扉の向こう
扉の向こうに世界がある。
そんな、映画のような話が本当にあるはずがない。
そう思っていた、今日までは。
なんの予定もない夏休み。あまりにも暇なので俺は1人、近所の海に来ていた。
そこは遊泳できる場所ではなく、釣り人以外はあまり人がいない。
別になにかが釣れるわけでもないらしく、その釣り人さえも2、3人見かける程度だった。
意味もなく砂浜をぶらぶら歩いていたら、そこに、何故か扉があった。
こういう物はたいてい海から流れてくるから、ボロボロで今にも壊れそうな状態になっていることが多い。
だが、それはやけに綺麗だった。
汚れひとつない白い扉で、どうやってここに流れてきたのか不思議なくらい、状態がいい。
不法投棄だとしても扉だけ捨てるなんて異様だし、なによりこんな綺麗な状態の扉を捨てる理由もないだろう。
「こういう扉を開けてくぐったら、人が消えた、みたいなマジック、なんかの動画で見たことあるな。それか、異世界に繋がってる、とか?」
「映画じゃあるまいし」と呟きながら周りをグルグルと回り、よくよく扉を観察する。特別なにか仕掛けがあるわけではなさそうだ。
試しになにも考えずにドアノブを握り、回してみる。
すると、引っかかりもなく扉が開いた。
何故か面白くなってきた俺は、そのまま勢いよく扉を開け、走り抜けるようにくぐる。
「きゃっ」
その時、扉の向こうで誰かとぶつかった。
「あ、すみません!」
気づかないうちに、扉の向かい側に人がいたのかもしれない。
俺は咄嗟に謝ったが、その瞬間、自分の目を疑った。
その人は俺より少し上くらいの若い女性だったのだが、俺が驚いたのは女性ではなく、女性が握る縄の先にいる、生き物の方だ。
一見すると普通の豚なのだが、牛のようなツノが生えている。
色もピンクではなく、牛のような白と黒の斑模様だ。
「いえ、こちらこそすみません。きちんと前を見ていなくて」
「あ、いえ、えっと」
俺が口ごもっていると、女性は頭を下げてそのままどこかに行ってしまった。
「なんだったんだ、今の」
見たこともない生物に困惑するのも束の間、今度は目の前の景色に、顎が外れるほど口を開いた。
先ほどまでと同じ砂浜が広がっているはずのそこには、日本の片田舎のような景色が広がっていた。
扉と俺は畦道の端に立っていて、見渡す限り田んぼや畑。遠くには山も見える。
古くて小さな平屋の家がちらほらと建っており、畦道の先には、規模は小さいが市場のようなものがうっすらと見えた。
「なんだ、ここ?」
まさか本当に異世界か?
いやいや。ありえないだろう。
俺は再び扉に向き合い、ノブを回した。
すると、そこには先ほどまで俺が歩いていた砂浜が見える。
まさか、本当に?
そう思いながら、扉を開け放った状態で横側に周り、腕だけを扉の先に伸ばしてみる。
すると、普通ならら出るはずの腕が出てこなかった。
異常な状況に、ようやく確信した。
これは、異世界に通じる扉だ。
「やっば、大発見じゃん! 共有しよ」
俺はスマホを取り出し、画面をタッチする。
そこで、気づいた。
電波がない。
いや、電波だけでなく、ネットも繋がっていない。
これでは写真は撮れても、共有できない。
「まじかよ」
俺は肩を落としたが、冷静に考えれば当然かと思った。
ここは異世界で、俺がいた世界とは違うんだ。
もしかすると、電話もネットも存在しない世界なのかもしれない。
毎日SNSや動画サイトを見ていて、ネットがあるのが当たり前の人生だった俺には辛いが、たまにはこういうのも悪くないだろう。
「どうせ暇してたしな。ちょっと探索してみるか」
俺は扉を閉め、スマホをポケットにしまう。
ひとまず、賑わっているのがここからでも見える市場の方へ歩いてみた。
しばらく歩いていると、独特な臭いが漂ってきた。
それが家畜の糞の匂いだと分かったのは、肉屋らしい店が目に映ってからだった。
店の前には切り落とされた肉が陳列されているが、その裏で、まだ生きている家畜たちが並んでいる。
その全てが、俺が知っているのとは少しずつ違った。
「お、兄ちゃん見ない顔だね! 寄ってくかい?」
気さくな印象の初老の店主が、俺に声をかけてくる。
俺はひとまず商品を見てみた。
肉そのものはどこかで見たことはあるのに、値札に書かれた商品名は、聞いたことのないものだった。
「……『ツノブタ』『ハネウシ』『トンドリ』? なんだこりゃ、どんなもんだ?」
独り言のつもりだったのだが、店主には聞こえていたらしく怪訝な顔をした。
「知らないのかい? ツノブタってのは、ほら、あれだよ」
店主は背後の動物を指差す。
それは、先ほど俺がぶつかった女性が連れていたブタもどきだった。
「で、隣にいるのがハネウシで、その隣がトンドリ」
店主に教えられるまま視線を向けると、そこには、これまた不可解な動物がいた。
ハネウシと呼ばれたそれは、図体は完全にウシなのに、鶏のような羽と白い羽毛に、赤いトサカのある牛もどき。
トンドリは、図体は完全に鶏なのに羽がなくて、体はピンク色。豚のような尻尾が生えた鶏もどきだ。
「もしよかったら、向かいの店で串焼きやってるから、食ってみたら?」
「えっと、考えてみます。どうも」
とは言ったが、俺は今日、本当にただ散歩をするだけのつもりだったので、財布を持っていない。
元の世界ならスマホでも支払いができるが、ここはネットが繋がらないのだから、使えないだろう。
一度元の世界に戻ろうか、と思ったが、面倒だったので諦めてブラブラと市場を見て回る。
「ダメダメ、それじゃ売れないよ」
どこからか、店の店主が客とも揉めている声が聞こえてくる。
視線を向けると、40代ほどの女性と男の店主がなにか言い争っていた。
「なんでさ、前はこれで買えただろ」
女の手には、果物らしきものが入ったカゴが握られている。
その果物はオレンジのような色をしていたが、リンゴのようなヘタが付いていて、形もリンゴに似ている。
まさか、そのリンゴもどきで買い物をしようというのか。
それは確かに無理に決まっている。
と思ったが、店主の返事は意外なものだった。
「そりゃ奥さん、ハネウシならともかく、ツノブタは高級なんだから、リレンジ10個じゃ全然足りないよ。少なくても50個はなくちゃ」
女が持っている果物は、どうやらリレンジというらしい。
いや、そこではなく。
『足りない』ということは、数さえあればそのリレンジとやらで、本当に買い物ができるのか。
他の店もよく見ると、何かの果物と牛乳のようなものを交換したり、何かの肉と服を交換していたり、生きたままのツノブタと大量の木材を交換したりする場面が見られた。
まさか、この世界にはお金もないのか?
では、元の世界から財布を持ってきたとしても、俺はこの異世界では無一文も同然じゃないか。
けれど、この世界の住民は、そもそもどうやって物々交換用の品を集めるのだろうか。
買い物をする人々の話に耳を傾ける。
すると、こんな会話が聞こえてきた。
「お、旦那。今年のキャボチャはよくできてるね」
店の店主が、キャベツのような見た目の野菜を持ちながら感嘆の声を上げる。
見た目は完全にキャベツだが、店主がポンポン、と叩くとまるで固いものを叩いているかのような音がする。
『キャボチャ』という名前から察するに、見た目はキャベツのかぼちゃ、というところだろうか。
褒められた男は、ドヤ顔で胸を張る。
「だろう? 今年は特によくできてな。こいつなら、3つもあればツノブタだって買えるんじゃねぇか?」
「小ぶりのキャボチャなら10個は必要だが、こいつなら確かに子ツノブタ1匹くらいの価値はありそうだ」
「そうだろう、そうだろう!」
ガハハと得意げに笑う男。
会話から察するに、そのキャボチャとやらは男が育てた野菜らしい。
つまり、ここの住民は基本的には自給自足の生活をし、必要な時は自ら育てた野菜や果物、家畜に、時には自ら作った道具や服を使って物々交換をする、ということのようだ。
とすると、先ほど見た田んぼや畑は、彼らの生活の全て。
彼らにとっては財産だ。
「……冗談じゃねぇ」
俺の住んでいる場所は都会でもないが、自給自足をするほど田舎じゃない。
俺は農作業なんてしたことないし、家畜の面倒の仕方も知らない。
服も道具も、なにも作れない。
元の世界なら、ネットで調べればできないことはないだろうが、ここではネットも使えない。
この世界にずっといたら、俺はなにもできないニートになる。
俺は慌てて振り返り、元の道へ駆け出した。
こんなところに居られるか、俺は元の世界に帰る。
時々人にぶつかりながら、必死に走り抜ける。
ようやく市場を抜け、元の畦道に戻った。
それでも休まずに走って、扉があった道まで向かう。
「……あれ」
見覚えのある場所まで来たところで、俺は足を止めた。
確かここに、扉があったはずだ。
しかし、ない。
あるのは地面に刺さった杭に縄で繋がれた、ツノブタだ。
「……まさか、勝手に交換された?」
返ってきたのは、牛か豚か判別がつかないような、ツノブタの鳴き声だけだった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回の短編更新は、10月30日金曜日、18時ごろを予定しています。




