第二話 僕は花火なんかより君の浴衣姿が見たい
夏休みという言葉は、どうしてこうも人の思考を軽くするのだろう。
大学の課題もひと段落し、冷房の効いた自室でスマホをいじりながら、小泉透はあることだけを考えていた。
(……浴衣)
脳内に浮かぶのは、紺色の生地に髪をまとめた山下麗奈の姿。完全に想像だ。
(絶対似合うだろ……)
想像だけで心臓がうるさくなる。
花火大会のポスターが頭をよぎった瞬間、透は起き上がった。
「……よし」
スマホを開く。トーク画面。一番上にある名前。
"山下麗奈"
親指が一瞬止まる。
(二年付き合ってて、この緊張はなんなんだよ……)
深呼吸して打ち込む。
"麗奈がよかったら、次の土曜日夏祭り行かない?"
送信。
既読がつかない。
(……早くない?いや、普通か)
一分。二分。三分。
(未読スルー……?)
頭の中で最悪の想像が暴れ始める。
(急すぎた?“麗奈”呼びキモかった?いや今さら?)
ベッドに顔を埋める。
「やらかした……」
二年も付き合っているのに、送った一文でここまで動揺できる自分が情けない。
スマホを見ては伏せ、見ては伏せを繰り返す。
(いや、普通に忙しいだけだろ……)
そう自分に言い聞かせながらも、通知が来ないか気になって仕方ない。
_________
一方その頃。
麗奈は自室でスマホを見て固まっていた。
(……麗奈?)
画面には透からのメッセージ。
名前呼び。
不意打ちだった。
「な、なに急に……」
頬が熱くなる。
文章を何度も読み返す。
(夏祭り……一緒に……)
嬉しい。素直に嬉しい。
でも。
(返信、なんて返すのが正解なのよ……)
冷静を装った文にするか、素直に喜ぶか。
考えすぎて指が動かない。
結果、数分が経過。
(絶対気にしてるわよね、あの人……)
想像できる。スマホを見て落ち着かない透の姿が。
小さく笑って、返信を打つ。
"いいわよ、行きましょ"
送信。
画面を閉じる前に、ぽつりと呟く。
「……楽しみ」
_________
夏祭り当日。
駅前の時計台。
集合時間の十五分前。
(早く来すぎた……)
透は一人、落ち着かない様子で辺りを見回していた。
(だって浴衣だぞ?そりゃ早く来るだろ……)
自分に言い訳をする。
そのとき。
「透」
聞き慣れた声。
「ごめん、待った?」
「ま、待ってなんかないよ!早く着きすぎちゃって……」
振り返る。
言葉が止まった。
紺色の浴衣。夜を溶かしたような深い色に、淡い花模様。
まとめた髪から覗くうなじが、やけに目を引く。
(……綺麗だ)
思考がそれしか出てこない。
気づけば、静かにガッツポーズをしていた。
「……何そのポーズ」
麗奈が呆れた顔をする。
「いやぁ、僕って幸せなんだなぁって……」
「は、はぁ…?」
数秒遅れて理解したらしい。
麗奈の頬が一気に赤くなる。
「は、早く屋台の方行こ……」
手を掴まれ、引っ張られる。
もう片方の手で顔を隠しているのが可笑しくて、愛おしい。
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二人で来る夏祭りはこれで二回目だった。
屋台の匂い、提灯の灯り、人のざわめき。
全部同じはずなのに、胸の高鳴りは前よりずっと強い。
前回来たときは、嫌われないか、変に思われないかばかり考えていた。
でも今は違う。
(……可愛い)
浴衣姿で屋台を覗き込む麗奈。
りんご飴を見て少し目を輝かせる仕草。
笑うとき、ほんの少しだけ肩が揺れる。
全部が愛おしい。
「透、何ぼーっとしてるの」
「見惚れてた」
「はぁ…?」
「麗奈に」
言ってから、自分で赤面する。
麗奈は一瞬固まってから、顔を背けた。
「……ばか」
でも口元は緩んでいる。
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やがて、夜空に最初の花火が咲いた。
ドン、と腹に響く音。
光が広がる。
「……すご」
子供みたいな目で見上げる麗奈。
(……花火より)
思わず、口からこぼれた。
「花火なんかより、麗奈の方がずっと綺麗だ……」
自分でも驚くくらい自然だった。
麗奈が振り向く。
「……透だって、負けてないんだけどなぁ」
顔を赤くしながら、でもまっすぐ笑う。
胸がぎゅっとなる。
透はそっと手を握った。
握り返してくれる温度が、現実を教えてくれる。
二人並んで花火を見上げる。
光が夜空を彩るたび、麗奈の横顔が照らされる。
(僕は、本当に)
胸の奥で、言葉が形になる。
(君を好きになってよかった)
この夏の記憶は、きっと一生消えない。
人生で最高の夏祭りだった。




