ep7/side B: 設計図の余白
日曜日の午後、1LDKのリビングは、心地よい沈黙と少しの窮屈さに満ちていた。
陽翔はダイニングテーブルの端で、新しいウェブサイトのラフを描いている。美大を出て数年、彼の仕事は徐々に軌道に乗り始め、モニターや資料、ガジェット類が部屋の隅を確実に占領しつつあった。 澪はソファで本を読んでいたが、ふと目を上げると、陽翔の背中が以前よりも大きく、逞しくなっていることに気づく。
「……ねえ、陽翔。そのデザイン、何?」 「ん? ああ、これ。仕事じゃないんだけど、理想の部屋の配置を考えてて。……今のままだと、僕の機材で澪のスペースを圧迫してるから」
陽翔が画面を見せた。そこには、今の部屋の間取り図に、パズルのように家具を詰め込んだスケッチがあった。 二人の生活は、この数年で完全に「安定」した。親の不在を嘆くステージはとうに過ぎ、自分たちだけの平穏を維持している。けれど、その平穏は、どこか「保存」されているだけのようにも見えた。
「陽翔、もしかして今の部屋、狭いって思ってる?」 「……狭いというか、もっと『広げられる』んじゃないかなって。僕たち、ずっと自分たちを守ることで精一杯だったでしょ。でも、最近思うんだ。……もう少し、外に向かって何かを作ってもいいんじゃないかって」
陽翔の言葉は、かつての依存心の塊だった頃の彼からは想像もできないものだった。 彼はもう、澪に守られるだけの子供ではない。自分の足で立ち、新しい何かを「構築」しようとする意志が芽生えている。
「外に向かって……?」 「うん。例えばさ、もっと広いキッチンがある家とか。……あるいは、もう一人、誰か・・が増えても大丈夫な場所とか」
陽翔は照れくさそうに、けれど真っ直ぐに澪を見た。 澪の胸の奥で、小さな、けれど確かな波紋が広がった。 自分たちはこれまで、欠けたものを埋めるためだけに生きてきた。けれど、今の二人はもう、欠けた部分を修復し終えている。これからは、新しく「積み上げる」フェーズに入ってもいいのかもしれない。
その日の夕方、二人は散歩がてら、駅前の不動産屋のショーウィンドウを眺めた。 そこに貼られた、ファミリー向けの一戸建てのチラシ。 「子供部屋、二つ」「庭付き」「日当たり良好」。 かつての二人にとって、それらは自分たちを拒絶した「よその幸せ」の記号でしかなかった。けれど今、陽翔の隣でそれを見上げていると、それは自分たちがこれから手にする「設計図」のように思えた。
「……私たち、もう『家族』になってもいいのかな」 澪が呟くと、陽翔は彼女の手をしっかりと握りしめた。
「なろう……誰かに与えられた家族じゃなくて、僕たちが、一から」
「なあなあ」で閉じていた世界が、内側からゆっくりと、光に向かってひび割れ始めた。




