第9話『春風のアリス』
「おっせぇなアイツ……何のんびりしてやがんだ?」
美里から「10時過ぎに家の前で待ってて」というメールをもらい、10時前から家の前で待ってるが、そろそろ10時を20分を過ぎようとしている。俺が大人か、「サツだぁ? ハッ! 上等だコラァ!!」ってな感じにバリバリの不良だったら足元に多数の吸殻が落ちてる頃だ。
ぶっちゃけ俺は性欲をもてあます……もとい、暇をもてあましていた。
右手でピースサインを作って煙草を吸う真似をしてたら誰かが美里の家から出てきたが、美里と背が同じくらいで、見た目年齢十代後半か二十代前半の女性だ。とりあえず美里の奴じゃねぇことは確かだな。
「こんにちは、裕ちゃん。煙草は18になってからじゃないと駄目よー?」
その人は俺の姿を見るや否や、小走りで掛けてきて「めっ」って感じに人差し指を立ててきた。うーむ、テンプレ動作だけど可愛いよなあ、この人……。
「うっす、おばさん。いや、そこは嘘でも二十歳って言っとくべきじゃないっすかねぇ……」
「大丈夫よ。うちのお父さんも18からやってたし」
「さいですか……」
俺はそれだけ言って、ため息をついた。
腰くらいまである、脱色したみたいにきれいな栗色の髪をヘアゴムで一つに纏めて、家事の途中なのかうさぎ柄のエプロンを掛けているこの人の名前は神無月美恵子。苗字から分かるように美里の母親だ。
絶対そうは見えないが、年齢は今年で35らしい。ある日なんとなく聞いてみたら普通に教えてくれた。つまり、旦那さんと結婚して合体してすぐに美里が誕生したわけだ。おお、お盛んお盛ん。
雪と同じくらいの天然属性持ちなので、たまに言葉のキャッチボールしてるはずが思いっきり後逸したり、大暴投で隣の家のガラスをやっちゃったりするような人。あくまでも比喩だが、本当にやりそうなのがこの人の恐ろしい所だ。
ちなみに旦那さんは至って普通の温厚なサラリーマンだが、今日は休日出勤でいないらしい。まぁ、こんな感じの母親と父親だから美里のような奴が生まれた……んだよな?
「男の子は黙って待ってあげるくらいの余裕を持たないと駄目よ、裕ちゃん。みさちゃんならもうすぐ来ると思うわ」
「そうっすかぁ。アイツは仕度長いからなあ……」
「そうねぇ。じゃあー、次は裕ちゃんにも手伝ってもらおうかなー? みさちゃんもきっと喜ぶわ! あ、ほら――みさちゃん、仕度出来たみたいよ?」
美恵子さんに言われた俺が目を向けると、美里の奴がおずおずといった感じに玄関から出てくるところだった。
「お待たせ、ユウ。ごめんね、遅くなっちゃって……」
「いあ、そんなに待っちゃいねぇよ。みさ……と?」
母親と同じように小走りで掛けてくる美里の全身を見て俺はそのまま固まった。
昨日のようなコスプレなんかじゃねぇ、女の子の姿そのまんまの美里がそこにいた。
「うんうん、可愛いわみさちゃん♪ やっぱり私の見立てに狂いはなかったわね。ほら、見て裕ちゃんっ! 神無月アリスちゃんよー。可愛いでしょー♪」
「ど、どうかな、ユウ……」
「あ、ああ……可愛いぞ。すごく似合ってる」
俺は、薄く化粧もしているせいか、いつも以上に女に見える美里の姿を前にそれしか言えなかった。
明るい栗色の髪は首よりも長いミドルロングを少し大きめの黄緑色のリボンで飾ってて、春の芽吹きを思わせる薄い新緑色の太もも中丈のワンピースによく合ってる。まだ4月で肌寒いこともあってボレロ風の、レースで飾られた白いカーディガンを羽織っているがこれがまたいい。ソックスもワンポイントが入った白のニーソで清楚さを際立たせてる。白い帽子があれば大人っぽいが、ないから子供っぽさを残した大人って感じだ。
実際に春風の妖精がいたらきっとこんな姿をしてるんだろう。俺はボーッと美里の姿を見ながらそんなことを考えていた。
「本当? よかった……ユウに気に入られなかったらどうしようかと思ってた……」
「ばっか! そんなこと言うわけねぇだろ? マジで可愛いっての……アリス」
「あっ……」
きっと今の俺の顔は赤くなってるんだろう。照れ隠しに美里の頭をくしゃくしゃに撫でてやった。
美里の顔も赤い。というか、美恵子さんの前で何やってんだ俺たち……。
「そ、それじゃ……いこっか」
「お、おう……そうだな」
「二人とも、いってらっしゃい♪」
にこにこ顔の美恵子さんに見送られて、街に向かって歩き始める俺たち。
……ここで終われば問題ないんだが、この人の場合は確実に――
「みさちゃーん! お母さん、みさちゃんが朝帰りしてきてもちゃんと暖かく迎えてあげるからね! 昨夜はお楽しみでしたね、って♪」
ほらきた!
おい、そこの天然系人妻! 笑顔で問題発言すな!!
「え、えええっ!? あ、朝帰りって……」
「子供は何人かしら? 今から楽しみだわー♪ ああ、幸生さん……子供達はこうやって親元から巣立ってゆくものなのね……!」
「……」
駄目だこの人妻。早く何とかしないと……。大体男同士でどうやってガキつくんだよっ! 仮に美里が性転換して女になったとしても無理な話だぞ!?
「お母さん、ああなったら2時間は戻ってこないから……ほっといて、いこいこ」
「そうなのか……初めて見たわ」
美恵子さん、ある意味睦月のような人でもあるのか……。またひとつ新しい面が見れたな。
「ねぇ、ユウ。手つないでもいい?」
「ん……」
身長差が10cmくらいあるので上目遣いに聞いてくる美里に、俺は黙って左手を差し出す。
「ありがとっ。やっぱりユウの手って大きいね」
――今のお前の手は穏やかな春の陽気みたいだな。暖かいよ。
思わず言いそうになったその言葉を寸前で飲み込む。自分でも不思議に思うくらい、自然に出てきそうで恥ずかしかった。
だから――
「そうか? これくらい普通だろ? んで、まずはどこ行くんだ?」
どうでもいい言葉で、そのうち喉から勝手に飛び出そうなその言葉に蓋をする。そして、いつもの調子の俺に戻るんだ。
「んー、少し公園によっていこうよ」
そうだな、昼までちょっとした花見を楽しむのも悪くねぇ。
と、俺はそう思っていたんだが――
「あそこの屋台のホットドッグ、久しぶりに食べたくなっちゃった」
「ムードもへったくれもねぇなオイ!!」
「てへっ☆」
やっぱり、神無月アリスになっても美里の奴は美里だった!
ようやく恋愛物っぽくなってきた感じですかね。
それでは次回、第10話『本日はデート日和也 ~ 神無月アリスの場合 ~ 午前』お楽しみにー。