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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

影ノ民

作者: 猫ノ助ノ助
掲載日:2026/03/12

 山間に覗く太陽が沈み行く。茜色の空が夜の青さに染まり、姿を隠していた星々が煌々(こうこう)と輝き始める。同時に、私はカンテラに明かりを点けて、薄暗い山道を真っ直ぐに見た。

 老いた驢馬(ろば)が左右に尻を振り、弱くやせ細った脚を懸命に揺り動かす。

この山には、影を食う民が存在する。

 その民の名を、『影ノ民(かげのたみ)』と言う。

 野菜、家畜、金属、非金属。彼らは物体に影さえあれば、如何様な物でも食すことが出来る。影以外の物を彼らの身体は受けつけない。たとえ、その物を嚥下したところで、必ず吐き出してしまうのだ。

 影を食べられた物体は、忽然と姿を消す。音も無く、最初から存在していなかったように、影を失った物体は消滅する。

 彼らの数は百にも満たぬ。国をつくらず、王をつくらず、ただ静かに生きている。

 

「太陽が()る限り、我等(われら)も在る」

 

 影ノ民は、太陽を信仰している。

 影が、世界に在るのは太陽のおかげである。太陽のおかげで、影ノ民は生きていられる。天から降り注ぐ太陽の光を拝み、物体に落ちる影を大切に食む。太陽が雲に隠れてしまえば、「己の信仰心が足りなかったのだ」と空に向かって祈りを捧げる。それ程に、彼らは太陽を愛し、太陽と共に生きていた。

 そのような性質を持つ影ノ民を、異国の貴族たちは、喉から手が出る程に欲している。彼らの力は、使い方によって巨万の富を生み出す可能性があるからだ。

 私は、金目欲しさに影ノ民の集落へと赴いている。人攫いを生業としており、冷え切った懐を温める為に、この山を訪れているのだ。

 老いた驢馬は荷馬車を苦しそうに引き、徐に天を仰ぐ。太陽はすっかり眠りにつき、夜が空を支配している。カンテラの僅かな光を頼りに、驢馬は地面を踏みしめ、着実に前進する。すると、山々の崖に聳え立つ、複数の家々が眼前に見えてきた。

 私は目を細めて、グイっと手綱を強く引く。疲れ切った驢馬は静かに歩みを止めて、深く息を吐きだす。集落の外れに荷馬車を停め、積まれた棍棒を取り出す。銃を使用する手段もある。しかし、銃声で集落にいる影ノ民を呼び兼ねない。原始的だが、この方法が一番安全であり、商品への傷を最小限で済ませられる。

 軽やかに荷馬車から降り、頭を垂れる驢馬を撫でる。次いで、私は、腰を屈めて茂みの中に潜り込む。じりじりと集落に近寄り、耳を澄ませ、目を凝らし、様子を窺う。

集落の外では、何人かの子どもがはしゃいでいた。もう日が暮れてしまっているにも関わらず、幼子たちが薄暗さの中で騒ぎ回っている。

 絶好の機会だ。

 私は、生い茂る木々に混じって、遠くに見える子どもたちに目を据える。

 枝を用いて戦士の真似事をしている子ども。地面に拙い絵を描く子ども。何れの子どもも、影ノ民の特徴である黒髪と黒目を有している。あれらを捕まえれば、数年は食うに困らないだろう。

 全ての子どもを捕まえることは難しい。だが、二、三人は捕まえられるはずだ。今後の生活の為に、確実に奴らを捕まえなければならない。

 棍棒を握り直し、息を潜める。獲物を狙う殺気を放ってはならない。気配を消し、自身が植物の一部であると錯覚する。

 子どもたちが、此方に背を向ける。

 その瞬間、私は木々から勢い良く飛び出し、大股で走り出す。棍棒を振り上げ、手近にいた子どもの後頭部に勢いよく振り下ろす。

 バタリ。

 子どもたちが私の存在に気づき、目を見開いて一驚を喫する。ひゅっと声を呑み、彼らは大きく口を開く。

 間髪入れずに、私は子どもたちの細い手首を掴み、順ぐりに棍棒を振り下ろす。

 バタリ。バタリ。バタリ。

刹那、甲高い叫び声が山々に響く。声の方に目を遣ると、十にも満たぬ女児が危険を知らせていた。足の速い子どもたちは、あっという間に集落の中へ逃げ込んでしまう。私は小さく舌を打ち鳴らし、地に伏した子どもたちを抱えて、荷馬車に向かって走り出した。子どもたちを積み荷へ放り込み、急いで集落の外れを去る。

 数分後に、遠くから声がした。取り逃した子どもが、仲間を呼んで来たのだろう。

 私は、だらだらと冷や汗を流して、追っ手が来ないことを心の中で願う。

 幸いなことに、夜が私たちを暗闇に隠した。これならば、容易に私たちを見つけることは出来ないだろう。

 白い息を吐き出して、私は謗り笑った。

「存外に簡単であったな」

 これまでに、私は何人もの人々を浚ってきた。人だけに(あら)ず、貴重な生物にまで手を出したことがある。

 しかし、影ノ民を浚うことは人生で初めてだ。

 物体の影を食べ、存在を消滅させる。私はこの力に恐れていた。だが、影ノ民とは言え、子どもであれば、力の無い私でも簡単に捕まえられる。

 闇の中で、小さな灯火を頼りに峡谷に沿った山道を下る。

 真下に流れる川のせせらぎ、名の知らぬ鳥や虫が美しい音を発している。それらに耳を澄まし、子どもたちを売った後の贅沢を想像する。

 家族に振る舞う食事はどうしようか。あぁ、そうだ。貴族が食べるような食事にしよう。滅多に手に入れられぬ葉巻を吸って、高いワインを開ける。胡椒とチーズ、卵をふんだんに使ったパスタを食べて、デザートにアイスでも用意しよう。痩せた父母を、少しでも肥えさせなければ。大金が手に入れば、自身の境遇を変えることが出来るかもしれない。そうすれば、家族は堂々と顔を上げて生活が出来るはずだ。

 私は、荷馬車に積まれた子どもたちを、早く金貨に変えたかった。胸を踊らせながら、驢馬を鞭で操る。

 脳裏で、金銀財宝に囲まれる己の姿を浮かべる。それに口角を上げて、ニヤニヤと妄想を膨らませている時であった。

 ガタン。

 異様な音が後方から聞こえる。

 振り返って、様子を確認しようとした。しかし、荷馬車は徐々に傾き始め、私は落ちまいと、座席にしがみつくことしか出来なかった。荷馬車は峡谷の底に向かって傾ぐ。驢馬が重さに堪えきれず、弱った足を宙に放り出した。荷車に積まれていた子どもたちも宙に放り出され、私も不様に峡谷の底へ落下する。

 荷馬車の後輪が道から脱輪したのだ。

 一瞬の不注意が、死を招いた。

 全身が粟立ち、眼前が暗闇に染まる。

 恐怖のあまりに、意識を手離してしまう。全身から血の気が引き、次に目を覚ました時には、この身は死体になっているのだろう。

 




 重い瞼を開く。

 満点の星空がぼんやりと見える。

どうやら、私は意識を取り戻したようだ。手始めに、己の頬を引っ張る。確かな痛みが走った。

この身は確かに動き、痛みも、意識もある。

 私は死んではいなかった。

 妙に身体が冷えている、と視線を下に向ければ下半身が水に浸かっていた。上半身を起こし、頭を振って周囲を確認する。

 私は川辺で倒れていた。天を仰げば、峡谷に沿った山道が見える。峡谷の底には川が流れ、運良くここに落ちたのだろう。深さはあるが、川の流れは緩やかであり、大した怪我もなく川岸に運ばれたようだ。

 不幸中の幸いだ。捕らえた子どもと移動手段を失ってしまったが、自分の命が無事であったのだ。良しとしよう。

 このままでは風邪をひいてしまう。

 濡れた身体を引き摺って、川原で衣服を脱ぐ。重くなった衣服をきつく絞り、地へと置いて乾かす。僅かに身体が軽くなったところで、私は、腰に提げていた麻袋から火打石とナイフを取り出した。乾いた木で着火材を作りだし、枯れ葉を集めて火種を作る。それに息を吹き込んで、火を大きくすれば、枝を次々と投げ入れる。

 冷えきった身体を、小さな焚き火で温める。豊かに隆起した胸部に手を当てれば、早鐘を打っている。これが寒さによるものなのか、或いは仕事を失敗した失望によるものなのか。少し前に抱いていた理想は、油断によって打ち砕かれた。命があるだけ良かったと自信を無理に納得させようとするも、心の片隅では後悔が尾を引いている。

 呆けた表情で焚火を見つめる。

 くしゅん。

 不意に、くしゃみが聞こえる。今のくしゃみは私ではない。

 振り返って川を眺めてみると、岩の間に何かが存在している。思い腰を上げ、近寄ってそれを確認してみれば、私は目の色を変えた。

「……こいつは……」

 私が浚った子どもが岩の間にいた。慌てて首元に手を当て、息があるか調べる。私の指先は、脈動を確かに感じ取る。

「まだ生きている」と私は薄く笑う。

 濡れた子どもを抱え、焚き火の元へと移動する。身体を冷やさぬように、子どもの衣服を剥ぎ取る。私の衣服と同様に、川原で広げて乾かした。露になった体つきから察するに、この子どもは男だ。

 麻袋から細い縄を取り出して、暴れてしまわぬように子どもの手首を縛りあげた。

 焚き火の近くで子どもを横たえ、頭が川原石で痛くならぬように、己の太股にのせてやる。

 大事な商品なのだ。丁重に扱って損はない。この子ども一人だけでは、貴族と同等の食事は出来ないだろう。だが、一年分の食事に困ることはない。

 他の子どもは、恐らく既に死亡しているはずだ。あの時、私が確りと気を張っていれば、この峡谷に落ちることは無かっただろう。今更悔いても、過去に戻ることは出来ない。今は、この眠る子どもを確実に貴族たちに売る。それだけを考えよう。

 焚き火から爆ぜる火花を見据えて長考する。


 私の両親は、奴隷だ。


 『奴隷から生まれた子は、奴隷として生きなければならない』

 私が生まれ育った国では、血筋によって階級を定める制度がある。

 貴族たちは民の血税で私腹を肥やし、平民たちは腹いせに奴隷を痛めつける。

 低賃金で重労働を強いられ、平民や貴族に忌み嫌われ、理不尽な言い掛かりをつけられる。どれ程に知恵をつけようとも、どれ程に技量があろうとも、奴隷として生まれ落ちた以上、同じ人として扱われることはない。

 明日の食事の為に、痩せ細った身体に鞭を打つ父親。パンを一つ買う為に、汚い肥溜めの清掃をする母親。命綱も無しに、高い建築物の壁を磨いていた祖父母。

 私は、彼らのように惨めな人生を送りたくなかった。学も無く、人望もない私に出来ることは悪行のみであった。真っ当に生きようとする家族には黙って、人攫いの仕事を始めた。楽に金を稼ぎ、困窮する生活を変えようと志した。人攫いの仕事は、場合によっては命を落とす。故に、まともな人間は、この仕事に就かない。

 貴族たちは、私を良く思っていないだろう。奴隷の身分でありながら、高額の金を手にすることに。しかし、私が居なければ物珍しい生物も、人間も、力も掌握できない。

 その事実に、彼らは嫌々ながらも、私の存在を認めるしかなかった。

 焚き火に枝を注ぎ足す。揺らめく炎に、小さな虫たちが群がり、その身を焦がしている。

 眠る子どもが身動ぎする。次第に、睫毛で縁取られた瞼をゆっくりと開けた。

 子どもは、私の顔を横目に見る。虚ろだった眼が徐々に見開かれ、眉間に皺を寄せる。弾かれたように起き上がり、彼は挙措を失う。浅い息を繰り返し、眼前の人攫いを睨めつける。川原の石を拾おうと、腕を地に伸ばそうとした。

「!」

 しかし、彼の両腕は縄によって頑丈に縛られていた。縛られた腕を無闇に動かし、縄を解こうと抗ったが、皮膚と縄が擦れ、赤くなるだけであった。

 私は、彼に言葉を掛けた。

「無駄な抵抗はするな。逃げようとすれば痛い思いをするだけだぞ」

 そう言って、私は焚き火に枝を投げ入れる。火の粉が散り、空中に霧散する。子どもへ目を遣り、じっと見つめる。

 (よわい)は、十五か十四。背丈は、さして高くない。濡烏の如き美しい御髪(おぐし)、血管が目視出来る程の白の肌。この子どもが男でなければ、高値で取り引きされたはずだ。いっそ、女と偽って売り出すべきか? いや、この子どもは年相応に体躯が良い。目が肥えた貴族たちを誤魔化せないだろう。

 私は目を細める。

「衣服が渇き次第、お前は私と共に山を下る。その先に、小さな街があるだろう? そこで馬車に乗るつもりだ」

 馬車で向かう先は、数多の貴族たちが集う競売。皆、一様に仮面を着用し、スポットライトで照らし出される商品を値踏みする。

 この子どもは、奴らの気味の悪い視線を浴びる。ジロジロと色とりどりの眼球が仮面から覗き、商品の価値を見い出そうと必死になる。あの光景を思い出すだけで、反吐が出そうになった。

 子どもは目を伏せる。逃げ出すことを諦めたようで、大人しく焚き火の近くに寄り、冷えた身体を温める。

 私は不意に口を開き、子どもに問う。

「お前、名前は?」

 子どもは私を白眼視する。怪訝そうな面持ちで、彼は小さな声で答える。

「……ミツカゲ」

 ミツカゲ。

 私は彼の言葉を反芻する。光と影、と書いて(みつ)(かげ)と読むのだろう。影ノ民は、必ず名前に『影』を入れる伝統があるらしい。

「あんたの名前は?」とミツカゲが、私の顔色を窺いながら質問する。

私は、彼に本名を名乗るべきか迷った。私は普段、人攫いの仕事をする際に、偽名を用いることが多い。偽名を使えば、己の素性を隠せるからだ。

しかし、こちらから名を訊ねた以上、答えるのが道理であろう。

 長考の末に、私は本名を名乗ることを決意する。彼は、明後日には貴族たちの手に渡っている。私の本名を知ったところで、彼が私に復讐する力を持ち合わせていない。

「クルアーンだ」

「……クルアーン」

「そう。クルアーンは、太陽を意味する言葉だ。太陽のように明るい子になれ、と私の父母が名付けてくれた」

 不必要なことまで喋ってしまう。

 すると、ミツカゲは『太陽』の言葉に反応し、何故か視線を落として狼狽えた。

 ───あぁ、そうだった。

 太陽は、影ノ民にとって神に等しい存在だ。私のような下賤な人間が、太陽と同名であったことに困惑したのだろう。ミツカゲは暫く困惑した後に、溜め息を吐いて脚を抱き寄せた。

 夜のしじまに、腹の音が鳴り響く。

 そういえば、私は昼から何も口にしていない。腰の麻袋を探れば、湿った干し肉をいくつか見つけた。ヒョイと一つ、干し肉を咥える。

 ふとミツカゲの方へ目を遣れば、欲しそうに干し肉を見つめている。私は干し肉を差し出す。

「食べるか?」

 だが、ミツカゲは頭を横に振った。

「いらない……と言うか食べられない」

「食べられない? 何故だ?」

「……」

 何も答えない。彼は身を縮めて、揺らぐ焚火を静かに見つめるばかりである。私は下を打ち鳴らし、持て余す。

 肉やアルコールを摂取できない宗教がある、と小耳に挟んだことがある。もしかして、ミツカゲもそういった理由で、食事の制限をしているのか。

 私は、残った干し肉を口に含む。何度か咀嚼した後に嚥下した。干し肉だけでは、腹は満たされなかった。

 私は、川原に並べた衣服を手に取る。まだ湿っているが、気にせずに着用した。夜が明けてしまう前に此処を発とう。影ノ民たちは、日が昇ると同時に、浚われた子どもたちを探すはずだ。

 身体は十分に温まった。

 ミツカゲにも衣服を着させ、焚き火を踏み消す。彼の手を拘束する縄を引いて、山を下り始める。

 (ふくろう)が、目を光らせて獲物を見据える。木の根元では、鼠が外敵から身を潜めている。木々の間から月が覗き、僅かに周囲を照らし出す。川辺に沿って歩けば、いつかは山を下れる。

 その間、私とミツカゲは何も会話をしなかった。好きな食べ物、好きな色、興味のあること。そのような内容を知ったところで、意味など無いと思ったからだ。

 だが、ミツカゲは違ったようで、彼から私に声を掛けてきた。

「ねぇ、どうして俺たちを浚うの?」

 私は思わず立ち止まってしまう。

 どうして浚うのか。答えは一つしかない。

 私は振り返り、はっきりと答えた。

「金の為だ。私の家には、金が無い。だから、お前たちを浚って大金を得ている」

 私は、彼の眉を読んだ。何故、この質問をするのか。私には理解出来なかった。

 私は彼がこの答えに憤慨するものだ、と想像した。しかし、実際には、眉をひそめて複雑な表情を浮かべているだけだった。

 彼は、続け様に質問する。

「……あんたは、人攫いが悪い行いだと理解しているの?」

 私は目を剥いてしまう。

 この子どもは、人攫いが悪行であると私に説こうとしているのか?

 理解している。理解しているうえで、私はこの仕事を続けている。全ては金の為。生きる為に、手を汚している。

 深い溜め息を吐き出す。

「説教は止してくれ。お前は、自分の立場を弁えた方が良い。私がその気になれば、子ども一人の命など、どうとでも出来る。お前の友のように、お前は呆気なく命を落とすだろうよ」

 ミツカゲの肩を強く掴む。彼は一驚を喫し、私の顔を見据えた。彼の柳眉が徐々につり上がる。唇を噛み締め、喉に込み上がる言葉を我慢している。

 私は謗り笑い、ミツカゲを突き放した。

 踵を返し、再び山を下り始める。

 数時間歩いた頃。眼前には、小さな街が広がっている。私とミツカゲは、山を下り終わった。

 額に汗が浮かび、それを袖で拭う。不意に天を仰げば、空が僅かに明るくなっている。振り返って、後方の山を見上げれば太陽が顔を覗いていた。急いで街へ向かい、馬車に乗らねばならない。ミツカゲの手を引こうと、彼に目を遣る。

 彼は、下を見つめていた。いや、正確には、私の足元を見つめている。私の足元には、太陽の日によって長い影が伸びていた。彼は俯いたまま、言葉を吐き出す。

「ねぇ、謝ってよ」

 彼は頭を僅かに上げる。長い前髪で隠れ、表情をはっきりと窺えない。しかし、影ノ民特有の黒い瞳が、私を一点に見つめている気がする。とても気味が悪く、肌が粟立つ。

 顔をしかめて、私は頭を横に振った。

「誰に、一体何を謝る? もしかして、『お前のお友達を殺してごめんなさい』と言うべきなのか?」

 ミツカゲの口から吐息が溢れる。彼は怒気を孕んだ声色で言葉を放つ。

「そうだ。俺の友達に謝って。そしたら……」

 私は、言葉の途中で彼の首を鷲掴みにする。強い力で押し倒し、首を絞めた。息が喉に詰まり、ミツカゲは顔を歪める。脈動が掌に伝わる。僅かに力を入れれば、彼は息を吸えずに苦しんだ。パッと手を離して、地に伏せるミツカゲを見下ろす。

 咳き込みながら、彼は必死に酸素を取り込む。私を恨めしそうに見上げた後、彼は不気味な笑みを浮かべた。

「……そうか。それが、あんたの答えなんだな」

 そう言って、彼は自身の手首に口を寄せる。縄を、噛み切ろうとしているのだろうか。細い縄で拘束されているが、容易に噛み切れるはずがない。

 ……いや、違う。

 彼は、縄の影を()んだのだ。影が口の中へ吸い込まれ、腕を拘束していた縄が忽然と消える。皮膚に痛々しく残った縄の痕が姿を現す。その痕を、ミツカゲは(おもむろ)に擦った。

 私は、目の前の出来事に呆気に取られる。

 そうであった。影ノ民は、如何様な物であろうとも影を食べることが出来る。影を失ったものは、否応なしに消滅してしまうのだ。

しかし、不可解な点がある。

そのような芸当を、何故、昨夜に行わなかったのか?

「縄を解く術を持っていたのに、どうして初めからやらなかった?」

 額に嫌な汗が浮かぶ。

 ミツカゲは、山間にある太陽を見つめ、私の質問に答える。

「……夜は、惑星の影だからだ」

 ミツカゲは、私を横目に見る。

「誤って、俺が惑星の影まで食べてしまったら、どうなると思う?」

 私はハッとした。

 もし、彼が縄の影だけに非ず、『惑星の影』つまり『夜』までも食べてしまった場合、この惑星は消滅してしまう。そうなれば、この惑星に生きる全ての命が絶える。昨夜にミツカゲが干し肉を断った理由は、夜の誤食を防ぐ為。影ノ民は、太陽がある時間帯のみにしか食事が出来ないのだ。

 私は、影ノ民を侮っていたようだ。彼らには、大陸中の人々の命を脅かす力がある。この力は、二十歳にも満たぬこの子どもも有している。

 全身が小刻みに震える。脳裏に警鐘が鳴り響く。後退りをして、ミツカゲから距離を置いた。

 ミツカゲは嘲り笑う。

「影ノ民は、影さえあれば、どのような物でも食べられる。……それは、人も例外ではないんだ」

 ミツカゲは屈んだ。彼は、私の影に向かって手を伸ばす。

 私は命の危険を感じ、咄嗟に走り出した。脚を目一杯に伸ばし、彼から逃げ出そうとする。だが、ミツカゲは、長く伸びる私の影に触れ、ぐっと地面から影を引っ張り出す。すると、全身から力が抜け、ゆっくりと地に伏した。

 身体が微塵も動かない。手足の先が少しずつ冷たくなり、喉からは空気しか吐き出せない。叫ぶことも出来ず、這うことも出来ず、恐怖が静かに迫って来る。

 枯れ葉を踏み鳴らす音が聞こえる。ミツカゲは、黒い布のような物を手にしている。

 あれは、私の影だ。

私の影が、彼の手の中でそよ風に揺れている。

 彼は、私の旋毛(つむじ)を見下ろす。

「謝っていれば、俺はあんたを見逃そうと思っていた。……あんたは、太陽と同じ名前だから」と冷えた声が聞こえる。

 ミツカゲは、手の中にある私の影を強く握る。同時に、私の下肢に激痛が走った。

 痛い。とても痛い。

 私は、叫びたかった。叫んで、少しでも痛みを紛らわせたかった。だが、喉から発せられるのは空気のみ。

 痛い。とても痛い。

 私は、身体を捻って痛みから逃れたかった。しかし、己の身体は岩石のように重く一ミリも動かない。

 ミツカゲは、溜め息を吐く。

「でも、あんたは謝らなかった。俺の友達を奪っておいて、反省する素振りすら見せなかった」

 ミツカゲは、眦を決する。

「だから、俺はあんたを食べる。あんたが、私利私欲で友達を奪ったように、俺もあんたの命を奪う」

 そう言って、彼は大きく口を開けた。私の影を、彼は肉塊を頬張るように力強く咀嚼する。

 骨と肉が別たれる。そんな痛みが、絶え間なく襲ってくる。冷や汗で水溜まりが出来そうだった。

 彼が私の影を食べ進める毎に、身体の部位が消滅していく。血液は一滴も垂れていない。だが、着実に死に近づいている。

 足首、太股、臀部、腹部……最後に、頭部のみが残る。

 ミツカゲの手の中に、頭部と思わしき影が残っている。

「私が悪かった」と命乞いをしようにも声は出ない。その機会は、もう残されていない。

彼は、私を一瞥した後に、頭部の影を小さく丸め込む。幼子が泥団子でも作るかの如く、彼は力一杯に両の手で影を丸め込む。

 そして、それを一息で飲み込んだ。

 

 

 走馬灯が走る。

 

 

 私がこれまでに歩んできた人生は、とてもちっぽけだった。

 トタンで作られた小さな家で家族と暮らす。夏は、脂汗を流して寝苦しい夜を過ごし、冬は、隙間風に震えながらボロボロになった衣服で寒さを凌ぐ。

 食事は、一日に一食のみ。青カビが出来た果物や、芽が生えた馬鈴薯、そして、固くて味の無いパン。酷い時には、ゴミ捨て場で拾った残飯を食べていた。

 湯浴みが出来るのは、数週間に一度。遠くにある川へ赴いて、そこで身体を洗う。幼少期は、髪に虱が湧き、鼻が曲がる程の悪臭を放っていた。見兼ねた祖父母が、少ない金で貴重な石鹸を買ってくれたのを覚えている。

 優しかった祖父母は、もう他界している。祖父は、命綱なしで建築物の壁を磨いており、その最中に足を滑らせて転落死した。祖母は、風邪をひいて呆気なく病死した。金さえあれば、薬を買えたかもしれない。だが、貧困に苛まれる私たちには不可能な話であった。

 私がまだ小さい頃は、近所の子どもと遊んでいたことがある。物心がつく前の幼子たちは、私の出生や身形を気にせずに、共に外で遊んでくれていた。

 だが、成長すると同時に、子どもたちは世間体を気にし始める。気づいた頃には、私の周りには誰もいなかった。私と私の家族を忌避し、遠くで謗り笑っていた。

 私の父は、土木の仕事をしていた。私は父の仕事を何度か見たことがある。毎日、周囲の者に諂った笑みを浮かべ、何か問題が発生すれば、当たり前のように父の責任になる。その問題が父の所為でなかったとしても、何故か父が謝罪する。父は、生きる為に理不尽な扱いに耐えている。

 あの時の父の姿を思い出すだけで、虚しさが胸に広がる。

 十五の頃。私は、母の仕事を手伝っていた。

 貴族や平民の排便所に溜まった野糞を掻き出す。手袋やスコップ等の道具は当然用意されていない。素手で、汚物を掻き出していたのだ。

 仕事が終われば、雇い主から穢らわしい目で賃金を投げ渡される。賃金を袋にすら入れず、野鳥に餌を与えるように乱雑に渡してくる。私は、地に散らばった僅かな賃金を、涙を浮かべて拾った。

 母は「貰えるだけまだ良い方だよ」と泣きそうになった私を宥めてくる。

 あの鼻を突く悪臭を、今でも思い出してしまう。

 辛かった。

 同じ人であるのに、血筋だけで弱者の烙印を押される。祖先が弱者であったばかりに、私は苦しい思いをする。

 何度も嫌な目に合い、その度に、幼かった私は涙で枕を濡らしていた。

 そんな理不尽さが嫌で、私は人攫いの仕事を始めた。この仕事ならば、不当な扱いも受けずに大金を手に出来る。

『影ノ民を誘拐する』

 この仕事を断れば良かった、と後悔している。だが、もう手遅れだ。私は、影ノ民の子どもを侮り、気を抜いた所為で、呆気なく命を落としてしまう。

 母と父に、贅沢な食事をさせてやりたかった。

 後悔と願いを抱えたまま、私は次第に意識を手離した。

 

 

 クルアーンの頭部が忽然と消える。

 それを見下ろしていたミツカゲは、静かに合掌する。その行いは、クルアーンを弔うものなのか、はたまた命を食したことへの感謝なのか。恐らく、どちらの意味を含めているのだろう。

 彼の空腹は、クルアーンによって満たされる。人生で初めて食した人の味は、絶賛する程の美味ではなかった。彼は、不満そうに腹部を擦る。そして、天に昇る神を見上げた。

「俺の行いは、間違えていませんよね。俺の友達を奪ったのだから、その報いを受けるべきだ」

 彼は、太陽に言葉を放った。

 何も返事は返ってこない。

 太陽はただ暖かな光で、世界を照らすだけだった。

 ミツカゲは、我が家へ帰ろうと山の中へ踏み入る。きっと、彼の家族が山の中で彼を探しているはずだ。少しでも早く家族を安心させよう、とミツカゲは足早に山を登るのだった。



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