会話をしていた。
そんな会話だったけど、不思議と空気は重くなることは無かった。
その後は“普通”にぶらぶらと街を歩いた。その間、昨日の話の続きが話題に持ち上がった。
「私ね、やっぱりケンちゃんの事が好きだったんだ。だから、その後も長続きしなかったんだね」
そんな事を、やけにあっさりと言われてしまった。
昨日はあんなにじらした言い方をしていたのに。
「そうか・・・」
俺もそうだったかもしれない。とは、俺は言えなかった。
いや、場の空気的には、これ以上にないタイミングなのだろう。だけど、それを言う勇気が無かった。
認めるのが怖いのだろうか。怖いとは何だろうか。そんな事を考えていると、
「ケンちゃんは意気地なしだなぁ。相変わらず」
と里美に言われた。
“相変わらず”。
この言葉がやけに頭の中で反芻される。
俺は悔しくて、里美に見られる“相変わらず”を何とか探そうとした。
相変わらず・・・・、服は変わっていた。
相変わらず・・・・、雰囲気も少し大人びていた。
相変わらず・・・・、何だろう・・・?
必死になって里美の“相変わらず”を探したのに、結局見つからなかった。
相変わらずなのは、俺だけだった。
昼になって、俺は昼飯に里美を誘った。誘った、というか、「あそこで昼飯を食べよう」と言っただけなんだけど。
そこは普段じゃ滅多なことじゃないと入れないような、超高級な料理店だった。
今は普段じゃなかったし、滅多なことだったから入れたのだ。
最後だから全財産使い切るつもりで入ったが、店員が「今日は全メニュー無料です」と言った。
最後に客に感謝したい、という店長の計らいらしい。
ああ、男らしいな。と思った。まぁ、男じゃないかもしれないが。
食べた料理は上手かった。多分。ああ、どうなんだろう。もしかしたら牛丼の方が上手いかもしれない。
里美はナイフとフォークの使い方が上手くなっていた。
やっぱり俺だけ“相変わらず”子どもだった。
五時を回った。何が、と聞かれれば、時間が、だ。
正確?に言えば十七時だ。残った時間はあと七時間しかない。
その“後七時間”に、妙に実感が沸かない。
まぁ、だからこその平穏なのだろうと思う。
街には依然として人が溢れていた。その中で、段差を見つけて里美と隣り合って座っている。
何故だろう。その人達の全員の顔が、楽しそうに見える。
中には子ども連れの家族も見える。子どもは母と父に挟まれて無邪気に笑っていた。
あの子は、これからどうなるか解っているのだろうか。“これから”が訪れないことを、知っているのだろうか。
そんな事を考えていると、里美がふとその家族を見ていった。
「いいね」と。
何がいいね、なのか、一瞬わからなかったが、「いいな」と俺は言った。
適当に答えたんじゃない。ちゃんと里美の言いたい事はわかった。
「私、あんな家族が欲しかった」
楽しそうな家族を、羨ましそうな、悲しそうな顔で見つめている。
俺はそんな里美を見ていた。
それに気付いているのかいないのか、里美は家族連れを見たまま続ける。
「でも、もうダメなんだよね。何でだろう・・・、何だろうね・・・」
どんどん声が湿っぽくなるのを感じる。
答えを求めているわけじゃなさそうだから、俺は黙って聞く。
「私、何かしたかな・・・。何で、何でこうなのかな・・・?」
いよいよ目に涙が溜まっている。俺は溜まらず、里美を抱き寄せた。
里美は涙を堪えて、尚も続ける。
「あれかな・・・、ケンちゃんと別れちゃったから、バチが当たっちゃったのかな・・・。そうかな・・・、そうなのかな・・・」
泣き出した里美の頭を撫でてやる。
気付くと、俺は喋っていた。
「それでも」と。
「それでも、いいじゃん」と。
「それでもいいよ。今から、また作ればいい」
自分で言っていてよく解らなかったが、気持ちは伝わったかな、と思う。
「でも、もう時間無いよ・・・?」
伝わってなかった。だけど、と補足をする。
「短い間でもさ、覚えてようぜ。俺達が、今から、最後までちゃんと生きて、寄り添ってるって事を」
な?と俺は里美の頭をまた撫でた。
「子どもじゃないよぉ・・・」と、里美は笑った。
それでいい。
それでもいい。そう思う。
里美は会わないうちに変わっていた。少しだけど、確実に。
俺は、どうだか解らない。少なくとも、里美よりも“相変わらず”が多かった。
それでもいい。
今まで、じゃなく、“これから”だ。
大事なのかこれから。
今まで積み立てた事が、例え無駄だったとしても、それでいい。
またこれから、短くても積み立てればいい。たとえ積み立てられる“モノ”が低くても、それでもそれは必ず“残る”。
全ては終わったとしても、それは“残る”から。
最後まで、寄り添って。
今から、と、俺達は“最後”を待った。
二十三時五十五分だ。
“残り”あと五分。それでも、俺達は積み立てた。
もう有り得ない“これから”を語り合い、ちゃんと証を残した。
だから、俺に不安は無かった。恐らく、里美にも。
周りを見回す。いつの間にかあれだけ居た人は居なくなっていた。
残されたのは俺と里美と、最後を告げる時計だけ。
「里美・・・」
俺は里美にこちらを向かせた。
俺の意図はスグに里美に伝わったらしい。
里美は静かに、瞳を閉じた。
時計が静かに、時間を刻む。
俺はゆっくり、里美の唇に俺を重ねた。
そのまま、思う。
俺さ、と。
俺、不安だったんだ。多分。ずっと。
成長してるお前見て、不安だったんだ。でも、そんなの関係なかった。お前はお前で、俺は俺だった。
なぁ、そうだろ。これでいいんだよな。
そんな事を、ただ頭の中で里美に語りかける。
ああ、ちゃんと伝わったかな。ああ、伝わっただろうな。きっと。大丈夫だ。
時計は静かに時を刻む。
残り一分。
ベルが鳴り、最後を告げる。
もう“終わる”。もう時間だ。
ああ、と思う。
それでも、と。
神様、最後にどうか、あと一分だけの、猶予を―――
時計の針が、重なって、“終わり”が告げられて――――――
ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ
俺は寝ぼけ眼で時計の針を止めた。
何だろう。凄い“夢”を見ていた。
俺が元カノと最後の日に何かを確かめあう夢だった。
残念ながら世界は終わりを告げていないし、こうして日常はこれからも続きそうだ。
ただ、ただ、と思う。
どうせあんな夢を見たんだ。元カノに、久しぶりに連絡してみてもいいかな。と。
それにしても、どれにしても、
ともかく神様。
俺に、後一分だけ、猶予を―――――
最終話です。
オチがついてしまいましたが、楽しんで頂ければ幸いです。