ep6: 第三者の目
新宿の喧騒を見下ろす駅ビルのカフェで、澪は彩花と向かい合っていた。 彩花の左手薬指には、婚約指輪のダイヤモンドが控えめに、けれど確かな主張を持って輝いている。
「……でね、式は秋に軽井沢でやることにしたの。親族だけなんだけど」 「おめでとう。素敵な式になりそうね」
澪の祝福は本心だった。けれど、彩花の次の言葉には、祝福とは別の「懸念」が混ざっていた。
「ありがとう。……それで、澪の方はどうなの? まだ例の『弟くん』と一緒に住んでるんでしょ? もう五年くらいになる?」 「実質的な同居は高校生の頃からだけど。……今は1LDKで落ち着いてるよ」
彩花は、アイスティーのグラスを鳴らして眉を寄せた。 「澪、あんた正社員でしょ? 彼はフリーランス。……ぶっちゃけ、貯金とか大丈夫なの? 結婚の予定とか、具体的に進んでないなら、一度考え直した方がいいって。共依存って、外から見てる分にはいいけど、当事者は一生気づかないから」
彩花の言葉は、正論だった。二十代後半という年齢。キャリア。将来の安定。 世間という戦場で戦う大人にとって、澪の選択は「リスクの塊」にしか見えない。 けれど、澪は微笑みすら浮かべず、静かに答えた。
「彩花にとっての結婚が『契約』なら、私にとってのそれは『確認』なの。……私たちは、もう終わってるのよ。お互いがいなきゃ生きていけないっていう、一番面倒な段階を、十代で済ませちゃったから」
同じ頃、陽翔は地元の居酒屋で、高校時代の友人である拓海と飲んでいた。 拓海は、陽翔が高校時代に澪の家に入り浸っていたことを知る数少ない友達だ。
「お前、まだあの先輩と続いてんの? マジかよ、一途っていうか……もはや執念だな」 「執念かな。自分では、呼吸してるのと同じ感覚だけど」
陽翔は、お通しの枝豆を器用に剥きながら言った。 拓海は呆れたようにビールを煽る。
「お前さ、たまには他の女と遊んだりしねーの? 先輩、美人だけどさ。お前もフリーランスで不安定なんだし、もっと若くて都合いい子とか……」 「……拓海。俺にとって、澪は『女』っていうカテゴリじゃないんだ」
陽翔の目が、ふっと冷ややかな光を帯びた。 外の人間が踏み込むことを許さない、排他的な領域。
「澪がいなくなったら、俺、たぶん明日には死ぬと思う。……物理的に。そういう存在なんだ。都合がいいとか悪いとか、そんな基準で選んでない」
拓海は、陽翔のその冗談には聞こえないトーンに気圧され、それ以上何も言えなくなった。
夜、それぞれの「外側」の時間を終えて、二人は1LDKの部屋で再会する。 澪はパンプスを脱ぎ、陽翔は玄関まで彼女を迎えに出る。
「……何か言われた?」 陽翔が、澪のコートを受け取りながら訊いた。 「別に。いつもの、世間一般の心配」 「……僕も。ヒモだとか、依存だとか」
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。 その笑いには、侮蔑も自虐も含まれていない。ただ「自分たちと、彼らの言葉は噛み合わない」という事実を確認しただけの、乾いた笑いだ。
「陽翔。コーヒー淹れてくれる?」 「うん。……あ、さっき、新しいロゴのデザイン終わったんだ。見てくれる?」
外の世界では、彼らは「危うい関係」であり、「歪んだ共依存」であり、「不幸な選択」かもしれない。 けれど、この四角い部屋の中では、彼らこそが誰よりも完成された、一つの完結した世界だった。
「いいよ。……見せて」
ソファに並んで座る。 二人の影が、壁の向こうで一つに重なっていた。




