【書き出し祭り参加作品】転生ベートーヴェンと運命の婚約者 ~シンドラーとは結婚したくないが~【記念投稿】
作品に興味を持ってくださり、ありがとうございます。
あらすじにも記載したのですが、書き出し祭りの参加作品で、記念に自分の作品一覧に置いておきたいなと思っての投稿です。
タン、タン、タン、ターン──
雨粒がアパートの屋根を叩く音が、どこか覚えのあるリズムを刻んでいる。
「……と申します。ボクは音楽家のルートヴィヒ様にお手紙をお届けにまいりました」
「俺がルートヴィヒだが、音楽には挫折したよ」
大陸歴1788年、秋の朝。
美食と音楽の都ヴィエナシュタットにある木造アパートの部屋の入り口で、少年が手紙を差し出している。
服装はゆったりした黒い外套と三角帽子姿。うなじのあたりで結わえた金髪が、首の後ろで揺れている。
「雨の中お疲れ様。君、珍しい瞳の色をしているんだね。桃色なんて初めて見たよ」
「はいっ。よく言われます」
――名前を聞き逃したけど、手紙を届けに来ただけの相手だから聞き返さなくてもいいかな?
受け取り人の青年ルートヴィヒは、黒い前髪を片手でかきあげ、紫紺の瞳を手紙に向けた。
「差出人は……うわ、兄さんか」
******
麗しき弟、ルートヴィヒへ
結婚を命じる。
お前は養子の身分を気にして伯爵家を出て行ったが、家を出たくらいで縁が切れると思うな。病死した爺さんもお前の将来を心配していたぞ。お兄ちゃんも心配だ。
ちょうど貴族社会で騒動があり、婚約破棄された令嬢がいる。お前にお似合いだと思い、縁談をまとめた。お兄ちゃん優しいだろ?
新居を建ててやるから結婚して子供を作れ。作らなかったらお兄ちゃんが赤ちゃんになる。ばぶぅ。ずっと俺のそばにいろ。愛してる。
追伸:お前は多分、俺の誕生日を忘れているだろうな? いいんだ、祝ってくれなくても。でも本当は期待してる……♡
******
「気持ち悪い」
ルートヴィヒは手紙を丸めつつ、祖父の訃報に胸を痛めた。
思い出すのは、特産品の葡萄の房をつまむ指。
古時計が時を刻む音を背景に「生産者に感謝しよう。大地の恵みは素晴らしい」と笑う嗄れ声。
ルートヴィヒは貴族の家に馴染めなかったが、優しい祖父は好きだった。
「お祖父様の死に目にお会いできなかったのは、残念だ……」
「お悔やみを申し上げます」
少年は太い眉を寄せ、ぴょこんと頭を下げた。
顔立ちは愛らしく、髪色のせいかヒヨコに懐かれた気分になる。
「追悼の手紙を書くよ」
「お返事は明日でも結構でございます。ボクはこの都市に宿を取っていますので……あのう、焦げ臭いですけど大丈夫ですか?」
「ああ、スープを温めてたんだった」
忘れてた――顔をしかめて、ルートヴィヒは部屋の中へと踵を返した。
加熱しすぎた鍋は、水分が減りすぎて具が少し焦げている。
「火事にならなくてよかった」
火の始末をして振り返ると、少年は安堵した様子で両手を合わせ、ぽすんと音を鳴らした。
「ルートヴィヒ様はお料理ができるのですか? ボクにはできません、すごいです!」
「ひとり暮らしだからね。ただ、このアパート追い出されそうなんだ。家には戻りたくないけど、このタイミングで新居と言われたら運命的なものを感じちゃうな」
「むむっ。どうして追い出されてしまうのですか?」
少年は礼儀正しく、素直な感じで、好ましい。もっと話をしてみたい気がして、ルートヴィヒは提案した。
「もし時間に余裕があるなら話しながらスープをご馳走するよ」
「わぁっ、よろしいんですか?」
椅子を引き、スープ皿を2人分、木目の荒いテーブルの上に置く。
スプーンも用意して、久しぶりに誰かと過ごす朝食タイムだ。
「このアパート、芸術活動に励むのが入居条件なんだ。次の即興演奏対決で勝てなかったら出ていけってさ」
「はえー。ルートヴィヒ様は貴族ですのに、追い出されてしまうのですか?」
「俺は平民としてこの都市で生活してるし、芸術に貴族も平民も関係ないよ」
「へえぇ、お忍びでございますね。よいご趣味です! それに、平民に優しくていらっしゃる」
少年は友好的だ。
ルートヴィヒに気を使い、気持ちよく会話できるよう言葉を選んでいる。
わざわざ「違う」と否定して、空気を悪くすることもない。
ルートヴィヒは喉元まで出かけた否定の言葉をスープと一緒に飲みこもうとして……失敗した。
「違う。俺を貴族扱いしないでくれ。貴族の血なんか一滴も持ってない」
硬い声で言うと、少年はなぜか面白がるような表情になった。
「ですがルートヴィヒ様。貴族の養子になりたい平民はたくさんいます。すごいことです」
「貴族の養子よりも、職人や芸術家や人の命を救う医師の方がすごい」
ああ、だめだ。
自分の感情を胸にしまっておくことができない。反論ばかりしては少年が気を悪くしてしまうだろうに。
――落ち着こう。
ルートヴィヒは咳払いをしてスープを啜った。
煮詰まった濃い味は、パンと合わせればちょうどいい。問題はパンを切らしていることだが。
「気を悪くしたらすまない。俺は家柄で偉ぶるのが好きじゃないんだ」
――ぱちぱちぱち。
「……?」
顔を上げると、少年が笑顔で拍手している。なんだ?
「ルートヴィヒ様。ボクは素敵なお考えだと思います。生まれながらに社会における地位が決まってるなんて糞食らえでございますとも!」
今なんて?
ルートヴィヒは耳を疑った。
「君。俺も人のことは言えないが、過激なことを言うね。まともな貴族が聞いたら……」
「どうなっちゃうんです?」
「秩序を乱す危険思想だ、と怒るんじゃないか?」
「ここにまともな貴族がいなくてよかったです!」
少年は危機感薄く、楽しそうだ。
なんなんだ、この子は?
ルートヴィヒは唇を緩ませた。
「君は面白い子だな。スープをお代わりするかい?」
「ルートヴィヒ様の手料理をいただけて光栄でございます。そうそう、音楽の件ですが……ルートヴィヒ様は幼少時に雨降りの庭に瓶やカップを並べて作曲なさったと聞きました。即興演奏もお得意だと……」
無邪気な声が合図となり、忌まわしい記憶が奔流のように押し寄せる。
大勢が見守る演奏対決。
『下手だな』
耳が観客の声を拾い、鍵盤を叩く指が震えた。
『縮こまっていて、つまらない音楽ね』
誰かの呟きが聞こえて、頭が真っ白になる。
『手が止まったぞ』
どくん、どくんと心臓がうるさい。
『どうしたのかしら』
続けなければと思うのに、再開できない。
『――引っ込め』
やがて浴びせられたのは、地面を踏み鳴らす靴音とブーイングの唸りだった。
あれ以来、ピアノの前に座るだけで全身の震えが止まらなくなり、鍵盤に触れると嘔吐する。
だから、もう音楽は無理だ。
別の道を――そこまで思考が進んだ時、奇妙な記憶がトラウマに割り込み、脳を揺らした。
『本当に不幸なのは、できることを未完のまま放り出し、理解もしていないことをやり始めてしまう人々だ。彼らがやがて嘆くのも無理はない』
……誰が言ったのだったか?
思い出すと、芋づる式に他の記憶が掘り起こされる。
『フォン・ゲーテ。われわれに道を空けなければならないのは彼らのほうですよ!』
これは……自分がゲーテに言ったセリフだ。
ピカッ!
外で雷鳴が閃く。
タタタン、ターン――雨脚が強まり、屋根を叩く音が交響曲の導入のように高ぶる。
ジャジャジャーン!
「こ、これは? この記憶は――」
「ルートヴィヒ様?」
楽聖と呼ばれた偉大な音楽家、ベートーヴェン。
その人生が。感情が。自分の過去として蘇る。
数秒の間に、ルートヴィヒの自意識は急激な変化を起こしていた。
どういうことだ? 自分は死んだはずなのに。
混乱する頭は、自分に執着していた秘書シンドラーの声を思い出す。
『愛しいマエストロ。生まれ変わっても、必ずおそばに』
――ぞくりと肌が粟立った。
「う、生まれ変わり……?」
「ルートヴィヒ様?」
よろめいて、テーブルに手を付く。
少年が支えようと肩と背に手を回してくる。
ルートヴィヒは現実を確かめるように手を伸ばし――指先が少年の胸元に触れた。
ふにっ。
柔らかい。
指先が沈んだ瞬間、どきりとした。
一拍置いてから相手の動揺と恥じらいと息づかいが伝わって、動揺する。
パッと距離を取り、勢いで尻餅を付いて、ルートヴィヒは問いかけた。
「もしかして、君は女性か?」
「えっ、は、はいっ。そうです」
ルートヴィヒは視線を逸らした。
指先に感触が残っていて、落ち着かない。
「失礼。誤解していた」
「いえ……ご体調は大丈夫でしょうか?」
「あ、ああ。ちょっと眩暈がしただけだから……すまない。名前をもう一度尋ねても? 実は聞き逃してしまって……」
ルートヴィヒが頭を下げると、相手はきらきらとした声色で答えてくれた。
「ボクはジュリエッタ・ブレンターノです。ジュリーとお呼びください」
手を差し伸べてくれるジュリーは、ひまわりのようだった。
「ルートヴィヒ様。ふつつか者の婚約者ですが、これからどうぞよろしくお願い申し上げます」
「……うん?」
「あの……お料理、覚えます。おそばで誠心誠意お仕えいたします!」
「え?」
かくして、転生した楽聖は前世の記憶を取り戻し、運命と出会ったのである。
ジャジャジャ、ジャーン。
読んでくださってありがとうございました!




