婚約破棄された私と侯爵子息様〜刺繍も私も、貴方が離さない〜
「ディアナ!お前との婚約を破棄する!」
ある日、檸檬色の光を放つシャンデリアで照らされた、煌びやかな夜会の会場にて。婚約者である伯爵子息のヴィレーム・シュヴァンダ様は、整った顔を歪ませ、私、ディアナ・コヴァーを指差し、高々と言った。
「え?」
突然のことに、私は息を呑んだ。ヴィレーム様、どうしてしまったの?さっきまで普通だったのに……。
辺りがシン、と静まり返った。一瞬置いてから、ザワザワ……、と四方八方から不安と困惑の混ざった声が聞こえて来る。
「婚約破棄ですって?」
「ヴィレーム様……、どういうことなのかしら。」
辺りのドレスに身を包んだ令嬢や子息達は、私やヴィレーム様を見て、困惑しているようであった。眉を顰め、顔を見合わせている。
私は、一つ深呼吸をすると、目を細め、婚約者であるヴィレーム様に問うた。
「どういうことでしょうか?理由は?」
「ディアナ、お前は、子爵令嬢であるカロラに嫌がらせをしていたのだろう?」
私は、眉を下げた。私、そんなことをしていないわ。それに、婚約者の私がいるのに、カロラ様の名前を呼ぶの?
ヴィレーム様の声に、子爵令嬢であるカロラ・ヴィスト様が、おずおずと前に出て来た。彼女は私と目が合うと、口元を振るわせ、ヴィレーム様の後ろに回った。
私は気を強く持ち、凛とした声で言った。
「そのようなことはしていませんわ。」
「嘘だな。複数の証人がいるんだぞ?」
婚約者であるヴィレーム様の声に、何人かの令嬢達が静かに出て来た。彼女達は怯えたように顔を強張らせているが、目だけは私を見て笑っていた。
さあ、とヴィレーム様に促されると、彼女達は口々に言った。
「私、見ていましたわ!ディアナ様が、カロラ様に嫌がらせをするのを!」
「あなたにそのドレスに見合わない、と言っていたわ!」
「ヴィレーム様に近付かないで、と言っていたの!突き飛ばしてさえいたわ!」
令嬢達は次々に身に覚えのないことを言っていた。
根も葉もない嘘だわ……。カロラ様とは普通に接したけれども、あくまでそれだけよ。
私は、眉を下げると、ヴィレーム様の方を向いた。ドレスの裾を握り、声が震える。ヴィレーム様、そんな嘘を信じているの?
「どれも身に覚えのないことですわ。ヴィレーム様……、貴方は、そんな嘘を信じていらっしゃるのですか?」
何かの冗談だと言って。
縋るように目を向ける私に、ヴィレーム様は眉を寄せ、強くいった。
「当たり前だろう?現に私は、カロラのドレスが泥に塗れているのを見たことがある。カロラに尋ねたら、悲しそうに何でもない、と言うだけだったが……。彼女達に聞いて、お前の仕業だということはすぐに分かったぞ。」
「そんな……!婚約者である私よりも、彼女達の言うことを信じるのですか、ヴィレーム様……!」
目の前が暗くなった。
嘘でしょう、ヴィレーム様……!
悲痛な声で言うヴィレーム様は、嘆かわしい、とばかりに首を横に振った。
「私の名前を呼ぶな!……お前を婚約者だと思っていた自分を恥じたいくらいだ。」
私は俯き、唇を噛み締めた。胸が酷く締め付けられる。
周りに視線を送っても、私を見る目、目、目。どうしたら良いの……!今までヴィレーム様の婚約者として、尽くして来たのに……!それに、周りの令嬢達が着てるドレスだって……!
私が目をきつく瞑った時。
「ならば、私が彼女の身元を貰い受けよう。」
え?
どこかで聞いたことがある声に、私は顔を上げた。足元を鳴らして、歩いて来るのは……。
「ファンエス様……!?」
「何故、貴方がここに……!!」
ヴィレーム様は声を震わせ、慄くように言った。
周りの意図を介することなく、侯爵子息フレット・ファンエス様は、私の前に真っ直ぐに歩いて来る。ヴィレーム様も美形だが、ファンエス様は、その比ではない。こちらを見る瞳は、凛としたもので、周りを惹き付ける魅力があった。
足を止めたファンエス様。
こちらを見据える強い視線に、心臓が嫌に脈を打った。
「ヴィレーム、コヴァー令嬢は君の婚約者だな?」
ヴィレーム様は、腕を組み、鼻を鳴らしていった。
「あくまで元、です。それにしても、ファンエス様、ディアナを貰い受ける、とはどう言うことですか?彼女はカロラを虐げた者です。証人もいる。そのような女に、目をかけられているのですか?」
ヴィレーム様は、そんなファンエス憐れむような目をした。何てことを言うの……!それに、ファンエス様にも、失礼だわ!
「そうですわ、ファンエス様……!ディアナ様は、私に酷いことをなさったのです!」
ヴィレーム様に続いて、カロラ様も声を上げる。周りの彼女の味方をしていた令嬢達もそうですわ!と声を上げた。
そんなヴィレーム様やカロラ様達に、ファンエス様は、背筋が冷えるような視線を送った。ヴィレーム様の顔が強張る。
「ヴィスト令嬢、侮辱されたと言ったが、服を汚れされたのか?突き飛ばされて怪我をしたのか?医者にかかったのか?……なぜ答えない?」
ファンエス様に問われ、カロラ様は何故か黙り込んだ。そうよね、私がそんなことをしたなら、もっともっと早く問題になっているはずよ。そんなカロラ様の前に、ヴィレーム様が出る。
「カロラは、一人で抱え込んでいたんです!」
「どこまでが本当なのか、全てが嘘なのか。私には嘘にしか見えないがな。」
それに、とファンエス様は、目を細めると、私の方を見た。彼は手を伸ばすと、私の肩に手を置いた。え?ファンエス様は優しく目を細めて言う。彼は懐から何かを出すと、私の目の前に出した。ハンカチには、見覚えのある繊細な刺繍がしてある。これ……!顔を上げて彼を見ると、彼は笑みを見せた。
「コヴァー令嬢、君はドレス等の図案を監修しているな?私の屋敷にも、君の図案したものが使われている。このハンカチもそうだ。……見事だ。私には、そんな君がヴィスト令嬢に嫌がらせをしたようには見えない。」
ファンエス様に褒めて頂けるなんて……!それに私を信じてくれている……!私は声を震わせながら言った。
「ありがとうございます……。」
「コヴァー令嬢、君はシュヴァンダ領の元で、監修した図案を売っているようではないか。婚約破棄すると言うことは、今後シュヴァンダ領の元では販売出来ないのではないか?……私が君を保護し、支援しよう。」
私は息を呑んだ。正面や周囲から驚いたような声が上がるが、気にならない。私は彼の目を見つめた。
「そんな……!勿体無いことですわ。よろしいのですか?」
「むしろこちらがお願いしたいくらいだ。シュヴァンダ領の領地の財政に貢献していると言うではないか。君が協力してくれたら、こちらの領で販売出来る。君の利益になるだろう。」
じっとファンエス様の瞳を見つめるが、意志を変える気はないみたいだわ。
「信じられません……!ありがとうございます……!」
私は胸の前で腕を組んだ。目を細めて笑うファンエス様。正面から焦ったような声がかけられる。
「お待ち下さい!婚約破棄はしますが、図案の領分は別です!あの図案は、シュヴァンダ領のもののはずです!」
ファンエス様は、ヴィレーム様に、私の時とは打って変わって冷徹な瞳を向けた。
「何を言っている?あの図案は、彼女のものだ。婚約破棄してまで、自分の領のものだと主張するつもりか?情けない。……シュヴァンダ領にも通達するつもりだ。」
「何ですって……!?」
「お前に聞いているつもりはない。コヴァー令嬢に聞いているんだ。私が支援しても構わないか?君の監修している刺繍は素晴らしい。」
ファンエス様は、私の手を握ると、魅了されたような笑みに見せた。その笑顔に、私は心臓が轟く。
周りからは、ざわめきが聞こえる。
「私のドレスにも、シュヴァンダ領の刺繍の図案が使われてるわよね?」
「どうなるのかしら……?」
不安を囁き合う令嬢、子息達。カロラ様や彼女に味方をしていた令嬢達は顔を青くさせていた。彼女達の使われているドレスにも、私の監修した図案が使われている。
私は、一度瞬きをすると、ファンエス様に向けて、微笑んだ。
「よろしくお願いします。」
「決まったな、こんなところからは早く離れよう。……失礼した。どうか夜会を楽しんでくれ。」
周囲に声をかけ、私に向けて、手を差し出すファンエス様。エスコートをしようしてくれていているのね。私は頰が熱くなるのを感じながら、手を取った。
そして、私達は、シャンデリアに負けないくらい会場の視線を集めながら、その場を後にした。
「ヴィレーム様!どうなるんですか!?」
「カロラ……、分からない。どうなってしまうんだ……!父上に何と言えば……!」
後ろから元婚約者とカロラ様の焦る声が聞こえたけれど、無視した。
場所を移動して、美しい花に囲まれた中庭のテラスにて。灯の元で、私達は向かい合って座っていた。黄色い光で、ファンエス様の顔が良く見える。
「コヴァー令嬢……、勝手に決めてすまなかった……。驚いただろう?」
眉を下げるファンエス様に、私は首を横に振った。
「いえ、本当にありがとうございます。信じていただいて。ファンエス様に私の刺繍を目をかけて下さったようで……、嬉しいです。」
微笑むと、彼は安堵したように微笑んだ。どうかフレットと呼んでくれ、と彼は言った。
「良かった。私には君がそのようなことをするようには見えなかったんだ。……どうかフレットと呼んでくれないか?」
助けていただいたのにそんな!内心慌てつつ、私は眉を下げた。
「恐れ多いですわ。」
彼は真剣な目付きで懇願した。
「頼む。」
「フレット様……?」
私が控えめに言うと、フレット様は嬉しそうに目尻を下げて笑う。心臓の鼓動が速くなった。
「私も、君のことをディアナ、と呼ぼう。」
「そんな……!」
目を見開く私に、彼は小さく笑う。
「ダメか?」
私は、ドレスの裾を軽く握り、顔を俯かせた。
「いえ……。」
「ああは言ったが、私はあくまで侯爵子息だからな。父上に相談して、後からシュヴァンダ家に通達するつもりだ。父上も母上も君の図案を気に入っている、きっと承諾してくれる。君の無実を証明出来るだろう。
私の心を歓喜が湧く。侯爵様達も、なのね……!それに、私の無実も、証明してくださるのね!私は、勢い良く頭を下げた。
「はい!よろしくお願いします。」
「詳しい手続きは後日行う。ファンエス家で販売しようと、ディアナ、君の不利益にならない、と誓うよ。」
「ありがとうございます……!」
暫くして、実は、とフレット様は、目線を彷徨かせた後、僅かに頬を赤くして言った。
「君の刺繍に惹かれた、と言ったが……、実は後で君が監修した、と知った。前に夜会で君を見かけ、凛とした君自身に目を心を奪われたんだ。君には婚約者がいる、と知っているので、諦めていたが……。今回の婚約破棄の件を知り、チャンスだと思った。」
「今すぐは難しいが……、ディアナ、今後私との未来を考えてくれないか?」
手を差し出し、真摯な瞳を向けるフレット様。こちらを見つめる熱の籠った瞳に、私の胸がこれ以上ないほど早くなる。私は彼の手を取り、微笑んだ。
「はい……!」
◇◇◇
とある辺境地にて。荒野の中、粗末な服を着た男が鍬を握っていた。疲労からか、手の力が弱まる。すかさず、後ろから鋭い声が浴びせられた。
「サボるな!働け!」
男、ヴィレームは、歯を食いしばると、はい、と声を出し、腕を動かした。ゴ、と言う音が鳴る。
「何故俺が……!」
何がいけなかった?ディアナを責めたことか?何故、伯爵子息である俺が勘当され、こんな辺境地で働かされなければならないんだ……!
ディアナに、ファンエスめ……!
ああ、愛おしいカロラ……、君は今どこに……。
ヴィレームが空を見上げると、赤い太陽が憎たらしいくらいに彼を照らしていた。
◇◇◇
後で、私はフレット様と婚約したわ。手続きは色々大変だったけれど……。何とか上手く行ったわ。
後で、シュヴァンダ伯爵家が男爵にまで降格したと知ったわ。これまでシュヴァンダ領として売り出されていた図案がファンエス領のものとして売り出されるようになったせいで、困っているみたい。社交界でも噂になっているでしょうし、肩身が狭いでしょうね……。
カロラ様達の嘘が分かり、私の無実が証明されたの。良かったわ!ヴィレーム様とカロラ様は実は恋人で、私と婚約破棄した後、婚約するつもりだったみたい。薄々勘付いてはいたわ……。
ヴィレーム様は勘当され、同じくカロラ様も勘当されたらしいわ。証人だった令嬢達もね。ヴィレーム様は辺境地に送られ、強制労働。カロラ様達は修道院送りになったみたい。
まあ、彼等がどうなろうと、私には関係ないことだわ。
「ディアナ、行こう。」
「はい。」
愛おしい、と言う目付きで微笑みかけるフレット様に、私が幸福感でいっぱいになった。
今、私には、こんなに素敵な婚約者がいるんですもの……!




