ep3.5: 温室の外側
女子校の喧騒は、時として澪にとってひどく無機質なものに感じられた。放課後の教室、友人の彩花と真由が広げたファッション雑誌の向こう側で、話題は他校の男子との合コンや、夏休みの予定に終始している。
「ねえ、澪はどうなの? 全然そういう話に乗ってこないけど」
彩花が探るような視線を向けてくる。澪は「私はいいよ、忙しいし」と、教科書を鞄に詰めた。その手際の良さは、主婦のそれのような、どこか生活感の滲むものだった。
「忙しいって、また『弟くん』のこと? でも、澪って一人っ子だよね」 「そうだよ。近所に住んでるだけ。親同士が……まあ、色々あって」
澪が淡々と答えると、真由が身を乗り出した。 「でもさ、噂だと澪の家で夕飯食べて、そのまま泊まったりしてるんでしょ? お母さん、何も言わないの?」 「……お母さんは夜勤ばかりだし、陽翔の家もお父さんいないから」
教室の空気が、一瞬だけ変わった。 「親がいない家で、年下の男の子と同居状態」。 それは、女子高生たちの想像力というフィルターを通すと、ひどく扇情的で、背徳的な響きを帯びる。
「それって、実質『飼ってる』みたいじゃない? あるいは許嫁とか」 「違うよ。ただの、習慣みたいなもの」
澪は否定したが、彼女たちの目には、澪が「一線を越えた、理解不能な場所にいる人間」として映っているのが分かった。
陽翔の通う高校でも、彼は「謎めいた美少年」として一部で語り草になっていた。
「藤田って、放課後いつも秒で帰るよな。部活も入らないし」 「聞いた話だとさ、どっかの女子校の先輩が毎日迎えに来てるらしいぜ。しかも、その人の家でもう一緒に住んでるとか」 「マジかよ。ヒモじゃん」
陽翔は、そんな教室の隅で交わされる囁きを、イヤホンで遮断していた。 彼にとって、学校のクラスメイトは「外側の住人」でしかない。 彼らが語る「恋愛」や「ヒモ」や「不純異性交遊」といった言葉は、自分と澪の関係を表すには、あまりに語彙が貧弱すぎる。
夕暮れの駅の改札。 合流した二人は、どちらからともなく歩幅を合わせる。 肩が触れ合う距離。 澪は、彩花たちに言われた「飼ってる」という言葉を思い出し、陽翔の少し細い横顔を見た。
「……陽翔。学校で、変なこと言われてない?」 「別に。……澪こそ、女子校でしょ? 怖そう」 「うちは大丈夫。ただ、私たちが変なんだってことは、再確認させられたかな」
陽翔は小さく笑い、澪の鞄のストラップを指先で弄んだ。 「変でいいよ。……僕たち、普通の『家族』がどんなものか知らないんだから」
二人の間には、クラスメイトたちが期待するようなドラマチックな情熱はない。 ただ、暗い廊下で手を繋ぐような、切実なまでの静かな依存がある。 それを「異常」と呼ぶのなら、いくらでも呼べばいい。 二人は駅前のスーパーで、今日安いのは鶏肉か豚肉かを相談しながら、自分たちの温室へと帰っていった。




