八尺様♂と女子高生
別サイトに上げていた小説を引っ張ってきました。
名義は変わっていますが本人です。よろしくお願いします。
おじいちゃんちがある田舎。
恵実がここに来たのはやっぱり今がお盆の季節だからであり、それは何も今年が特別というわけではない。
毎年同じように来て、同じように一週間ほど滞在しているから、17歳の夏、17回目ともなれば慣れたものだ。
「恵実ぃー。ちょっくら坂本さんちにとうもろこし持ってってくんねぇか」
「やだぁ。熱中症になっちゃうもん」
「ならねならね。傘さ貸してやっからな」
「えー……。仕方ないなぁ」
それまで朝顔の柄のうちわをあおいで、縁側に寝転がっていた恵実がのそりと起き上がる。髪はボサボサになっていて、それを手櫛で直しながら立ち上がった。
坂本のおじいちゃんとは前も何回か会ったことも、遊びに行ったことだってある。
道も覚えている……というか、田んぼをいくつか挟んだだけなので迷いようがない。距離は結構あるけれど、高い建物が無くて開けている場所なので、坂本さんのお家はここからでも小さく見えた。
袋はコンビニのビニールを再利用。くしゃくしゃになったそこにおじいちゃんがどんどんとうもろこしを入れていく。
「ほら」
と、手渡された袋はずっしり重い。
げんなりしながらそれを受け取って、玄関にかけっぱなしになっているおばあちゃんの日傘を貸してもらった。おばあちゃんは今市内の病院に入院していて、両親はそちらに行っている。恵実も最初の方はお見舞いに行ったけれど、「おじいちゃんが心配だから」とこっちに一人で寄越されたのだ。
日傘をさしてもまぁまぁ暑い。けれどまぁ、いつもよりは楽である。
下がアスファルトでない分、照り返しも少ないし。
とうもろこしは重いけど、通学バッグほどじゃない。
ダラダラと足を進める。
恵美は暫く足元を眺めて俯きながら歩いていた。けれど段々首も痛くなってきて顔を上げる。
するとチリ、と目の端に焼けるような眩しさ。思わず目を瞑って、3秒、5秒くらいした後にゆっくり開いた。
何だったんだろ。と、愚痴を吐くような気持ち。止まっていた足をもう一回動かす。
歩きながら、恵実の視界の端に誰か人の姿が見えた。
女の人だろうか。長い髪で帽子を被って、下半身は黒い。多分ロングスカートだろう。
若い人に見える。珍しいな、と思った。
▪︎
「それ、多分八尺様じゃないかなぁ」
冷たいお茶を入れた湯呑みを片手に、坂本のおじいちゃんがほけほけ笑った。
「え、なんだっけそれ」
「迷信迷信。そういうお化けがいるってねぇ、おじちゃんのじいちゃんが言ってたんだよなぁ」
「へー」
「べっぴんさんだって話だよぉ」
つまりただの冗談というわけだ。
恵実はなんだか一気に拍子抜けしてしまって、目の前にある蒸したじゃがいもに箸を入れた。坂本のおじいちゃんが、お菓子が切れていたから代わりに、と出してくれたおやつである。
それからも話を続けた坂本のおじいちゃん曰く、『八尺様』というのはその名の通り、八尺……調べてみると240cm程の長身の怪異であるという。手足も長く、「ぽぽぽ」と不思議な音を立ててやってくるお化け。主に子供や成人前の若い人間を攫うらしい。
が、おじいちゃんが子供の頃にはすっかり姿を見かけなくなっていたらしい。
やはり眉唾か、もしくは何らかの要因でやってきた外国人をそう名付けたのかもしれない。言葉が通じない、から尾鰭がついて「ぽぽぽ」になり、身長も話が伝わるうち盛られていった、というのが一番現実味がある。昔はこの辺りにも長期滞在できる宿があったから、そのお客さんだったのかも。
姿が見れなくなったのは、多分単純にその人がこの村からいなくなったのだろう。用事が済んだのか、それともお化け扱いされて居心地が悪くなったのか。どちらにしてもあり得る話だ。
帰りは坂本のおじいちゃんに「おじいちゃんによろしくねぇ」とじゃがいもを持たされて、夕焼けになりかけた道を歩いた。
「ただいまあ」
「なんだ、遅かったなぁ。今ご飯炊けっから、机に箸並べろ」
「はーい。……あっ、ねぇおじいちゃん」
「ん?」
「八尺様って知ってる?」
「んー……?」
おじいちゃんはおたまで味噌をすくって、お味噌汁を作っていた。その後ろ姿が一度止まって、「んー……」とまた唸る。
「しらね。多分ばあちゃんなら知ってんじゃねぇかなぁ」
「ふーん。そっか」
恵実は、冬はこたつになる低いテーブルに箸を並べながら、「明日は私が作るね」と言った。
▪︎
月が一層大きくて、一層明るい夜だ。
喉が渇いて台所に水を取りに行った帰り、恵美は縁側のようになっている廊下を通っていた。
大きなガラスの窓が引き戸のようになっていて、今は暑いからとそれが全開になっている。虫の鳴き声と、たまに風鈴がちりんちりんと音を鳴らす。
庭にはスイカが植えてあって、もう少しで食べごろだとおじいちゃんが言っていた。裏の畑とは別に、庭にも小さな畑が作ってあるのだ。
ゆっくりと、庭に当たっていた光が消えて真っ暗になる。見上げれば月が雲に隠れていた。
恵実はそれを見ながら水を一口口に含んだ。風に吹かれた雲が動いて、また明かりが戻ってくる。
部屋に戻ろうとした恵実の耳に、「ぽ」と聞き慣れない音が届く。
思わず振り返った。だってあまりにもタイムリー。坂本のおじいちゃんのところで聞いた話そのままだったからだ。
庭の隅。さっきまで気がつかなかったけれど……いや、もしかしたら、今現れたのかもしれない。
身長はゆうに200cmを越えてる大きな男の人。
"八尺様,,がいた。そしておそらく、昼間の見た人も八尺様だった。
昼間はスカートだと思っていた下半身の黒い部分はスラリとしたスラックス。上は清潔感のある白いシャツ。帽子は品のいいカンカン帽。
八尺様って、男の人だったんだ、と思った。
というか実在したんだ。
そう考えると変な感動を覚えた。
八尺様は「ぽ ぽ ぽ」としか言わないで、此方に近づいても来ない。
坂本のおじいちゃんは若い人を拐うお化け、と言ったけれど、見る限り穏やかな人(?)だと思う。
恵実はちょうどそこにあったおじいちゃんの大きなサンダルを引っ掛けて、ゆっくりと八尺様に近づいて行った。
「……は、八尺様……?」
「ぽ ぽ ぽ ぽ」
な、なんだか可愛い。
今度は恐る恐る、八尺様の手に触れてみた。八尺様の手はすごく長くて、指先が恵美の大体胸あたりの高さにあった。
八尺様の手はひんやりとして冷たくって、こういう季節には気持ちがいい。
「うわぁ」
恵実はすっかり八尺様がお化けと呼ばれていたことも忘れて、楽しそうに声を上げた。
八尺様を見上げるけれど、顔は見えない。物理的な距離と、やはり明るいと言っても夜だからだろう。
八尺様は相変わらず「ぽ ぽ ぽ」としか言わないけれど、どこか嬉しそうにも見える。欲目だろうか。勘違いじゃなければいいなぁ。
「八尺様、私、厚木恵実って言います」
「ぽ ぽ ぽぽぽぽぽ」
「あっ笑った!」
恵美も釣られて「ふふふ」と笑う。
なんだ、全然怖くない。
むしろ、なんていうか穏やかな人だ。
恵実が「八尺様、よければお話しましょ」と縁側を指すと、八尺様が恵実が片手に持ったままだったコップを持ってくれた。恵実の隣に座って、「えーと、」と会話が限られる相手との話題に悩んでいるのを、頭を撫でたり髪を触ったりしてくる。
それで恵美も八尺様の髪に触ってみると、まるで水か何かが流れるみたいにサラサラ落ちた。恵実は「うわあ」とまた喜んで、それから「いいなあ」とこぼした。
恵実の髪はなかなか癖が強い。縮毛矯正が欠かせないから、八尺様の真っ直ぐな髪が少し羨ましかった。
「ね、八尺様。私暫くこっちにいるんです。またお話してくれますか?」
八尺様はただ「ぽ」と答えた。恵実はそのあと「えへへ」と笑って。
そして、目が覚めた。
さっきまで縁側に居たはずの恵実は自分の布団で眠っていて、しかも夜だったはずなのに、入り込んでくる光は太陽のもの。枕元の時計を見ると、今は朝。
夢だったのだろうか。感触だってまだ残っていて、とてもリアルだったけど。
なんだか釈然としないような、残念な気持ち。
居間に起きていくと、ちょうどおじいちゃんが散歩から帰ってきたところだった。
おじいちゃんは棚から取り出したコップに牛乳を注いで、恵実に「そういや恵実」と話しかける。
「ここにあったコップひとつ無くなってんだけんど、おめ持ってったか?」
パァッと喜んで、元気よく「わかんない!」と答えた恵実に、おじいちゃんが変なものを見る顔をした。
▪︎
それから。
八尺様は時々、色んなところで恵実の前に現れた。
共通しているのは恵実が一人きりの時ということ。それから屋外であるということ。
石の階段。この先には元々神社があったのだけれど、この間の大きな台風が原因の土砂崩れに巻き込まれて流されてしまったので、今はこの階段が面影として残っている程度だ。
辺りにはたくさんの緑があって、ここは少し森を進まないと来れないところにある。恵実と八尺様は、その階段に二人並んで座っていた。
「暑いですねえ」
木陰になっているけれど、日差しがないわけではない。恵実がそうこぼすと、八尺様は「ぽ」と短く相槌を打って恵実の首に手を当てた。
「ひゃっ!」とびっくりした声が出る。そんなつもりがなかった八尺様は素早く手を引っ込めて、「ぽ ぽ ぽ」と焦った風だ。
相変わらず顔は見えないけれど、なんだかだんだん八尺様の考えていることがわかってきた。嬉しい時、楽しい時、焦る時、心配している時。
悲しくなっているところはまだ見たことがないからわからないけれど、ないならその方がきっといい。
恵実はさっき八尺様が寄越してくれた手を取った。大きいから両手で。そしてそれを自分のほっぺに押しつけて、「きもちいー……」と目を細める。
八尺様はきょときょとしている雰囲気。
恵実は「えへへ」と笑って、八尺様の方に近づいた。
「八尺様、暫く影に入れてくれませんか?」
「ぽ ぽ」
「やったあ」
今度は嬉しそう。
八尺様はわざと身体を斜めにして、恵実に覆い被さるように恵実の向こう側に手をついた。
日陰になったのもあるのだろうけど、八尺様の身体が近付いたからか体感温度が一気に下がる。
恵実はコテリと八尺様の方に寄りかかって、「はぁ〜……」とリラックスした風に息を吐いた。自然と瞼が閉じる。
「一家に一台八尺様……」
「ぽ」
今度は戸惑っている様子の八尺様に、恵実がふふふと小さく笑った。
▪︎
「うっそ」
気が付けばずっとスマホに触ってないな、と思い出して電源を入れたら、大量の通知が溜まっていた。殆どがクラスのグループラインだったりするけど、普通に友達からの連絡もあって少し焦る。
夏休みだからって油断したなぁ。
ポチポチ人差し指でフリックして、まず長い間未読でごめんねってことと、適当にでっちあげた事情を説明。ひと通り終わって安心した……と思ったら、『なにそれウケる』とかいう返信が後から後にやってくる。
「はぁ……」
ため息。そよそよと開けっ放しの窓から吹く風。
それから、「ぽ」とすっかりお馴染みの声。恵実はそれまで浮かない顔だったのが嘘みたいに笑顔になって、もつれるように立ちながら走って庭に出た。
「八尺様!」
「ぽ ぽ ぽ」
「どうしてここに?……あっそっか、おじいちゃん今川村のおじいちゃんおばあちゃんのところにきゅうり持っていってるんだ」
「ぽ」
「えへへ。ちょうど暑くって八尺様に会いたかったの。あっ、勿論それだけじゃないですよ!八尺様に会えるのいつでも嬉しい!」
「ぽ」
よしよしと八尺様が頭を撫でてくれる。最初は握りつぶされそうで怖かった手も、今ではすっかり反対になって、安心する。
「はぁー……」
さっきとは真逆の意味の、気が抜けたため息。
「ぽ」と気遣ってくれる八尺様に抱きついた。恵実の頭が当たる位置には八尺様のお腹がくる。シャツ越しの体温も、相変わらずひんやりしていて気持ちいい。それに感触。自分のお腹より、八尺様のそれの方が筋肉質で少し硬い。
そんな八尺様は戸惑いと心配が半分みたいな感じで、恵実はなんだかそれが嬉しかった。
「あーあ。世界中、みーんな八尺様だったらいいのになあ」
「ぽ ぽ ぽ」
「んとですね……。んー……。友達は嫌いじゃないけど、ラインとかメールとかが鬱陶しくって。電話ならまだわかるけど、直接話せばいいじゃん、みたいな」
「ぽ ぽ ぽ ぽ」
「でも多分、八尺様ならそう思わないんですよぉ。むしろ、多分嬉しいと思う。話したいことが正確にわかるし、返信だって楽しいんだろうな……」
「ぽ ぽ ぽ」
「うん……。今はめんどくさいし鬱陶しい。こんなのなければいいのにね」
と、つい握りしめたままだったスマホを、八尺様の背中に回していた分の片方の手を離して眺めた。
ラインが原因の仲違いとかはよく聞く話だ。中学校の時には隣のクラスでグループラインから発展したいじめが問題になっていた。
そんなことがあったから、恵実はあまりスマホというか、そういう連絡手段が好きじゃない。今はもう改善されたけど、中学生の時にはそれが怖くって四六時中スマホに張り付いていた時期もあったのだ。
「はぁ……」ともう一度ため息。
すると、のそりと八尺様の手が近付いてきて、恵実の手からスマホを奪った。
「え?」と恵実が八尺様を見上げると、下の方、恵実の方を向いた八尺様の口元が見えた。
大きな口が、ニィと歪む。八尺様の顔の一部を、恵実はこの時はじめて見た。
ギィ、バキ、とスマホが割れる。
見惚れていた、というのだろう。
恵実が八尺様の口元に意識を持っていかれている間に、スマホが八尺様の手の中でぐしゃぐしゃになっていた。
「あーっ!」
「ぽ ぽぽ」
つい声を上げると、八尺様が焦る。
恵実は潰されたスマホと八尺様の顔を行ったり来たり見た。
どうしよう、ママに怒られる……という気持ちが大きい。スマホっていうのはやっぱり高いものだし、データとかあるし、あとたまにママから電話かかってくる……。
けれど。
もう一度八尺様の顔を見る。オロオロとしているのが、口元だけでもよくわかった。
でも、スカッとしたのも本当だ。
「……もう、八尺様」
「ぽ ぽ ぽ」
「かがんで!」
恵実がそういうと、八尺様が言う通り屈んでくれる。だけど遠い。恵実が「もっと!」と言って、ようやく。それでもちょっと高いだろうか。
恵実は一度「うん」と頷いてから、ジャンプして、八尺様の首元に抱きついた。
「八尺様大好き!」
「ぽ」
これは初めてだ。多分、すごくびっくりしてる。
恵実は「えへへ」と嬉しそうにしながら、ぎゅっと八尺様に抱きつく力を少し強めた。すると落ちないように、八尺様が恵実の腰とお尻のところくらいに手を置いてくれる。身体はがっしりしてて、やっぱり男の人なんだなぁと思う。
八尺様の髪の毛が当たってちょっとくすぐったい。でも不思議と、それを嫌だとは全く思わなかった。
▪︎
おじいちゃんちの家電は、昔懐かしの黒電話だ。
「うん……うん、ごめんねママ。うん、これからは気をつける」
スマホは例の土砂崩れで無くなった神社の階段の、残っている中で一番高い段から落としてしまった、ということになった。
ママに嘘をつくことには、少し罪悪感。だけどいい機会だし、あわよくばスマホ卒業できないかな、と画作している。
最近八尺様は元気が出たのか仲良くなって遠慮が無くなってきたのか、おじいちゃんがいない時には家の中にも入ってこれるようになった。それに、見られなければ大丈夫なようで、耳元に受話器を当てる恵実の後ろで静かに待ってる。覆い被さるように壁に手を付いているから、そこだけ影になっていた。
受話器を置くと、チン、と鈴を鳴らすような音がする。恵実は振り返って、八尺様に「お待たせ、八尺様」と笑って手を繋いだ。
八尺様が先に寝転がって、その上に恵実も寝転がる。八尺様を敷布団みたいにしているけど、八尺様も楽しそうなので多分大丈夫だ。
不思議なことに、最近は八尺様の顔が鼻まで見えるようになった。目元にかかる髪を退かしても目はみえないのに。でもきっと、これも時間の問題だろう。
「あ、ねぇ八尺様、明日は私おじいちゃんと一緒におばあちゃんのお見舞い行ってきますね」
「ぽ ぽ ぽ」
「すぐ帰ってきますよぉ。どうせあと一週間はここにいるし」
「ぽ」
ショックを受けたように八尺様の口がポカッと開いた。恵実は「ん?」とパチパチ目をまばたきさせてから、八尺様の開いた下唇をプルプル弾いて遊ぶ。
すると八尺様の口がクワっと大きく開いて、恵実が食べられる!とびっくりして指を引っ込めたのを追いかけて、人差し指の根本までを軽く甘噛みされた。
痛くはないけれど、ガジガジと口を咀嚼されるように動かされると変な気分だ。
「は、八尺様?」
「ぽ」
またカポっと八尺様の口が開き、恵実がそっと指を抜く。最後に不意打ちのように指先を噛まれて、「わっ!」と思わず声を上げた。
▪︎
おばあちゃんが入院している病院へは、おじいちゃんの軽トラで向かうことになる。
というかおじいちゃんの家には軽トラ以外の車がないため、それ以外の選択肢がないとも言えた。軽トラなので、車がガタガタ揺れるたび頭が後ろにぶつかってちょっと痛い。
「そーいや恵実、おめえ前八尺様がどーとか言ってたべよ」
「うん、それがどしたの?」
「色んなじいさんばあさんに聞いてみたんだけんどもな、やっぱり一番詳しそうなのはばあちゃんだなぁ。ばあちゃんは昔村長の娘だったから、今日どうせなら聞いて来い」
「はあーい」
道がすいていたのもあって、病院へはなんとか一時間かからないくらいでついた。スマホを持っていない分、時間は軽トラの中についてる電子時計で見れる。
おばあちゃんの部屋は三階の個室。ママはこの近くにあるホテルに寝泊まりしている。パパも少し前まではそうしていたけど、出張が決まってそちらに行ったらしい。
「私もね、平気だ平気だって言ってるんだけどねぇ」
「パパが大袈裟なんだもんね〜」
「ねぇ〜?」
おばあちゃんに貰ったカルメ焼をぽりぽりと食べながら話をする。
パパはマザコンで、おばあちゃんのこととなるとなんでも大袈裟に騒ぐ。ママは田舎が嫌だから、今回はあえてパパに従っている。
実際、おばあちゃんもそれほど重症というわけでもないし、お世話らしいお世話も必要ないから、ママの仕事といえば花瓶の花を変えたり、おばあちゃんの代わりに売店に行くくらいなのだ。
ちなみにおじいちゃん。恵実とおばあちゃんが話をする時は、おじいちゃんは大体後ろの方で見守っている。
曰く、そっくりな二人が話しているところは見てて面白いんだそうだ。
「あっ、それでねおばあちゃん。八尺様って知ってる?」
「八尺様?どうしたの?そんなもの急に」
「坂本のおじいちゃんが言っててね、ちょっと興味が沸いたの」
「そう。なんだか懐かしいわ」
「懐かしいの?」
「ええ、ほら、うちの近くに神社があったでしょう?少し前に壊れちゃったけど。あれ八尺様の神社だったのよ」
「えっ!じゃあ八尺様って神様だったんだ!?」
意外……。
目をパチパチさせて驚く恵実に、おばあちゃんが「そうじゃなくてねぇ」とコロコロ笑う。
「昔はよく子供が行方不明になったものだから、村ではそれを皆八尺様に拐われたんだって言ってたらしいのよ。おばあちゃんも、おばあちゃんのおじいちゃんに聞いた話なんだけどね」
「ふぅん……?」
「それで、八尺様をお祀りして、『その代わりどうかもう誰も拐わないでください』ってするために作られたのがあの神社。だからたぁ、封じ込めるっていうのが正しいかしらねぇ」
「封じ込める、って、なんかやだね……」
恵実がそう言うと、おばあちゃんが頭を撫でて、「恵実ちゃんは優しいねぇ」と言ってくれる。けれど恵実は複雑な気持ちで、何も返事が思い浮かばなかった。
おばあちゃんが一度恵実を撫でる手を止めて、何かを言おうとする。
けれどその前に病室の引き戸が開いて、「あら、恵実来てたの?」とママの声がした。
「ママ……あっ、携帯ごめんね……」
「本当よ。後でまた買いに行かなきゃなんないし……。面倒なのよあれ。1日潰れるし」
「うん……」
「あっ、お義父さんも、お久しぶりですぅ。恵実、ちゃんとやれてますか?」
「晩飯は大体恵実が作ってくれっからな。聡よりよっぽどしっかりしとるわ」
聡というのはパパの名前だ。
ママはよそ行きの笑顔で、「それはよかった」と言った。
▪︎
おばあちゃんのお見舞いに行って一週間。おばあちゃんの退院のの目処が立って、恵実の夏休みも残り少なくなっている。
明日、恵実は自分の家に帰る。
つまりそれは八尺様とのお別れを意味するというわけで、恵実はいつにも増して自分にひっついてくる八尺様の腕をさすりながら、「私だってやですよぉ〜」と泣き言みたいな言い方で言った。
「ぽ ぽ ぽ」
「ね。もう少しで八尺様の目だって見えそうなのに……」
「ぽ ぽ ぽ ぽ」
「どんな顔してるんですか?八尺様」
サラリと八尺様の前髪をかき分けても、目の形がわからない。黒く靄がかかっているみたいに見えるのだ。
「ぽ ぽ」と言って、八尺様が恵実の手を取る。あれから八尺様は恵実の手を食べるのがお気に入りのようである。手首まで口に含まれて、もにゅもにゅと不思議な感覚。手が口から出されてもよだれらしいものは付いていないから、やっぱり八尺様って人間じゃないんだなぁと実感した。
「でも、来年また来ますからね」
「ぽ ぽ ぽ」
「んーと、やっぱり夏かなぁ。お正月はお母さんの方の実家で過ごしてるし。パパの休みが取れないんですよね、その時期。だから自然とっていうか」
「ぽ」
「八尺様が寂しいって思ってくれてると、なんだか嬉しい」
恵実が八尺様の真似をするように、八尺様の指先をかぷりと噛んだ。
そして翌日。
恵実のことを迎えに来たママが玄関先でまたよそ行きの顔と声でおじいちゃんと話しながら、「恵実、そろそろいくよー!」と時々家の中にいる恵実に言う。
恵実は「はーい!」と返事をしながら、バッグのチャックを閉めていた。
明るかったのが影になる。横に髪の毛のカーテンができる。恵実はこの感じを知っている。
「ぽ」
「八尺様……!」
恵実は小声で声を上げて、びっくりしながら嬉しくって、八尺様の首に抱きついた。
すぐそこに他の人、おじいちゃんもママもいるのに、八尺様が姿を現してくれたことははじめてだ。
恵実は八尺様の首に擦り寄って、「えへへ」と喜んで、「八尺様」とおじいちゃんやママに聞こえないように、八尺様にだけ聞こえるように小さく言った。
「来年の夏、絶対来ますから、それまで私のこと忘れないでね」
「ぽ ぽ ぽ」
そして八尺様は、霧がなくなるように姿を消した。
恵実は誰もいなくなった空間に笑顔を向けて、「またね」といって、バッグを持ってママが待つ玄関の方に向かった。
▪︎
だけど恵実は、その約束を守れなかった。
パパは仕事が立て込んで休みが取れず、一人でもおじいちゃんの家に行こうとした恵実をママは「受験生でしょ」と止めた。
どうせ恵実だけ行ったら薄情扱いされるのが嫌なだけなのに。
「あっちの方が静かだし勉強ができるよ」と訴えた恵実にママは怒って、勝手に塾の合宿に申し込んだのだ。
3年生になって、びっしり入った学校の課外。それ以外の自由なたった数日が潰されてしまった。
恵実は部屋でひっそり泣いた。八尺様が恋しかった。八尺様が大好きだからだ。
あの後、おじいちゃんの家を離れた後気付いた。
言葉も通じなかったけど、人間じゃなかったけど。八尺様は誰よりも優しくって、かっこよくって、守ってくれる。それから……あとは、たぶん理屈じゃない。
恵実は八尺様が大好きだった。恋をしていたのだ。きっと。
そして夏が終わり、秋。
家に届いたのはおじいちゃんの訃報。
ママも流石にこれを止められるはずもなく、パパも一緒に、恵実はあの村へ行くことになった。
川のそばで足を踏み外したことによる事故だったらしい。
おじいちゃんもおばあちゃんも、遺影は還暦の時に撮った写真を使っていて、大体十年くらい前のもの。
お葬式はおじいちゃんの家で行われて、隣の村から出張してきたお坊さんがお経を唱えていた。
おばあちゃんは悲しいというよりは、寂しそうな顔をしていた。
「私たちももう歳だし、いつそうなってもおかしくないと覚悟していたんだけどねぇ。でもなんとなく、私の方が先に行くんだと思っていたから」
▪︎
早朝。朝日が登りはじめたくらいの時間。
恵実はあの階段のところに来ていた。
昨日、恵実が一人になっていた時間はいくらでもあったのに、八尺様は結局姿を見せてくれなかったからだ。ここならもしかして、と思ったからだ。
だけど待てども待てども、八尺様は姿を現さない。
恵実は階段のところに座りながら、くすんと鼻を鳴らした。
怒ってるのかもしれない。夏に来れなかったから。
話したいことがたくさんあるのに。
「八尺様……」
と、つぶやくように恵実が呼んだ時である。
まばたきをした次の瞬間に、八尺様が目の前にいた。
あの時と変わらない姿格好で、「ぽ ぽ ぽ」と言いながら、恵実を見下ろしていた。
「八尺、様……」
やがて、じわじわと恵実の目に涙が滲む。
立ち上がって、駆け寄って、八尺様の足に抱きついた。
離してしまわないように、離れないように、力強くしがみついた。
八尺様は何も言わなかった。恵実はそれが怖かった。八尺様に嫌われるのが一番嫌だった。
恵実の肩が震える。恵実はヒクヒクとひきつけを起こしながら、静かに泣いていた。
「…… ぽ」
それから、ようやく八尺様がそう言った。
恵実はそれが嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。許してもらえた、と思った。
「えへへ……」
八尺様に擦り寄ると、八尺様が頭を撫でてくれる。
見上げると、八尺様の目はまだ見えないけど、本当に、本当にもう少しで見えそうだった。
あと少し。あと少し。多分何かが足りない、と恵実は直感的に思ったからだ。
「ぽ ぽ ぽ ぽ」
その時。まだ少し泣きながら嬉しくて笑う恵実の顔を、八尺様の両手が挟むように掴んだ。
大きな手。一本一本が恵実のものの倍はあるほど長い指。片手で恵実の頭をゆうに包み、握りつぶしてしまえそうなほど大きな手。
それが恵実の頬を掴むと、一緒になって耳や、頭、首の裏の方にまでまでひんやりとした感触が届いた。
八尺様が腰をかがめ恵実の顔を覗き込むようにすると、八尺様の長い髪がカーテンになって、周りの景色を遮断する。
「ぽ ぽ ぽ」
八尺様の大きな口が、ニィっと歪む。
恵実はただ漠然と、きっとこれが足りないものだったのだと思った。
「いいよ」
そして気が付けば、恵実はそう言葉にしていた。
頬に触れる八尺様の手に触り、擦り寄りながら、八尺様を見上げる。
すぐ近くにある八尺様の顔。
目のところにモヤがかかっている顔。だけど、それは今にも晴れそうで。
恵実はその八尺様の顔に、八尺様の真似をするように両頬を挟んで、引き寄せるように背伸びをした。
18歳。ファーストキスだった。